2章 ふたつ名 Ⅳ 破裂する泡 ②
この事実を突き止めたセレスタインは、フォルスネイムと共にクラムシェルに問い正している。まずこの事実が発覚したことを告げ、なぜ人魚姫の物語を何度も、しかも何種類も借り出しているのか、と。
クラムシェルはうろたえる様子も、悪びれる様子も見せなかった。ただ淡々と、こう告白している。
「どうしても、人魚姫の物語が読みたくなってしまうのです。あの本は、いいえ、あの物語には、魔力がある。叔母様に手渡され、初めてあの物語と出会ったときから、いいえ、きっともっと昔から、私はあの物語の持つ魔力に魅入られてしまっているのです。
あの物語は、不思議な力を放っているのです。私の心を、気持ちを、魂を、記憶をざわつかせて止まない。他の物語では決して味わえない、他の物語では感じることができない、上手く言葉にすることができない、奇妙な気持ちにさせるのです。
だから、ときどき、どうしても読みたくなる、読まずにはいられなくなるのです。手元になければ、いてもたっていられない、落ち着かない気持ちになる。でも、おかしなことに借り出した本を読もうとすると、今度は恐ろしくて本を開くことができないのです。何が恐ろしいのか、それは私にも分からないですけれど。読みたいのに、読みたくない。手元になければ落ち着かないのに、手元にあれば、不安にかられてしまう。そのような葛藤を経て、ようやく最初のページを捲ることができるのです。私はそんな気持ちを味わいたくて、あの本を繰り返し借り出し、買い込んでしまうのです。
ええ、無論、分かっているのです。どのような話なのか、どのような展開になるのか。書物は違えど、絵も言語も違えど、内容は同じ。それでも私は一枚一枚、胸をざわつかせながら、ゆっくりと読んでしまう。読まずにはいられない、ページを捲らずにはいられないのです。
なぜかは分かりませんが、今度は違う展開が待っているのではないか、違う結末が描かれているのではないか、そんな気がしてならないのです。
そうして読み終えると、変わらぬ展開、同じ結末に、私はほっとします、しかしその一方で、がっかりもしているのです。また同じ結末か、と。
そして私にはいつも、大きな違和感…焦燥感のようなものが残るのです。
人魚姫は、こんな物語じゃない。私の知っていた、私のお聴きした、私の読みたかった、本当の人魚姫は、こんなお話しではなかったはずだ、と。
読み終えた後、私はその本を手元に置いておきたいと感じます。それなのに、遠ざけたくて仕方がない気持ちもあるのです。人魚姫の物語のことを考えると、安心する一方で、言い知れない不安にかられるのです。
私の中で、二つの相反する感情が鬩ぎあい、心を二つに引き裂いてしまいそうになる。
最初は自分でも分からなかった。なぜ、こんなに何度も物語を借り出してしまうのか。でもふと気付いたのです。恐らく私は、あの心が引き裂かれそうな感覚そのものを味わいたくて、あの書物を手に入れずにはいられないのです。
そうなのです。他の物語では、あの感じは味わえない。あの気持ちは湧き上がってこない。ワクワクやどきどきといった、単純なものではない。言葉にすることなどできない気持ちに、あの物語はさせる。それが味わいたくて、私は何度もあの物語を読んでしまうのです。ええ、最初は図書館でした。図書館の人魚姫を読み尽し、色々な版元から違う形で人魚姫が出版されていることを知ってからは、街の書店も巡って探すようになりました。それからは、店主に言って違うバージョンの物語を探して取り寄せてもらうようにしておりました。読みたくなる気持ちを、抑えることができなかった。どうしても読みたいといういう思いが、泡のように湧き上がってくるからです。
読み終えた夜には、決まって白い悪夢を見ました。
ええそうです。気付いておりました。人魚姫の物語が、悪夢の切っ掛けであることは。
だから、手元においておくのが恐ろしくなり、すぐに返却していたのです。でも、どういう訳か、再び読みたくなるのです。数ヶ月一度、多いときでは一ヶ月に一度、借りては悪夢に苛まされ、そして恐ろしくなって返却するということを何度も繰り返していました。そうせずにはいられなかった。悪夢を見ると分かっていても…悪夢なんてもう見たくはないのに、それなのに、どうしても読まずにはいられなかったのです――」
この証言を受けて、二人は尋ねている。
では、集めた人魚姫の物語はどこにあるのか、と。
図書館から返却の催促が来ているように、数冊の人魚姫が返却されていない。いや、そもそも書店で買い集めていたという人魚姫が、クラムシェルの書棚には見当たらなかったのだ。図書館の本は返却すれば手元からはなくなるが、買い求めたものに関してはそうはいかない。二人はそのことを問いただしたのだ。
