2章  ふたつ名 Ⅱ 翼のゲシュタルト①

 ええ、名誉なことに私は、クラムシェルお嬢様のお傍で主治医として、また家庭教師として仕えさせていただきました。

 そうです。セレスタイン様とお話しをして、お嬢様を修道院に入学させることをお勧めしたのは、この私です。

 入学してから一年ほどのお嬢様の成長は、目を見張るものがありました。殻を破ったというのか、脱皮したというのか…

 そう、羽化――そういっていい程の変貌を遂げたのです。

 身体的な成長に限ったことではございません。確かにお嬢様は、肉体的な成長も顕著であり、一年の間に見違えるようになりました。それは別の担当医からも報告を受けていますし、この私自身が間近で見ているのですから、間違いありません。そもそもお嬢様は、素性も判明しないまま入院していた頃、眠り続けたことですっかり筋肉を落としてしまっていた。また心を失って無気力であったことが影響し、自発的な運動から遠ざかっていた。当時のカルテを見ても、その頃、体は小さく、極度にやせ細っているのが分かります。

 財閥の病院へと転院し、心を取り戻した後はリハビリを続けてはいましたが、まだ十分ではなかった。脳障害のこともあって、慎重に慎重を重ねなければならず、とても無理をさせられなかったのです。

 だから、新たな修道院生活を送る中でも、体力をつけなければならなかった。成長期でもあるため、しっかりと栄養管理を行い、健やかな発育を促す必要があった。綿密に組まれたカリキュラムによって、成長期と相まって、一年の間に順調に身体的な成長を遂げました。年齢に比してか細く小さかった体が、やがてふっくらとした乙女の体つきに変わっていきました。成長というより、変貌といっていいほどその変化は目覚しいもので、一年前と比べるなら、まさしく別人のよう変わられたのです。

 だが、私の言う羽化とは肉体的な変貌だけを表現した言葉ではない。

 お嬢様は確かに、卵の殻を破り、古い皮を脱ぎ去り、体の何倍もの大きく美しい翅を広げられたのですよ。僅か一年の間に。

 はい。存じております。お嬢様が展翅様と呼ばれていたのは。ご本人から直接お伺いしたのです。お嬢様はこう話されました。

 「ねえ、聞いて、フォルスネイム。修道院で私は、展翅様と呼ばれているらしのよ。面と向かってではなく、影で。理由を聞いて驚いたわ。私が、宙に浮いているように見えるからなのですって。まるで水中を泳ぎ回っているみたいに見えるのですって。どういうことかしら、褒めているのかしら、馬鹿にされているのかしら」

 嬉しそうでしたし、愉快でたまらないといった印象でした。私はそれを聞いて、上手いこと言うものだと思って噴出しそうになりました。何しろ、お嬢様にピッタリの二つ名だと思えたものですから。そしてファン倶楽部の名は展翅板といったとか。言いえて妙な、さすが選良たちの集う修道院の生徒だと感心したものです。

 お嬢様は、何とも不思議な方だった。言われてみれば確かに、お傍で接している私にも、ふわふわとして空に浮かんでいるように見えることがありました。何と言いますか、重力、というものから自由なイメージです。ただ体の重さというだけではない、一般的に言う常識や、常識によって構成された世間といったものからも、お嬢様は解き放たれていたように思われます。

 ええ、一度記憶を失ってしまい、脳に何らかの障害が残っていたからでしょう、お嬢様からは常識、というものが抜け落ちていました。そう、俗な言葉で表現すれば、世間知らずとか、常識がない、ということになりますが、そうではなかった。お嬢様は、世間の常識に縛られない、自由な発想力、豊かな想像力を持ち合わせたお方だった。まるで、生まれたての赤ん坊のようでした。

 一年の間に、お嬢様に顕著に現れた変化は、主に三つに分けられます。一つ目は、先ほど述べた肉体の成長、二つ目が記憶の回復、そして三つ目が、精神の羽化です。

 最後の一つは、想像力の飛躍と言い換えた方が分かりやすいでしょう。 

 私がセレスタイン様から仰せつかったのは、診察、治療、発育、学習ですが、それらに先んじて、何よりもお嬢様の精神的なケアを優先的に行うように命じられていました。それは、修道院に通うようになってからも、再度厳命されておりました。

 修道院という閉鎖された環境で、無数の同年代の他者に囲まれて過ごす。それは母との二人暮らしや、病院での医療関係者に囲まれた日々からすると、かつて経験したことがない環境であり、急激な変化です。また修道院での授業を含め、強い精神的な負荷がかかることは自明。事故の後遺症も、いつ何時、どのような形で新たに噴出するのか分からなかった。それを軽減するために、私とセレスタイン様は可能な限り心を砕いておりました。

