2 茨の魔女と王子様

「なあ茨の魔女、また昔の話を聞かせてくれよ」


 閉ざされた森にやってくる唯一の人間は、妹と同じ翡翠のように綺麗な瞳をしていた。

 太陽の光に照らされて、透けるように輝く金色の髪は、耳の半分を隠す程度の長さに切りそろえられている。


「もう少し怯えてくれても良いと思うのだけど」


「無理さ。あんたが優しいことは、もう知っているからな」


 今日も、物好きな人間のために昔を思い出す。

 気の遠くなるほど昔のことを。私が、まだとてもとても若かった頃のお話を。

 彼が気に病まないように、少しだけ嘘を混ぜて。

 

 彼が住んでいるのは輝く蕾の都ターリアの中でも一番美しい場所。

 太陽に照らされれば、キラキラと白銀に輝き、月に照らされれば薄らと青く光る城の中。

 そして、その城の主になることが決まっているのが彼だった。


 だから、彼が傷つかないように私は嘘を吐く。

 本当のお話はあまりにも夢が無くて、それに救いの無い話だから。


「では、今日は茨の呪いにかけられた姫を王子様が迎えに来るお話でもしてあげましょう」 

 

 繁栄を極めた輝く蕾の都ターリアは、お姫様が成人を迎えたその日に、見たことも無いような大きな茨に飲み込まれ、一夜にして滅びた。

 近隣の街に住む人々は、都を飲み込む呪いを放ったであろう魔女を恐れた。

 魔法が、魔女が、華やかな都と太陽の日を浴びて銀色に輝くあの城を茨で飲みこみ滅ぼしてしまったのだと信じたのだ。


 王家は滅んでしまったと言われていた。でも、一人の姫が生きているとわかったのは、それからすぐのことだ。

 黄金色の髪に薔薇色の頬。翡翠のように美しい瞳を持つ生き残りの姫。彼女は巨大な薔薇の花で出来たベッドで眠っている。

 数々の黄金や宝石、魔法の力が宿っている不思議な杖、いくらでも葡萄酒が湧き出てくる銀のさかずき

 そんなお宝と共に、茨に飲み込まれた城でお姫様が眠っている。そんな噂はすぐに色々なところへ伝わった。

 しかし、茨は邪な人間を拒み続けた。人々は森の魔女の呪いのせいだと言って、いつのまにか城へ近寄らなくなった。

 それでも、物好きの旅人や、国を持てずに放浪をしていた王子様などが、時々城の茨へ挑む姿が目撃された。


 姫が眠る揺り籠の役目を果たした茨が、気の遠くなるほど長い間待ち続けていると、心の清い一人の青年がやってきた。

 弟に騙され、国を追われ行き場の無い彼を前にした茨は、城門を開いて青年を城の奥深くまで優しく導いた。

 そして、青年が見つけたのが薔薇の花の上で寝息を立てている美しい姫だった。彼は、姫の薔薇色の唇に、自分の唇を重ねる。すると、姫は閉じていた目を開いて、翡翠のような綺麗な瞳で彼を見つめた。

