2章  ふたつ名 Ⅰ 水槽の森①

 その修道院について記しておきたい。そこは幼少期から一八歳までの子供たちが通う学び舎であったが、通常の学校とは違い特異な『機関』であった。

 そこは屋敷から車で一時間ほどの場所にある、アルビオン財閥が所有、運営を行っている、私設修道院だった。集うのは貴族階級の子弟や、選び抜かれた選良たちであり、カリキュラムも他に類をみない、財閥独自の帝王学の元に組まれたものである。そこで学ぶのは他者を支配するための帝王学、権謀術数の政治学、陰謀史観によって綴られる歴史学、人の営みの礎となる審美学、子孫繁栄の血統学などが中心となっている。

 歴代の財閥トップが他の財閥関係者や時の権力者たちと円卓を囲み設立した、選良の、選良による、選良のための修道院である。そこで施されるのは学問だけではない。築かれるのは後の社交界や財界まで生涯にわたって続く堅固な人間関係、刺激されるのは世の中や人間に対する強烈な興味、育てられるのは自分とは何者であるかという圧倒的な自我、磨かれるのは自らの可能性を追求しようとする飽くなき探究心、修得するのは自らの意思で未来を創造しようという現実的な想像力…それらは全て、「帝王学こそ至上の学問であり、世界の在り様である」という修道院の理念の下に施される。徹底した帝王学を学ぶための場所であったのである。

 修道院は世界の富の八割までを所有する複数の財閥関係者たちによって運営されている。修道院界隈は治外法権を有する自治区であり、周辺には多彩な分野の最先端の研究所が列なり、博物館、美術館、劇場なども隣接していた。修道院を含めたそこは、一種の学究都市であった。そこで働き、活躍することそのものが、大きなステータスとされていた。修道院はいわば、一流の才を持つものや、世を支配する権力者達の子弟を集め、新たな支配者たちを育てる教育機関であり、財閥運営者達の華やかな社交場、秘かな円卓の間であり、同時に帝王学の実験場でもあった。

 修道院が一般公開している資料からも、クラムシェルの学友達の親族には、そうそうたる血筋の者達が名を連ねているのが分かる。そこで育ち、財界や社交界に羽ばたいた権力者達の多くが、母校であるこの修道院に自らの子を通わせることを切望し、多額の寄付を厭わない。だが、半分は、苛烈な経済闘争によって敗北したり、追われたりなどして、去っていく。そこに新興の権力者達の子弟が、アルビオン財閥を中心とする運営母体からプラチナチケットを与えられ、送り込まれくる。そうして新陳代謝を繰り返していた。

 理事を務めているのは、アルビオン財閥のセレスタイン当人である。修道院のトップは、代々その盟主であるアルビオン家から出ることになっていた。クラムシェルが放り込まれたのは、そんな場所だった。彼女は、修道院の所有者の娘として中等部一学年生として編入したのである。

 そのときクラムシェルは知っていただろうか。

 修道院が持つ二つ名――世界中の水源地、海岸線を買収し、富を吸い上げてきたアルビオン財閥に因み、外界では揶揄と羨望を込め、こう呼ばれていることを。

 水槽の森――ヴィヴァリウム修道院。

 どうだろう、あまりに象徴じみていないだろうか。まさかこの二つ名がクラムシェルの精神の歯車を狂わせた原因ではないだろうが、どこかしら因縁めいたものを感じずにはいられない。

 後に己を人魚姫だと思い込み、入水自殺未遂を繰り返すことになるクラムシェル。やがて世に蔓延する人魚姫症候群の感染源である彼女は、その奇妙な病の因子を人魚姫という物語によって胚胎し、この水族館の異名を持つ修道院で萌芽させ、秘かに育てていたのではないだろうか――。

〈人魚の因子――精神科医フルズゴルドの手記〉より一部抜粋


 教育の前では平等であることが叫ばれる昨今、支配者育成を明確な目的とし、合理的奴隷制が必修単位となっている修道院の教育哲学は、世とはかけ離れたところにある。そしてクラムシェルは当初から、理事の娘、アルビオン家の継承者として、特別扱いで一年次に編入したのである。修道院の他の生徒たちがグラステラという全寮制の宿舎に暮らすのに対し、クラムシェルは特別扱いとして、修道院外にあるセレスタインの邸宅から、運転手によって送り迎えされて通学することになった。だがこれは医師からすれば特別ではなく当然であった。頭部に大怪我をおって記憶を失い、言葉や文字さえも忘れていたクラムシェルは、社交性の欠如や、突飛な行動や考え方をすることもしばしば見られた。その症状は不可解で、未解明な脳機能への後遺症などを含めて、具に経過を見る必要があったからである。

