3章  色のない世界 Ⅰ 架空の人名辞典 ①

 悪夢から解き放たれ、修道院での日々を謳歌していたクラムシェルが、再び心の病に罹るのは三年時も半ばを終えた頃であった。それは悪夢とは異なる、また別の症状群である。

 異変は少しずつ、クラムシェルの心を蝕んでいる。まず、その自信に満ち溢れた表情が、日が翳るように少しずつ暗くなっていった。それと共に、翅を存分に広げたような豁達さ、快活さ、積極性も失われていった。意欲や気力、というものが減退していったのである。

 それら症状群の初期段階で、医師に吐露されたクラムシェル自身の言葉は、このようなものである。

 「どうも近頃、頭に靄がかかったような思いがするのです。そして、周囲への関心が薄れているような気がするのです。代わりに、たった一つの疑問が、頭から離れない。

 自分が、誰であるのか。

 色々なものへの関心が薄れていく一方で、いつのまにか、そのことだけを考えてしまっている。それは、私が未だにかつてお母様に呼ばれていた名を思い出せていないことに起因していると思います。このクラムシェルという名、この名で呼ばれてきて、不便をしたことなどない。分かっているのです。名前など、ただの記号に過ぎない。私の表層を撫でるだけのもので、本質とは全く異なるものでしかない。それは理解しているのです。でも、なぜか最近、その名が私を悩ませるのです。

 クラムシェルという名が、自分の名だという実感が、まるで沸かない。

 以前はそのようなことなど考えやしなかった。意識にも、上らなかった。それなのに最近、気になってしまうのです。いえ、頭にこびりついて離れないのです。確かな違和感が。

 それは私の名ではない、と。

 どんなにクラムシェルという名で呼ばれても、その名を自分の声で口ずさみ、文字にして記してみても、その名で他人から語られても、それはまるで別人の物語のようにしか思えない。ピンとこない、しっくりこない…ああ、何と言えばいいでしょう。

 そう、クラムシェルという名が、どうしても自分の名だと思えなくなっているのです。

 かつて自らで選んだ、クラムシェルという名。それが他人のものとしか思えない。これは比喩でもなんでもないのです。近頃、クラムシェル様と呼ばれても、反応ができない。自分が呼ばれているのだと、気付かないのです。クラムシェルが自分のことだと、意識が認識しない。何度か呼びかけられて、ふと、それが自分のことだと思い出すほどです。

 ええ、大げさにお話ししている訳ではございません。つい先日など、私について書かれた学内新聞やファン倶楽部の会報での記事、クラムシェル様は――こう始まる記事を読みながら、一体誰のことなのだろう…そんなことを考えていたのです。クラムシェルが我が名であり、そこに記されているのが自分のことだとしばらくしてから気付いたとき、私は恐ろしくなりました。

 私は私がわからなくなっている。私を失ってしまおうとしている。以前のように、再び。

 そして再び気になり始めたのです。忘れてしまった名が、お母様が授けてくれた名が。

 最近では、気が付いたときには考え続けてしまっているのです。

 私の真実の名は、何だったのだろう。お母様はどんな名を私に授けてくれたのだろう、お母様は私を、いったい何と呼んでくれていたのだろうか、と。

 思い出せそうで、どうしても思い出せない。覚えがございますでしょう。物の名を度忘れしてしまったことが。ご存知でしょう。あの、喉まで出掛かっているもどかしい感覚を。

 でも、その名を一度耳にすれば、たった一度でいい、その名を聴くことができれば、きっと私は思い出すことができるはず。そう思うのです。きっとその名を聞いた瞬間、直感的にそれだ、そう確信できるという、はっきりとしてイメージがあるのです。

 そう、確信に等しい予感があるのです。

 それは自分にピッタリの名であったはず。一度思い出せば、それ以外考えられなくなる、他のあらゆる名を全て偽りだと気付かせてくれる、鮮明な、唯一つの、自分だけの名だと。

 実は私はこの頃、図書館で、修道院の卒業生の名簿や各国の人名事典を延々と眺めながら、自分の名を探しているのです。一つ一つ、そこに記された名を、自分の舌で転がしながら、これは違う、これも違う、これはピタリとこない、これも間違いなく私の名ではない…そんなことを考えながら、忘れてしまった本当の名を探し続けているのです」


