第10話 町家の危機に。

「あ。仲よさそう~」


 振り返ると、ちょうど寝室から聡子が出てくるところだった。


 ふたごちゃんにかかりっきりで、室内ではほとんどゆるーい服装である。

 今日も、部屋着兼パジャマの長袖シャツに、下はジャージの組み合わせ。毎日、スーツで溌溂とした格好ばかりを見てきたので、聡子のゆるーい姿にはなかなか目が慣れない。


「寝つかせていただけです」

「赤ちゃんみたい」

「そうですね、まるで赤ちゃんですよ」


 玲に近寄ってきた聡子が、ほっぺをつんつんした。


「長兄。おつかれ」


 しかし、よく寝ている。


「ふたごちゃん、寝ているんですね。お母さん、お茶にしますか」


 小声で、さくらは提案した。


「ありがとう。デカフェのコーヒー、もらえるかしら」

「もちろんです。ソファに座れなくて、申し訳ないんですが」

「大物に占拠されているものね」


 聡子は、ダイニングセットの自分のイスに座った。

 

 そーっと、起こさないように、そーっと、さくらは玲の手を離し、キッチンへ移動。


「こうやって、のんびりできるのも久しぶり。そろそろ、どっちかが起きるんだろうなあ」

「ふたごちゃん、想像以上ですね」


「かわいいけど、まさか、ここまでしんどいとはね。さくらちゃんがいなかったら、育児なんて私にはできなかったー」

「やろうと思えば、なんでもできます。ましてや、子どものためなら」


「シッターさんに目星がついたの。涼一さんよりも早く、さくらちゃんは仕事復帰して」

「ほ。ほんとうですか!」


 ちょっと声が大きくなってしまった。さくらはあわてて玲に視線を動かしたが、くうくう寝ていた。


「美咲さん。元・建築事業部の」

「え……、ほ……みさきさん? ダンナさんのご実家で、農家と介護をするって」

「残念だけどお義父さま、この春に亡くなったそうなの。で、もろもろ整理して、土地も処分して。でも、美咲さんの夫は、地元のJAの人に事務処理能力を気に入られて、就職したって。まさにUターンね」


「でも、陸くんと空くんのふたごちゃんは」

「さすがにあっちは、都心と違って保育園に空きがじゅうぶんあるらしくて。半年間、美咲さんが出稼ぎというか、単身赴任。もちろん、夏休みはつける」


 住み込みのベビーシッター誕生である。


「お子さんと離れ離れなんて、ちょっと気の毒です。私の代わりに、今度は美咲さんが家族と離れ離れで、つらいと思います。九州ですよ、すぐに帰れる距離ではないですし」

「あら。あなたと会えるって、楽しみにしているわよ。お子さん、向こうの空気が合うみたいで、身体が強くなってきたそう」


 さくらだって、美咲に会いたい。

 この半年間、どうだったか話を聞きたい。さくらも、話がしたい。


「お母さんは勝手です。いつも、自分の都合で人を動かして。わがままです!」

「そうね、我欲で生きているわね」


 あっさりと、聡子はわがままを認めた。


「でも、無理強いはしていません。今回もむしろ、美咲さんから『お手伝いがしたい』って、申し入れがあったんですもの。退職、引っ越し、介護にお葬式からの一連の相続。美咲さんの夫が美咲さんに、しばらく休暇……夏休みをあげるって提案してくれたんだって。そこで、聡子会長のお手伝いを申し込んでくる、美咲さんも美咲さんだけど」


 いてもたってもいられなくなった。さくらは、立ち上がった。


「……美咲さんに連絡してみます!」

「そうね、引き継ぎしてもらわなきゃね」


 電話を握り締めてベランダに出た。さくらの髪が、高層マンション特有の強い風にあおられる。

 美咲なら、柴崎家の事情を知っているし、適任だろう。それに、なんといっても、ふたご母。これ以上の頼れる存在はいない。


***


「……母さんって、相変わらずだよな」


 ソファの玲が、起きていた。


「あら。おはよう」

「おはようじゃねえよ、まったく。寝てたんだから。声、大きい」

「ごめんごめん、さくらちゃんを困らせると、おもしろいんだもん♪」


「あいつをストレス解消の道具にするな」

「玲ってば、なんでもオミトオシなのね。特に、さくらちゃん絡みだと、まじ☆こわーい」

「うっさい。ほっとけ」


「ふん、あの町家。買ってあげようか?」

「……いい。自分でなんとかする」

「玲のお財布で、なんとかなる金額じゃないでしょうに」

「母さんだけには、貸しを作りたくない」


「あらまあ。ひどい言い草ね。でも、この先は、若い人の出番なのねきっと」

「そうそう、身を引いて。いさぎよく」

「ちぇっ。あと半年したら、ふたごも保育園に入れられるだろうし、会社復帰しようと思っているのに」


「会社には類がいるだろ。まかせとけよ」

「今だって会長よ」

「さくらもいる。涼一さんも、俺も」


 玲の説教に嫌気を差したのか、聡子は『あー、はいはい』と投げやりな態度を取った。


「私だけ、仲間外れみたいでいやなの」

「子どもか」


「やっぱり、シバサキが好き。大切。子どももいいけど、仕事したい」

「……類に聞け」

「うん、そうする! 玲と違って、類はちょろいもんね~」


 やっぱり、やだ、この母親。

 玲はタオルケットを頭までかぶって、寝返りを打った。

 身体の向きを変えたとき、窓越しにさくらの明るい笑顔が玲の目に入った。



(連続して11話、最終話も公開します)

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