集めた大量の人魚姫の書物は、いったいどこに隠しているのですか。日記を保管している金庫にでも入っているのですか。
その問いに対する答えは、二人を更に驚かせた。
――燃やしてしまいました。
そうクラムシェルは告白しているのである。
「――こっそりと、焼却炉に他のごみに紛れ込ませたり、部屋の暖炉に放り込んだりして、燃やして差し上げました。
なぜ? だって、そうしなければ、安心できないのです。手元にあれば、どうしても読みたくなる。読むのが恐ろしいにも関わらず、我慢ができないのです。読めば悪夢に魘されると分かっているのに。読まずにはいられないのです。図書館で借りた本は、返却してしまえばよかった。でも贖った本は違います。返却する場所がない。でも手元にあれば、抑えられない思いに駆られてしまう。
私に残された選択肢は、燃やすことしかなかったのです。捨てるだけでは、安心できなかった、遠ざけるだけでは、落ち着かなかった。読まずにはいられないのと同様に、燃やさずにはいられなかったのです」
この告白で医師が注目しているのは、読まずにはいられなかった、という点。そして、なぜ燃やさなければならなかったのか、という点である。なぜ、燃やす、という必要性があったのか、そこに目を付けているのは、当然だといっていい。
また、これは推測であるが、この告白をした時点では、クラムシェル自身にも、この発言の重要性、その意味するところは分かっていなかったと考えられる。
クラムシェルにとって「人魚姫」を「燃やす」という行為自体が、何らかの大きな意味を持っているのではないか、そう推察した医師は、率直に尋ね返している。
「なぜ、燃やさなければならなかったのですか、捨てるだけではいけなかったのですか」
クラムシェルは少し考えた後に、こう返答している。
「…そう、ただ捨てるだけでは駄目だったのです。燃やさなければならなかった。なぜか…なぜでしょうか。言われてみれば、不思議ですね。それは、分からないけれど。いいえ、そう、捨てただけでは、安心できなかったのです。燃やしてしまえば、この世から消え去ってしまう。なぜか、それを見届けなければ、気持ちが収まらなかった。
図書館から借りた本も、最初は返却することで満足していたのです。遠ざけられたことで、安心できました。でも時間が経てば、また同じ本を借り出してしまう。借り出さずにはいられない。なぜそのような気持ちになるのか、それは私にも分からないのです。その内に、返すことに違和感を覚えるようになりました。返すのではなく、燃やして差し上げなければならないのではないか、そんな思いに駆られるようになったのです。
返却期限が過ぎた本は、もう手元にはございません。図書館から借りだした本でも、その内の何冊かは繰り返して借りることがやめられなかった。だから、悪いこととは分かってはおりましたが、燃やしてしまったのです。燃やさずには、いられなかったのです。
――当然です。悪いことだとは、間違ったことだとは分かっているのです。でも、そうせずにはいられなかった。あの書物が図書館にある限り、私はあの本を借り続けることになる。そのことが憂鬱でたまらなかった。それから逃れるためには、燃やすしかない。この世から、あの本の存在を消し去ってしまうしかないのです。そうしなければ、安心できないのです」
フォルスネイムは、クラムシェルが同じ本を何度も繰り返し買い込んだり、平積みなっている本を何冊も一気に購入していることに関しても、奇異な行動として質問している。
それに対してクラムシェルは、自分でも困惑しながら同じような答えを返している。
「自分でも、よくわからないのです。でもそうせずにはいられなかったのです」
この人魚姫という物語に対するクラムシェルの異常な執着心、奇妙な行動原理は、セレスタインを不気味な思いにさせ、医師達を困惑させた。
その理由も、原因も「この時点」では分析不能であり、見解も示されてはいない。ただ奇妙な行動の一環、特記事項として記録されているだけである。
しかし、悪夢の引鉄が人魚の物語であるという事実が判明したのは、打つ手を失っていた二人にとって、治療の糸口として大きな発見のように思われた。
次にセレスタインはこう問いかけている。
「なぜ、そのことを黙っていたの。悪夢の切っ掛けだと分かっていたのでしょう」
少しの間沈黙し、一度口を開きかけて言いよどんだ後に、クラムシェルは小さな声で告白している。
「それは…恥ずかしかったからです。そして、恐ろしかったからです」
