第4話

 瞬間、弾かれたように、ルカは地が蹴る。下段に構えられた木刀が、鮮やかに跳ね上がる。ステラはその動きを、後ろに跳んで躱す。

 その動きと共に、霞から横流しの構えへ移行。そのまま、鋭く横薙ぎを放つ。

 それを迎え撃つように、刃を返したルカが木刀を振り下ろし――激突。

 乾いた木の音――鍔迫り合いの一瞬で、ステラとルカの視線が交わる。

 獰猛に輝くルカの瞳の輝き。次の瞬間、ルカの身体に力が籠もる。

 その圧力に踏ん張りが利かず、弾き飛ばされるステラ。体勢を崩した彼女に向け、ルカは逃さず、横薙ぎの強烈な一撃を放つ。

 ステラは咄嗟に両手で木刀を構え、それを盾にし――直後、めきり、と手の中で嫌な音が響く。それを感じ取った瞬間、ステラは爪先に力を込め。

 後ろに跳躍する――それと同時に、手の中でばきりと音を立てて木刀が砕けた。

 距離と共に体勢を立て直すステラ。ルカは残心のまま、仕方なさそうな笑みと共に軽く首を傾げる。

「勝負あった、かしら?」

「そんなわけ、ないでしょう」

 ステラは即答する。真っ二つに折れた木刀を手にしたまま、彼女は微笑む。

「手合せからは逃げるな――それが、養父の教えでして」

 それになんとなく分かる。ルカは、まだ本気を出していない。

 その状況で逃げるのは、なんだか悔しい。釈然としないのだ。

 そんな自分に、嘘はつきたくない。

 はっきりとそれを態度で示すステラに、ルカは花開くように心から嬉しそうな笑顔をこぼした。どこか無邪気な笑顔に、ステラは一瞬だけ戸惑い――だが、気を引き締め直す。

「どうぞ、ルカ様――刀が折れているからと、侮らないで下さい」

 そう言いながらステラはだらんと両手をぶら下げる。その右手には、折れた木刀がぶら下がっている。ルカは目を細めて小さくつぶやく。

「無形の位――見るのは、久しぶりね」

 ゆっくりとルカが下段に刃を構える。気迫が徐々に高まっていく。

 二人の視線は、静かに交り合う――熱を帯びた真っ直ぐな視線が絡み合い、どこまでも熱くなっていく。二人の吐息すら、熱く濡れていく――。

 黒曜石の瞳が、食い入るように見つめている。

 その瞳の中で――白髪の少女は、わずかに爪先に力を込めた。

 瞬間、弾かれたようにルカが動いた。地を蹴り、一瞬で距離を詰める。それに一拍遅れてステラは後ろに一歩引き、右手を持ち上げる。

 その手首が返され、折れた木刀が逆手に構えられる。

 だが、ルカはそれに構わず、振りかざした木刀を真下から真上へと振り上げる。

 迫真の全力の一撃。それは、もはや止まらない――。

(その瞬間を――待っていたッ!)

 瞬間、ステラの右手が翻る。その手から放たれたのは、折れた木刀。

 その尖った先が、ルカの眼前まで迫る。完全な、不意打ちの投擲。

 必殺の一撃を――ルカは、首を曲げて避けた。その目が、軽く笑う。

(見え見えよ、ステラ……!)

 そのまま、ルカは一気に鋭く斬り上げる。苦し紛れに、ステラは大きく上体を逸らす。間一髪、その目前で木刀が空ぶった。

 だが、ステラの体勢は致命的に崩れる。後ろに倒れていくステラ。

 その視線の先で、ルカが刃を返される。最上段に、木刀が構えられる。

 もはや、ステラは避けることは、叶わない――。

 だが、彼女はわずかに口角を吊り上げ――爪先に、力を込めた。

 ルカの目が見開かれる。だが、その身体は止まらない。間合いに踏み込むように、一歩、足が踏み込まれ――。


 直後、ステラは地を蹴り、後方に向かって宙返りを放った。


 鮮やかなサマーソルトキック。それが振り下ろそうとしたルカの腕をしたたかに打った。その手から宙に舞う木刀。

 ルカは衝撃で上体が浮く。それを見据えながら、ステラは足から着地。左手はすでに鉤爪状に構えられている。間髪入れず、一気に踏み込む。

(ルカ様、もらいました――ッ!)

