第9話 なくしたくない

 みんなで住む家計画。

 新企画室、最初のプロジェクト。


 早く参加したい。けれど、ひとり聡子を置いてはいけない。

 玲は京都に用事があるらしく、しきりに往復しているので、ふたごちゃんのお世話や家事を頼めない。

 慣れたシッターさんを早急に導入してほしいところだが、人選に時間がかかって難航しているらしい。聡子のこだわりが強いせいだ。


 ふたごちゃんは、日に日に大きくなっている。あおいのときは、毎日が修羅場で成長を見届ける暇もなかった。気がつけば、堂々たる四歳児。皆も主張が激しくて、お兄さん風を吹かしてくる。


 会社にいるときの聡子とは、別人である。化粧っ気もないし、寝不足でやつれているのに、とても楽しそうに輝いている。笑顔がたくさん見せてくれる。

 ラスボスだの、わがままだの、胸中ではさんざんこき下ろしたけれど、明るさが聡子のいちばんの魅力である。


 アシストを強化するべく、同じマンションの部屋のクリーニング&リフォームを急がせているが、さくらも自宅の荷造りをしなければならない。一年足らずで、もとの部屋に戻るなんて。


***


「ただいま……」


 一方。

 玲がげんなりして、東京へ戻ってきた。


「どうしたの! 顔色、悪い」

「なんか食わせて……悪い」


 満身創痍、疲労困憊の玲が欲したのは、食事だった。

 午後三時。中途半端な時間だが、さくらは冷凍庫の残りご飯を確認すると、さっと五分でチャーハンと簡単な中華スープを作って玲の前に出した。


「ありがたい。ありがとう、いただきます……」


 おいしそうに、でもがつがつと、玲はあっという間に完食した。足りなさそうだったので、ホットハムチーズサンド&サラダも追加で作った。これもぺろり。


「さくら、うまい。ほんと、いい嫁さんになった。俺の嫁じゃないことだけが、まじ残念だけど」

「どういたしまして」

「初登場時、十七歳の女子高校生だったのに、もう二十四だっけ」

「……女性に、年齢の話はしないほうが賢明だよ。いくら身内でも」

「変わらないよ、お前は」


 ごくごくと、麦茶を飲み干した玲は、リビングのソファの上で大の字になった。


「食べてすぐ? いきなり?」

「やばいって、分かっている。だけど、しんどい」

「仕方ないなあ」


 さくらは玲の着替えを手伝ったり、タオルケットを運んだり。いったい、この家には、何人、乳幼児&幼児予備軍がいるのだろうか。ああ、数えたくもない。


「手、つないで」


 極めつきはこのひとこと。けれど、あまりにも直接的ですがすがしかったので、さくらは断らなかった。


「はいはい、これでいい?」

「あー……帰ってきたって感じする」


「おかえりなさい、玲」

「ただいま。さくらの『おかえりなさい』は癒されるな」

「何度でも言うよ」

「寝つくまででいいんで、手。おっと、類には内緒で」

「これぐらいは見逃しくてくれるよ」


 玲は身体の向きを変えた。さくらを見た。話があるらしい。


「きょうだいの町家が、取り壊しの危機なんだ」

「え、ほんと?」

「家主さんが、ちょっと前に亡くなって。相続で揉めていて。あのままの形で残せない事態らしい」


「でも、今って町家は再建ほとんど不可能だし、古民家って人気があるから買い手がつきそうだけど」

「町中ならね。西陣は京都駅から遠いし、まあちょっと足を伸ばせば天神さんとか二条城、金閣寺龍安寺、嵐山のほうへも行けるけど、京都のイメージってやっぱり清水寺とか祇園なんだよ。観光客向けの飲食店もそっちに多いし」


「なくなっちゃうなんて悲しい。玲、買えないの?」

「バカ、いくらすると思っている」


 こそっと教えられた金額は、さくらも目が飛び出そうになるほどだった。


「買い取ってくれそうな人を探して京都じゅう、駆け回ったけどいなかった」

「古いだけに、維持費もかかるもんね。誰かが住んでいないと、荒れちゃうだろうし。高幡家の新婚さんに住んでもらえないの?」

「家賃が高いって。それに、防音じゃないから、おじさんがやめとけって」


 意味深だなあ、『防音じゃないから』って。さくらは玲の手を握り直した。


「……玲は不本意だろうけど、類くんに相談してみようよ。それがいい」

「なんでもかんでもあいつに頼るの、やだな。魔法使いか。柴崎家の別荘にでもすんのか」

「それはもったいないよ。できれば、誰かに長く住んでほしい。使ってほしい。京都の別荘じゃ、がんばっても年に数回しか使えないだろうし」


 思い入れがあるぶん、つらい面もある。町家で過ごした一年間を思い出してしまう。いいこともあったが、しんどい思いもあった。


「エアコン導入して、家具もシバサキで揃えて……」

「不特定多数の出入りは禁止で。あのへん、職人の集まっている住宅地だし」

「となると、一軒貸しの宿泊施設はだめだよね」


 町家レンタルができれば、観光業出身の父・涼一も全面協力してくれるだろうし、話は早いのだが、ホテルのお客さんは選べない。どんな人が使うか分からない。


「うー……うん。眠いわ」


 玲はまぶたを閉じた。すうすうと、規則正しい寝息が響きはじめる。寝顔は少し、類に似ている。あおいのようにも見える。皆にも似ている。

 京都で、聡子出産前後のときは玲にどきどきしたのに、東京に戻ってからは玲とふたりでいても穏やかでいられる。まさに、家族だった。


 心が落ち着いたのは、類がそばにいてくれるからだろう。夜は必ず、どんなに遅くなっても帰ってきてくれる。

 海外出店の件は驚いたし、黙っていられて悲しかったけれど、二度と隠しごとはしないでと通告したら、おとなしく『はい』という返事だった。類本人も反省しているようだったので、深くは問い詰めなかった。




(残りあと二話、次回更新で完結させます)

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