2章  ふたつ名 Ⅱ 翼のゲシュタルト②

 ――そうですね。一年が経つころには、お嬢様は修道院でも確固たる世界を築いていました。私はわくわくしていました。お嬢様のこれからの毎日はどのようなものになるのか。一年を経て、ようやく翅の使い方を覚えたのです。その翅を使って自在に舞い踊るようになるのはこれから、そう期待しておりました。

 その頃には、お嬢様はたくさんの想い出を思い出しておりました。母親の日記に記されていることも、枝葉末節はともかく、かなり思い出すことができていたようです。

 ただ、どうしても思い出せないことがあった。

 そう、実に奇妙なことなのですが、お嬢様は、ご自身のお名前を思い出すことができなかったのです。

 このことは、精神科医ならずとも不思議に感じる点なのですが、全くの事実なのです。

 お母様との想い出をどれほど思い出そうとも、なぜか、ご自分の名だけは、思い出すことができなかった。

 確かに脳障害に関して、医学会では珍妙な症状が無数に報告されております。物の名前だけを忘れてしまった患者もいれば、新たに物の名前だけ覚えることができなくなったものもいる。性格が一変してしまった患者もいれば、突然、芸術的な才能や数学的な才能に目覚めたものもいる。お嬢様は物の名などを忘れておりましたが、過去を思い出していくにつれて思い出していったようです。それなのに、自分の名だけを忘れたままでいる、という症例は私が知る限りでは前例がない。

 恐らくこれには、周囲の環境も、奇妙な条件が揃っていたからだとは思います。名を忘れてしまっても、周囲の人間は知っているもの、戸籍や記録として、何処かに残されているものなのです。しかし、お嬢様にはそれがなかった。私生児であり、その存在を世間から隠していたお母様は、その娘を幼稚舎にも入れず、手ずから育て上げようとしていた。近しい人は母親だけで、二人きりで隠遁生活を送り、旅行などに連れていくときも、変装して素性を隠していたようです。

 当のお母様の日記にも、お嬢様の名は一切記されていない。あの子、愛しい我が子、愛娘、私の分身、たった一つの希望、私の夢などといった多様多彩、文学的な表現は見られます。しかしどこにも名の記述はないのです。

 お嬢様自身も、何度思い出そうとしても、思い出せそうで思い出せない、そう話されるのです。自分が誰であるのか、という問いは、考え出すときりがない上、精神衛生的にもよくない。ですからご本人も、「きっとそのうち、想い出のように空から降ってくるわ」そう言って、深く考えないようにしていたようです。

 そしてもう一つ、思い出せなかったことがございます。それは、こちらからも積極的に思い出させようとはしなかったことです。お嬢様にとってだけでなく、財閥にとっても、実にデリケートな問題です。

 その通り。お嬢様が海岸に流れ着くことになった経緯。頭部に大怪我を負い、瀕死の状態になった事件…いや、事故の記憶です。この失われてしまった記憶には、俗な言い方をすれば、一つの重要なミステリが潜んでいる。そう、未だに行方不明であり、世間的には死んだとされるお母上、セイレン様とお嬢様に何があったのか、という点です。

 お嬢様は過去を少しずつ、断片的に取り戻していきましたが、事故の前後の記憶に関しては、その一切が、消し去られてしまったかのように失われておりました。

 事件の手掛かりになるかと思われた日記にも、事件の兆候を感じさせる箇所は無かった。だから手掛かりは、お嬢様の失われた記憶だけなのです。

 いや、思い出す可能性は低いでしょう。恐らく頭部への強烈な痛み、崖から落下していくときの恐怖、これらが記憶を思い出すことを拒絶させていると思われます。 

 この記憶を無理に思い出させることは避けなければなりません。そこにどのような秘密が隠されているかは分かりませんが…。以前、海を見て正気を失ってしまったことなどから考えて、私がそう判断を下したのです。

 下手をすれば、治りかけた傷跡を広げてしまうことにもなりません。脳へと新たな症状が発生する可能性も高い。だから私は他の医師やセレスタイン様とも話し合った末、一年の間は、当時の事故に関して聞くことは一切しませんでした。水を向けることさえも、徹底して避けておりました。

