第148話 「みけに語ろう、アスタルテの過去、そして理由」

……そうさね、とアスタルテは語りだす。


それはとてもとても古い、大昔のお話だ。

今より2000と200年ほどまえ、【黒森】も【氷の魔女】もいない世界。


人類はたまの小さな戦争と、魔物の襲撃以外はそれほど大きな危険もなく繁栄していた。

魔物も、今ほど強力なモノは少なかった。


「ちょうど大きな戦いをしての。ちとヘマをして大怪我を負うた」


そうしてひとつの洞窟に身を隠した。

そこには、赤子を抱えた母親がいた。

白く、華奢な、若い女性。


「村同士のいさかいでの、ほうぼうの体で逃げてきたようでな。腹を刺されて死にかけじゃった」

「助けてあげたんですか?」


「当時の我に、ニンゲンなど関心はない。助けようがどうせ100年持たず死ぬ。そんな感想しか沸かんかった」

「……。」


そうして母親は、赤子をアスタルテに預けようとした。

どうか助けてください、この子だけは……と。

アスタルテはそれを受け取らず、母親はそのまま息を引き取った。


「……そんな、ひどい」

「当時の我を責められても困るがの」


アスタルテは、怪我を癒やしてから洞窟を去るつもりだった。

びーびー泣く赤子のことなど意識の外に追いやっていた。

そうして気がつけば、赤子の声は止んでいた。


「……死んじゃったんですか?」

「いや、違う」


赤子は、死んだ母親の乳房に顔をうずめ、必死にお乳を飲もうとしていた。

小さな体で無理矢理這い、死にものぐるいで。


「我は素直に、すごいと思うた。生にしがみつくその気概きがいがな。生きる者の在るべき姿がそこにはあった」

「……。」


アスタルテは赤子を抱え、洞窟を去った。

それから最寄りの村を見つけ、村人たちに赤子を預けようとした。

そして、悲劇が起こった。


「村人はのう、赤子にクワを振りよった」

「えっ!」


異常に白い肌、赤い瞳のその赤子は、その村では禁忌であった。

いや、その地方ではすべからく。


「我はその農夫を殺し、赤子を助けた。なに、腕ひとつぐらいなら造作もないからの」


彼女は赤子を連れ、村を後にした。

そうして、ふたりの長い旅が始まった。


彼女は信頼できるニンゲンを求めほうぼうを彷徨ったが、これといえるニンゲンには出会えなかった。

どうも、この赤子の特徴はヒトに恐怖や奇異をもたらすらしい。


「仕方がないからの、我が育てた」

「それは……なぜ?」

「赤子は生きる意思を我に見せつけた。そうして我の関心を得た。我に気に入らせた。これも生きる能力といえよう」


その後、エルフの少女として赤子と街で暮らした。

街は、村と比べてヒトの幅が広かった。

流れ者、外れ者、障害のある者。

そうした人びとも広く受け入れてくれる。


「金さえだせば乳を出す仕事があるそうでな。それに頼ったのよ」

「へええ……」


みけは一瞬顔を赤らめたが、もちろん知識として彼女も知っている。

貴族や金持ちなどは、良質のお乳を出すとして乳母を雇うことがある。

……2000年前も存在していたとは知らなかったが。


「そうしてヤツは大きくなり、言葉を喋るようになり、立って歩くようになり」

「……。」

「まあ、いろいろ……いろいろあったの。最後はしっかり独り立ちし、嫁をこさえて死んでいった」

「……。」

「我らからすればやはりヒトの生は一瞬じゃ。赤子からジジイになるまでも一瞬じゃ」


その出来事は彼女にとってはすこし変わった時間、ただそれだけだった。

そうなるはずだった。


「それからすこししての、ヤツが世界に堕ちてきた」

「2000年前……もしかして!」


「そう、この大陸の中心でいまものうのうと居座っておるヤツ、大蜘蛛【闇生み】よ」



その日、ぽつんとシミのようにソレは現れた。

地面からぬるりと這い出した醜悪な蜘蛛、おぞましさと吐き気の具現。


