第6話

 クロウは、駆けていた。

 息をひたすらに切らしながら、痛む身体に鞭を打つ。その肩には激痛が絶えず走っている。矢に射られたのか――怪我に敢えて目を逸らし、全力で二の丸を駆ける。

「――ッ!」

 背後からの殺気に、横っ飛びに避ける。瞬間、彼の立っていた場所に矢が迸った。物陰に転がり込み、つかの間、息を整える。

 だが、その間にも、執拗に敵は追いすがってくる。

 じり、じりと間合いを詰めてくる敵に対し、クロウは空を仰いで息をつく。

(くそ、ぬかったか……)

 あまりにも、相手は周到だった。

 見事な不意打ちに、仲間たちをばらばらにした後、的確にクロウを追い詰めにかかっていたのだ。

 退路を断ち、逃げ道に先回り、徐々に袋小路へと追い詰めていく。

 城内見廻組しか知らないような、隠し通路を使って移動を試みたが――すぐに、察知された。的確に、追い詰められていく。

 まるで、一方的な狩りだ。舌打ちをこぼしながら、徐々に迫ってくる敵に叫んだ。

「おたくら一体何者だ……! 只者じゃねえな!」

「ははっ、答えるわけもなし……観念したか? 兄ちゃん」

「はっ、まさか――」

 粋がるが、所詮は時間稼ぎ――いや、時間稼ぎにもなるかどうか。

 だが、それでも足掻かなければならない。少しでも時間を稼げば、生き延びた仲間たちが助かるかもしれない。だが、その考えをあざ笑うように言う。

「仲間のために逃げ延びるか? 無駄なことをするものだな」

「……なに?」

「もう、お前の部下は生きていねえよ……俺たちの罠は、そこまで甘かねえ」

 ぐっと唇を噛みしめる。だが、意志を奮い起こす。力を振り絞り、声を返す。

「そうだとするなら――俺は、お前を許しはしないぜ……っ!」

「それなら、さっさとかかって来いよ。俺も、鬼ごっこは飽きたんだ」

「ああ……! やらせてもらうぜ!」

 そう声を返しながら、物陰から飛び出し、地を蹴って駆ける――敵に、背を向けて。

 さすがにその行動には、虚を突かれたらしい。殺気が鈍る。その間に、クロウは全力で距離を放し、駆けていく。

 どんなに無様を見せても――こうするしか、ないのだ。

(全滅していたとしても、俺には時間を稼ぐしか、手段はねえ……!)

