第8話
「おかえりなさいませ、ルカ様」
屋敷に戻ると、平然とした顔でリヒトが玄関ホールに出迎えてくれた。ルカは申し訳なさそうに眉を下げ、軽く頭を下げる。
「ごめんなさい、リヒト。迷惑をかけさせたわね」
「いえ、これくらいのことは。むしろ、ステラ様に仰ってください。足の悪い私に代わり、いろいろと探し回ってくれましたから――苦労したのではないですか?」
「い、いえっ、私はルカ様の副官ですから」
「あら、じゃあ副官じゃなかったら探しに来てくれなかったの?」
「い、意地悪言わないでくださいよ、ルカ様……」
思わず弱気になって言葉を返すと、ルカはおかしそうにくすくすと笑う。いつものルカの調子にほっと一安心していると、不意に後ろから扉が開く音が響いた。
荒々しい音に振り返ると、そこには息を切らして立っている、一人の男の姿があった。
全身から雨水を滴らせ、足元も泥で汚れさせた、シズマ――。
「――お父、様……」
そんな有様になるまで、探してくれていた。ルカは思わず言葉を詰まらせながら歩み寄る。そして、濡れた父の手を取り、目を伏せさせる。
「ごめんなさい、お父様、こんなになるまで……」
「……いや、僕の不手際だったから……すまん、ルカ」
シズマは深く安心したように吐息をつき、その手を握りしめる。そして、もう一方の手で、ルカの頭に手を載せた。
優しく目を細め、温もりのある口調で言う。
「――いつも、すまないな。無神経なことを言って、またルカを傷つけた」
「ううん……私も、お父様の気持ちを、よく考えていなかったから……」
「はは……僕の気持ちなんて、気にしなくてもいいのに」
「気にするわよ。大好きな、お父様なんだから……」
「……うん、そっか。ありがとう。ルカ」
二人のゆっくりとした言葉のやり取り。穏やかな気迫が二人の間に満ちているのを感じ、ステラは一歩引きながら見守っていると、その隣にリヒトが並んだ。
「ステラ様、ありがとうございます――ルカ様を、元気づけて下さって」
「いえ、大したことはしていないのですよ」
「いいえ――ルカ様って、一度、落ち込むと後が長いのですよ。一度、アスカ様――ルカ様のお母様と大喧嘩したときは、木の上で日が暮れるまでずっと落ち込んでいたのです」
「そんなこともしていたんですね」
木の上といい、橋の下といい、ルカは落ち込むと人目につかないところに行きたがるらしい。覚えておこう、とステラは心に刻んでいると、リヒトは微笑んで頷く。
「この調子で、ルカ様を支えていただけると嬉しいです。ステラ様」
「ええ、もちろんです――リヒトさん」
しっかりと初老の執事に頷き返し、ステラは目の前の親子を見つめる。二人はそっくりの笑顔で笑い合い、すっかりと仲直りしていた。
そのタイミングを見計らい、こほんとリヒトは咳払いをする。
「では、お風呂を焚いておりますので、ステラ様、ルカ様、早めに入浴を」
「あ、じゃあ、ルカ様、お先にどうぞ」
ステラが先を譲ろうとすると、リヒトはこほんと咳払いをする。
「できれば、ステラ様がお先に――そんな泥を跳ねさせた格好で、屋敷の中をうろつかれても困りますので」
「――あ」
ふと、ステラは自分の足元を見る。そこは跳ねた泥で大分汚れていた。
「そんなに泥が跳ねるほど、急いでくださったのですから、一番風呂の権利は、ステラ様にあると思われますが?」
「でも……主より先にいただくわけには……」
「じゃあ、また二人で入りましょう? ステラ――それなら、文句を言わせないわよ?」
「……分かりました。では、お供させていただきます」
自然とルカは手を伸ばし、ステラはその手を取る。
そのまま、二人で微笑み合いながら、風呂場の方へと歩いて行った。
「――しかし、ルカがあんなに怒るのは久々だったな。油断した」
玄関ホールに残されたシズマは、精悍な顔つきに苦笑いを浮かべていた。リヒトはその肩に手拭いを掛けながら肩を竦める。
「もう、年頃なんですよ。隊長」
「そうみたいだ。それに、ステラはよく彼女を支えているみたいだな」
「ええ、ルカ様と特に波長が合うみたいです……それに、よく似ています」
「……彼女の、養父に、か」
シズマは懐かしむように目を細め、歩いていく二人の後ろ姿を見つめる。
その二人は手を繋ぎ合い、仲のいい友人同士のようだ。
「ルカは、ステラを大事にしているのだな。悪いことを、言った」
「なら、今後は言わないようにしましょう」
「そうだな。僕も、そろそろ引退かな」
「ご冗談を。まだまだ、隊長には働いてもらいますよ」
「リヒトは相変わらず人使いが荒いな……それと、リヒト」
「はい、何でしょうか」
「……僕に、お風呂はないわけ?」
手拭いで乱暴に髪を拭きながら、シズマはリヒトを見やる。リヒトは肩を竦めて言葉を返す。
「隊長は、井戸水で十分でしょう?」
「……お前、相変わらず、扱いが雑だよな……おい」
半眼になったシズマに対し、リヒトは苦笑いを浮かべて首を振る。
「冗談です。実は、この後、シズマ様にお頼みしたいことがありまして。どうせ、汗を掻くので、その後にお風呂を召されるのがよろしいかと」
「うん? お前が、頼みたいこと?」
「ええ、実は」
リヒトはひっそりと笑みを浮かべると、ステラの後ろ姿を見て告げる。
「彼女の後進のために、手合わせをお願いしたいです」
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