 過去の記憶を、切れ切れとはいえ、その多くを思い出したクラムシェルだったが、この時点でも、未だに自分の名を思い出せていなかった。だが、このような症状が出るまでは、クラムシェル自身は、そのことを別段気にかけずに暮らしていたのである。クラムシェルというかつて自ら選び取った名を、何の疑いも、違和感も持たずに使用し、己のものだと認識していたのである。

 それが、三年時も半ばを過ぎてから、自分の本当の名が気になって仕方がない、そんな精神状態に陥ってしまうのである。

 その理由について、フォルスネイムはこう記している。

 「これは心理学的に見れば、思春期における新しい自我の目覚め、事故の喪失と探索に起因する精神疾患の一種だと思われる。この時代の少女には誰にも起こりうるものであり、さほど珍しいものではない。ただクラムシェル様は、自分の名を思い出せないという他の誰にもない奇妙なバックグラウンドがあった。そういった特殊な状況がもたらした、特異な症状だと考えられる」

 また、なぜクラムシェルが、いつまでも自分の名を思い出せないのか、という点に関して、フォルスネイムは脳外科医との話し合いの末、自分に都合のよい見解を出している。

 「己の名を司る部位だけが傷つき、麻痺し、死滅しているのではないか。或いは、己の名を記憶している部位への神経が断裂しているのではないか」

 このあやふやな視座からも分かるが、脳とは複雑で未知なる器官であるゆえに、脳神経科の専門医であっても、「あくまで推測の域を出ない」程度のことしか分からないのである。

 記憶を取り戻していたこの時点でも、クラムシェルの名に関しては、どうすれば思い出すことができるのか、何が切っ掛けで思いせるのか、それとも一生思い出す可能性がないのか、入院時と同様に全く分からず、その糸口さえも見つかっていなかったのである。

 この点で医師達の無能ぶりは際立っているものの、彼らがカルテに記録しているように、

 「思春期特有の、自己という不可解なものへの疑念。本当の私、という不確かなものを希求する自我の発露」

 これがクラムシェルの精神を新たなステージへと押し上げたことは間違いないであろう。

 それから程なくして、クラムシェルの症状は更に悪化する。「己の名への違和感」の次に訪れた、やはり名前のないその症状を一言で評するなら、「興味の喪失」であり、これは入院初期の症状と同じものである。その症状を、クラムシェルはこう表現している。

 「あれだけ夢中になっていた、私を虜にしていた物語や音楽が、いつの頃からか、私の心に響かなくなっているのです。どんな本を読んでも、どんな音楽を聴いても、どんな絵画を鑑賞しても。あれだけ私の感情を揺さぶっていたもの――陶酔するような美しい風景画、琴線を震わせていた旋律、胸をときめかせていた物語…それらの一切が、何ら私の心をとらえなくなっていくのです。

 それだけではない。自分がそれらの物語や旋律に心を躍らせたこと、感情を掻き立てられたこと、その事実ははっきりと覚えているのに、その理由が、今ではわからなくなっているのです。なぜ、それらの物語に心を躍らせたのか、どうして、旋律が心を揺さぶったのか、どうやってうっとりと風景画を眺めていたのか、そのときの気持ちが、思い出せなくなってしまっているのです。もう一度その時の気持ちを蘇らせようとしても、できなくなっているのです」

 クラムシェルはこの発言の前後から、物事への関心というものを失っていった。再び万事に対して無気力になり、学問や芸術、そして世界や他者そのものに対しての興味を失っていったのである。その実に興味深い様子を、クラムシェル自身の幾つかの台詞から、時系列順に抜粋して見てみよう。

 「かつて、あれだけ私の心を躍らせた書物の数々…それが今では、物語が単なる文字の羅列だとしか感じられなくなってしまった。頭では理解しているのです。一文字一文字が列なって名を作り、文章をなし、物語を紡いでいることを。でも、心が反応しないのです。今の私には、文字は意味を失った記号でしかない。奇妙なできそこないの模様にしか見えないのです」

 「かつての私は、初めて見る楽譜でも、音を頭の中で組み上げ、旋律を奏でることができた。それだけでも、胸をときめかせることができた。それが今では、その音符が音を発しないのです。音を響かせないのです。実際に旋律を耳にしても、一音一音が、ばらばらの音の寄せ集め、いえ、騒々しい騒音にしか聞えなくなってしまったのです」