 あっと言う間に恋に落ちた二人が手を取り合うと、城を包んでいた茨はあっと言う間に消え去る。

 太陽の光に照らされるとキラキラと美しく輝くお城が茨の中から現れて、人々は驚いた。

 王子様とお姫様は、城に残されていた金銀財宝や魔法の杖を使って国を繁栄させ、輝く蕾の都ターリアは再び大きな王国へと変わる。

 しかし、茨の呪いの恐ろしさを人々は忘れることが出来なかった。魔女や魔法を恐れた人々は、城の呪いが解けてからも南にある森へは立ち入ることがない。


 森の奥へ行ってはいけないよ。茨の魔女に呪われてしまうから。

 美しすぎる姫を妬んで呪い、長い眠りにつかせた悪くて醜い魔女は、王子に倒されることなく、森へ逃げ込んだと言われている……。


「その話じゃ、茨の魔女が悪者になってしまうだろ?」


 話し終わった私を見て、金色の髪をした少年は無邪気に笑う。

 こんな茨に覆われた醜い姿をした女を見ても、何も楽しくないだろうに。


「そうよ。私は悪い魔女だから」


「悪い魔女が、憎んでる王族を助けるもんかね……」


 ふっと口元から鋭い犬歯が見える。

 綺麗な白い歯と、薔薇色の唇。日に焼けていない白い肌。青い血管が透けて見える様は儚げで美しい。


「ふん、魔女は気まぐれなのさ」


 狩りをしている最中に迷い、川に落ちた彼を私は助けた。気絶していると思って油断していたのと、開いた彼の瞳が翡翠みたいなキラキラしていたので、思わず見とれてしまったんだ。

 本当なら、私を見た人間の記憶は消してしまうのに。

 魔法は使えないが、私にだって長く生きた分だけの伝手つてはある。

 私の茨に咲く薔薇の花は、魔女たちが欲しがるのだ。だから、薔薇の花と引き換えに貨幣だけではなく魔法の薬や便利な道具をいくらか持っている。

 それなのに、私ときたら、彼の記憶を奪うことなんてすっかりと忘れて、彼の顔を生娘みたいにぽかんと見つめてしまった。

 声を変えて、おどろおどろしく脅してやることも忘れた私に、彼は笑いかけてきた。

 そして、茨に包まれた巨大なハリネズミの化け物みたいな私を見て、怯えることなくこう言ったんだ。


――あんたの茨、俺の瞳と同じ色してる。すごく綺麗だ。


 いつ振りだろうか。人間が私を憎悪や恐怖以外の感情を向けてきたのは。

 妹と同じ事を言う彼に、私は心を許してしまった。


 それからというもの、彼は人目を盗んではこの呪われた魔女が住む森へと足繁く通っている。


 彼は色々と話してくれた。宝物庫にある腐った木の杖と、錆びたさかずきを父親が捨てたがっていること。母が死に、新しい王妃を父親が迎えるのが、少し寂しいと言うこと。

 そして、彼は色々と聞きたがった。


 私が見えるようになった隣人妖精たちの話、魔女たちがやってきて開いた宴に招いて貰った時のこと、迷子になった小さな女の子をそっと村へ返したこと。

 祈りの言葉を口にして振ると水が出る魔法の杖や、秘密の呪文を唱えると葡萄酒が湧き出る銀のさかずきの話も。


「さあ、早くお帰りなさい。あまり森にいると神様に魅入られてしまうよ」


 森に神の類いがいるかどうかは関係ない。でも、そうでもしないと彼はなかなか森から城へ帰ろうとしないから。

 私は、自分の体から生えている赤い薔薇の花を一輪摘んだ。

 バラバラにした花弁を、草で編んだ小袋にいれて渡す。


「これは?」


「森の獣を除ける御守アミュレットだよ。彼らは、私のことだけは襲ったりしないから」


 私は、背中から生える茨を伸ばし、棘の無い部分で彼の背中を押した。

 気が進まないというような感じの彼だったが、ようやく重い腰をあげると、彼は立ち上がる。


「俺が王様になったら、あんたを城へ招待してやるよ」


「はいはい。悪い魔女をあんまりいじめないでおくれ。あそこは嫌いなんだ。私の居場所じゃないからね」


 背中を向ける私に、彼は「気が変わったら教えてくれ」とだけ投げかけて森の外へ帰っていく。

 関わらない方がもういいのだろう。この森に出入りしていることがバレれば、彼は城から追われるかもしれない。

 魔女に洗脳されていると言われて、王としての資質を疑われるかもしれない。


 次に来たときは、もう来ないように言いつけよう。

 私は、彼の太陽みたいに眩しくて心地よい笑顔を思い浮かべながら何度目かわからない決意を固めた。

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