2章  ふたつ名 Ⅰ 水槽の森②

 なぜそのように呼ばれるように至ったのか。この点は、クラムシェルの精神状態と、修道院の雰囲気を表現し、理解するのに恰好の場面である。幾つかの象徴的なエピソードを、関係者の証言として添付しておく。

 まず一人目は、ある上級生の証言である。


〈上級生サルファの証言〉

 ――ええ、あの子は編入前から、修道院では大きな噂になっていました。そうです。あのセイレン様のご令嬢だということも、そして謎に包まれた悲劇的な事故で母と記憶を失い、長く入院生活を送っていたということも。修道院の生徒たちは全員知っていたでしょう。修道院を統べる財閥のスキャンダルなのですから。そうした話は親から子へ、生徒から生徒へと瞬く間に広がっていくものです。その子が私たちの修道院に入学する事に関しては、先生方から正式に通達がありましたし。

 通達の内容ですか。それは…そうですね。まずその出自の件をやんわりとではありましたが説明がありました。また事故のことも、その影響で脳への障害などが残っていることなどでした。

 要するに、財閥の後継者として、また脳障害のある患者として、細心の注意を払え、ということです。

 先生方だけではありません。生徒達はみな、親からも言い含められていたはずです。彼女とどのように接すればいいのか、或いは、どのように接してはいけないのか。

 そう、この修道院での友人関係は、世に出てからも社交界や財界において通用するもの。私たちは友誼と言いますが、帝王学で言えば、パイプという言い方をするのでしょう。ここの生徒達は、卒業してからも強固な繋がりを維持し続け、互いの利害関係のために協力し合うのです。言ってしまえば、ある種の秘密結社のようなものです。実際に同じ帝王学のもとに育てられたこの修道院の卒業生たちは、等しい理想の未来を描き出すため、阿吽の呼吸で活動を行っているのですよ。

 いえ、別にいいのですよ。このようなことはお話ししても。別に困ることではありません。周知の事実なのです。修道院には、血筋によって、或いはその才覚によって、世界中から選良が集められています。入学すること自体が巨大なステータスになり、アドバンテージになる。この特異な修道院に入学させる親の目的は、それが第一であるといってもいいぐらいです。

 そのような修道院を運営する財閥の後継者候補なのですから、注目を集めるのは当然です。最初はどのような人物なのか分かりませんでした。周囲にはすぐに親切な同級生が集まっていましたが、みな警戒し、一線を引いて接していたと思います。多くの生徒たちは、それを遠巻きに眺めながら様子をみていたのです。

 ええ、私もそのうちの一人です。学年が違うものですから、それほど熱心にその姿を追いかけるような真似はしませんでしたし、後にできたファン倶楽部などは冷ややかに見ていました。それでも、やはり、あの子は、人目を引かずにはいられない子だ、との印象を受けていました。

 いえ、違います。その出自は関係ありません。編入当時から、あの子は不思議な雰囲気を持っていました。人目を引かずにいられないところが幾つもありました。何と行ったらいいのか、その仕草というか、体の動き、のようなものです。

 修道院の生徒達はみな、親によってよく躾けられています。幼少期より、歩き方からマナーを叩き込まれている。私の親などは、赤ん坊の私にハイハイの正しい作法から熱心に教えていたそうです。もちろん、覚えてなどいませんけど。また空気を読むことも徹底して義務付けられています。そういうこともあって、内面はともかくも、誰もが大人びて落ち着いた雰囲気を持っています。

 あの子は、その仕草があまりにも幼かった。まるで幼女のようでした。

 小走りはスキップするようでしたし、歩き方も、どこか跳ねているような感じです。どこかリズミカルというか、コミカルというか…。慌てているような風にも見えますが、何をするにしても、躍動的な感じなのです。 