 日々、治療とは思わせない他愛無い会話やちょっとした雑談を交わし、信頼を深める一方で、お嬢様の精神状態をさりげなく診察していたのです。

 さすがに修道院に通い始めの頃は、スケジュールをこなすと疲れ果てて眠り込むという毎日が続きました。頭痛を起こすことも頻繁で、悩みの種でした。それでもすぐに、お嬢様は私に修道院での出来事をお話されるようになりました。修道院でこのような出来事があった、このようなことを教わった、ご友人とこのような会話をした、教師がこのような授業をした…修道院という場所について、授業について、友人達や教師達、上級生、下級生について、倶楽部活動について、切りがないというぐらいに、お嬢様はお話をして下さいました。とても楽しそうに、興奮気味に。個人教授や芸術のレッスンのために、話を遮って切り上げなければならかったほどです。

 最初の頃は、その説明も実にたどたどしかった。言いたいことが上手く表現できないようでした。言葉を探しながら、結局上手く伝えられない、説明ができないと、もどかしい思いをされていました。それは偏に、語彙力がなかったからです。お嬢様が記憶と共に失ったのは、言葉、語彙力でした。ですからお嬢様の語り口は小さな子どもが母親に聞いてもらうような表現が多かった。

 それだけではなく、話をしていても話しがあちこち別に話題に飛び、最初に説明しようとしたことを忘れてしまっていることも度々でした。恐らく、修道院という特殊な環境で、人の群に放り込まれて、夥しく押し寄せる情報を処理しきれずにいたのでしょう。物事を筋立てて説明することが上手くできないようでした。

 はい、無論、存じております。お嬢様がかつて芸術家であるお母様と二人で隠遁生活を送っていたことは。お母様の日記も担当医としての立場から読み込んでおります。お母様は世間の喧騒から離れ、芸術家としての英才教育を、お嬢様に施していたのです。

 何度読んでも、その都度新たな発見のある素晴らしい文章。いや、お二人が素晴らしい日々を送られていたことがよく分かります。しかし、海難事故で記憶を失い、言葉を失い、そしてその半身でもあるお母様を失ってしまったお嬢様は、かつて幼児退行症のような症状を見せていました。

 それが修道院へと通いだしてからも、ちらほらと顔を覘かせることがあったのです。

 話しながら視点や主題がころころと目まぐるしく変わるので、私自身も付いていくのが大変で、しかもお嬢様自身が何を言いたいのか、何を話そうとしていたのか分からなくなる。思いつくまま、考え付いたその端から言葉にしていくのですから、起承転結などあるはずもない。

 言葉を使っての説明能力とは、幼児期から成長していくうちに見につくものですが、それが入学当時は園児レベルでした。語彙も少なく、話を聞いていても、幼児が片言で懸命に話をしてくれているような印象を受けました。

 当初は、ゆっくりと片言でしか話しができないのは、過去を失ったからだと思われていました。脳障害により神経が傷つけられ、思考が追い付かないのだとも言われておりました。ですが、それだけではなかった。お嬢様からは、想い出などの記憶だけではなく、言葉、語彙、物の名前なども失われてしまっていた。言葉によって表現する能力そのものを失っていたのです。だから言葉を取り戻してからも、しばらくはまるで幼児のようにたどたどしい話し方しかできなかった。

 前病院で時折見られた「癇癪」の発露は、恐らくは思うように想いを言葉にできないことに対する苛立ちからくるものだったのではないかと私は考えております。

 修道院に入る前から、お嬢様は白亜邸にあった様々な物語、お母様の残した日記を読むようになっていました。それが下地となり、入学して後はめきめきと語彙を身につけ、語り方は饒舌に、説明技術にも長けていきました。修道院の授業は高度で、付いていくことも難しいと思っていましたが、綿密にカリキュラムが組まれた個人教授によって、次第に学力はあがっていきました。これは、教師たちの腕だけではない。お嬢様にはそれだけの才覚があったのです。個人教授を受け持っていた私はそれをよく知っております。吸収力、思考力は群を抜いておりました。紛れもなく、非凡とはかけ離れた才を有していた。そして、習熟度が上昇するにつれて、話しぶりも変化していったのです。

