ヴィタリ山頂にて

 

 降りつける雨が冷たい。ここまで来ると黒雲もほとんど切れることが無くなってきた。だんだんと方向感覚がなくなって行く。

 このまま永遠にこの中から出れないんじゃないだろうか。そう思い始めた時、突然変化があった。


 黒い雲が、いきなり真っ白な霧に変わったのだ。しかも雨も風も止んでしまった。相変わらず視界は悪いままだが、あきらかに今までとは違う。


 迷わされて変なところに出たのか。それともとうとう頂上についたんだろうか。ここが頂上だとしたら、いったいどうやってこの霧で調査をしたらいいんだろう。


 ヒロはそんな心配をしていたが、急に視界が良くなった。突然の事に驚かされたが、どうやら霧を抜けたらしい。

 不思議なことにその場所だけ切り取られたかのように霧が無くなっていた。だだっ広い平らな場所に岩族の作ったらしい小さな祠。それは話に聞いていたヴィタリの頂上の光景だった。


 ただ一つ違うとすれば、その広場のど真ん中にこと。


 まだ見つかってはいないが、あれはヤバい。ヒロの本能が警鐘を鳴らす。まさか精霊ではないだろうし、どう見ても仲良くしましょうという感じではない。

 こんなのがいるなんて話が違う。これは一度戻った方が良さそうだ。ヒロは踵を返してもう一度霧の中に入ろうとした。


 ゴチン!


 霧の中に戻ろうとした瞬間、何か見えない透明な壁にヒロは頭ぶつけた。そしてその弾みで尻もちまでついてしまう。入ってきた時には絶対にこんなものは無かった。


 ひょっとするとこれはもしかして不味いのでは……? ヒロはそうっと後ろを振り返った。


 完全に


 振り返った時には既に巨人は薙刀をヒロのほうに向けて構えていた。嫌な予感がしたヒロはとっさに横に転がる。直後、ズゥン!という鈍い音とともに巨人が突っ込んできた。一瞬前に自分がいた場所を薙刀の刃が通り抜ける。


 まずい。一瞬で距離を詰めてきた巨人に焦りを感じながら、とにかく距離を取る。何故かは分からないがここから逃げ出せないとなると、巨人を倒すか、攻撃を止めてもらうかしかない。


 最悪な事に武器は里に置いてきてしまっていた。とはいえ持ってきていたとしても枝打ち用のなただ。そんな物でこの剛腕の巨人をどうこう出来るとも思えなかった。


(ならお話しして攻撃しないでくださいってお願いしてみるか? 問答無用で攻撃してきた相手に?)


 巨人はそんなヒロの葛藤などお構いなしに、薙刀を一閃する。ブォォォン!というすごい音を立てて、体の少し前を刃が通り過ぎて行った。


「ッ!?」


 ギリギリすぎて声もあげられない。とはいえ今のでだいたい間合いは分かった。だがこんなに攻撃範囲が広いのでは避けつづける事は難しい。それに万全の状態ならまだしも、山を登ってクタクタに疲れきってるのだ。避けられなくなるのも時間の問題に思えた。


 それからヒロは結構な時間、必死になって避けつづけていた。避けながら周囲を確認していったが、やはり頂上の全周が見えない壁で囲われてしまっているようだった。


 極限状態で頑張ってはいたが、このまま避けつづけたとしても何の解決にもならない。ヒロは何か打開する方法はないかと懸命に考えた。しかしそうこうしているうちにとうとう限界が来てしまう。


「しまっ……!」


 太ももの部分をざっくりと斬られる。ヒロはそのあまりの痛さに崩れるようにへたり込んだ。巨人もその一撃に手応えを感じたようで、もうヒロが動けないのと分かったのか、ゆっくりと近づいてくる。


「こんなところで……!」


 巨人はカシャン、カシャン、と動けずにいるヒロのすぐそばまで来て立ち止まった。じっとヒロを見下ろして薙刀を大上段に構える。


(ああ神様っ!!)