 そう、歩き方だけではなく、その身振りも、話し方も、全てがどこか幼かった。線が細く体が小さかったこともありますが、それだけが理由ではなかった。集団の中にいても、すぐに分かりました。取り巻きの中心にいる、というだけでなく、その動きや仕草、雰囲気で。私も友人達と、まるで幼稚舎の生徒みたいね、そんな話をしていました。年齢よりも十歳も幼いような印象でした。誰もが目を惹かれたはずです。普通なら、躾けもされていないと鼻白んで見るところですが、あの子を可愛らしい妹のように、微笑ましく眺めるようになりました。私も、何て不思議な雰囲気を持った子なんだろう、そんな感想を持っていました。

 私達の学年では、あの子のそのような面は、事故が原因だと言われていました。

 ――記憶を失ってしまったことで、一度、幼児に戻ってしまったのよ。

 ――記憶を取り戻したといっても、それは断片的なものらしいわ。

 ――だから、精神的にはまだ完全に過去を取り戻したわけではないんだわ。

 高名な母を失ったことへの同情、微かな哀れみはありましたが、その子どもじみた奔放な仕草や言動は、羨ましく思われていました。厳しく躾けられた修道院の生徒達にとって、禁じられた子どもらしさを、あの子が全身で体現していたからです。

 まるで、物語の中から飛び出てきた夢見る少女みたいだ、そんなことも囁かれていました。先生方も、あの子に関しては上から言い含められていたのでしょう。廊下を走ったり、はしゃいだりしても、それを咎めることはなかった。特別扱いをされているのが、生徒達にも分かりました。だが、それがやっかみになるというようなことは、あの子に対してはなかったのです。

 そう、色々な二つ名で呼ばれていたことは知っています。私が卒業を迎える頃には、一つになって定着していました。

 フィン様…ええ、そんな名で呼ばれるようになっていました。

 そう、ゴシップ記事でかつてあの子が、人魚姫と書かれたことに着想を得たのでしょう。ええ、ここが水族館という異名で揶揄されていることも、私たちは知っています。どこかしら跳ねる様に動きまわる姿は、見ていて楽しいものでした。あの子は水中に浮かび、自在に泳ぎ回っているように見えました。空を飛ぶ、とうよりも、空を泳いでいるようでした。その仇名を聞いたときは、言い得て妙だと感心したものです。硬い地面が柔らかな水面のようなものに思えてしまうのです。何もない空間が、どこまでも泳いでいけそうな水の中にいるように思えるのです。

 ええ、話す言葉も、台詞も、考え方も現実離れしていて、常識を飛び越えているような、ずれた感覚のものでした。それらのことから、ふわりと浮いているようなイメージを抱かせたのでしょう。それが、翅という表現となって付けられたのではないでしょうか。

 ええ、あの子がまさか、あのようなことになるとは、最初に知ったときは信じられませんでした――。


 次に取り上げるのは、下級生の証言である。


〈下級生テルルの証言〉

 ――ファン倶楽部ができるようになったのは、フィン様が二年生になり、下級生が修道院に入学してしばらくしてすぐのことでした。ファン倶楽部の名は、「展翅板」です。

 ええ、もちろん小等部の頃から存じておりました。噂が流れておりましたし、あの財閥は色々な意味で有名ですので。世間でのゴシップと内容はそれほど変わりませんけれど。ただ、とにかく不思議な魅力を持った方だ、という程度のものでした。

 幼女? いえ、幼女というよりも、夢身がちな少女、といった感じでした。入学してから背が伸びたのでしょう、小さな方とは思いませんでした。雰囲気だけで言えば、とても大きな、包み込むような空気を持ってましたわ。フィン様がいれば、周囲が何だか不思議な空間に包み込まれてしまうのです。どう説明すればいいでしょうか。魅力といった単純な言葉では表現しきれない、カリスマ性、というのでしょうか、放たれるオーラというのでしょうか。フィン様の周りの空気、風のようなものが異なっているのです。ええ、本当に、まるで目に見えるかのように、異質な何かを周囲に纏っているように思えたのです。

