3 茨の魔女と夜の森
決意を固めてからどのくらい経っただろう。
久し振りに過ごす静かな日々は心が落ち着くはずだった。
数日は平気だったものの、あまりにも彼が来ないものだから私は小鳥に言いつけて森の入り口を見張ってもらうことにした。
けれど、彼は来る気配が無い。
ああ、人の身で過ごす日々というのはこんなに長いものだっただろうか。
すっかり忘れてしまった感覚に心焦がれる。
彼が現れなくなってから三度目の満月の日。
森に何者かが入ったことを、私が張り巡らせた茨が感じ取る。
闇に紛れて風のような速さで侵入者の元へ駆けて、なるべくおどろおどろしい声色で相手を威嚇した。
「王家の者よ。茨の魔女の森へ何用で現れた」
私の声と、巨大な茨を生やしたハリネズミのような醜い姿を前にした前の
咄嗟に帽子を深く被り、顔を隠した狩人らしき男は、自らの後ろに何かを積んでいた。
人一人ほどの大きさはありそうな、その積み荷からは僅かに薔薇の香りが漂っている。
「命が惜しくば、積み荷を置いて去りなさい」
狩人は、何も言わないまま馬から下りて、こちらを警戒しながらも、目の粗い布で包んだそれをそっと地面に下ろした。
「去れ」
背中の茨を蠢かせ、脅してやると狩人はこちらを少しも振り向かずに馬を走らせて去って行った。
私はそっと地面に下ろされた積み荷へ駆け寄る。
手で触れると、布の下には柔らかなものを包んでいることがわかった。嫌な予感がする。
そっと、下にあるものを傷つけないように茨の棘で布を裂いていくと、よく知っている顔が現われた。
ああ、懐かしい気持ちだ。心の中に黒いものが湧き上がる。枯れ果てたと思っていた憎しみの炎。
「ああ……久し振り、だな」
微かに目を開いた彼の瞳は、相変わらす翡翠の色をしていて綺麗だったけれど、そこに宿る光はとても弱々しい。
急いで彼を袋から取り出すと、異変に気付いた。
捲れた衣服からは、彼の陶器のように白い肌が現れるはずだった。
でも、そこにあるのは、まるで木の幹のようなざらざらとした茶色い肌。いや、肌では無く、木の皮のような……。よく見てみると、彼の右脚と左腕が木に変わってしまっている。
「これ、どうしたの……酷い呪い……」
「森の呪いだとさ……。もう治らないみたいだ」
息も絶え絶えといった様子で、彼は私の茨にそっと触れる。まだ木に変化していない腕は、張りこそはないものの相変わらず白くて美しい。
ろくに治療も、解呪もされていないのだろう。彼の魂も身体も弱り果てていて、見ているだけで辛くなってくる。
「大丈夫。義母の生んだ俺の弟が、王になってくれる。俺はこうして森に来られたってわけだ」
「体のいい厄介払いじゃないか! それにこれは……」
これは森の呪いでは無い――そう言おうとして口を噤む。
私に魔法は使えないが、魔女たちとの繋がりも長い。それに何より私が一番知っている。森から
「俺は森に還った方が、魔女の怒りを買わないだろうと義母が言っていたんだ。なに、こうしてあんたに看取ってもらえるのなら悪いことじゃない」
私は、彼を茨を使って抱き上げようとした。でも、茨に生えた棘では彼を運べない。
迷っている間にも、彼の顔色は悪くなっていく。
身体の一部を植物に変える呪い……おそらく未熟な術者によるものだろう。この呪い自体に命を奪うような効果は無い。
考えられるのは……食事に毒を混ぜられたか。
「ああ、でも、出来るなら、昼にあんたに会いたかったな」
「もう話すな。私がお前を助けてやる。私は茨の魔女だぞ? ヒトの子を助けるくらい簡単なんだ」
必死で考える。なんとかしないと……。
私のことなんてお構いなしに、どんどん手が冷たくなってくる彼は相変わらず弱々しく笑っている。
「太陽に照らされたあんたの茨は、朝露が光って本当に綺麗なんだ。それに……茨の奥に二つ、晴れた日の空みたいな色をした宝石があるだろう? アレがもう一度見たかった」
うわごとのようにそう言って、彼は溜息を一つ吐いた。
「夜じゃ、あの宝石が見えないもんなあ」
目を閉じて、話す力もなくなった彼を見て胸の奥が熱くなる。
私の瞳。茨を背負った化け物みたいな私の瞳を、彼はきちんと覗いてくれていた。
私は、身体を包んでいた茨の前方を開いた。久し振りに晒す肌が風に撫でられて少しこそばゆい。
衣服を纏わない露わになった私の身体を丸い月だけが見つめている。
森の
最後に、人間をこの腕に抱きしめたのはいつだったか、もう覚えていない。
二本の腕で、彼の身体を抱きしめると、閉じた彼の瞼が少しだけ動く。もう目を開く元気もないようだった。
そっと彼を抱き寄せると、彼の口元に私の肩に咲いた薔薇の花がそっと触れる。むず痒かったのか少しだけ開いた彼のかさついた唇が薔薇の花を
「ん……」
僅かに、彼の唇の血色が良くなったように思う。
ああ、そうか。
魔女たちが私に咲く薔薇の花は、もしかして薬になるのか?
正確な効果なんてわからなくてもいい。このまま何もしないよりはいいはずだ。
私は、自分の肩に咲いた花を捥いで口に含む。
咀嚼をしてから、もう意識の無い彼の鼻を摘まんで、唇を重ねた。
彼の細い喉には似つかわしくない喉仏が上下したのがわかる。
少しずつ彼の顔色はよくなってきて、蒼白だった彼の頬はいつも見ていたような薔薇色に戻った。
眉を顰めて深く呼吸をし始めた彼を思わず抱きしめると、胸の辺りからくぐもった声が聞こえてくる。
慌てて手を離すと、彼がどさりという音を立てて地面に落ちた。
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