第2話 もっとぎゅっとする!

 さて。夫婦、ふたりきりになった。


 ひと月半ぶりの再会。ちょっと痩せた? 顔のラインがシャープになっている。

 毎日、ごはんをしっかり食べているのだろうか。寝不足ではないか。着ているものは今日もきれいだが、洗濯は。掃除は行き届いているか。


「ぼくの顔に見とれるのは分かるけど、まずはここを出よう。真冬さんのにおいがする」


 みとれるなんて、相変わらず自信たっぷりである。しかし、半分ぐらい当たっている。そして、類はさくらのゆるゆるな態度にちょっと怒っている。おとなしく、従うとした。


「さくらの部屋へ行こう。泊めて。始発で帰る」

「うちに? 朝までいてくれる?」

「仕事、ほっぽってきたから……帰りたくないなあ。明日が怖い」


 大切な会食の予定を直前キャンセルして、秘書の壮馬に始末をまかせて飛んできたという。さくらのために、仕事をだめにさせてしまった。その罪悪感に胸が震える。


 タクシーの中だというのに、さくらの身体を引き寄せていちゃいちゃのべたべたである。


「私のために、ごめんなさい」

「いいんだよ。真冬さんが急に休暇を取ったの、チェックしていなかったぼくがいけない。母さんが出産を終えたから必ずお祝いに行くと思っていたし、真冬さんをマークしていたのに対応できなかった。さくらのメールで知った。教えてくれなかったら、今ごろさくらが真冬さんに……! 母さんも母さんだよ。真冬さんがさくらに興味あるって気がついていながらふたりきりにするなんて。玲も行けないって言うし。無事でよかった」


 無事というか、キスはされたけれど。スカートの中に手を入れられたけど。黙っていよう。類の胸に抱かれるのが気持ちいい。このままでいたい。


「真冬さんの休暇を確認して、すぐに新幹線に乗った。といっても、手配をしてくれたのは壮馬さん。会食相手に怒られただろうなあ」

「壮馬さんに私も謝らないと」


「さくらのふわゆるは、壮馬さんも承知だからね。真冬さんとさくらがどうなっても、会社の今後には関係ないと思ったら、協力しなかったはずだよ。ぼくのやる気を維持するために、京都へ送り出したんだ。あと、弱みを握るため。これでさらに、ぼくは壮馬さんに頭が上がらなくなった」


 次にシバサキ社内でクーデターが起きたら、『壮馬社長』が誕生するかもしれない。


「で、京都に着いたのはいいんだけど、かんじんのさくらとまったく連絡が取れない。玲はさくらの行先を知らないと言う。ぼくは、片倉医院へ行って母さんを脅した。『さくらを出せ』って。おとなしく従ってくれたよ」

「ああ、お母さんに旅館の場所を。え、赤ちゃん見た?」

「ふたご? 会ってない。それどころじゃなかった」


 医院まで行ったのに、ふたごスルー。そこまで焦っていたなんて。


「さくらの居場所は分かったけど、行き先は一流旅館だし、ぼくがいきなり突撃しても迎え入れてくれないかもしれないから、母さんに『類が合流する』って旅館に連絡させた。医院の滞在時間、三分。片倉さんにも、『こんにちは』ってあいさつしただけ。すごく驚いていたけど、無視しちゃった」

「あとで、フォローしておきます」

「よろしくね。あと十分でも遅かったら、喰われていたよね。あぶなかった」


***


「ここがさくらの仮住まいかぁ」


 マンションを見上げる、類。


「シェアハウスなんだ。ほんとは、男性入室禁止なんだけど」

「ぼくは柴崎類だからね!」


 ということになる。社長の特権濫用。しかし、今夜は大変なことになるだろう。


「ねえ、また移動するの大変だけど、駅前のホテルにでも泊まったほうがよくない? 明日のことも考えると」

「やだ。さくらのにおいに包まれたい。一秒でも早く、さくらとつながってらぶらぶしたいし、ぼくと濃密な一夜を過ごして部屋に痕跡を残しておかないと」


 マーキング行為か……けれど、そう言うと思った。さくらも腹を決めた。同居のふたりには、事情を話して今夜だけ許してもらおう。先日の、さくらが追い出されたパーティーの件もある。ダメとは言わせない。

ふたりとも、在宅だった。


「まじで、ルイさん!」

「ほんまに社長!!」


 驚きのあまり、ことばが続かない。


「こんばんは、柴崎類です。さくらがお世話になっています。いきなりの訪問でごめんね。このあとぼくたち、すごくえろいことするけど、今夜だけ、見逃してほしいんだ」

「み、見逃すもなにも!」

「ふ、夫婦ですし!」

「盗撮・盗聴はゼッタイダメだよ。聞き耳も遠慮してね♡」


 もちろん、反論は出なかった。この類に、ストレートに言われたら、頷くしかない。

 恥ずかしさで胸がいっぱいになりつつも、さくらは類を自分の部屋に招待した。


「狭。荷物、少な。ベッド、ちっちゃ!」

「仮住まいだもん。こんなもんだよ」


 シバサキ製のシングルベッド。価格帯は、下から数えたほうが早い、単身者向けのお買い得な商品である。類はベッドの上で、いきなり何度も腰を振ってコイルの反発具合を試している。


「やっぱりいまいちだなー。お安くて買いやすいけど、もうちょい反発がないとな。いくらシングルベッドでも、この幅じゃ女の子と寝られないじゃん。シバサキのベッドは、セミダブル以上しか作らないようにしよう。品番どこ? これ?」


 手帳に、使用感のメモを取った。わりと仕事熱心なのか、単なる予行練習なのか。


「しかも、皆の荷物が多いなんて。いーなー、皆。さくらにお世話してもらえるなんて。荷物、ちょっと移動しちゃお」


 弟の皆に対して敵対意識を持っているらしく、類は皆の荷物を脚で蹴って動かした。嫉妬である。


「もうすぐ東京に帰れるよ」

「……ん。待ってる」


 類はさくらを抱き締めた。


「ぼく、さくらがいないとだめだ。はなさない」

「私も。はなれてみて、類くんのことがだいすきって改めて知った。こわいぐらいにすきなの。手紙、毎日ありがとう。すごくうれしい。何度も読み返しているんだ」


 あまいあまいキスを繰り返す。類の唇はほんとうにおいしい。

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