3章 色のない世界 Ⅱ 失われた書物
――白亜邸で、一冊の書物を探したいの。
クラムシェルはセレスタインにそう語り始めた。
「私が最初に思い出した記憶。それは、お母様が一冊の青い本を開き、私の前で読み聞かせてくださっているシーンだった。鮮明に覚えているわ。少し離れたところで揺り椅子に腰掛け、その本を開いているお母様の姿を。それはまるで一枚の美しい絵画のようだった。そしてその膝に乗せて開いている厚い書物も、記憶に焼きついている。その美しい装丁のデザイン…深く青い色合いも、質感も、はっきりと覚えている。
お母様は、それを私自身では読ませてくれなかった。いつも少しはなれたところで、読み聞かせてくれていたのよ。遠い記憶だとは思うのだけれど、幾つの頃だったのかは、はっきり分からない。読み聞かせをしてくれていたのだから、きっと幼かったのだとは思うけれど…私はその本を自分では読んだことも、覗き込んだこともないのよ。自分が幼すぎて文字が読めなかったのか、或いは、内容が高度で、まだ読みこなせなかったからなのか、それとも異国の言葉で書いたあったからなのか、もしかすると、難しい言葉を噛み砕いて、分かりやすく話して聞かせるためだったのか…それは分からない。
私は、お母様がその本を読み聞かせてくれるのを、いつも胸をわくわくさせながら待っていた。その本の物語を聞くことが、大好きだった。その物語に夢中だった。
でも、それだけじゃない。その本のことを思い出そうとすると、どうしようもない気持ちになるのよ。たまらなく、胸騒ぎがするの。色々な感情が蘇ってくる。喜びや、悲しみ、怒りや、憎しみ、ときめき、焦燥…言葉で表現できるあらゆる感情が呼び起こされ、ぐちゃぐちゃになって、胸の奥深くから、記憶の底から湧き上がってくる。
私は幼い頃、お母様の読み聞かせてくれたあの書物の虜だった。
それなのに、あの物語の題名も、内容も、全く覚えていない。屋敷にあった他の書物の物語は思い出すことができたというのに、あの最初に思い出した記憶、あのシーンのあの書物の物語だけは、どうしても思い出せないのです。
そして今、思い出したはずの物語がことごとく色褪せて、意味を失ってしまっていき、世界から色という色が剥がれ落ちていく中で、あの本だけが、ますます鮮明に私の感情を揺さぶり続けているのよ。あの書物に記された物語を思い出そうとする行為だけが、死んだようになった私の心に息吹を取り戻してくれる。
私はこれまでも、何度もあの書物を探そうとしました。白亜邸を訪れ、図書館や書店を回って。でもどうしても見つからなかった。何処にもあの書物はなかった。だから諦めていました。きっとあの本は幼い頃に読み聞かされていたもので、お母様が私の成長とともに捨て去ってしまったのだろう、と。でも、近頃、切実に思うのです。どうしてもあの書物を見つけ出したい、思い出したい、と。もう一度、あの物語を聞きたい、いいえ、今度こそ、自分自身で読んでみたい…そんな気持ちが沸き上がってくるのです」
クラムシェルが鮮明に記憶しているその一冊とは、最初に思い出した記憶の書物である。白亜邸の書庫には数千冊の書物が収蔵されており、かつてセレスタイン自身も、クラムシェルの記憶を頼りにそれらしき書物をその書庫から探し出そうとしたが、そのようなものは見つからなかった。クラムシェル自身も、白亜邸を幾度か訪れるときに書庫を漁ってみたものの、どうしても発見することができていなかった書物であった。
「でも、今、あの本がどうしても読みたい。その中身が知りたい。思い出したい。どうしても思い出したいのに、なぜかどうしても思い出せない物語なのです。そう私の名と、同じように。だから私は、その書物を探し出さなければならない。
他の全ての書物が意味を失ってしまった今、思い出そうとするだけで様々な感情を呼び起こすあの物語が、どうしても読みたいのです。きっと屋敷のどこかにあるはずなのです。題名も覚えていないけど、鮮明に覚えている。その書物の深い青で彩られた美しい装丁を。他の物語では書物の色なんて思い出せないのに、内容さえ覚えていないあの書物の装丁は、はっきり思い浮かべることができる。あの書物だけが、私の胸を高鳴らせるのです。
