第5話

 かぽん、と木桶の音が鳴り響く――。

 一人で入るには広すぎる湯殿。温かな木目調の浴槽の中で、ステラはゆっくりと身体の力を抜き、ゆったりと湯船の中でくつろぐ。

(一時はどうなるかと思ったけど……よかった、みんなに受け入れられて)

 あの手合せの後、騎士たちからステラは好意的に受け入れられた。

 その後、ルカの指示で、街の郊外で軽い演習が行われ、その練度を知ることができ――また、それを見てルカと意見を交換し合った。

(思ったより練度が高い……さすがは、精鋭なんだな……)

 少しだけ、騎士のみんなを思い出す。

 意外なことに、騎士の内訳は男女が半々ずつ。しかも、持ち歩いている武器はみんな、思い思いの武器であり、鎖鎌なんて武器を持ち歩いている騎士もいた。

 基本的に自由だが、忠誠心が厚い騎士たちばかり。

 ステラとしても、接しやすくて非常に助かった。

(ただ、今度は私、足手まといにならないかなぁ……)

 正直、乗馬の技術はすごく不安である。騎士たちと見比べると、明らかに自分の乗馬技術は劣っている、と感じられた。

 それに、とふと思う――自分の上官たる女騎士、ルカ・ナカトミのこと。

(――強かったな、あの人……)

 手合せして、さらに伝わってきた。尋常じゃない強さが。

 さすが、騎士団長、シズマ・ナカトミの娘、と思わせる剣技だった。真っ直ぐでありながら、柔軟であり――そして、気迫を感じている。

 その刃を思い浮かべた瞬間――ふと、彼女の笑顔が脳裏に過ぎる。

 澄んだ眼差しで嬉しそうに微笑んで見せた彼女は、頬を赤らめていて――。

 思わず、どきりとしてしまう、魅力を秘めた笑顔だった。

 気が付けば、ステラの頬も熱くなってきて――慌てて、首を振る。

(な、何を考えているんだろう、私は……)

 昨日、今日と強引にルカに振り回されて、少し影響されている。そうに違いない。自分でそう言い聞かせながら、湯船から上がろうとして――。

「あら、もうあがるの? ステラ」

 その澄んだ声に、心臓が止まるかと思った。

 思わず喉からこぼれそうになった悲鳴を堪え――ぐっと身体を湯船に浸からせる。そして、恐る恐る振り返ると、そこには一糸まとわぬ姿のルカが立っていた。

 灯りで照らされた、白い肌がぼんやりと幻想的に輝く。意外に着やせするのか、その胸は大きく、だけど羨ましいことに腰回りはきゅっと細い。

 メリハリの利いたモデル体型に思わず言葉を奪われていると、ルカはくすりと笑いながらそっと浴槽に足を踏み入れる。

「よかったわ。折角だから、湯を一緒したかったの」

「あ、あれ、でも――ルカ様、先にお風呂入られたのでは?」

「うん、軽く汗だけ流したの。だけど、まだ湯には使っていなかったから――」

 軽く水音を立てて、ルカは湯船に入ってくる。それでも窮屈なことはなく、広々としている。だけど、彼女はするすると滑るようにステラの方に寄ってくる。

「――えっと、ルカ、様? なんでこちらに?」

「いいじゃない、別に。もっと近くでお話しましょ?」

 愛らしく首を傾げてそう言いながら、ルカは色っぽい流し目をくれる。ステラは思わず視線を逸らしながら、もごもごと言葉を返すのが精一杯だ。

「……構い、ませんけど……」

「ふふ、よかったわ。それにしても、ステラ――本当に真っ白な髪の毛ね。短いけど、伸ばさないの? 触ってもいい?」

「あ、どうぞ。伸ばす気は、ないですね。どうにも邪魔で」

 ルカが手を伸ばしてくるので、触りやすいように頭を傾けると、彼女は感触を楽しむように水で濡れた手でさらさらと指を通してくる。

 時折、耳に指が掠めてこそばゆい。ルカは指先で髪を摘まみ、ん、と唇を尖らせた。

「まあ、気持ちは分かるけど、勿体ないわね」

「ルカ様の髪の毛は――長い、ですね。しかも、すごく綺麗です」

 ちらり、とルカの方を見る。その艶やかな髪はまるで滝のように頭から肩に流れ、湯の上でたゆたっている。ルカはそれを手で掬い上げると、小さくはにかんだ。

「ええ、お父様とお母様ゆずりの、自慢の黒髪だから――しっかり伸ばしたいの」

(お父さんと……お母さん、か)