 展翅板、ですか。

 ええ、私が付けたのです。なぜ? そうですね、最初は名前らしい名などない、ファン倶楽部だったのですよ。フィンの集い、などと勝手に名付けておりました。ご本人とは誰一人話したこともないというのに。その集いとは、友人達と、あの方の近況を話したり、噂話をしたり、集めた情報を交換し合ったりする、憧れの対象を共有して盛り上がる、他愛ないものです。

 フィン様は取り巻きのご友人方が多いものですから、一年生であった私達はおいそれと近づけません。いつも遠巻きに眺めるだけでした。しかしそれでも、遠巻きにではあっても追いかけずにはいられなかった。ついつい、その姿を探してしまうのです。あの方は、取り巻きの友人達や生徒会委員で囲まれ、更にその外側を上級生の方々や、近づくのをためらい、また許されない同学年の生徒達で囲まれていました。さらにそれを私たち一年生が遠巻きに眺めるという円形劇場のようなものです。あの方が移動すれば、それにあわせてその集団がそっくり移動するようなイメージです。

 全ての視線は、フィン様に注がれておりました。そこに宿る色は多彩でした。羨望、嫉妬、憧憬などなど、人によって異なる光が煌めいていましたが、その眼差しは…そう、信奉者に近いものです。周囲の人々はあの方の周りにいることに陶酔しているように見えました。

 そういった空気に、周囲も飲み込まれてしまうのです。感化されてしまうのです。修道院中の視線を集めながら、私達、新入生も虜にしていくのです。

 フィン様の行く場所行く場所が舞台になり、そこにいた人々は観客になって魅了されてしまうのです。取り巻きは脇役になり、その視線は、仕草は、主人公に向けられたものになってしまうのです。

 近しい取り巻きの方々は、フィン様の言葉、思想に強く感化された人々でした。そして私たち下級生も、その取り巻きの方々から染み出した色に染まるように、あの方に夢を見るようになっていくのです。

 フィン様は全ての仕草が芝居じみていました。人の目を引かずにはいられない魅力があって、見つけると、どうしてもその姿を目で追ってしまうのです。

 ええ、私も、夢中になりました。フィン様の言動に。まるで舞台上を舞い踊るような仕草に、台詞を唄うような言葉に。物語から抜け出てきたような、あの方の舞台に。ええ、実際にあの方は、様々な物語からの台詞を多用しながらお話ししておりました。有名な名台詞が時折出てくるので気付いたのです。有名な台詞だけではなくとも、あの方が話される言葉は、物語で使われるようなものが多かった。図書館に入り浸るほどの読書家であったことは知られています。その影響もあったのでしょう。物語を夢中になって読み、語る、そんなあの方の姿に、私たちは夢中になっていたのです。

 もちろん私だけではありません。他の下級生も、やがてフィン様の虜になり、他の上級生を押しのけて取り巻きの一人になりたいと夢見るようになっていきました。一言でも何か声をかけてもらおうとしていました。伝え聞いたあの方の言動を真似しようとする生徒も多く、それは感染するかのように広まっていくのです。

 あるとき、親しい友人達と他愛無い話をしていて、フィン様の話になったとき、この会にも名を付けよう、という話になりました。

 そうです、ご存知ですか。あの方は名を付けたがる方だったのを。自分の身の回りのものに。色々なものに、名を付けたがったのを。

 私達も話をしていて、それに倣おうとしたのです。「ファン倶楽部」ではありきたり、「フィンサークル」ではつまらない。友人達とあれこれ話していて、ふっと思いついたのです。

 展翅板、という言葉を。

 ぴったりだ、そう思いました。

 ええ、展翅様という渾名から閃いたのです。

 名を付けたからと言って、何か変わったことをするわけではありません。私たちはただ、人伝えに耳にしたフィン様の言動に、一喜一憂していたのです。同級生で誰それが声をかけられたと聞けば、羨ましがり、嫉妬し、押しかけていってその状況を聞き込み、まるで自分が声をかけられたかのように、自慢げに言いふらしました。やがてそれらの噂は、私達の手で会報となって回覧されるようになりました。