ええ、私にも分からないのです。なぜ、他の書物が、物語が悉く色褪せ、一切の意味を失ってしまったのに、その書物だけが色鮮やかにくっきりと浮かび上がるのか。その物語を思い出そうとするだけで、様々な感情が昂ぶり、私の胸が騒々しく高鳴るのかも、なぜその書物の物語だけ、思い出すことができないのかも、私には分からない。
あの書物はお母様も大好きな物語だったはずなのに…考えてみれば、お母様があの本を捨てるはずがないのです。それなのに、どうして書庫から見つからないのか。一体、何処にいってしまったのか。
――そう、なのです。どんな物語が書かれていたのかは、思い出せないのです。
でも、一つだけ確かなことがございます。
あの書物さえ発見できれば、そこに記された物語を読むことができれば、きっと全てが色彩を取り戻すせる、そう思うのです。物語も、旋律も、心も、風景も、再び世界の全てが輝き始めるはず…そう思えて仕方がないのです。
それは予感というより、もっとはっきりとした明確なものです」
クラムシェルのこの言葉に、フォルスネイムは次のような質問を投げかけている。
「内容が思い出せないというその行方不明の書物ですが、既に読んだことある物語の中にはなかったのですか? 見た目の記憶は思い違いで、その物語には既に出会っている、ということはないのですか? もしも物語そのものを思い出せていないのだとしたら、既にその物語を読んでいても、気付いていない、という可能性もあるのでは?」
この最もと思える問いに対し、クラムシェルは躊躇なく断言している。
「それは、絶対にありえないことです。お話ししたでしょう。本の装丁まで、はっきりと鮮明に覚えている、と。分厚い書物で、深緑に近い青色の書物だった。金色の縁取りがされていて、それだけで一個の芸術作品のような、美しい書物だった。
こんなにも鮮明に覚えているのだから、見れば分かるはず。今まで、あの書物に出合ったことはない」
医師はその題名についても言及している。その表紙に、本の背に、なんと記されていたのか、と。書物のタイトル、その作家名に関しても質問を投げ掛けている。
「題名、ですか…そう、背表紙には、何も記されていなかった。ええ、タイトルのようなものは記されていなかったわ。嘘じゃない、忘れてしまったのじゃない、その書物に、題は記されていなかったのです。
そう…ですね。考えてみると、おかしいかも知れません。題名のない物語なんて。
でも、きっと外装の箱に記されてあったのではないでしょうか。その箱そのものは見た記憶はないのだけれど。或いはお母様が特注で装丁家に依頼して制作した書物だったのかもしれない。
いいえ、そうよ、分かったわ。あの装丁、あの書物は、お母様の作品の一つだったのよ。だってあの書物の色、あの青はお母様のもの。お母様しか出せない、他の誰も再現できない『セイレンブルー』その色だった。あの書物は、お母様が装丁をした作品だったのよ」
また、クラムシェルは次のような証言も残している。
「それに、その物語を既に読んでいるということは、絶対にあり得ません。なぜなら、読めば、分かるはずなのです。ええ、内容は覚えてはいないけれど、確信しています。その物語を読めば、その物語だと、私には間違いなく分かるはずなのです。
だって実は、私はあの書物の物語をずっと探し続けていたのですから。そして他のどの本を読んでも、たとえその物語がどんなに素晴らしいものであっても、あの一冊に記された物語ではないことだけは、はっきりと分かったのです。どんなに素敵な物語も、素晴らしい物語も、あの書物に記されていたものとは違うものでした。確かに思い出すことはできないけれど、違うものであることだけは、確信できるのです。私が無数の物語を読み漁ってきたのは、あの物語を探すためでもあったのです」
これらの証言は、医師を困惑させた。そして、その一冊の謎の書物に関して、ある事象との奇妙な共通点を見出し、こう質問している。
「それはまるで、どうしても思い出すことができない、お嬢様の名、そして人魚姫という物語への違和感と同じではないですか。