ソレが、ぶるりと体を震わせると、ソコから地獄が始まった。

黒い木々と枝々が爆発するように産まれ広がり、途上の村町ヒトはすべて呑まれた。

津波のように押し寄せ、抵抗できるモノはいなかった。


それから、いったんは静かになったその森から大量の魔物が溢れ出した。


「さすがに最初の侵略だからの、そりゃあ凄まじかったぞぃ。今の進軍など比較にならん。真実、大陸のすべてが蹂躙じゅうりんされた」


アスタルテはふと、昔育てた赤子の街が気になった。

居ても立ってもいられず、当時ようやく習得しつつあった『地脈移動』で駆けつけた。

街は、魔物とヒトで溢れかえっていた。


この状況でさえ、必死に戦い続ける彼ら。

その中にふと、見知った顔を見た気がした。


「勘違いかもしれん。他人のそら似かもしれん」


しかし、アスタルテにはそう見えたのだ。

あの赤子の子孫だろうと。


「そうして我は、全力でその街を救った。魔物のことごとくを潰した。

 壁をこさえ、岩を降らせ、がむしゃらにな」


彼女は街中から歓迎された。

その中には確かにさきの青年もいた。

髪は黒かったが、その瞳は間違いようもない、真紅のそれ。


「それから……我は他の街にも出向き、助けられるモノは助けた。じゃが、しょせん我ひとりの頑張りではどもこもならん」


最初の黒森、その爆発からほとんどの村や街は生き残れなかった。

この時、この世界の文明は一度破壊された。


すべてが滅んだわけではないので、ゼロからのリセットではない。

しかし、そこからの復興は長く険しいものだった。


この、2000年前に起こった大破壊から、現代に至るまでの期間を指して【暗黒時代ダークエイジ】と呼ぶ者もいる。

かつての栄光の文明に、いまだ届いていないからだ。


「堀をほり、壁をこさえ、戦い方を教え。

 そうしてどうにかこうにか立て直してきたと思うたら今度は魔王、そして【氷の魔女】よ。山脈を築き、冬を押し留め……ほんに忙しい日々じゃった」


「どうしてそこまで……」


「ふと見れば、ヤツに似た者がいる。ヤツの子らがな。

 勘違いかもしれんし他人のそら似かもしれん。

 しかし我はヤツの子らであると信じておる」

「……。」


「最初の洞窟で、我はあの母を助けなんだ。短い生の生き物として見捨てた。今ならわかる、アレは間違っておった。

 助けておれば、ヤツは本当の母に育てられた。紛いモノでなく本当の母親にな」

「……。」


「あの母は、我に子を助けよと頼んだ。じゃから我は、それを守ろうと思う。

 ヤツと、ヤツの子ら。それが罪滅ぼしになろうて」


そうして彼女は、今も己の信念に従って戦っている。

子を救う母として、この世界で戦い続けている。


アスタルテの長い話が終わった。

彼女の過去、そして理由。

しかし。


「どうして私に、そんな大事なお話を?」

「……そうさね、まあ」


「いずれ条理ことわりを超えるお主には、役目があるからの。

 ……我の想いを話しておくのも悪くはなかろうて……な」

「?」


みけには、アスタルテの言葉がよくわからなかった。

しかしアスタルテにはわかる。


絶賛成長中のまれびとの精霊術師。

死神を従える群青色の少女。

彼女の妹の鎖憑き。


……そして、目の前のこの幼子。

  どうした理屈か、彼女はふたりぶんのシルシを持っている。


特異点たり得る逸材がこれだけ揃っている。

それにあの男の仲間も粒ぞろいだ。

条理は越えられずとも、コマたり得る。


なに、あの勇者ですら存在濃度は10。

足りぬ能力を装備で補い、仮初めの【四方】にいる。その末席に。


同じことを、こちらもすればいいだけの話だ。

くつくつと白い幼女は笑う。


……流れが、確実に来ているのだと。

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