 お嬢様ご自身も、自分からその件に関して話してくれることはありませんでした。私としては、思い出すべきではない、そう考えております。いえ、実際に何があったかは存じません。確かに私はゴシップまがいのことは知っておりますが、それを信じているわけでもありません。どちらにしても、あの崖から落ちたということは、何らかの…事故があったことは間違いないでしょう。言ってしまえば、行方不明とされるお母様が関係していることは疑うべくもない。

 お嬢様は、セイレン様を深く愛しています。ええ、思い出した思い出の数々、日記や絵画に描かれた素晴らしい日々、その情景を支えにして生きています。それをあえて穢すべきではないでしょうから。

 その事故の記憶は、お嬢様の健やかな成長を申し付けられた私にとって、大きな懸念材料となっていました。

 そしてもう一つ、健やかに日々を過ごすお嬢様には、忍び寄る不穏な影があったのです。

 それは、悪夢です。

 日々、驚くほどの速さで成長していくお嬢様と接し、ともに学び、見守ることは、職務ではなく喜びとなっておりました。しかし、充実する毎日を送るお嬢様に、暗雲が垂れ込めるように、時折、悪い夢が舞い降りるのです。疲れ果てて安らかな眠りにつくお嬢様に、忘れた頃に忍び寄り、その眠りを妨げるのです。

 お嬢様はいつからか、悪夢に取り憑かれていたのです。

 ご存知でしょう。修道院に入る少し前から、お嬢様が悪夢にうなされるようになっていたことを。 

 修道院に通うようになってからも、悪夢は消え去ったわけではなかった。頻度は減っておりましたが、数ヶ月に一度、前兆もなく、お嬢様を悩ませておりました。主治医の私には、悪夢を見た朝は必ず報告をするようにお伝えしてありました。ですが、そのようなことをせずとも、悪夢を見た夜は、翌朝の様子からすぐに分かりました。白く美しい顔が、血の気が引き青ざめていましたし、シーツはぐっしょりと濡れてしまっているからです。

 悪夢の内容ですが、それはいつも決まっておりました。いや、お嬢様の報告がいつも同じだった、というべきでしょう。

 なぜなら、お嬢様はいつも、こう答えていたからです。

 「白い悪夢を見たわ、でもどのようなものだったのか覚えていないのよ」

 そうなのです。悪夢であることも、悪夢を見ていたときの圧倒的な恐怖も、確かな残滓として、強烈なイメージとなってお嬢様には残されているのです。しかし、目覚めた時点で、その悪夢の内容はその一切を忘れてしまっているというのです。

 悪夢の正体が何か、その原因が何で、何が切っ掛けとなって悪夢を見るのか、そのことは無論、私も考察しました。お嬢様は、悪夢を見ることを恐れておりました。目覚めた時点では忘れてしまうにも関わらず、悪夢がやってくることに怯えておりました。だから私は、素晴らしい日々を曇らせる悪夢の正体を突き止めようとしておりました。

 一度は、悪夢を思い出せるように催眠治療を試みようかと思いましたが、危険だと判断してやめました。なぜなら、その悪夢が、事故当時の記憶と密接なつながりを持っていると考えられたからです。

 ええ、これは私個人の考えです。私は、お嬢様の悪夢とは、事故の記憶そのものであろうと考えておりました。頭部に大怪我を負い、冷たい海に投げ出された、恐ろしい記憶そのもの。それが悪夢となってお嬢様を悩ませるのだろう、そう思っておりました。

 強烈な傷みを伴う記憶は、脳が本能を働かせて神経を遮断し、消去してしまいます。その記憶への経路を遮断して、思い出させないようにする、と言ったほうが近いでしょう。

 悪夢とは、きっとその事故の記憶が、寝ている間にお嬢様の思い出の奥底から、その時の感情、痛み、恐怖、悲しみを、泡として浮かび上がらせるのでしょう。悪夢そのものではない。悪夢の呼吸が、無意識の深海からぼこりと気泡を放つ、それが「覚えていない白い悪夢」として認識されるのでしょう。

 なぜ悪夢が白いのか、に関しては分かりませんが、あの白亜邸という真っ白な屋敷、白い砂浜、白い断崖が関係していると思います。

 お嬢様のお母様は、天才と呼ばれながら過度にエキセントリックな芸術家として名を馳せたお方。ゴシップ誌でも様々な噂が書かれておりました。無理心中、痴情のもつれ、血族の陰謀論、財閥のお家騒動…いえ、どれが真実かなど、私は分かりはしません。事故のあった日、お嬢様とお母様に何があったのか、私には知る術はありません。