どんな名も、お嬢様はしっくりこない、そうおっしゃいました。これではない、違うことだけはわかる、と。人魚姫の物語も同様。こんなお話ではないと思えて仕方がない、でも本当の話の内容は思い出せない。正しい答えが分からないのに、間違っていることだけは分かる…まるで同じ現象だ。それに関しては、ご自身ではどうお考えですか」
対してクラムシェルはこう答えている。
「…確かに、言われてみればそうなのです。思い出せない私の名、人魚姫の物語への違和感、似たようなことが起こっている。どうしてなのか…それはまだ、私にも分からない。
でも、最近、あの悪夢として蘇っていた人魚姫の物語について、こう思うようになったのよ。行方不明の青い書物、あの中に、異なる人魚姫の物語が入っていたのではないか、と。思い出そうとすると悪夢に見るほどに恐ろしい、トラウマになるほどの物語。それはきっと、あの青い書物の中の物語の一部だったではないか――と。
そう、あの分厚い書物は、短編集か何かだったのかもしれない。その一部が、あの恐ろしい人魚姫の物語だった。怖がり、泣き叫ぶ私を見て、お母様は人魚姫の物語を語るのを諦めてしまった。そして次の物語へと話を進めてしまったのではないかしら。ええ、きっとそうよ。思い出そうとすると様々な感情が湧き上がるのは、あの本が無数の物語によって構成されていたからかもしれない。
そしてもう一つ。最近、気付いたことがあるのです。私は人名事典を読みながら、そこに記された無数の名を、自分に当てはめてみました。一つ一つ、その名でお母様から呼ばれたのかどうか、お母様の声を思い出しながら、想像してみたのです。でも、この名は絶対に違う、そんな確信だけが幾度となく繰り返されました。
よくよく考えてみれば、ありきたりな名をお母様が付けるはずがないのです。お母様は芸術家だった。それもこの世に二人といない、天才だった。そのお母様が、凡百の名を、最愛の娘である私につけるはずがないのです。お母様は私のことを愛していくれていた。何よりも、誰よりも、私を優先してくれていた。そう考えると、きっとお母様は私に、この世に二つとない名を与えてくれようとしていたはずです。あの人名事典は、私が屋敷から持ち出す前から、既に古びてしまっていた。それはお母様が読み込んでいたからに違いない。でも、恐らくではありますが、あの中から名を選び出そうとしたのではない。
お母様があの人名辞典を読み込んでいたのは、私に付けようと考えた名が、既に使われていないかを確かめるためだったのではないでしょうか。
お母様が付けてくれた私の名は、きっと、他の誰の名とも違う、この世にたった一つだけしかない名だったはずなのです。だからどんな名を読んでも、耳にしても、声に出しても、私のものとは思えないのです。当然です。きっとお母様は、まだ誰にも付けられていない特別な名を選んでくれたはずなのですから。
私も考えてみたのです。どうしてこんなにも、あの書物を読みたくなるのか。他の本への興味が消えうせてしまったのに、あの本だけが気になるのか、ずっと考え続けていた。
そしてこの間、ついに思い出したのです。
いいえ、本の内容じゃない。その本を読み聞かせてくれていた、お母様との会話を、美しい絵画に描かれたような一枚のシーンを。
お母様はあの青い書物を開き、物語を読み聞かせてくれた。私を楽しませてくれた。そうして、お母様自身も楽しんでいた。一緒に泣いて、笑って、怒って、怖がった。私はそれを見ていた。お母様は素晴らしい語り手だった。
私は尋ねたことがあるのです。恐らく、あの書物を初めて私の前に持って現れたときのことだと思います。とても遠い記憶ですから、私はずいぶんと幼かったはずです。。
私はこうお母様にお尋ねしたのです。
『これは誰が主人公なの? どんなお話なの』
そう、確か、私はそう訊いたのです。初めて見る新しい書物。それまでの本とはずいぶん違う、分厚く、大人びた、美しい青色の書物。私は物語が始まる前から、その書物の持つ雰囲気に惹かれていました。そして胸を高鳴らせながら、そう尋ねたのです。お母様はそんな私を優しく微笑みながら見つめると、こう仰ったのです。