 そうです。その会報の名も、展翅板と言います。嘘とも真実とも分からないあの方の逸話も、尾ひれがつき、華美に装飾されて、私達を中心に広まって行くのです。無論、語録としては奇妙なものもありますし、冷静に考えればありえないような眉唾物の話もありました。ですが、誰もがそれを信じ込んでいました。そうさせるような、浮世離れしたところが、あの方にはあった。どこか違う世界を生きているような感覚。同じ方角や風景を見ていても、全く違うものを、異なる眼差しで見ているような、そんな感覚です。

 私たちは、そんなあの方の美しく演出された言動を、一つ一つピンに留めるようにして蒐集し、頭の中で展示していたのです。

 会報は読み回しされ、次を催促されるようになりました。そうして最初は数人であった私のグループは、他に点在していた幾つものファン倶楽部と会報を通して繋がりあいながら、大きくなっていった。やがてそれらを纏めて、展翅板と名乗るようになったのです。その殆どの生徒が、あの方に憧れ、しかし近づくことができず、遠くから眺めることしかできない人たちでした。

 展翅板のメンバーは、そんな取り巻きに入ることのできない下級生によって結成され、増えていったのです。

 しかしまさか、その会報が、あんな出来事の引鉄になるとは、思いもしませんでした。


 三人目の証言者は、クラムシェルに近しい同級生である。

〈親衛隊シンシアの証言〉

 ――ええ、私はクラムとは親しかったわ。仲良しよ。一学年への編入時から、ずっと。あのような出来事が起きるまで。

 親衛隊、そう他の生徒達は仰々しく呼ぶのね。私達がクラムを独占し、他の生徒達を近づけまいとしていた、と。馬っ鹿らしい。

 そもそも私がクラムに近づいたのは、彼女を守ろうとしたからよ。

 何から、ですって。

 決まってるでしょう。有象無象の思惑が渦巻く、禍々しいこの修道院からに。

 お分かりにならないのね、私の言葉の意味を。

 ふふ、何も知らない人たちは修道院のことをこういうのでしょう。

 ――選良たちの育成機関、世界を支配する権力者達、その後継者達が、互いに競い合い、磨きあい、未来まで続く友情を育む場所。

 それは、外部の者達の思い込み、宣伝用の謳い文句でしかない。ここは毒々しい花の咲き乱れる秘密の花園、陰謀という教義の支配する修道院。政治的な駆け引きを学び、相手を陥れる術を身につけ、他人の心を自在に支配する技を習いうための専門機関。

 この修道院で育むのは、巧みに本心を隠し、自在に仮面を被り、望んで役柄を演じ分けることを可能にする自我。ここで鍛え上げられた人間は、笑顔で人を抱きしめながら、慈愛の心を保ったまま、隠し持った毒針で躊躇いなく相手を突き刺すことができるようになるのよ。

 外部からいらっしゃった方には分からないわね。いえ、きっと、この修道院に知らずに子どもを預けた親達も、よくわかってない。ここの卒業生である親は違うでしょうけど、それでも、ここが現在、自らの子供にとってどのような場所であるかは分かっていないはず。ここは天国にもなれば、地獄にもなる。悪魔にもなれれば、天使にもなれる。そのことを親は知ることができないのです。

 だって、ここの子等はみな、まず親に秘密を作ることを学ぶのだもの。

 そんな場所で、クラムは入学前から、スキャンダルの象徴として噂されていたわ。好奇、嫉妬、値踏み、羨望、哀れみ…無数の視線が、あの子には注がれていた。

 私も他の人たちと同じように、どうやって取り入ろう、あわよくば利用しよう考えていたの。でもそんな考えは、初めてクラムを見た瞬間に消え去ってしまったわ。

 一目でわかったのよ。クラムはこの修道院で、明らかに異質だった。見た目も、仕草も、表情も、まるで別の世界から来たことが分かった。一言で言うと、あまりに弱弱しかった。怯えている、というのではないわね。あまりにも無防備に見えた。