 まさに巨人がヒロにとどめを刺さんとしたその瞬間。


『マウシュテル、アウフラム!!』


 ヒロの後ろ側で、何かの叫び声が聞こえた。同時に巨人がドン!と突き飛ばされたかのように大きくのけぞる。一体何が。ヒロは痛みも忘れてとっさに声のした方向を振り返った。


 そこには白銀の騎士がいた。


 青白く光る長剣を右手に持ち、全身に銀色の鎧をまとった騎士風の男が自然体で佇んでいる。

 何かに突き飛ばされてのけぞっていた巨人は体勢を立て直したが、突然現れた謎の騎士を警戒してか薙刀を構えたまま動かない。謎の騎士は特に気負うでもなくヒロの所までツカツカ歩いて来ると、ちらりとヒロを横目に見た。


「……そこで見ていろ」


 謎の騎士はそう呟くと巨人のほうに目を向ける。ヒロは何が何だかわからないままその騎士を見上げていたが、そんなヒロを気にすることもなく騎士は巨人の方へと歩いていった。


 そこからは一方的だった。


 騎士は体格差をものともせず、目にも止まらぬ速さで攻撃を繰り出していく。対する巨人もなんとか防御しているがいくつか防ぎきれずに攻撃を喰らっている。もちろん巨人は攻撃する余裕など無い。

 やがて騎士は巨人の見せた隙を見逃さず、薙刀をガキン!と跳ね上げるとガラ空きになった胴体に剣をねじ込んだ。それが決め手になり巨人はドッと地に倒れ伏す。謎の騎士の圧勝であった。


 その騎士のあまりのカッコよさに、ヒロはしばらくポーッと見惚れていたが、やがてハッと我に返った。


「あのっ! 助けてくれてありがとうございます! あ、痛っ!?」


 とりあえずお礼を言おうと口を開いたが、今になって斬られたことを思い出した。死にかけていたので忘れていたが、とんでもなく痛い。それに立ちあがれないことにも気がつく。

 そんなヒロを見た騎士はツカツカとやってくるとヒロの斬られた太ももに左手をかざした。


『……スピーラン、ハーウ』


 騎士が小さく唱えるとボウっと斬られた部分が光る。するとみるみる傷が塞がって、痛みが引いていった。これが回復魔法というものだろうか。初めての感触に感動しながらヒロは訊ねる。


「あのっ! 治してくれてありがとうございます。なんで助けてくれたんですか……?」


「……知る必要は無い……」


 そう言うと騎士はヒロを置いてさっさと歩きだしてしまう。いや、こんな何もわからない状態で置いていかれても困る。ヒロは慌てて声を掛けた。


「待ってください! あなたは命の恩人です! せめてお名前だけでも!!」


 騎士は立ち止まるとヒロをじろりと見た。


「……名前、名前か。俺の名はレオだ」


 なんかちょっと今適当に考えました。みたいな言い方である。


「……次にまみえる時にはもう少し……いや、何でもない」


 レオはチラリとヒロを見たまま何かを言いかけたが途中で止めてしまう。なんだか分からないが含みのある言い方だった。何か訳を知っている事は間違いなさそうだ。


 もっと教えてもらおうと思ったヒロは銀騎士レオに声をかける。しかし、レオはそんなヒロの声を無視して霧の中へと入って行ってしまった。


 というか霧の中に普通に入っていった。もう見えない壁は無くなったのだろうか。そんな事を思ったがもうその頃にはとっくにレオは見えなくなっていた。


 だんだんと辺りが暗くなってくる。本当に今日はいろいろなことがあった。それにヒロはもう限界であった。


 何から何までわからない事だらけだ。倒された巨人は黒い泡になって消えてしまったし、霧は未だに晴れない。そして真相を知っていそうなレオはどこかに行ってしまった。

 全てを諦めたヒロは面倒な事は全て明日に回して寝る事にした。



 ーーー



「……ィ……ㇶ……オイ! ヒロ! オキロ!!」


 誰かがヒロを呼ぶ声がする。


(ふあ~もう朝か……ってあれ?)


「ゴン!! なんでここに!? 来ちゃったのか!? というか来れたの!?」


「メハサメタカ? ヒロ。マワリヲミテミロ、クモハナクナッタゾ!」


 そう言われてヒロは周りを見回して仰天した。雲が綺麗さっぱり無くなっていたからだ。それに、地平線から昇ってくる朝陽が美しい。


「ヤッタナ! ヒロ! サスガハエイユウダ!」


 そう言われてヒロは、ふと疑問に思った。実は俺なんにもしてなくない……?と


「……ところでゴンさんや? つかぬ事を聞くけど、銀色の鎧を纏った男を見なかったかい?」


「? イヤ、ミテナイガ……」


 ヒロはおもわず自分の太ももを見た。傷は無いが服は破けて血で汚れている。一瞬、昨日のことは夢かと思ったがそんなことはない。


「ソノフク……イッタイナニガアッタ……?」


「……ああ、山を下りながら話すよ……」


 二人は里に帰ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る