『それはね、あなた自身よ…』
お母様はそう話し始めたのです。
『ここには、あなたの物語が記されているのよ。この本だけではない。ありとあらゆる物語、その主人公はあなたなのよ。この世の全ては、あなたという主人公のために存在する。あなたを語り、あなたを奏で、あなたを象り、あなたを演じ、あなたを描き、あなたを飾り立てるための装飾なのよ。あなた以外は脇役、小道具に過ぎない。この書物もそう。この本には、あなたについて記されている。この書物は、あなたの物語なの。すべての物語は、あなた自身について、書かれているのよ――』
なぜそのようなことをお母様が話したのかは、幼い時分の私には、当然分かりませんでした。先日、このシーンを思い出してからも、しばらくはその意味が理解できなかった。でも、お母様の物語に一喜一憂していた自分を思い出そうとする内に、何となくお母様の伝えたかったことが分かってきたのです。
――物語とは、その主人公はいつも読み手である、ということ。
そしてすべての物語は、それを読む人によって、物語そのものの意味も、感動も、世界すら変わってしまうということ。それはつまり、物語の主人公はそれを読む『私自身』であり、物語はそれを受け取る『私自身』に関して書かれている、ということになる。お母様は、幼い自分に、そのことを教えたかったのではないでしょうか。
本当にあの本に、私自身の物語が、私の名が書かれているなんて、思ってはいない。でも、あの書物を見つけ出すことができれば、あの物語さえ読むことができれば、きっと私は失ってしまった自分の名にたどり着ける、そう確信しているのです」
この失われた書物に関するクラムシェルの証言は、数多の記録の中でも、最も重要な台詞の一つである。また、それを語ったこのシーンは、数多の情景の中でも、一際鮮烈な印象を残す場面であり、想像を掻き立てずにはいられない、名シーンだといっていいだろう。
このシーンの時点で、クラムシェルは思い込んでいる。その書物を読めば、名を取り戻すことができる、と。自らの心を蝕む虚無、それを貫く一筋の光として、見つけ出す前から信じているのである。その心持ちもまた、想像するに余りある情感を湛えている。クラムシェルは祈るように、縋りつくように、その一冊の書物に、希望を託しているのである。
医師とセレスタインも、その様子を印象深い台詞で表現している。
「他のあらゆるものへの興味を失っていく中で、その青い書物だけがクラムシェルの心の支えとなっていた。その存在に縋り付くように、白亜邸中をひっくり返し、血眼になって探し出そうとしていた」
クラムシェルはそれから、かつて暮らしていた白亜邸に入り浸り、記憶に残された書物を探すようになった。書庫の書物を一冊ずつ引き抜き、箱入りの書物なども念入りに引き出して、中身を確かめていったのである。
セレスタインは、この当時、既にその青い書物が屋敷の残されているとは考えていない。ただ、何かに憑かれたように書物を探し続けるクラムシェルを心配し、半ば諦めさせようとして、こう発言している。
「もしかすると、既に捨ててしまったのかもしれないのよ。あなたもそう言っていたじゃない。幼い頃に読み聞かされていたものでしょう。この屋敷には、その青い書物も、ここにはもうないのではないかしら」
この台詞が切っ掛けとなった会話で、クラムシェルはまた一つ、重要な過去を思い出している。以下の会話は、先の場面に続く重要なシーンである。
「ええ、私も以前はそう思っていたわ。そう思って、諦めていた。でも考えてみると、そんなはずがないのよ。お母様が、あの書物を捨てるはずがない」
「どうして、そう思うの?」
「だって、あれは大切な書物なのだから。私だけじゃなく、お母様にとっても、大事な書物だったのですもの。他の絵本や物語は捨てたとしても、あの本だけは、お母様が捨てるはずがないのよ」
「お母様が大切にしていた本だと、なぜ分かるの?」
「…だってあの本は、お母様にとって他の本とは違う、特別なものだった」
「一体何が、どう違ったの?」