 ある程度自在に言葉を操れるようになってからのお嬢様は、かつて物語を貪り読んだように、覚えたての語彙を駆使して、夥しい言葉で、嬉々としてその日一日の出来事を語るようになりました。語り聞かせる行為そのものを楽しんでいるように思えました。かつては年齢に比して幼かった語り口が、口調と共に大人びていきました。そう、幼児向けの絵本の読み聞かせのような語り口調から、児童文学へ、そしてジュブナイルへ、さらには純文学へ。一年も経つ頃には、修道院を舞台にした多彩な物語を、その語り口を自在に使い分けられるまでになったのです。

 聞いていて、実に楽しかった。お嬢様の話に耳を傾けていると、修道院の様子や雰囲気、他の生徒や教師達の表情、場面や光景が目に浮かぶような気がするのです。別のレッスンのために話を切り上げられ、連れられていくのを、話の続きが聞きたいがために、引き止めたくなったほどです。

 またお嬢様自身も、そんな私を楽しませようと、意識して語るようになっておりました。

 修道院という舞台に放り込まれたお嬢様という異物。それが周囲の人々に影響を及ぼし始め、やがては大きなうねりの中心となって、修道院そのものを巻き込んでいく。その過程が、お嬢様の話を聞いていて良く分かりました。

 私がその成長を羽化と表現したのは、お嬢様自身が見えない翅の存在に気付き、それを使って上手に飛び廻ることができるようになったからです。ですから、展翅様などという二つ名を初めて聞いたとき、そしてまたファン倶楽部の名が展翅板だと知ったとき、なるほどと思ったのです。

 そう、お嬢様には、翅があった。

 中空を飛び回る羽根が、水中を泳ぎ回る翅が、境界を超越する翼が。

 私には、その翅が見えるようでした。お嬢様の想像力によって大きく広げられ、七色のに光り輝く様が。翅はお嬢様の成長に従ってその色を形を自在に変え、羽ばたき方もたどたどしいものから、自在に操れるようになっていった。浮かぶだけではなく、滑空も、旋回も、曲芸飛行も、潜行も、潜水も、様々な飛び方を翅の形態を変えて行う事ができた。

 ふふ、お嬢様のお話しを聞いているうちに、私も影響されてしまったのでしょう。遠まわしな言い方になってしまいましたね。翼とは、無論、本物の翼ではない。それは、想像力。それも、現実を凌駕し、境界を超越するほどの強烈な想像力です。

 お嬢様は修道院に入学する前は、物語に耽溺するばかりで、外部に興味や好奇心を示すことはなかった。お嬢様の想像力は、物語の中にしか発揮されなかった。それが修道院に通うようになってから、外部へと向き始めたのです。修道院に通う生徒、教師、そこで働く人々、修道院という環境、その仕組み、世界そのものに対して、お嬢様の想像力は羽ばたき始めたのです。

 当然、私も気付いておりましたし、報告も上がっておりました。

 お嬢様は、虚実の区別が付かないところがある、と。

 その浮世離れした所が、展翅様と呼ばれる由来になったであろうことも、分かっておりました。例えば、物語の登場人物を、現実に存在すると思っている、とか。物語の中の出来事は、すべて本当に起こった出来事だと思っている、といった内容の報告です。

 ですが、私の解釈は少し異なっております。

 先ほども申し上げましたように、お嬢様の想像力は、現実を凌駕するほどの力をもっていたのです。

 想像したもの、空想したことを、お嬢様は現実だと思い込むことができたのです。これは、私自身も「想像力がある」という言い方をしましたが、やはり少し違う。想像力があるというより、境界線がない、といったほうが近いのかもしれません。誰もが、想像する力はある。だが、想像したとしても、それが現実であるとは思えない、確信できないし、信じられないのです。それが普通だし、当然です。想像は想像、現実とは違う。誰もがそこに、常識という厚く越えられない壁を持っている。しかし、お嬢様にはその壁がなかった。想像と現実の境界線がなかった。だから虚構と真実の区別がつかなかったのです。

 お嬢様にとって、修道院という世界は、読んでいた物語とそのまま繋がっていたのです。

 そう、これは、間違いなく、脳障害の後遺症の一種だと思われます。脳という解明不可能な不思議な器官が引き起こした、世にも稀な奇妙な症状です。

 他にも奇妙な症状は幾つかあります。それはやはり、記憶に纏わるものです。

 言葉を取り戻す過程で、一年の間に過去の記憶も少しずつ取り戻していきました。

 ええ、私はそれとなく、過去のことで思い出したことがあったらお話をしてくださるように水を向けておりました。だから、時折、お嬢様が私に話して下さるのです。

 ――そういえば、以前、このようなことがあったわ。

 ――突然、こんな情景が頭に浮かんだのよ。

 ――今日は、ふと、こんなことを思い出したの。

 頻度は一週間から十日に一度、まさしく、思い出したかのように、不意にお話しされるのです。かつて、お母様と一緒にあの白亜の邸宅で暮らしていた頃の想い出を。

 お嬢様はこう仰っていました。

 「突然、空から降ってくるように思い出すのよ。前触れなんかない。予感もない。切っ掛けがあるわけでもない。デジャヴ、というのかしら。こんなことが、以前にもあったような気がする、という感覚はあるのだけれど、それははっきりしたものではない。ただ、本当に、突然、ばらばらのパズルが完成して、一枚の絵になる。そんなイメージよ」

