2章 ふたつ名 Ⅴ 追想セイレン ②
それからは疎遠になり、財閥の各別荘地を転々としながら隠遁生活を送っている、ということだけを聞いておりました。数年のあいだ、他の情報は流れてきませんでした。本当に世間に、いいえ、自分自身に疲れ果てて静かに暮らしているのかも、そう思うようになっておりました。
姉様が新たな作品を発表し始めたのは、五年ほど過ぎてからです。
ええ、世に名高い、セイレンブルーを、突如として世に問うたのです。
それは幼少期の姉様をモチーフにしたものでした。
ええ、そのように信じておりました。
世間は姉様が実は隠し子を産んでいて、育てているのではないか、そう騒ぎましたが、私はそんなことないと考えておりました。先に申しました通り、医師の正式な診断書も提出されていました。
ですから、あの作品群は全て、姉様が幼かった頃の自分をテーマにしたものだと思っていたのです。描かれた幼い少女は、幼い頃の姉様に瓜二つでしたし。
しかし、そうではなかった。姉様は子を産んでいたのです。戸籍もない、名前も今だ明らかにならないあの子を。流産が嘘であったのか。或いは、また別の子を身ごもったのか、それは分かりません。ですが、あの子が、姉様の娘であることは間違いありません。私だけではない。誰にだって分かるはずです。珍しい瞳、髪、肌の色もそうですが、あんなにそっくりな子が、姉様以外の子であるわけがないのですから。
姉様は隠遁生活を送っていたあの屋敷で、一人ではなく、我が子と暮らしていた。今考えれば、流産をしたというのが嘘なら、それはマスコミや財閥関係者の監視の目を逃れるためだったのだと説明がつきます。
姉様は、秘かに子を産み、そのことを誰にも告げず、あの子を隠し、自ら理想とする教育を施していたのです。
あの屋敷での暮らしは、残された日記に詳細に記されています。
記されているのは、姉様とあの子との二人だけの暮らし、その素晴らしい日々の記録。時に長く、時に短く、詩にも等しい美麗な文章が、情感豊かに切れ切れに綴られている。
姉様があの子に施していたのは、自らが受けた帝王学とは異なる、芸術家としてのエリート教育。姉様が選んだ物語、姉様が選んだ絵画を見せ、演奏を聞かせ、ダンスを踊らせ、倣わせていた。物語を朗読させ、絵筆を握らせ、楽器を弾かせ、ステップを踏ませていた。
醜いもの、誤ったものを遠ざけ、姉様が認めた美しいもの、一流のものだけを与え、存分に触れさせていた。姉様の審美眼は辛辣で、絶対的なもの。あの子の前で、自らの選んだ作品を自らの言葉で多彩に評している。日記を読めば、己の考える美を、思想を、哲学をまだ幼い娘に伝えようとしているのが分かります。例えば姉様と幼いクラムシェルは、ある指揮者の演奏を聞かせるためだけに、ある絶景を見るためだけに、ある建築物を訪れるためだけに、ただ一枚の絵画を見るためだけに、素性を隠しての旅行を繰り返している。
姉様は、あの子を自らの選んだ美で包み込み、審美眼を育て、多彩な分野に精通する、一流の芸術家として育てようとしていたのです。
そういったことが、延々と日記には綴られておりました。愛情も、それゆえの厳しさも、独特の筆致で。それは音楽のようであり、絵画のようであり、彫刻のようであり、舞踏のようでもある。あの日記そのものが、芸術作品としての価値を絶賛されるほどです。
日記では、あの子が、姉様に負けない才能と感受性の持主であることが、丹念に描かれております。音楽、芸術、絵画、彫刻、ダンスとあらゆる方面で非凡な才を見せ、上達の早さも比類ない、と。姉様が幼少期より施した芸術教育が、あの子の中で次第に花開いていく様子が、まるで目に見えるように描かれている。
旅行先でのちょっとした出来事、娘の驚くべき反応、予想だにしない発想力。母親として、娘の成長に一喜一憂し、一日一日、些細な出来事に驚きと発見と喜びを繰り返す毎日。父親はおらずとも、そこに描かれているのは、理想としての母娘の姿です。
それだけではない。日々の暮らしの中での、些細な出来事、つつましい喜び、悲しみ、怒りや悲しみなどの感情も、美しく表現されている。果てしない海を臨む、断崖の屋敷での暮らし。日の出とともに目覚め、浜辺を散歩し、貝殻を拾い、砂浜に文字を描き、砂遊びをし、波音を聞きながら遊ぶ。真っ白な砂の上で、バスケットに入れた昼食を食べ、海の向こうを眺めながら、様々な会話を交わす。夕焼けを眺めながら家路を歩き、二人で夕食の支度をする。そのような母娘の緩やかな日常も、選び抜かれた言葉で綴られている。
それは、芸術家でもある母親の眼差しから紡ぎだされた、あまりにも美しい綴れ織り。あの日記のそのものに、後にセイレンブルーと名付けられることになる姉様の作風が、既に遺憾なく発揮されて表現されている。
