第175話 「『石牢』」

体中から血を流す大剣使い、ハインリヒと。

傷一つなくしっかと槍を構えるイリムは。


突如出現した岩の大部屋に包まれた。


『石牢』と彼女が名付けたあの技は、単純にして凶悪な死の牢獄である。


すでに俺からは中は見えないが、『俯瞰フォーサイト』によって観ることはできる。

イリムが凄まじい速さで、ハインリヒを追い詰めているのを。


左右上下、すべての足場を使った立体機動。

真実全方位から彼は攻め立てられている。


――しかも見えない。


当たり前だが、真っ暗でなにも見えないのだ。

ニンゲンは『暗視』など持ってはいない。

だから松明を持つし街灯を灯すし、魔術師なら『灯火』や『鬼火ウィスプ』で明かりを確保する。


しかし獣人は、生まれ持った種族特性パッシブスキルで闇を見通せる。

つまりは『暗視』持ちだ。


暗闇での戦いにおいて、かの種族は圧倒的に有利なのだ。


しかし相手もさすがと言うべきか。

経験、直感、運……そうとしか呼べないなにかによって、致命傷をことごとく防いでいる。


だが、もう。

勝敗は明らかであった。


「――――シィィィイイイイッ!!!」


『石牢』の中からくぐもった雄叫び。その直後、岩のドームが弾け飛んだ。

中からハインリヒが飛び出してくる。


捨て身の突進から壁になんとか近づき一閃。

死の牢獄からの脱獄を果たしたが、その代償は高くついたようだ。


左肩に大きな穴、腕はブラブラと外れかかっている。

脱出のさいの隙を刈り取られたのだろう。


『石牢』がガラガラと崩れ去る。

イリムが自分で解除したのだ。


その跡地には、広大な血の池ができていた。


「師匠……勝負はつきました」

「ああ」


大剣使い、異端狩りの生き残り。

……その体はすでに死に体だった。


手首のけんは絶たれ筋肉は寸断し、つまりは……、

剣を振るうための器官が破壊されている。


足元の血溜まり、そして石牢跡地の広大な血の池。

それはあわせて成人男性の失血死3リットルを優に超えている。つまりは……、

彼の体には、それを動かすだけの燃料が存在しない。


しかし、彼は剣を右腕一本で水平に構え、ガクガクと震えながらだか、たしかに立っている。


肉体はすでに死んでいる。

精神がそれを拒否している。


「……炎の悪魔の眷属けんぞく死すべし、我らの世界を護りたもう。侵略者から護りたもう。我らの子らを護りたもう……」


かすれた声で、呪詛じゅそ……あるいは祈りをつぶやきながら。

大剣を持ち上げ、高らかに掲げ、刀身が輝く。


今の今まで、その機会すきを与えられず発現できなかった奇跡。


神の怒りラース・オブ・ゴッド


恐らく、この空間すべてを吹き飛ばすつもりなのだろう。

【炎の悪魔】である俺ごと。


しかし、彼の最後の祈りが聞き届けられることはなかった。

静かに、素早く。

イリムの槍が彼の心臓を捉えていた。


「――師匠は、私が守ります」

「……ごふっ」


どこにそんな余分があったのか、口から血を吐き出しながらハインリヒが崩折れる。


「……ごめん、みんな……氷の魔女からも、炎の悪魔からも、僕はみんなを守ることが……」


胸を押さえ、体を丸め、最後は少年のような顔で。

……そうして、大剣のハインリヒは息を引き取った。


------------


その後、『転移門』の魔術紋様を手早く確認し、起点になるところだけを傷つけた。

とたんに、鏡の向こうに広がっていた荒野が消え失せ、俺とイリムの姿を映し出す。


「万が一のため、イリムは鏡を見張っておいてくれ」

「はい!」


遺跡の出口へと走る。

一秒でも早くこの戦いの終わりを告げるために。



◇◇◇



山の根の館、その入り口を守る大扉は黒鉄くろがねでできていた。

破るのは容易ではない。


だが、城塞じょうさいの攻め方にはいろいろある。


扉には破城槌はじょうつい、つまり人力の巨大ハンマーを叩きつける。

何度も何度も打ちつければ、いずれは破ることができるのだ。

上から煮えた油や火を浴びせられようとも、何度も何度も。


塀にはハシゴを掛け、ひたすらに登る。

当然そんなものは簡単に外されるのだが、ひたすらに数を用意し、ひたすらに登る。

それを矢や、数は多くないが魔法でサポートする。


だが、攻め手は焦っていた。


元奴隷身分のクセにドワーフが強いのは認めよう。

体の頑丈さだけが取り柄の、卑しいヤツらだ。


しかし、それ以外のヤツらが目立つ。


胸壁の上にいるトカゲ族と長髪の女はなんなのだ。

あのふたりが的確にハシゴを外し、なんとか取り付いた兵士もすぐにやられてしまう。


それになによりあの鎖だ。

アレで、ハシゴも兵士も即座に崩されてしまう。

登るはしから手足を捕られ、振り落とされる。

どうしようもない。


そうして攻め手がじわじわと追い詰められていくなか、最後のトドメがやってきた。


「――おいっ!! アレを見ろ!!!」


兵士の誰かが叫んだ。

そしてその叫びはどんどん広がっていく。


みながみな、後ろを振り返り愕然がくぜんとしている。

深い森の奥、『転移門』のあたりから巨大な、巨大すぎる火柱が吹き上がっていた。


まるで天を貫く炎の塔だ。

帝国の、どの建物よりも高い塔だ。


「……終わった」


誰かがそう言葉を漏らすと、次々にそれは伝播でんぱしていった。

彼らは、帰る手段を失ったのだ。

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