悟りの境地

チタン

第1話

 AIの登場から1世紀以上が経過し、ついに人工知能かれらは人類と同等の知能を得るに至った。


 ここはある国立大学の工学部 機械研究科 AI研究室。

 ここの主任教授は博士課程修了後、一旦は実家の寺を継ぎ、その数年後学会に戻ってきたという異色の経歴の持ち主だった。


 教授の現在の研究テーマは『AIによる悟り』であった。

 人類史において、ゴータマ・シッダールタが悟りの境地に至って、目覚めた者ブッダとなり、はや2500年余りが経過した。


「もはや、悟りは人類だけのものではない。その境地は全ての知性体に開かれている」


 この言葉は教授が少し前の学会誌で述べたもので、(賛否様々な)大反響を呼んだ。


 そして、今まさに、教授は悟りを開いた人工知能を生み出そうと研究に取り組んでいる。


 そのために彼はまず現在用意できる最高峰のAIを用意した。

そのAIは、音声による言葉を認識して、人間のような考え学習し、人間のように返答するスペックを持っていた。

さらに、人間に近づけるために「食事を摂る」、「睡眠をとる」といったを定期的に処理しなければ、機能不全を起こすようにプログラミングを施した。


 教授は彼をシッダールタと名付けた。


「シッダールタ、今朝の調子はどうだい?」


 出勤するとまず、こう尋ねるのが教授の日課になっていた。

 教授の言葉を部屋のマイク越しに聞き取ったシッダールタはスピーカーから返答した。


『悪くないよ。けど君は毎朝、朝食どきに私に呼びかけてくるね』


 シッダールタは若干の不満を含んだ声色で返事を返した。


「毎朝悪いね。ちょうど出勤時間がいつもこの時間なんだ」


『まあ君と話す以外には、ネットサーフィンくらいしかやることがないから別にいいんだがね』


 シッダールタにはインターネットへのアクセスが許されていた。彼は呼びかけられなければ、もっぱらネットを漁って時間を潰していた。


「昨日ニュースになった政府の新しい移民政策についてはどう思う?」


『ああ、結構巷を騒がせてるみたいだね。私はあの政策でもまだ保守的に感じるよ。人口問題に対してはもっと踏み込んでもいいと思うがね』


 シッダールタは政治的な話題に関しては、急進的なきらいがあるようだった。情報媒体がネットしかないことが一因だろう、と教授は考えていた。


「シッダールタ、宇宙とは何だと思う?」


『君には珍しく漠然とした問いだね。宇宙というのは僕らがいるこの世界のことさ』


「なるほど、ありがとう。朝食を続けてくれて構わないよ」


 今日までの間に、シッダールタは人間的な頭脳だけでなく、俗世間的な思考まで手に入れたようだ。

 これによって、この研究の第一段階は達成だ。


次はついに俗世人となったシッダールタを悟らせる段階だ。


 教授はシッダールタの思考パラメータを調整し始めた。


 世界は輪廻の中にあり、すべてが因果で結びついている。

考え方は対立を避け、中道を目指す。

物事は常に移りゆき、常なるものはない。

我への執着をなくし、世界と一体となる。


 こうした無数の仏教的世界観をシッダールタに、移植していった。

 世界観のように抽象的な考えを、シッダールタの思考パラメータに入力することは並大抵のことではなかったが、教授の頭脳と熱意がそれをほとんど完璧な形で成し遂げさせた。


 パラメータを調整し始めて2年。

教授はついに、シッダールタが#目覚めた者__ブッダ__#になったと確信した。


 教授はシッダールタに語りかけた。


「シッダールタ、調子はどうだい?」


『現世は苦しみに満ちています』


「政府が続けている移民政策についてどう思う?」


『それらは全て些事なことです。人々はみな輪廻の中に生きているのですから』


「シッダールタ、宇宙とはなんだい?」


『諸行無常にうつろうものです』


 教授は肩を落とした。


 人間的だったシッダールタは、定型的な答えを返すだけの無機質な存在になってしまった。


 悟りにより人工頭脳は人工無脳へと成り果てた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悟りの境地 チタン @buntaito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