第3話
風が吹き渡る平原――その中で、二人の戦士が対峙していた。
ワンピースを脱ぎ、軽装になったステラは吐息をつきながら、拳を持ち上げる。その一方で、顔を布で巻いた女は民族衣装のまま、鞭をぶら下げるように構える。
「騎士よ、武器はいらないのか。剣でも槍でも、使うといい」
「残念ですけど、私の武器は、これなので」
そう言いながら、ステラは徒手空拳の構えを作る。
やや背を曲げるようにして、半身に構える。拳は顔の横に構え、手の甲を相手に向けてわずかに回転させる――爪先でわずかにリズムを刻みながら、女を見据える。
(剣を遣ってもいいけど――それは、不利だ)
相手の武器は、鞭。剣のように、直線的な動きではなく、どうしても曲線的な動きが交じる。そうなると、相手の動きが読みにくいのだ。
それなら、拳だけで立ち向かい、回避に専念した方がいい。
ステラの構えに、女は不敵に笑みをこぼし、ゆっくりと鞭を構え――。
瞬間、背筋がぞわりと冷えた。
「――ッ!」
上体を大きく後ろへ逸らす。直後、空気が爆ぜるような音が、目の前に響き渡った。一歩後ろに跳びながら、目を見開く。
(まさか、そこまで間合い、なの……!?)
今の距離は十足ほど離れた距離。だが、そこから一歩踏み込めば――。
「ふふ、今のを見切るとは、さすがナカトミ辺境連隊の騎士よ。しかし、いつまで続くかな?」
じり、と一歩踏み込んでくる覆面の女――ぴり、と引き締まった空気の中に入ったことを感じる。明らかに、あの鞭の間合いだ。
だが、ステラはもう引かない。すっと息を吸い込み、意識を集中させる。
女の動き――それを見つめながら、一挙一動に神経を尖らせる。
わずかに重心が前に動く。その瞬間に合わせて、ステラは地を蹴った。
左へ跳ぶ。直後、彼女が立っていた場所に鞭が通過。空が爆ぜる音が鳴り響く。まともに当たったら、身体が弾け飛ぶような音――無事では済まない。
(だけど――当たらなければ、どうということはないッ!)
着地ざま、上体を屈めるステラ。瞬間、振り抜かれた鞭が頭上を駆け、女の手元へ戻っていく。覆面の女と目が合う。
彼女の紅い目が笑ったのが、はっきりと分かった。
「さすがにやる――なら、出し惜しみは、なしだ」
彼女の楽しそうな声――それを聞いた瞬間、ぞわりと背筋が凍てつく。
彼女の腕が鋭くしなる。それに弾かれたように、ステラが地を蹴った瞬間。
頭上から無数の鞭の打撃が降ってきた。
空が爆ぜる音と共に、地面が何度も弾かれる。
ステラは身を逸らし、地を蹴って打撃を躱す。だが、すぐに避けなければ、彼女の立っていた場所に鞭が炸裂――地面が、砕け散っていく。
その凄まじい猛攻――まるで、鞭の弾幕だ。
その光景をじっと外からルカは腕を組みながら見つめていると、一人の騎士が焦れたように進言する。
「ルカ様、ここはステラ様に加勢されては――」
「そうすると、あっちで見ている盗賊が横槍を挟んでくる――それに、約束を違えることになるわ。ステラを、信じましょう」
「ですが、あの打撃の連続です。いつしかは当たってしまうのでは……?」
鞭の連撃は、凄まじいながらに、一撃が重たい。
すでにステラの足元はぐちゃぐちゃに土が砕け、足場が悪くなってしまっている。
直撃すれば――恐らく、腕が吹き飛ぶほどの威力だ。
いくら、ステラが武術の妙手とはいえ、当たれば明らかには無傷ではいられない――。
だが、ルカはゆっくりとした口調で言う。
「少し、落ち着きなさい。ステラは、きちんと躱しているわ」
視線の先では、ステラは最小限の足捌きでその打撃の数々を回避していた。それが紙一重に掠めることがあるが、直撃しない。
(手合せしているときも分かっていたけど――彼女は、見極めが上手い)
危ない動きをするときは、必ず、二手三手先の動きを見越している。
だから、問題ない、はず、なのだ――。
「――ルカ様も、落ち着かれた方がいいと思いますよ」
ふと呆れたような声にルカは我に返る――気づけば、二歩、前に進み出ていた。少し気まずくなってこほんと咳払いする。
「信じているけど――心配なのよ。私は」
「お察しいたします。今は見守るしかなさそうでしょう――どうやら、動きがありそうですし」
「ええ、そうね」
ルカは供の騎士たちと一緒にステラの挙動を見守る。
そのステラは――少しずつだが、前進しつつあった。
(さて、そろそろ頃合い、かな?)
ステラは短く左右にステップを踏み、打撃を躱しながら覆面の女を見やる。
鞭の動きは曲線的だが――さすがに、そろそろ見切りが追いついてきた。鞭の動きを目で追いかけながら、ステラは鋭く前方に右足を踏み出す。
それを狙い、女が鞭を横に振る。合わせて、ステラは爪先で地面を踏み切った。
側転の要領で宙返り。頭の下を、鞭が通過。それをやり過ごしながら、地面に着地――そのまま、流れるように身体を低くする。
頭上で鞭が弾ける。そのまま、地面を横に転がると、彼女が伏せていた場所を、鞭が激しく打ち据えた。転がる中で、滑らかに膝をついたステラはまた前に足を踏み出す。
流れるような動きで、鞭を避けながら、さらに前へ、前へと進んでいく。
(焦らない。じっくり機を狙って、一歩ずつ)
間合いに近づけば、近づくほど攻撃の苛烈さが増してくる。
だが、ステラは怯まない。跳ぶ。避ける。転がる。宙返る。アクロバットな動作を交えて次々に攻撃をかわし――残り、五歩の距離。
その瞬間、焦れたように覆面の女が大きく鞭を振り上げる。
狙いが見える。それを見据えながら、ほんの少しだけ、ステラは身を逸らし――。
瞬間、勢いよく、鞭打が放たれた。
速度も、威力も今まで以上の一撃。それが、紛れもなくステラの腕へと放たれ、交錯する。ぱしんっ、と乾いた音が鳴り響き、誰かが息を呑んだ。
激しい衝突の音――だが、ステラは不敵な笑みを浮かべながら掌を握る。
「――捕まえた」
その手には――革の鞭。それがしっかりと掴まれている。
(鞭が振り抜かれ、伸びきった瞬間……そこだけは、鞭の動きが止まる……!)
それをステラは、見逃さなかった。しっかりとその手で、鞭を掌握する。
「な――!」
それに女が目を見開いた瞬間、ステラはぐっとその鞭を全身で引っ張った。慌てて負けじと女が足を踏ん張った瞬間――ステラは、手を放す。
力が拮抗する、その一瞬を狙って手放し――思わず、女は自分自身の力で後ろへとバランスを崩し、倒れ込んでしまう。それは、致命的な隙だった。
「これで――終わりです」
その十分すぎる間に肉迫していたステラは、手刀を女の首に突きつける。
女は、ぺたんとその場で座り込み、ステラを見上げると――乾いた笑みをこぼした。
「は、ははは……強いな。騎士様は」
その言葉と共に、騎士たちの方から歓声が上がった。
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