 ですが、たった一つ確かなことがある。

 お嬢様が、お母様を深く愛している、ということ。世間ではとう死んだと思われている方を、ずっと待ち続けているということ。

 お母様との過去の思い出話、思い出した話を私にして下さるとき、お嬢様は本当に嬉しそうでした。お嬢様は常々言っておりました。お母様の日記を読み直すたびに、たまらなく会いたくなる、と。そう、お嬢様はお母様の日記をしばしば読み返しておりました。

 過去の記憶の断片を組み合わせ、美しく紡がれた日記を幾度も繰り返し読み込みながら、素敵な思い出によって彩られた理想の母親像を思い描いておられたのです。

 ですが、私は思います。お嬢様が思い出し、思い描いていた素晴らしいお母様、それが真実であるかどうか、それはまた別の話である、と。

 最後までは申しません。真実かどうかなど、私には分かりはしない。迂闊に口にできることでもございませんし、お嬢様にその考える告げることもございません。だが、例えば事故が無理心中であった場合、お嬢様が抱いている理想の母親像を、その土台から破壊することになる。それを思い出すことが、果たしてお嬢様にとっていいことなのかどうか…。

 だから私は、その悪夢を思い出させるようなことはしませんでした。その話題は避けるようにしておりました。お嬢様は白い悪夢を思い出したくない、考えたくもないとおっしゃっておりました。白い悪夢のことを考えただけで、冷たい汗が噴出してくる、陰鬱な気持ちになる、そう話して怯えておりました。

 私は修道院に通うお嬢様を見ながら、こう願っていたのです。異なる環境での真新しい素敵な思い出で悪夢が塗りこめられ、不気味な泡が浮かび上がってこぬように封をされることを。新しい思い出を幾層も、重ね色のように分厚く描いていくことで、悪夢が無意識の暗渠の奥底に封印され、やがて存在そのものが消え去ってしまうことを。

 しかし、悪夢は決まって忘れられた頃に、安心しているとやってくるのです。

 結局、悪夢に関しては、その原因も正体も分からず、進展も改善もないままに一年が過ぎていったのです。

 お嬢様ご自身が、悪夢ついてこのようなことを話したことがあります。

 「――あの悪夢は、忘れかけた頃を見透かしてわざと顔を覗かせるのよ。そして、私を恐怖に突き落とすの。まだ消えていないぞ、って。何て意地が悪いのでしょう。安心しているときに不意をつかれると、ショックも大きいのよ。悪夢はそれを知っているのね。すると、そのうちに、忘れることさえ怖くなるのよ。忘れかけた頃を狙ってやってくるのだから、忘れることさえできなくなる。頭の片隅で、暗闇の奥底から、私を見ているような気がするのよ。でも直視なんてできない。もしも目を合わせてしまったら、そのまま飲み込まれてしまいそうなの。だから必死に目を合わせないようにしている。でも視界の端には、ちらちらと見え隠れしている。それが少し姿を現すだけで、私は怯えて体も心も竦んでしまう。それが嫌で、必死に修道院での生活を楽しんだわ。夢中になっている間だけは、悪夢のことを意識から逸らすことができた。以前は悪夢から逃れようと必死に物語を読んでいたけれど、今では、修道院での日々がその役目を果たしてくれているのよ――」

 そういった意味では、悪夢は彼女にとって修道院生活を脅かすものであると同時に、充実した日々へと駆り立ててくれるものでもあったのです。

 悪夢を危惧していた私は、できればそのまま封印してしまいたいと思っておりました。見て見ぬふりをし続けることで、また新しい記憶を積み上げ、塗り重ねることで。やがては時と共に色褪せ、薄れ、忘れ去られ、消え去ってしまうことを願っていた。

 しかしそれは間違いであったのです。

 私がお嬢様に施さねばならなかった治療、それは、悪夢と向き合わせることであった。お嬢様は、恐怖と向き合い、得体のしれない悪夢と対峙しなければならなかったのです。

 精神科医である私も、まさか思っておりませんでした。見て見ぬ振りをしていた悪夢が、修道院での生活を、いや現実を侵すようになるなどとは――

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