ゴシップを鎮静化させるために公開、出版したその日記の一部は、各方面からの絶賛を浴び、今では翻訳されて世界中で読まれております。特に、母子家庭の母親にとっては、一種のバイブルのようになっているようです。
私としましては、そんな世間の反応は、かつてはあばずれとしてゴシップ誌を賑わせた姉様の母としての変貌ぶりが、世の女達に持てはやされただけと見えてしまいますが。
それに…実のところ、あれを日記といっていいのか。あなたもお読みになったでしょう。あの日記には日付がない。その日の出来事だけを書くのではなく、姉様の過去の思い出が入り混じり、回想されているため、時系列がはっきりとしない。ですから、日記というよりも、回想、随想録、覚え書きのようなものに近い。
そして、あまりに美しすぎる。そう、不自然なほどに。姉様を知る私からすれば、まるで別人の日記としか思えない。
いえ、言ってしまいましょう。あの日記を評価する他の芸術関係者は恐らく、私の推測に怒号と罵声を浴びせるでしょうが。
あの日記は恐らく、姉様の美化された妄想、作り変えられた現実なのです。芸術家としての姉様に都合に悪いこと、醜い部分は、意図的にそぎ落とされてしまっている。別の色彩で塗り替えられてしまっている。そして、その削ぎ落とされてしまった部分、上塗りされてしまった部分にこそ、隠された真実がある。
ええ、先に申し上げました通りです。
姉様は、あの子を虐待していたと思います。
日記には一切記されておりませんが、姉様はレッスンを施しながら、あの子に暴力を振るっていたのでしょう。
できないならば、できるようになるまで繰り返さなければならなかった、それでもできないときは、口汚い言葉によって怒られたでしょう。覚えられないのならば、覚えるまでやり続けなければならなかった。食事も、入浴も、休憩も禁じられて。それでも無理だったり、音を上げた場合、人格ごと否定するような暴言を投げつけたはずです。逆らおうものなら、容赦なく殴られたでしょう。足蹴にされ、実際に踏みつけられたはずです。
なぜ、そのようなことが分かるか、ですか?
それは、幼少の頃、私がそのような目に遭っていたからです。
私は幼い頃、姉様のお気に入りの玩具だった。ですが、飽きられ、呆れられた挙句に、捨てられたのです。恐らく姉様は、私にしたことを、我が娘にも行ったのでしょう。
詳しくは申しません。思い出したいことではございませんので。
恐らく姉様はあの子を罵倒し、手を上げ、人格を否定していたはず。外では、そして他人には、そういった所を見せることはなかったでしょう。私にやっていた頃と同じように。日記にもそういった記述は一切ない。ですが、あの人はそういう人なのです。病的な完璧主義者で、失敗を認めない。失敗を見せようとしない。自分に対しても、他人に対しても。作品として完成品だけを完璧に仕上げて、人前に披露する。それに至った努力も、失敗も、苦しみも、一切を隠したままで。あの日記も、恐らくはその類のものなのです。
暴力のことも、罵倒の言葉も、恐らくはあの子がレッスンを嫌がったことも、泣き叫んだことも、逃げ出そうとしたことも、日記には記されていなかった。
あの日記に綴られているのは、理想の芸術教育を施す母と、それを享受する娘の、美しく睦まじい姿、情景です。
そうです。あの日記も、姉様の作品の一つなのです。
自分に都合のいいように美化され、醜い部分は削り取られ、妄想によって磨き上げられた、架空の物語なのです。もしかすると姉様は――自分が虐待したことなど、一切記憶していなかったのかもしれない。姉様にとって、あの日記に記されていたことこそ、自らの都合の良いように磨き上げられた、確かな現実であったのかもしれない。
証拠があるわけではない。ですが、私は確信しています。
日記から削ぎ落された虐待の過去こそが、悪夢の正体である、と。
はなして、ママ――この台詞は、確かに手を引っ張って引き摺られていくシーンにも当て嵌まるものです。ですが、私にはそれだけではないように思えるのです。芸術家としてエリート教育を施されながら、一方では虐待されていたあの子は、母親の所有物、人形のように扱われていたのでしょう。あの子は恐らく、母親の手を逃れたかった。そうとも取れるのではないでしょうか。
そう、あの子は、自由を求めていた。かつて、姉様の支配下にあった私が、切実にその呪縛からの解放を、自由を求めていたように。あの子は、姉様の手から解き放たれて、自由になることを夢見ていた。私には、そう思えて仕方がないのです。ええ、これはもちろん、想像でしかない。思い込みだと言われても、証明する証拠はない。ですが…