 割合、ですか? そうですね…お母様の日記に書いてあることが半分、書かれていないことが半分、といったところでしょう。最初の頃は、お母様の日記に記されていたことを、日記を手がかりとして思い出していったようですが、修道院に通いだして数ヶ月を越える頃から、それ以外の過去を多く思い出していくようになりましたね。

 ただ、それらの記憶は、断片的なシーンのようなものだったようです。一枚の絵画をモチーフとした情景のようなものだったのです。

 そうですね。あなたのおっしゃるとおり。物語で挿絵の描かれたワンシーン、情景を切り取った絵本の一ページのようなものだった。日記には記されていないそれらの情景を、思い出すようになっておりました。

 確かにそれらの情景は、断片的であるため、その記憶の前後のつながり、というものが失われていた。そのうえ、思い出す記憶は、その時系列もばらばらでした。というより、時系列が曖昧で、定かではなかった。どの記憶が、何歳ぐらいのものか、どっちが先で、どっちが後か、それが当人にも分からなかった。いわば、日付のない日記を一枚ずつばらばらにしてしまい、正しい順番が分からなくなった状態です。

 そして奇妙なことに、お嬢様はその思い出した記憶に影響されてしまう――いや、引き摺られてしまうような所があった。

 確かに…これでは何を言っているのかお分かりにならないでしょう。

 先にも少し触れましたが、お嬢様は、修道院に通う前、そして通いだしてからもしばらくの間、子どもっぽい言動、仕草で過ごされていました。あれは、幼い頃の記憶を時々思い出していたからでしょう。その記憶に、魂が乗っ取られてしまう、心が引きずられてしまっていたのです。

 ですから、そういった言動が収まった後も、時折、幼児返りのような行動をとることがありました。声をかけると、当時の記憶を思い出していた、ということがあったのです。

 逆に、突然大人びた言葉遣いや、仕草を見せることもありました。それは、はっとするほどの変わりようで、まるで別の人格が乗り移って演技をしているようにも思えました。

 そういったことが修道院でもあったことが数多く報告されています。お嬢様の不思議な雰囲気、宙に少し浮いている、といったようなイメージには、そんな奇妙な症状も影響をしているのではないかと考えられます。

 はい、お嬢様の思い出話、ですか?

 ええ、全て記録しております。詳細に、書きとめてあります。速記術を用いて、お嬢様の前で、ノートに書き記しておりましたので。

 そうです。それらの記録は、速記術用に私が編み出した文字、言語、隠語、略語を組み合わせて記されてあります。私以外には、誰にも読めない。職業柄、守秘義務というものがありますので、好都合なのですよ。速記術は聞き取りに必須ですし。もちろんセレスタイン様への報告書は、通常の文字で書き起こしてありますが。

 そういえば、速記術で思い出したのですが、お嬢様もこの速記術に興味をもたれたことがあります。

 思いつくまま矢継ぎ早に話すお嬢様の言葉を、私が手も見ずにすらすらと書き取っていくのを見て、不思議に思ったのでしょう。

 「その文字は何? 何語の文字なの。見たことがないわ」

 そうお尋ねになられたのです。

 ええ、説明して差し上げました。その文字は、私が作り出した新しい文字だ、と。患者の膨大な言葉を書き留めておくため、私自身が編み出した、私しか理解できない言語、私しか読むことができない言葉、私だけが書くことができる文字だ、と。

 熱心に教えて欲しいと乞われました。どうやら、言語そのものを新たに創造する、ということが、お嬢様の想像力を刺激したのでしょう。

 いや、お断りしました。これは精神科医が職業である私の技術。お嬢様には必要のないもの。もしも欲しいとお思いなら、お嬢様自身で、新たな言語を編まれるがよろしい、と。

 それからは、速記術に関して一切に何も聞かれることはありませんでした。ええ本当です。ですから、ヒントや助言らしいものをお教えした記憶もありません。

 いや、まさか、そんな、お嬢様が、そのようなことをなさっているなどとは…

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