 クラムを見たとき、私に啓示が降りてきたのよ。

 あの子を、この修道院から守らなければ、と。

 何色にも染まっていないクラムを、この修道院に醜く潰されないように、汚く染め上げられないように、毒に侵されないようにしなきゃ。それが、この私の役割なのだ。直感的にそう思ったのよ。

 いざ付き合ってみると、思ったとおり、いいえ思ったよりずっと不思議な子だった。展翅様、そう呼ばれるようになったのも分かるわ。近しい私達は、親しみを込めて、クラム、とか、ラムシェ、ラムシーと呼んでいたけれど。

 どう不思議だったか?

 何と言えばいいかしら。世間知らずとか、常識がない、といった風にもいえるのだけど、そうではない…そう、浮世離れしていた、という表現がピッタリかしら。

 ええ、確かに、ふわりふわりとしていて、中空に少し浮いているような感じ。水中を漂っているようなイメージ。見えはしないけれど、本当に翅が生えているようだった。

 例えば、クラムはびっくりするほど物の名を知らなかった。

 記憶を失っているという話は知っていたわ。脳に損傷を負っている、とも。しかし、見た目では分からなかった。驚かされたのは、クラムが色々なものの名を忘れてしまっていたこと。ええ、誰でも当然知っているものの名が、出てこないの。話をしていて、それは何? と聞き返されることが多くありました。

 コクバンとは何? チョークとは何? ガクエンキとは何? ナガレボシとは何、ナナイロって? そんな風に、あの子は私達の会話を中断させるの。最初はぎょっとして顔を見合わせていたけれど、だんだん楽しくなってきたのよ。教えることが、だって、誰でも知っていることを説明しようとするのだけど、いざ説明しようとすると難しいのだもの。それに、クラムは私達の説明を真剣に聞いていて、なるほど、何て言葉に出して頷くのよ。それがおかしかった。

 それにね、いざ「ビショウネンってなに」とか「アノアバズレとはどういうもの」とか「ユメミガチってどんな感じ」って真顔で、好奇心に満ちた顔で聞いてくるのだもの。

 説明の途中で知らない言葉の質問をしてくるし、どんどん話は脱線し始めるし――そう、こんなときは「ダッセンって何」なんてクラムは聞いてくるのよ。

 そう、あの子にはいくつか口癖があった。今話した、「あれはなあに?」もその一つ。他には「どうして?」もそうだった。

 そう、「どうして?」そう問いかけるクラムの声は、今でも覚えている。弾むような声、好奇心に満ちた表情、不思議で仕方がないって感じを、全身を使って放っていた。

 クラムの周りは、不思議で満ちていたのよ。例えば、空を浮かぶ雲ひとつとっても、

 どうして雲は空を飛ぶことができるの? 雲が流れていくのはどうして? どうして形が変わっていくの? どうやったら思いのままの形にすることができるの? あの真っ白な雲と、雨を降らせる灰色の雨雲はなぜ違うの? 雨雲はなぜ雨を降らせるの? 煙突の雲は―これは煙のことね、雨を降らせることができるの?

 こんなことを聞いてくるのよ。おかしいでしょう。

 最初の頃は笑って説明していたけれど、やがて私達には答えることができない質問ばかりになった。そんなときは、先生に聞きに行ったり、図書室で一緒に調べたりした。図書室はクラムにとってお気に入りの場所だった。一人でも時々通うようになった。クラムを探すときは、いつも図書館から探したわ。私なんて、殆ど行ったことがなかった図書室に、いつのまにか入り浸ることになったもの。クラムがなにか「不思議」を抱えてやって来るのを期待しながらね。

