4 茨の魔女と呪われた王子
「……あんたが助けてくれたのか?」
翡翠色の瞳を丸くしながら、こちらを見ている彼に気が付いて、私は慌てて茨で身体を隠した。
身体を起こした彼は、木に変わってしまった右脚を引きずりながら近付いてくる。
「ああ、そうだ。晴れた日の空みたいな色。宝石だと思っていたが、あんたの目玉だったのか」
彼は、自分の手が茨の棘で少し切れるのも気にしないで、木に変わっていない方の手を伸ばしてくる。
そっと頬に触れた彼が笑うと、太陽に照らされているみたいに心地よい。
助かってよかった……と思うと共に、彼を呪った相手に憎しみが沸いてくる。
私が振りまく呪いでも無ければ、森の
「王子様、あなたを呪ったのは森の神でもなければ、
「そうなのか? 義母の紹介でやってきた魔術師は、茨の魔女が住む森の呪いだと言ったんだがな」
彼は、頭を掻いて腰を下ろした。私も彼の隣にそっと腰を下ろす。落ち着かないので顔を茨で覆うと彼は「やっと見慣れた姿になったな」と微笑んだ。
私と最後に会った日から、大切に持っていた
「せっかく俺のために作ってくれたのに、すまないな」
謝っている場合では無い。どれだけ人が良いのかと呆れている私に気が付かずに、彼は話を続ける。
「それから少しずつ、体調が
頭の芯がぐらりと煮えるように熱くなった。
わかりやすい
王が気付いていないはずは無い。もしかして、実の父である王ですらグルなのか?と考えると頭がカーっと熱くなる。
「自業自得だと思った。あんたの忠告を聞かずに森に何度も行った
どうすればいい。
一抹だけ残った理性で考える。
ああ、許してはおけない。浅ましい人間め。疑うことを知らない子供を簡単に切り捨ておって。
「あんたが俺を呪っているのなら、仕方ないと思った。最後に会えるのならと、狩人が俺を連れ出す時も協力してやった。でも、そうでないのなら……」
彼の横顔が、夜空を仰ぎ見る。
彼が、このまま私と過ごしたいと言うのなら、復讐をやめて彼と森で過ごそう。
人間が一人死ぬまでの間くらいあっと言う間に過ぎる。彼が望むなら、穏やかな余生を送らせてやろう。
そう思っていると、何やら焦げた匂いがする。それが煙だと気が付いた時には、夜空に鳥たちが羽ばたき、木を切り倒す大きな音が夜の森に響き渡っていた。
「見逃してやったというのに……恩知らずの人間め」
立ち上がって、背中から生えている茨を伸ばす。燃えている箇所の木をなぎ倒した。火の手が回るのを、少しでも足止めできればいい。
「どういうことだ? 俺を森に還して終わりのはずだろう?」
茨の前方を開いて彼を抱えようと手を伸ばす。一度立ち止まった彼は、私の手を取らずに、身を屈めた。
自分を包んでいたボロ布の中を弄った彼は、なにやら大きめの袋を手に取って背負う。
「行こう」
差し伸べた手を引っ込めようとしたけれど、その必要はなかった。
行くのを拒まれるかと思って心配していた私は、自分の手を取ってくれた彼を、再び抱きしめる。
そして、腰から下の蔓を伸ばした。土を抉りながら進めば二本の脚で走るよりもずっと速い。
「王子様よく聞いてちょうだい。あなたは新しい王妃にハメられた。あいつら、あなたを厄介払いして、ついでにこの森も焼き払うつもりよ」
焦げ臭い煙が肌に纏わり付いて不快だ。
赤く燃え上がり始めた場所を目指して駆ける。
倒れる木々を見ている彼の返事は無い。
「私の森を燃やす恥知らずの人間め。誰の差し金だ」
森の入り口付近で火矢を放つ男たちを見つけた。
顔を頭巾で隠しているが、やたら良い身なりを見ればすぐに王家の手のものだとわかる。
「ひぃ……! 茨の魔女……それに王子……あんた死んだはずじゃ」
王子の元気そうな姿を見て、男たちの中の一人が腰を抜かして座り込む。
「俺はこの通り元気だ。早く火を消せ。この呪いは、茨の魔女がかけたものじゃない」
彼は、そんな男たちに哀れみの視線を送ると、両手を広げて言葉を掛ける。
しかし、彼の言葉はやかましい男たちの声で遮られた。
「そんなこと知ってるんだよ! あんたを呪ったのは新しい王妃だからなぁ!」
「王妃様が言ったんだ! あんたを確実に殺せるように森へ火を放てって」
「じき生まれる王子様が王位を継げば出世させてくれるとさ!だからあんたには死んで貰うぜ」
腰を抜かしていた男は、別の男の手を借りて立ち上がる。そして、彼らは火の付いた矢を私たちへ向けたまま腕に力を込める。
「そんな……。王位を譲れば義母殿は茨の森には手を出さないと」
頭が沸騰しそう。あの時みたいに。
腰の下から広がる茨を一本だけ持ち上げて、凪いだ。
茨の一本が激しく燃え上がる。少しだけ痛むが、たいしたことは無い。
弓を構えていた男たちは棘に貫かれながら地面を引きずられ、あっと言う間に絶命する。
火の勢いは弱まっている。このまま放っておいても森は無事だろう。
「頼みがある。聞いてくれるか?」
挽肉になった男たちを見ながら、彼は静かに言った。
私は頷きながら彼を抱きしめる手に力を込める。
「城へ帰る。一緒に来てくれないか?」
私は頷く代わりに、腰に生えた茨をめいいっぱい伸ばして進んだ。風が私たちの身体を撫でていく。
頭は沸騰しそうなくらい熱いし、彼を抱きしめている身体は、さっきから早鐘のように脈打っている。
「じゃあ、あなたに別の昔話をしてあげましょう。可哀想なお姫様と魔法使いたちの話をね……」
彼は、無言のまま頷いた。
何を思っているのかはわからない。けれど、彼には全てを話しておくべきだ。そう感じた私は、遠い遠い昔の記憶を思い起こす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます