第9話
風を切る音が、空を震わせた。
鋭く放たれた鞭打が、シズマめがけて飛来する。それを横に跳んで躱しながら、シズマは獰猛に笑みを浮かべて吼える。
「いいぞ! もっと穿ってみせろッ! 久々に、血が滾るッ!」
その言葉と共に、シズマの身から気迫があふれる。
押し寄せる気迫の波動に、対峙するサンナは鞭を手元に引き寄せながら乱暴に罵る。
「この――鬼ッ!」
「何とでも言うといいさ!」
振り抜かれた鞭を、シズマは頭を下げて躱し、そのまま横に跳んだ。その彼を立っていた場所を、鞭が真上から叩く。裏庭の芝が、弾け飛んだ。
そのまま、距離を詰めようとするシズマを、サンナは鞭を薙ぎながらバックステップ。
距離を保ちつつ、鋭い一撃を放ち続けるサンナに、シズマは距離を詰め切れない。だが、それを楽しむかのように、目を輝かせていた。
「――お父様、楽しそうねぇ。少し、羨ましいわ」
「本当ですね。サンナもよく踏ん張っています」
その様子を、ルカとステラは椅子に腰かけて見守っていた。だんだんと日が暮れていく中、二人は屋敷の裏庭を駆け回っている。
屋敷のテラスで、ルカはそれを見つめ、ステラはその長い髪を団扇で乾かしていた。しなやかな黒髪は、まだ水気を帯びている。
浴衣姿の彼女はそれに目を細めながら、緑茶を飲んで一息ついた。
「それにしても、サンナがお父様に手合わせを申し込むなんて――少し、驚いたわ」
「リヒトさんの提案だったのですけど」
その提案を、シズマはむしろ喜んで受け入れた。
そのまま、サンナを屋敷に招き入れ、裏庭でこうやって立ち回っているのだ。彼女はわずかに身を固くしていたが、いざ戦い始めるとその鞭打は相変わらず鋭い。
(いや――もしかしたら、私が稽古をつけているときより早いかも)
サンナは実戦で実力を伸ばすタイプなのかもしれない。もしくは、シズマの気迫に当てられて、集中力が増しているのか。
「やああぁッ!」
鋭い気合と共に、サンナの鞭が振るわれる。だが、それはわずかに大振りだった。その乱れを、シズマは見逃さなかった。
半身になってその鞭をやり過ごすと、素早く踏み込む。木刀の間合いに足を踏み入れると、鋭く木刀を下から斬り上げる。
「――ッ!」
サンナは身を引きながら、鞭を引き戻す。だが、その間にもシズマは刃を振り返し、そのまま真上から振り下ろし――。
ぱしっ、と乾いた音と共に、刃が止まった。
咄嗟にサンナは引き戻した鞭の真ん中を掴み、頭上に掲げて刃を受け止めたのだ。そのまま、両手で木刀を巻き取るように、鞭を巻き付ける。
それにふっとシズマは笑みを浮かべ――その木刀を、あっさりと放した。
それをもぎ取ろうと力を込めていたサンナは、後ろによろめく。体勢を崩したサンナ――だが、絶好の機会にも関わらず、シズマは距離を取って笑った。
「悪くないな。鞭の早さはもちろん、咄嗟の判断もさすがだ」
「余裕のつもり、ですか……?」
サンナは体勢を立て直し、木刀を投げ捨てて鞭を構える。シズマはそれを見つめて苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。
「冗談を言うな。お前さん、体勢を崩したのは上体だけで、下半身はしっかり地面を捉えていた。体勢を崩したところで、畳みかければ逆にカウンターもらっていたと思うぞ」
その指摘に、サンナは軽く舌打ちして、観念したような笑みを浮かべる。
「さすが、鬼シズマ。下手な誘いは、通用しないかな」
「咄嗟の判断としては、なかなかだ。ステラに随分、仕込まれたな?」
そう言いながら悠然とシズマは拳を構え、サンナと向き合う。
またみなぎる気迫に、サンナは深く吐息をつき、鞭を構え直した。
そして、二人が地を蹴る、寸前だった。
「――お二人とも、そこまでにしましょう」
その声に振り返ると、リヒトが微笑みを浮かべて立っていた。
「なんだ、リヒト、今からがいいところなのに」
「残念ですが、日が暮れてきましたので。お食事の支度もできました」
リヒトの声に、ステラは視線を上げる。気が付けば、空は茜色を通り越し、闇に染まりつつある。ルカはすっかり乾いた髪を払いながら立ち上がった。
「二人とも、ここまでね。サンナ、今日は一緒に食事を食べましょう」
「あ、はいですっ、ルカ様っ! やった、お姉さまと一緒のご飯なのだっ」
うきうきと晴れるような笑顔を見せるサンナ。彼女は鞭を手元でまとめると、シズマに向き直って一礼する。
「ありがとうございました。シズマ様」
「こちらこそ、いい汗がかけた。礼を言うのは、こちらの方だな」
シズマは静かに微笑みを浮かべてそう告げると、視線をステラに向けた。
「ステラ、サンナの鞭の腕は十分だ。あとは、仲間と連携することを覚えさせた方がいい。そうすれば、広く見る目が養える」
「了解しました。助言を生かします」
「ああ、頼んだ。サンナ、これからもステラとルカを支えて欲しい」
「あ――はいっ、了解しました!」
無邪気にぱっと笑みを浮かべ、シズマに頷くサンナ。その顔にはすでに怯えはない。シズマと刃を交えることで、何か通じ合わせたのかもしれない。
ルカは微笑ましくサンナを見つめ、手を叩いて告げる。
「じゃあ、サンナ、先にお風呂を浴びてしまいましょう。ついていらっしゃい」
「了解しましたっ」
「じゃあ、僕は片付けかな。ステラ、手伝ってくれるか?」
「もちろんです。団長」
「……お父様、ステラに余計なちょっかいを出さないでくださいよ?」
「大丈夫だ。もう、反省した」
ルカに釘を刺され、苦笑い交じりに両手を上げるシズマ。ルカは仕方なさそうに肩を竦めると、ステラの方を見つめた。
「頼んでいいかしら。ステラ」
「了解しました」
ステラは一礼すると、ルカは微笑んで頷き、サンナを連れて屋内に入る。その間に、シズマは踏み荒らした裏庭を整えている。
「シズマ様、ステラ様、程々で構いませんので。食事の用意をしてお待ちしています」
「分かった。ステラは、道具だけ片付けてくれ。汚れるといけないし」
「かしこまりました」
二人で分担し、手早く片づけをしていく。井戸水で木刀を洗い、それを倉庫にしまってから振り返ると、シズマも地面を均し終えていた。
「――よし、じゃあ、ステラ、飯にしようか」
「はい、そうですね。あ、その前に団長、少しよろしいでしょうか」
「ん? 何かな。ステラ」
振り返ったシズマは優しく微笑む。その包み込むような笑顔は、本当にルカにそっくりだ。その顔を真っ直ぐに見つめ、深く頭を下げる。
「征東隊への引き抜きの件ですが――ごめんなさい、断らせてください」
「うん……そっか。ちなみに、理由を聞いてもいいかな」
「ルカ様の、お傍でお仕えしたいからです」
顔を上げて、真っ直ぐに言葉を返す。視線をそのままシズマにぶつけると、彼は目を細めて頷く。
「ああ、分かった。受理した。勿体ないが、キミの判断を優先しよう」
「……すみません。折角の申し出を、断ってしまって」
「いいや、キミが心からそう判断したのがよく分かったよ」
彼はそう言いながら微笑むと、ステラに手を伸ばして頭にぽんと手を載せる。
「――キミは、本当にクウヤにそっくりだな」
「養父さんに、ですか? というか、団長も面識があったのですね」
リヒトと面識があるのは聞いていたが、シズマともあったようだ。
クウヤ・クルセイド――孤児院の主で、ステラの義理の親になってくれた人。
ごつい手が、頭を撫でる。限りなく優しい手つきに、少しだけ懐かしい気持ちになる。クウヤも、こんな大きい手をしていたものだ。
「ああ、彼の教えがしっかり生きていることを、嬉しく思うよ。ステラ」
そう告げる彼の言葉は、温もりがあふれていた。目を細めたシズマは手を下げると、さわやかな笑みを浮かべて告げる。
「これからも――ルカを、支えてやって欲しい。ステラ」
「はい……命に、代えましても」
ステラは意志を示すように、しっかりとその場で拝礼を返した。
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