 その指を突き出す瞬間――不意に、背筋が凍った気がした。

 ルカの瞳――その目が、射抜くように見つめている。まだ、あきらめていない。

 ステラの脳裏に警鐘が鳴り響く。だが、もうすでに身体が止まらない。

 真っ直ぐにステラの突きが放たれる。その必殺の一撃が――。


 空を、切った。


(――え?)

 嘘のように体勢が崩れる。その流れの中でいっそ静かなくらい、ルカのたおやかな指先が首筋に当てられた。

 ぴたり、と静まり返り――二人が、静止する。

 その首筋に添えられた気配――ルカがにこりと微笑み、小声で訊ねる。

「これで一本、かしら?」

「……参り、ました」

 訳も分からず――ステラにはそう言うのが精一杯だった。

(必中の、タイミングだったのに……外れた……外、させられた?)

 困惑するステラの顔を見つめながら、ルカはふっと笑って首筋から手を放す。

 それを合図に、身体に満ちていた気迫が霧散する。そのまま、ルカは柔らかい笑顔と共に、ステラの手を取った。

「まさか、絶技を使わされるとは思わなかったわ」

「――最後の、あれ、ですか?」

 今でも納得が行かない。ステラは確実に急所を狙うつもりで一撃を放った。間合いも十分だったはず。だが、それが命中せず、空ぶっていた。

 まるで――狙いが意図的に、逸らされたように。

「そう。それが、絶技――〈覇気幻影〉よ。私は、気迫を操る剣士なの」

「気迫――ですか」

「気合いと言い換えてもいいわ。それをぶつけることで、貴方の狙いを逸らした。そうね、有り体な言い方をすれば、怯ませたのよ」

 そういえば、とステラは思い出す。

 あの瞬間、ステラは彼女の瞳に思わず呑まれてしまった。その一瞬で、彼女は無意識のうちに怯まされて――狙いが、外されてしまったのだ。

「やろうと思えば、相手に幻覚すら見せることができる――だから〈覇気幻影〉よ。本当は奥の手なんだけど、まさか使わされるなんてね。想像以上だわ」

 にっこりと微笑むルカは優しげで、先までの気迫は感じられない。

 それどころか――どこか熱っぽい視線で、ステラを見つめている気がして、少しだけ居心地が悪い。視線を逸らしながら、ステラは早口に言う。

「で、でも……負けて、しまいました……卑怯な手も、使ったのに」

「卑怯? そんなことはないわよ、清々しいまでの技の数々だったわ――ねえ、みんな」

 ルカは振り返りながらそう言うと、周りからわっと歓声が上がり、ステラは目を丸くする。

(わっ……そうだった、騎士のみんなに見られていた……!)

 びっくりする間もなく、騎士たちが近づいてきて口々に賞賛する。

「すげえよ、ステラさん!」

「あの宙返り、かっこよかったわ!」

「ルカ隊長よりもしかしたら強いんじゃねえの?」

「誰よ、今言った奴。減給にするわよ?」

 冗談めかしたルカの声に、どっと笑い声が上がる。その好意的な言葉の数々に、思わず恥ずかしくなって、ステラは俯いてしまう。

 ルカは苦笑い交じりにその手を励ますように握ってささやく。

「あれだけ戦っているときは堂々としていたのに」

「あ、あれは手合せだからです……っ! こんな、みんなの前でぇ……」

 恥ずかしくて顔が熱い。思わず助けを求めてルカを見ると、彼女は優しい目つきで頷き、周りを振り返って告げる。

「これから、このステラが私の副官を務めるわ。実力は見ての通り。文句は受け付けるけど私に直接言いなさいね?」

「文句なんてないですよ」

「ステラさん、これからよろしくお願いします!」

 温かい声に包まれる中、優しくルカが肩に手を添えてくれる。

 それに励まされるようにして、ステラはおずおずと顔を上げると――ぎこちなく笑みを浮かべて、みんなに告げた。

「これから――よろしくお願い致します!」

 それに応えたのは、明るい声の数々であった。

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