「恥ずかしい? 恐ろしい? 一体何がですか」
「人魚姫がなぜこんなにも私の心をざわつかせるのか、なぜ人魚姫に自分を抑えきれないほど執着し、魅入られるような魔力を感じるのか、なぜ人魚姫が悪夢の切っ掛けになるのか、それは私自身にも分からないのです。それを解き明かすには、私の心の奥深く、記憶の底に秘められた何かを、探し出さなければならない。私はその精神の奥底を、他人に覗き込まれるのが、嫌だったのです。私も知らない、私の心を、過去を覗かれるのが、恐ろしかった。そのことを考えるだけで、おぞましいような気持ちになった。私の心に無遠慮に手をまさぐりいれ、興味本位でかき回してほしくなかった。何も知りはしない人たちに、何も分かりもしない人たちに、私の井戸の奥底を、勝手な思い込みで評して欲しくなかったのです。
だから秘密にしたのです。もしもこの秘密を誰かに打ち明けてしまえば、きっと外部へ漏れてしまいます。だから私だけの内に秘めていたのです。秘かに借りだし、買い集めていたのです。
――いいえ、例えどんなに厳重に秘密を管理したとしても、私以外の人物に語った時点で、それは漏れてしまいます。私を監視し、私に纏わるすべての情報を蒐集し、遠くから具に観察している者がいるのですから。
――違います。叔母さまや、叔母さまに指示を受けた修道院の人たちのことを言っているのではないのです。
――お二方ははそうおっしゃいますが、決して妄想などではない。
誰かが確かに私を見ている。私の声を、今も聴いている。これは叔母さまやお医者様とは違って、目に見えないのです。別の高みにいる、そう、異次元に棲む、別の存在のこと。その者に、私の心の内を曝け出すのが嫌だったのです。恥ずかしかったのです。私の全てが見透かされてしまうことが、恐ろしかったのです。
私が言葉にしない限り、外に漏らさずに己のうちに留めておく限りは、その者には、私の心は覗けない。心が覗けなければ、私という物語を人形のように操り、思い通りに導くことはできないはずなのです。だから私は、この事実を秘密にして、胸の内に秘めていたのです。誰にも見つからぬよう、人魚姫の物語を集め、隠し、秘かに燃やしていたのです」
フォルスネイムとセレスタインは、ここで同じ問いをクラムシェルに返している。
「あなたが幾度も口にする、誰か、とは一体誰なのです。それ自体が妄想の類ではないのですか。私には、そんな人物がこの世に存在するとは到底思えないのです」
この時点で、困惑が混乱に近くなるほどにクラムシェルは取り乱している。
「――それが誰なのか、私にも分からないのです。一人かもしれないし、二人かもしれない。限りないほどいるかもしれないし、もしかすると、いないのかもしれない。いいえ、やっぱりいるはず。今も、私の声を、言葉を聴いているはず。でも気付くことはできない、こちら側から、見ることはできない。確認することもできないのです。
誰かとは…名前がない、別次元に棲む人たちのこと。そう、物語の中で、登場人物たちが意識できない人々。登場人物には、物語を読んでいるものが誰かを知る術がない。読んでいる誰かが何人も入れ替わっても、気付くことはない。
…そう、そうよ。誰かとは、読者よ。私という物語の読者なの。それが誰であるかなんて、私には、いいえ、この物語の登場人物の誰にも、分かりはしないのです」
この発言時には、クラムシェルは軽い錯乱状態に陥っていたようである。
フォルスネイムは、クラムシェルの抱いた「誰か」という妄想が、彼女にとってどのような存在であり、どんな心理作用で生み出されたのかを、一つの見解として記録している。
「誰か、というのが、修道院という特殊な環境化におかれたこと、財閥の後継者として、また謎の多い海難事故の犠牲者として、絶え間なく周囲の視線に晒され続けていたこと、それらが原因となって生み出された妄想の類であるというのは疑い得ないだろう」
つまりフォルスネイムは、修道院での妄想症の延長線上にあるものだと単純に結論付けている。だが、これにははっきり異を唱えたい。この当時にはまだ判明していないが、クラムシェルはこの頃、秘かに自分に関する過去のゴシップ記事や新聞記事を蒐集していたのであり、それは母親に関するものも含まれていていた。世間からの視線というものをはっきり意識しているのである。そのため、この「誰か」には、もっと根深い、それこそクラムシェル自身の台詞にあるように、彼女の「心の奥底にある秘密」が隠されていると考えられるのだから。
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