第3話 ぼくはめちゃくちゃ怒っている

「おはよう、さくら」

「おはよう、類くん」


 類の腕に抱かれながらの、ひさしぶりの目覚め。ひさしぶりの朝のあいさつ。

 朝ごはんはいらない、と類が言うのでタクシーを呼んである時間ぎりぎりまで抱き合った。


「やっぱり、駅まで見送りたい」


 さくらは言い張った。

 きっと泣いちゃうさくらを、ひとりでホームに置いて行きたくない、と類には見送りを反対されているけれど。


「ここでいいよ。ゆっくりして」

「いや。一秒でも一緒にいたい」

「離れたくなくなる」

「泣かない。お願い」

「もう。わがままもかわいいね。うれしい、ありがとう」


 ふたりは朝もやのかかる都大路を進んだ。



 泣かない。約束した。

 さくらは目に気合いを入れて涙が流れないように踏ん張っている。


 類が乗った新幹線が見えなくなるまでは絶対に泣かない。

 聡子の赤ちゃんは生まれた。体調も少しずつ回復している。帰れる日も近い。京都が雨の季節になる前には、おそらく。


「変顔やめなさい」


 怪訝そうに、類がささやいた。


「は? へんがお? だれが? 私のは、気合いだよこれ」

「いいから」


 むんずと、さくらの頬をつねる類。


「え・が・お。」


 早朝の新幹線ホーム。そこそこ人がいる。日本一かっこいい社長で夫・柴崎類(23)。ほっぺをつねられる、妻・さくら(24)。


 この時間がずっと続けばいい。類と再会してから、そればかり考えていた。あと三分で、さようならになってしまう。


 今朝も、新幹線は定刻通りに動いている。列車到着のアナウンスが機械的に流れた。さくらは類の身体にしがみついた。


「甘えんぼう」

「いいもん、甘えんぼうで」

「あおいに見せられないよ」


 あきれた口ぶりながらも、類はさくらを受け入れる。ホームに滑り込んできた新幹線の風圧で、ふたりの髪が揺れた。


 もう、さようならの時間だった。類がさくらの身を起こす。


「泣かないって言ったのに」


 さくらの双眸からは涙があふれていた。つられて、類も涙声になっている。


「約束が守れない子は、帰ったらおしおきだよ」

「ごめ……なさい……るいくん……」


「だいすき。東京で、たくさん愛し合おうね」

「うん。るいくん、私も類くんがすき。いつもお手紙をくれて、ほんとにうれしい」

「今日も書くよ。明日も、あさっても」


 ドアが開いた。降車する人を通す。いよいよ類が乗り込むときが来た。つないだ手を自分から離す勇気がない。


「乗る?」


 さくらの前に、一枚の切符が差し出された。もう一枚は、類の手の中にある。


「さくらの分も用意したんだ。今回という今回は、母さんのわがままに愛想が尽きた。ぼくは怒っている。昨日なんて、さくらがまじで危機だったじゃん。あんなの置いて、ぼくと一緒にこの新幹線で帰ろうよ。京都には玲がいるし、片倉さんもいるし、なんとかなるでしょ」


「でも私、帰るにしてもなんの準備も」

「あとで玲にまとめて送ってもらえばいい。さくらはぼくの妻なんだ。離れて暮らすなんておかしい。あおいも待っている」


 類と、帰る。あおいと逢える。三人で、同じ時間を過ごしたい。


 あと少しで、新幹線が発車してしまう。迷っている暇はなかった。


「……ごめん。本音では、なにもかも放り出して、ついて行きたい。でも、まかされた仕事を最後までやり通したい。もう少しで終わるから。いいこちゃんでもいい。がんばる。一緒に帰ろうって言ってくれて、うれしい」


 さくらの決死の答えに、類は悲しそうにほほ笑んだ。


「そうだよね。『みんなのさくら』だもんね。困らせてごめん、いいこちゃんなところも愛しているよ」


 類はさくらにもう一度やさしくキスをすると、新幹線に飛び乗った。ドアが閉まった。さくらに向かって手を振ってくれている。なにか、言っている。


『え、が、お』


 そうだ。笑顔。一瞬だけだが、視線を合わせて笑えた。類も、きらきらの目に涙が浮かんでいた。泣かせてしまった。

 強い心で帰る。さくらは決心した。


 駅ビルの隙間から、光が洩れはじめる。曇っていた空が明るくなった。暑くなりそうだ。


***


 部屋に戻ったら、ルームメイトのふたりから質問責めに遭った。

 そりゃ、そうだよね。。。

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