 「一日一日と、風景が色を失っていく、色あせていくのです。色だけではない。音も、匂いも、味も、言葉も、世界の持つ実体、その実感といったものが、剥がれ落ちていくのです。残されるのは、ペンキが剥げた後の無地の下地。あらゆる意味を喪失した、真っ白な影のような世界なのです。

 でも、分かってはいるのです。頭で理解してはいるのです。色褪せたのは、世界ではない。私の心が、褪せてしまったのだと」 

 「今では、私はもはや何にも興味が持てない。意味を見出せない。風景にも旋律にも、物語にも、想い出にも。何の感情も湧き上がって来ない。私自身が、まるでこの世のものではないような、ふわふわとして重みも形も質感も色彩もない、不確かな存在にしか感じられないのです」

 「そう、一度は思い出したはずの、お母様との記憶。反芻するだけで幸福な気分になれた、素敵な想い出の数々。それらもいつのまにか、自分のものとは思えなくなっているのです。忘れていくのとは違うのです。私ではない、誰か他の人間の記憶、どこかで読んだ味気ない架空の物語のように思えてならないのです」

 「おかしなことを言っていることは自覚しています。でも、思えてならないのです。わたしはそもそも、この世界の住人ではないのではないか、と。あの浜辺に打ち上げられたときに、時空を隔てた別の世界から紛れ込んだ、異質な存在なのではないか、と。実はこの世の人間でさえなく、物語の中にしか登場しない、架空の人物なのではないか。ひょっとすると、今も誰かが読んでいる、一冊の物語の登場人物の一人ではないのか、そんな気さえしてくるのです。馬鹿げていることを言っていると理解してはいます。それでも、そう思えて仕方がなくなるのです」

 「そう、つまり――私の周囲から、美が、失われてしまったのです」


 こういった発言を繰り返したクラムシェルは、次第に口数も減り、塞ぎこむようになり、修道院にも通わなくなっていく。周囲が何を言っても、何をしても、反応は薄かった。部屋に閉じこもり、殆ど何もせず過ごすようになった。ただその傍らに、一冊の書物を置いていた。その書物は、白亜邸に所蔵されていた人名事典であった。タイトルは、『架空世界人名事典』という書物である。それは、古今東西の著名な小説、物語の中に登場する、架空の人間たち――彼らの名が網羅された書物である。それまでクラムシェルにも、精神科医たちにも見向きもされなかったのは、この書物がその性格上、クラムシェルに読み聞かせるためのものではなく、セイレンの趣味であり、コレクションとして所蔵してあったのだと考えられたからである。

 クラムシェルはそれを一日中眺めていたのだ。虚ろな表情でその書物を読み、記された名を、ぼそぼそと一つずつ舌の上で転がしては、これじゃない、そう呟いていたのである。

 この行為に関してフォルスネイムに問われたクラムシェルは、こう返している。


 「だって、この本は私が暮らしたあの屋敷にあったもの、もしかするとお母様が私の名を付けるときに、この本を参考にしたかもしれないでしょう。この中のどれかの名が、私の名かもしれないでしょう」

 確かに、その書物は、白亜邸の書庫から持ち出された時点でかなり読み込まれた形跡があったのであり、クラムシェルが、母親がそれを熟読していたのではないか、そう推理した理由は理解できる。だが彼女は、その理由を決定的に勘違いしていると思われる。

 外部に興味を失い、一日中古びた人名事典を眺めていたクラムシェルに対し、当時の医師たちは何もできなかった。いかなる対話も、治療も、薬品も、何の効果ももたらせることはなかった。東洋の天岩戸伝説のごとくに、クラムシェルの興味を惹こうと芸術家や演奏家、朗読者、料理人なども召集されたが、関心を引くことさえできなかった。医師は万策尽き果て、困り果てていた。

 そんな中、色褪せた世界を僅かに照らす一筋の光明を見出したのは、悪夢の時と同様に、クラムシェル本人であった。

 ある日、再び心を失った人形に成り果て、虚ろな目で日がな一日人名事典を捲り続けていたクラムシェルが、引き篭もっていた部屋を久しぶりに出てきて、セレスタインとオブシディアンの前で依頼したのである。

 白亜邸に連れて行って欲しい、と。

 その様子は、それまでの虚ろだった目に光が宿り、焦燥感に駆られて一筋の光に縋り付くように見えたという。

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