「それは…あの書物だけは、何度も、何度も、読んでいた。私の前で、繰り返し、読み聞かせてくれていたもの。そうよ。お母様はいつもあの本を読んでいたの。他の本では、あんな表情は見せなかった。他の何をしていても、お母様は恐ろしかった。絵を描いているときも、楽器を弾いているときも、彫刻を作っているときも、怖い、冷たい顔をしていた。あの本を読んでいるときだけ、喜んだり、笑ったり、泣いたり、怒ったりしていた。何度繰り返しても、お母様はあの本を読んでいるときだけは、感情を自在に、存分に表現していた。あの書物を読んでいるときだけは、お母様の虚ろな心は、息を吹き返していた。
そうだった。何かを思い出せそう…いいえ、思い出したわ。
あの本の題名を、私は尋ねたのよ。
『これは、何というご本なの』
そう恐る恐る、小さな声で、話しかけたの。機嫌がよさそうなときを見計らって。怯えながら、話しかけたの。
お母様は満面の笑みを浮かべて、私にこういったのよ。
『この物語の名は、あなたの名前なのよ』
そう、思い出したわ。お母様は確かに、そう言ったわ。そして、こう続けたのよ。
『あなたの名は、この物語からとったの。書物の名はあなたの名なのよ』
そうなのよ。あの書物の題名は、私の名なの。あの書物の主人公から、私の名は付けられたのよ。だから、あの本さえ見つかれば、きっと私は名を取り戻すわ。そうすれば、今のこの、すべてが虚ろに色あせてしまった世界から抜け出すことができるはず。
だからどうしても、あの書物を見つけ出さなければならないのよ。
お母様は私を愛してくれていた。いつも、私のことだけを考えて、私だけを見てくれていた。そんなお母様が、私の名をとったあの書物を、捨ててしまうはずがない。私の名をつけたあの書物を、燃やしてしまうはずがない。あの本は特別な本だった。この世に一冊しかない本だった。だから他の本と違って、見つからないような場所に隠していたのよ。だって、私も探したのだもの。お母様から隠れて、あの本を読みたくて、必死に書庫を漁ったわ。でも見つからなかった。
そう、お母様は、あの本を隠していた。だからきっと、何処かに隠されているはずなの」
この記憶を取り戻して後、クラムシェルは必死になって本を探すようになった。書庫の本を調べ尽くしても、もう一度最初から一本一本書棚を見直し、何処かに紛れていないか、隠されていないかを念入りに調べていった。やがて美しく並んでいた書物を乱雑に床に引っ張り出し、積み上げると、本の海の中でもがく様に本を漁りはじめた。何度も全ての書物を確認したにも関わらず、崩れて山のように積み上げられた書物から気の向くままに一冊ずつ引っ張り出しては、あたり構わず放り投げるということを繰り返すようになった。気が付けば同じ本を何度も繰り返し手にしているというのに、クラムシェルはその行為をやめようとしなかった。そのことを付き添いのセレスタインやオブシディアンが諫めても、耳を貸そうとはしなかった。常軌を逸している状態であった。やがて探索範囲は書庫から広がり、部屋という部屋の棚という棚を片っ端から開け放ち、入っているものをひっくり返していった。足の踏み場もないほどに散らかっていく屋敷で、クラムシェルは泳ぎ回るようにして探し続けた。
その手が付けられない様子に、心配して邸宅に付き添っていたセレスタイン、オブシディアン、フォルスネイムは、散らかっていく部屋や品々を片付けながらクラムシェルの後を付いて回るようになっていた。彼女らはクラムシェルに、一緒にその青い装丁の書物を探して欲しいと頼まれていたのだが、誰一人として本気で探そうとしたものはいなかった。既に皆、そのような本などあるはずがないと確信していたのだ。
そんな日々が十日も過ぎたが、周囲の予想通り書物は見つからなかった。
そんな中で、あの悲劇は起こるのである。
次に記すのは、事件当日に関するセレスタインの回想であり、彼女が病室で捜査官に話した証言と、クラムシェルの病に人魚姫症候群という名が与えられるまでの経緯である。
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