第9話
「悪いな、ステラ――みんなの夕飯の準備まで、手伝ってもらって」
夕焼けに染まりつつある村の風景。
すでに、隊商は店じまいをしたのか、静けさが戻ってきた広場を、ステラとクウヤが歩いていた。その両手には、木桶が持たれている。
噴水は、生活用水も兼ねている。噴き出した新鮮な水を汲みながら、ステラは首を振る。
「気にしないでください――私も、ここの家族ですから」
「はは、ありがと……子供が大きくなるのは、早いものだな」
しみじみと噛みしめるように、クウヤは言うと、ぽん、とステラの頭に手を載せる。昔みたいに、大きくて広い手がよしよしと頭を撫でてくれる。
その安心感に目を細めながら、小さくステラは笑った。
「まだまだ、お父さんも若いでしょ。新しい子供も生まれますよ?」
「ああ、まだ現役をやっていけるさ。シズマさんも頑張っているし」
「……そういえば、お父さん」
木桶を一旦、地面に置き、隣の立つ養父を見る。ん、と彼は首を傾げながら目を細める。
「なんだ? ステラ」
「うん……一つ謝らないと、って思いまして」
一つ深呼吸。ステラは、クウヤの目を真っ直ぐ見て言う。
「私……命令違反して、騎士団をクビになりそうになりました……」
「……ん」
クウヤは少しだけ瞳を揺らす――わずかな、表情の変化にちくりと胸が痛む。それでも、ステラは声を震わせながらも、はっきりと言葉を続ける。
「しっかりと、お父さんたちに恩返ししたいのに……私は、身勝手な理由で……」
「ん……つらかったな。ステラ」
不意に、大きな手が肩に添えられる。そのまま、そっと身体が包まれ――気が付けば、クウヤの腕の中で、ステラは抱きしめられていた。
言葉が遮られる。思わず息が止まり……ふと、鼻先に懐かしい香りが掠めた。
しなやかな身体の中に包まれる。その身体から香る土の匂い。
子供の頃、よく嗅いだ――その匂いに、自然と心が安らいだ。
あやすように、ぽんぽんと頭を撫でられながら、穏やかな言葉が響く。
「ステラは、昔からいい子だからな。迷惑かけないように、僕たちのために、ってすごく気を使ってくれて――自力で騎士団に入団して、仕送りまでしてくれた」
「そんなの……当たり前、ですよ……家族なんですから」
「うん、家族だよ。だから――ステラが、どういう判断をしても、僕はそれを否定しないよ。たとえ、騎士団をクビになったとしても、それを否定したりしない」
「……お父、さん……」
「むしろ、もっと迷惑をかけてくれてもいいんだ。もっと、僕にも親らしいことをさせて欲しい。義理の親で、血の繋がっていない親だとしても……」
「そんな……お父さんと、お母さんには多すぎるものを……」
思わず、言葉に詰まる。
今までの受けた恩が、狂おしいくらいに胸の中から込み上げてくる。目頭から込み上げてくる涙をこらえていると、クウヤは頭を優しく撫でながら囁いてくれる。
「いいんだ。僕たちは家族だから。いつでも帰ってきていい。つらくなったら来ればいい。ステラが思うようにやればいいんだ。僕は、僕たちは、いつだってそれを応援している」
諭すような温かい言葉が、胸に染み渡ってくる。
じんわりと広がってくる熱が、これまでの感謝と共に馴染んで――胸の中に溶けるように広がっていく。ステラは目を細めて、小さく吐息をこぼした。
「ずるい……ずるいですよ、お父さん……」
「はは、大人だからな」
「……それなら、お父さんみたいな大人になりたいです」
「難しいぞ。僕だって、まだ理想の人に届かない」
「理想の人……?」
「ああ、シズマさん」
「ああ……それは、そうですね」
思わず、二人で笑い合う。ゆっくりと抱擁を解き、父と娘――共に見つめ合う。
血は繋がっていなくても、絆で繋がり合った父。大きくて優しくて、いつも包み込むような笑みで迎えてくれる彼。
その笑顔を見つめ返し、ステラは満面の笑みで返した。
「お父さん――私、お父さんの娘でよかったです」
「それは、父冥利に尽きる言葉だな」
クウヤはにっこりと微笑み、くしゃっと一度頭を撫でると、地面に置いた木桶を持ち上げた。
「それじゃあ、戻るか」
「はい、そうですね……みんな、待っているでしょうか?」
「まあ、シンクが先に下ごしらえをしてくれるさ」
そう言いながら、クウヤはゆっくり歩いて、ちら、とステラを振り返る。