 そしてもう一つ、クラムには愛すべき欠陥があった。

 ええ、そうよ。欠けていたのよ。近くにいる私たちでなければ、そうそう気付かなかったでしょうけれど。

 ある日、クラムはこんなことを言い出したの。

 獏を見てみたい、とね。

 ええ、そう、あの幻の生き物のこと。子どもの夢に出てきて、見たものの願いを叶えるという現実には存在しない生き物のことよ。

 最初は夢見がちなクラムらしい台詞だと思ったわ。でもそうではなかった。あの子はね、図書館で獏の知識を得てから、その生き物が本当に存在するのだと思っていたのよ。

 嘘じゃないわ。私たちが、それは作り事なのだと、そんな出来事はなかったし、そんな主人公など現実にはいやしないのよ、そう言い聞かしても、納得していなかった。いいえ、いない、ということが理解できないようだった。笑いながら説明する私達に、あの子はいつもこういっていたわ。

 「でも、ここに書かれているわ。書かれているということは、存在してるじゃない」

 それは作者の創作なのよ、そう言っても聞き分けなかった。

 「ほら、ここに、タイトルの下に名前があるでしょう。それはこの本を書いた人物、この架空の物語を想像し、言葉にして綴った人物なのよ」

 返ってきた答えは、笑っていた私達をぞっとさせたわ。

 「やっぱり、この方は存在しているのでしょう。この方が、この物語を書いたのでしょう。それなら、やはり存在するということでしょう。獏は、この書物に描かれたように、人の夢を食べるのでしょう」

 そう、クラムは、物語に記されていることは現実で、すべて本当にあったこと、登場人物はこの世に存在するものだと思っていたのよ。

 クラムにはね、境界が欠けていた。現実と虚構の区別が付かなかったのよ。

 あの子はまるで無垢な赤ん坊のようだった。本に記されていることと同様に、私達の口にすることも、嘘も冗談も、鵜呑みにして信じてしまうような危うさがあった。親衛隊と呼ばれる私達は、クラムのいないところで集まって誓い合ったのよ。

 「あの子を守りましょう。この修道院の底知れない悪意から、張り巡らされた陰謀から」

 とね。悪意? 陰謀? それがどのようなものか、ね。それは口にしてはいけないのよ。それがばれては、私は殺されてしまう。嘘じゃない。妄想なんかじゃない。だって私は、それを漏らしてしまったため、罰としてこんなところに閉じ込められてしまったのだもの。

 私達は、赤ん坊であったクラムが日に日に成長し、変わっていくのを、微笑ましい思いで見ていた。あの子を眺めていると、色々なことを気付かされるのよ。好奇心に溢れたクラムにとって、世の中がどれだけ不思議で満ちているのか。どれだけ下らない常識に、私達が縛られているのか。

 私は、色々なことを教えてあげたわ。それ以上に、色々なことを教えてもらった。気付かせてもらった。

 あの子が私達に手を引かれていたのは、ほんの僅かの間。しばらくすると、私達を引き連れてあるくようになった。私達はついていくので、背中を追いかけるので精一杯だった。そのうちに振り返ってくれなくなり、どこまでも先へと、軽やかに駆けていった。その背中も、やがて見えなくなった。

 ええ、浮世離れしていたあの子は、修道院の人気者になったわ。上級生からは、危なっかしいやんちゃで世間知らずの妹のように思われていた。同級生からは、マスコットキャラクタのように微笑ましい目で見られていた。小等部の生徒からは、様々な噂話が尾鰭を付けて優雅に泳ぎ回る中で、憧れの対象となっていった。

 あの子の言葉、思想に感化され、周囲の生徒たちもまた、夢を見るように現実を捉えるようになっていった。あの子の反応はいちいち新鮮だった。周囲の生徒たちも虜にしていった。不思議で、危うく、純粋なあの子は、修道院の生徒たちの視線を一身に集めながら、どこかふわふわと軽やかに、演じるように修道院での日々を送っていた。その芝居じみた仕草や台詞のような言葉遣いを真似る生徒たちもでてきて、それは人から人へと色に染め上げられていくように広まっていったのよ。

 確かに私も、あの子の言動に心酔していたわ。背中を見失わないように必死になって真似たこともあった。

 そうよ、当時から精神科にも通っていたわ。

 クラムに感化されたから? それとこれとは別の問題でしょう。

 だってあの子は大切な友人ですもの…あんなことになっても。

 何ですって? クラムは、私のことは友達だと思っていないですって? 勘違いして勝手に親衛隊を名乗っていた、迷惑していた、ですって? 苛められていた私に、おなさけで声をかけただけで、懐かれて迷惑していた?