あなたもご存知でしょう。あの、姉様のセイレンブルーの代表作。セイレンブルーとは、芸術関係者が姉様の後期の作品群の特徴として冠した言葉でありますが、そのシリーズの第一作の、姿を隠していた姉様が、突如として世に問うたあの作品を。
それは、あの子を人魚に見立て、浜辺で海を眺める情景を描いたもの。
姉様は絵画作品において、海の描き方、色使い、その表現で殻を破ったとされています。あの青色は、かつて存在しない新しい色だった。そして今も、誰一人としてあの青を描き出せたものはいないそうですね。化学者としても優秀であった姉様が、あの青を出すためにどのような薬品を使ったのか、未だに解明されていない、と。その青で描かれた海と、その海を眺める人魚の構図。海を瞳に映した少女の眼差し、表情。それらが、あの絵画の特徴だとされています。その作品を皮切りに、眼差しと海、この二つがセイレンブルーという姉様の作品の代名詞となった。
私は、あれらの作品に描かれている少女が海を眺める眼差し、その表情を見ながら、幼い頃の私を思い出さずにはいられませんでした。
芸術評論家たちとは全く異なる解釈でしょうが、あの眼差しは、自由を切望してやまない、しかし自由になることができないものの眼差し。そこに宿るのは、広大な海を前に、いつかその海へと泳ぎ出ることを夢見るものの光。一方で、不自由で不慣れな尾鰭を模した足で、地上に縛り付けられている――そんな哀しみを帯びた輝きを、あの少女の瞳は宿しているように、私には思えるのです…。
――ええ、そうです。間違いなく、姉様はあの子を虐待したはずです。
そしてもう一つ、あなたが気付いていないことがあります。
それは、あの子がその虐待の記憶を既に思い出している、ということです。
思い出していながら、それを得体の知れない悪夢だと、嘘を吐いているのではないでしょうか。
いや…嘘、とは少し表現が違ったかもしれません。あの子は虐待された記憶を、悪夢でみるほどに思い出している。しかし、それを認めたくはないのです。それが現実だと、それが母親の真実の姿だと、思いたくないのです。
あの子は、確かに一度、事故によって記憶を失ってしまった。その後、日記に記された幸福な過去を、真実だと思い込むようになった。そこには虐待のことなど記されていなかった。様々な出来事が、美しく描写されたシーンとして記されていた。恐らく最初の頃は、そこに記されていることが、自分の過去だとは思えなかったでしょう。
あの子は少しずつよみがえり始めた記憶を、あの日記と結びつけながら、想像力によって再構築していったのです。やがて、あの日記を現実のものとして、思い込むようになった。それが一度は記憶を失い、自分が誰かも分からなくなったのあの子の自我の発露であり、空虚な心の支えだったのです。
しかし、あの日記は姉様によって美化されたもの。実際は虐待を受けていたのです。それが、悪夢となってあの子を苛んでいるのです。そのことに気付きながら嘘を吐き続けているのは、虐待の事実を認めたくないからに他なりません。日記に記された理想的な母娘像、それをあの子は必死に守っているのです。だからこそ、悪夢として現れる母による虐待の記憶を、誰にも明かそうとしない。あの子は虐待の記憶を、現実ではなく悪い夢だと、そう思い込もうとしているのではないでしょうか。
これが、私の推察です。姉様の虐待の可能性を黙っていた件に関しては、申し訳ございません。ですが、私には未だに分からないのです。このことを、本当にあなたに話してよかったのかも。私の胸の内に秘めておくべきであったのではないか、と。いいえ、財閥の面子な醜聞などを気にしてのことではない。
あの子にとって、どちらがよいのか、私には分からないのです。あの子に、虐待の記憶は悪夢などではなく現実であると認めさせた上で、乗り越えさせるべきなのか。それとも、もう一度、悪夢は悪夢として永遠に記憶の奥底に沈めてしまい、あの日記に描かれた理想の母親像を壊さぬよう、過去を書き換えるべきなのか。
以前は、思い出さないのであれば、そのまま虐待の記憶を封印してしまうべきだ、そう考えておりました。しかし、今では悪夢は抑えきれないまでに鮮明になり、あの子の現実を侵食し始めている。もはや悪夢を封じることができないのであるならば、いっそあの子に真実を伝えてやるべきなのではないか。そうして過去を乗り越えることにこそ、あの子にとって大切な意味があるのではないか。最近ではそう考えるようになったのです――。
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