「そういえば――ルカさんと仲良くやれているか?」
「え? はい、仲良いですけど」
「ん、それならいいんだ。二人が来たとき、なんだか少し妙な距離感があったから、何かぎこちなさもあるのかな、と思ってしまって」
さすがに、鋭かった。クウヤの言葉に、ステラは少し黙り込む。
クウヤは困惑したように眉を寄せ――確かめるように訊ねる。
「その、何か揉めているとかじゃないよな? 雇用契約とかで……」
「そ、それは全くないです! その、なんていうか……私たちの、気持ちの問題で」
「気持ちの問題?」
「はい……」
少し口ごもってしまう。クウヤはゆっくりとステラに歩幅を合わせて歩きながら、考え込むように首を傾げていたが、やがて小さく微笑んで言う。
「それなら、ステラが答えを出すべき問題かもしれないな。まあ、相談くらいなら乗るけど」
「ごめんなさい、ちょっと恥ずかしくて……」
「はは、そうだよな。ごめん。失礼だった」
「いえ……お父さんには、なんでもお見通しですね」
「そこまででもないよ。未だに、シンクが機嫌悪いときの理由が分からない」
苦笑いをこぼすクウヤを、ステラは少しだけ半眼を向ける。
(……時々、お父さんって鈍感になるときがある……)
シンクも、やきもきすることがあるのだろう。心中を察してしまう。
気づかれないように一息をつくと、ふと、クウヤは目を細めて言う。
「ただ――自分の気持ちに決着がついたら、相手にそれを伝えた方がいいぞ」
「え……?」
「ああ、ほら、昨日話したけど、一回、僕とシンクって生き別れているんだ」
付け加えるように彼は言葉を続けて、わずかに瞳を揺らす。その瞳に痛みが一瞬だけ浮かび――ため息を吐き出して苦笑いを浮かべた。
「そのとき、死ぬほど後悔した。なんで、シンクにもっと好きだってことを伝えなかったんだろう、って――その経験をした、お父さんからのアドバイス」
「そう、ですね……覚えておきます」
「うん、その方がいい。そのおかげで、シンクと今でも仲良しだ」
「五人目の子供ができるくらいに、ですよね」
「あはは、そうなるな……少し、照れ臭いが」
そういって笑うクウヤの頬が赤いのは、きっと夕日のせいだけじゃない。ステラも木桶をぶら下げながら、ふとぼんやりと思う。
(ルカ様に対する気持ち、か……)
それはもう、分かっている気がする。
ぼんやりしていて――だけど、だんだんはっきりしてきた、自分の気持ち。
だから――きっと、必要なのは、勇気だ。
そんなことをぼんやり考えていると、ふと、屋敷が間近に近づいていた。
ステラは小さくため息をつき、苦笑いをこぼす。
「……まさか、お父さんにこういう相談をすることになるとは思いませんでした」
「ま、人生、何が起こるか分からないからな」
「……妙に、含蓄がありますね」
二人で笑い合いながら、門を潜っていく。すでに、屋敷の前庭では、ハルトが火を熾していた。その傍に木桶を置くと、ハルトは目を細める。
「おかえりなさい。二人とも。今、リュウとレキが食料を取りに行っているよ」
「入れ替わりでしたね。早く二人にも会いたいな」
「すぐ会えるよ。さて、僕は鉄鍋を――お、ルカさんだ」
クウヤの声に振り返ると、女の子を肩車したルカが屋敷から出てきていた。靴を履きながら、きょろきょろと辺りを見渡し、ステラに声をかけてくる。
「ねえ、ステラ――フラン、見なかった?」
「え、フランですか?」
ルカによく懐いていた金髪の女の子だ。そういえば、姿が見えない。
クウヤはわずかに眉を寄せた。ぐるりと辺りを見渡し、遊んでいる子供たちを見る。
「ハルト、ソラは?」
「母さんたちと料理の仕込みのはずです。年長の子たちが手伝っているはずですが」
「――年長が十人。今、ここにいるのは……十人」
クウヤが小さくつぶやき、視線で数えていく。
クルセイド寺院の子供たちは、三十人余りいる。屋敷の中に散っているとはいえ、明らかに数が少ない気もする。わずかに、ステラの胸にも嫌な予感が走った。
クウヤは腰のポーチから笛を取り出す。そして、鋭く軽く一つ吹いた。
夕焼け空に響き渡っていく笛の音。それが、どことなく、不穏に響き渡った。
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