 一体誰がそんなことを。教えなさい、殺してやるわ、ええそうよ。殺してやるのよ。最高の笑顔でね。

 い、いやよ、病室には戻りたくないの。出たいのよ、この病院から。精神科の病棟などに、どうしてこの私が。この病棟の人々はみな、狂っている。なぜ私が、こんなところに閉じ込められなければならないの。

 もう行ってしまうのね。

 ええ、最初にお話ししたように、私にも分からないわ。正直、あの子が、どうしてそのようなことをしてしまったのか。でも一つ、あなたにお話しをしていて、思いついたのよ。

 話したでしょ、あの子が、フィンと呼ばれていたのを。

 クラムは、死ぬつもりなんてなかったのではないかしら。

 崖から飛び降りたのは、自分は空を飛べると、そう信じていたからかもしれない――。


 さて、この三人の証言から分からも、クラムシェルの修道院生活の一年目は充実したものとなり、確固たるを築き上げるまでになっていたことが分かる。そのほかにも無数の証言が、クラムシェルが修道院を一つの舞台として、その中心にいたことを裏付けている。当人は気付かずとも、他の生徒や教師などを脇役として従え、主人公として振舞っていたのである。

 その一年の間も、クラムシェルは主として三人の専門担当医の診察を定期的に受けていた。整形外科医、脳外科医、そして主治医である精神科医、フォルスネイムの三人である。

 整形外科医は、クラムシェルの肉体的な回復と健やかな成長を受け持った。脳外科医は、頭部への傷がもたらした脳障害の経過を確認し、記憶回復などの状況を観察し、精神科医は、記憶の回復による精神的な負荷の観察と軽減、その影響や悪夢の調査などであった。研究所から屋敷へとやってきたフォルスネイムは、他二人の担当医と密に連絡を取り合い、クラムシェルの屋敷での暮らしの観察、修道院生活での精神的なケア、カウンセリングを行うことになっていた。

 フォルスネイムは専門外でも四つの学位を所有する、俗に言えば天才の名を冠した名医である。屋敷付きのプライベートドクターであり、クラムシェルの家庭教師の一人でもある、いわば家族に近しい屋敷の住人として巨額の報酬で迎え入れられた人物である。

 また一方で、外部に漏れると困る情報が日常的な会話として交わされる屋敷では、内外でプライベートでの秘密を守ることを厳しく義務付けられ、規定が記された分厚い誓約書を交わしており、自由というものはないに等しい。

 彼女は主治医、家庭教師としてクラムシェルと接する一方、叔母セレスタインへの報告役でもあり、クラムシェルのスケジュールをセレスタインに提案し、調整する役割も担っていた。

 次に取り上げるのは、そのフォルスネイムの証言である。クラムシェルの修道院生活、屋敷での暮らし、その一年の経過を間近で観察しているこの医師の記録は、他の資料を圧倒した分量で残されている。医師として、クラムシェルが秘密として話したことは、その叔母であるセレスタインにも漏らすことは許されないはずであったが、セレスタインと財閥の圧力から、それを守ることはできなかった。というより、義務付けられていたのだ。

 フォルスネイムの診察記録、日記は、押収される前に、すべて複製が作られている。その結果として、この証言も掲載できるのだ。そして複製が作られていることに、フォルスネイム当人は気付いていなかったようだ。のちに秘密漏洩と守秘義務違反で訴えられたフォルスネイムは、一貫して潔白を主張している。その後、保釈中に身の危険を感じたフォルスネイムは、懇意とする整形外科医に頼って顔も指紋も変え、姿を消したと言われている。だがそれも噂であり、単に消息不明になっただけのことで、真実は杳として知れない。

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