 外の味方たちに繋げるために、命を振り絞るように駆ける。全力で――。

 その瞬間、鋭い激痛が、足に迸った。

「が――ッ!?」

 足に力が入らない。走る勢いのまま倒れ、地面を転がる。

 咄嗟に受け身を取り、立ち上がろうとして気づく――その右足に、矢が突き立っている。貫通した鏃が不気味に赤く濡れていた。

 振り返ると、弓を構えた男が呆れ顔で近づいてくる。

「ったく、手間をかけさせんじゃねえよ。往生際が悪い、っていうか」

「悪いな……カグヤの剣士は、あきらめが悪いんだよ」

 クロウは振り返りながら、不敵に笑う。後ろに回した手で短刀を掴みながら、じりじりと後ろに這うように下がっていく。

 それを見て、男はやれやれと吐息をつくと、ゆるやかに矢をつがえる。

「なら――未練を抱えたまま、死に晒せ」

 その矢が放たれる瞬間――それを目に焼き付けるようにクロウは睨みつけ。


 寸前、一人の騎士が、クロウの前に飛び込んできた。


 鋭い金属音と共に、矢が弾き飛ばされる。その背には、風を孕んで舞う外套。そこに刻まれているのは、下り藤の紋印――ナカトミ辺境伯の騎士紋。

 そのまま半身で振り返ったのは、白髪の女騎士。

 彼女は小さくはにかみ、優しい声で告げた。

「もう、大丈夫です」


 ステラが、その場に間に合ったのは、ゴードンの地図のおかげだった。

 最短距離で、警戒しながら急行していたため、逃げてくる城内見廻組たちと速やかに合流できたのである。その一人から、隊長が敵を引きつけている、という言葉を聞き。

 全員で、その方向へ駆け――隊長の危機に、間に合ったのだ。

「助かった……あんたは、ナカトミ辺境連隊の……」

「ステラ・ヴァイスです。クロウ・ヤノ隊長ですね。事情は聞いています」

 矢を叩き落とした剣をそのまま構え、目の前の敵を牽制しながら、ステラは後ろの青年に気を配る。一瞬見たところ、足を怪我していた。

「――立てますか」

「なんとか。だが、走れは、しない」

「大丈夫です――仲間たちも、来ます」

 その言葉と共に、後ろから足音が響き渡る。先頭を駆けてきた少女が、ステラの横に並んで鞭を構えた。

「お姉さま、やっと追いついた――足早いよ……」

「弛んでいますね。サンナ、みんなも。領地に戻ったら、走り込みです」

 ステラは苦笑いを返すと、目の前の男に視線を向け、声を低くして訊ねる。

「――多勢に無勢。降伏するなら、今のうちですよ」

「まあ、降伏はしないにしても、ちと不利だな……さすが、鬼シズマの軍勢。まさか、ここまで突入が早いとは思わなかったぜ」

(……鬼シズマ……?)

 思わずその単語に眉を寄せる。確か、その異名を多く使う民族は――。

 浅黒い肌をした男は、弓で軽く自分の肩を叩きながら、視線をステラからサンナに向ける。

「よぅ、サンナ。出て行ったと思ったら、そっちの騎士団に雇われていたか。まあ、それも悪くねえなあ、おい」

「ま、さか……」

 サンナが目を見開き、顔色を青くさせた。わずかに鞭を持っていた手を震わせ――だが、深呼吸すると、決然とした口調で訊ねる。

「この騒動は、リュオ民族の仕業、ですか……叔父上!」

「人聞きの悪いことを言うな。これは依頼人の意向なのでよ。俺たちは傭兵一族――お前も騎士団に雇われているんだろうが」

 くくっと押し殺したような笑みをこぼしながら、その男は腕を組んで言う。

「言うまでもねえ事実だが、敵味方で依頼人が分かれた以上、俺たちは本気で戦うのみだ。それは、理解しているだろうな? サンナ」

「……もち、ろん……っ!」

 サンナは叩きつけるように声を返すが、その声はわずかに震えている。

 覚悟していなかった事態に、心までもが震えているのだ。それを困ったように男は首を傾げて見つめ――小さくため息をついて言う。

「ま、覚悟できねえか……なら、幸運だったな。俺たちは、もう退く」

 予期しない言葉に、思わずステラは目を見開いた。

「依頼は果たした。あとは、雑魚っぱに任せて退くのみだ――んじゃな、サンナ。次、戦場で会ったときは、動揺すんなよ」

 ひらひらと手を振りながら踵を返す男。ステラは爪先に力を込め、鋭く告げる。

「逃がすと思いますか」

「血気盛んなお嬢さんだねぇ。でも、急がねえと、主が危ねえぞ」

 男は半身で振り返り、後ろ指で天守を指して言う。

「早くしないと、重臣たちが一網打尽だ――俺に、構っている暇はねえだろ」

 それにつられて視線を天守に向けた。その瞬間、ふっと目の前から人の気配が消える。視線を戻すと――目の前に、人影はいなくなっていた。

(――あれが、リュオ民族……北の、傭兵団……)

 ステラが目の前を睨んでいると、視界の横でふらりとサンナの身体が揺れた。ステラは慌ててサンナの身体を支えて目を覗き込む。

「大丈夫ですか、サンナ……」

「大丈夫……少し、力が抜けただけ……」

 サンナは青白い顔のまま、少しだけ笑い返す。だが、すぐに目に力を込め、しっかりと立ちながら視線を天守に向ける。

「それよりも姉さま――急がないと……!」

「ええ、急ぎましょう。すぐに天守へ――」

 二人で頷き合い、駆け出そうとすると、不意に背から声がかかった。

「ま、待て! 二人とも、道は分かるのか!」

 振り返ると、そこには同じ見廻組の仲間に支えられたクロウの姿があった。彼は痛みを堪えていたが、ぐっと首を逸らして視線で別の道を示す。


「ついてこい――! とっておきの、道がある!」

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