 その姿を見ると、少しだけ羨ましくなってしまう。思わず目を細めて、その髪の毛を見つめていると、ルカはふと視線を逸らしてつぶやく。

「――ごめんなさい、失礼だったわね」

「……え? 何がですか?」

「だって……貴方の、ご両親は……」

 言いにくそうに彼女はつぶやく。ああ、とステラは頷き、苦笑いを浮かべた。

(そっか、手合せのとき『養父』って単語出しちゃったか)

 それで察したのかもしれない。ステラは首を振る。

「確かに、私の両親はもう、いません――物心つく頃にはいなかったです。ですけど――孤児院の養父と養母がいましたから」

 養父からは、護身術として少しだけ武術を教えてもらった。

 彼から褒めてもらうのが嬉しくて、身体を動かすのが楽しくて――ステラは、どんどん武術を身につけていったのだ。

 あのひとときは、今でも楽しい思い出である。

「だから、ルカ様は気にしないで下さい」

「でも……」

 気にするように、しょぼんとするルカ。その表情を見ていると、少しだけ心がちくりと痛み――話題を変えるように、その髪に視線を向けた。

「そ、それより――私も、ルカ様の髪、触ってみてもいいですか?」

「あ――ええ、いいわよ。どうぞ」

 ルカが嬉しそうに目を細めて頷く。ステラは恐る恐る手を伸ばし、その黒髪に指を触れ、ゆっくりと絡めてみる。

 しなやかで――とても、指通りのいい髪だ。見た目はすごく艶やかなのに、ふわふわとしているように優しい感触。触っているだけで、心地いい。

(確かに、これは羨ましい……)

「何か、髪の毛に手入れとかされているのですか?」

「え、特にはしていないけど――」

「それでこの髪質ですか……え、すごく羨ましい……」

「そういえば、ステラって少し癖毛ね。髪の端が少し跳ねているというか」

「そうなんですよねぇ」

 悩みの種である、軽くウェーブがかかっている髪だ。この髪のせいで、寝癖が立ってしまうと、なかなか直すのに手間がかかってしまう。

 お互い、髪に触りながら、そんな他愛もないことを話していると――。

 ふと、視線が合う――澄んだ、黒い瞳が見つめてくる。

 吸い込まれるような輝きに見入られていると、ルカは優しく微笑んで言う。

「やっと、私の目を、見てくれた」

「――え?」

「なんだか、ステラ――私の目をしっかり見てくれないから。少しさみしいな、って思っていたの。やっと、緊張、解けてくれた?」

「あ――」

 その優しい言葉に、思わず顔が熱くなった。

 だけど、ここで視線を逸らすのはすごく失礼だ。ぐっと肚に力を入れて見つめ返すと――小さくステラはつぶやく。

「すみません……その、心配をおかけしたみたいで……」

「ううん、気にしていないわ。やっぱり、馴れない土地よね」

「いえっ、そういうわけではなくて……」

「じゃあ……何か、待遇が不満? できることなら、なんでも――」

「ち、違うんです! むしろ、これ以上されたら、私は……」

 今の待遇でも、身分不相応だと思っているのに。

 そう思いながらもステラは首を振ると、少しだけルカは困ったように首を傾げた。

「どうしたらいいのかしら? 私は、どうしたら貴方の為になれる……?」

「そんな……どうして、ですか……? ルカ様……」

 逆に、問い返していた。真っ直ぐに向き合い――乞うようにステラは震えた声で訊ねる。

「なんで、私にこんな、良くしてくれるのですか? 私は、こんな待遇を受ける資格なんてありません……だって、だって……」

 思い出したくもないのに、思い出してしまう。

 ステラがここに――辺境に、左遷された理由。

 それを意識した瞬間、声が震えてしまい――目の前のルカが、目を見開く。

「あ、なた……ステラ、泣いて……」

 気づいてしまう。今、自分は涙を流している。

 情けなくなって、みっともなく泣いてしまっている――。

 そう思った瞬間、身を切るような猛烈な恥ずかしさが駆け抜け、繋がっていた視線を断ち切るように振り返り、腰を上げた。

「し、失礼します……っ!」

「あ、す、ステラっ!?」

 呼び止める声に、応えることができない。

 ステラは、逃げるようにその浴場から飛び出していった。

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