 だが一方で、修道院の教師達には、クラムシェルが財閥の後継者であり、理事の娘として接することは、明文化されて通達されていた。

 新規編入生、クラムシェルの処遇について――そう題された通達は十数枚に及ぶが、大まかに意訳するならばこのようなものである。

 『このたび一年時に編入する生徒は、財閥の後継者の血族である。彼女は事故により頭部に損傷を追い、記憶の一切を失っていた。現在、少しずつ記憶は戻りつつあるものの、奇妙な行動、突飛な思考を露にすることがある。怪我は完治していても、脳への後遺症はいまだ計り知れず、どのような症状となって発露するのか、予断を許さぬ状況にある。他の生徒以上に、この生徒には目を配り、配慮し、些細なことであっても、気になった事柄の文書化による報告を義務付けることにする。他の教師との連携をはかり、生徒達の噂話一つにも、注意を払わなければならない。生徒とは、隠し事をしたがるもの、秘密を持ちたがるものであることを、自覚しなければならない。この生徒の健やかなる成長は、この修道院の存続そのものに、そして貴君ら教師達の処遇に直接影響を与えることを、各自肝に銘じておくことを、切に願う』

 これをさらに一言で読み解くならば、

 クラムシェルは財閥の次期後継者である、だろう。

 セレスタインはクラムシェルを案じ、教師達にあからさまな圧力をかけたのである。

 ここで私が注意しておきたいのは、この通達によって、たとえ教師達がさりげなくとはいえ、この類の注意をこの新参の生徒に向けたとするならば、それは好奇な視線となってクラムシェルを貫いたに違いない、ということである。そういった精神的な圧迫をクラムシェルは受け続けていたのではないか、そう推察されるのだ。

 一方、セレスタインの心配を他所に、クラムシェル本人は、思いのほかすんなりと修道院に馴染んでいったと思われる。ただこれには、生徒達にも当然、クラムシェルが理事の姪であること、つまりは財閥の後継者候補であることが親を経由して知れ渡っていたことも、強大な影響を与えているだろう。

 ハイソサエティの子息が集う修道院では、出自がものを言う。生徒の親達は、自分の子らが、この鳴り物入りの後継者にどのように接するべきか、どう接してはいけないのか、入念に言い含められていた。

 また、ゴシップの延長上ではあったが、クラムシェルの境遇も知られていた。あのセイレンの隠し子であり、セイレンブルーシリーズのモチーフであること、海難事故で一度記憶を失ってしまったこと、父親が誰か分からないということ、母は未だに行方不明であること等々、それらの事実は、編入する以前の段階で、親から子へ、そして生徒達の間で口伝えに広がり、また別の情報源からの情報が入り混じり、語り手によって異なる脚色がされ、広められていた。それは多感な生徒達、特に少女達の興味を掻き立てた。

 そう、クラムシェルは編入前から既に注目の的であり、同世代の選良達や一流の教師達から、敬意と畏怖、若干の緊張と強い関心を持って、腫れ物を扱うかのように丁重に修道院に向かい入れられたのである。

 そのような下地もあって、クラムシェルは修道院での生活に馴染んでいったようである。取り巻きといっていいような友人達はあっという間に増えた。教師達も細心の注意を払って彼女に接した。誰もが一様に親切であり、秘かにクラムシェルの様子を観察しながら機嫌を窺い、何くれと気を遣っていた。

 遅れていた学力だったが、屋敷での個人教授によるバックアップと、クラスメイトや教師による手厚いサポートによって、驚異的な速さで向上していった。

 ここで特筆すべきは、一度記憶を失ってしまい、また魂が抜け落ちたように周囲への興味を失っていたクラムシェルが、教師達が感嘆するほどの聡明さと貪欲な知識欲を持っていたことである。当時の資料からは、それが教師の贔屓目や、己の教育手腕の誇示などとは関係ないことが見て取れる。

 習熟度を示す記録は右肩上がりであり、スケジュールは予定を遥かに上回るペースで進んでいる。教師達は理事であるセレスタインに対し、美辞麗句を駆使してクラムシェルを褒め称えている。まさしくスポンジが水を吸収するように、クラムシェルは学問を深めていったのである。

 クラムシェルの一日は、きっちりと時間ごとにスケジュールが組まれていて、その流れに沿って過ごしていた。屋敷の敷地内に住居を与えられた専属の家庭教師達が、セレスタインと話し合って一週間ごとにカリキュラムを組んでいた。その資料は記録としてすべて揃っており、それを見れば、クラムシェルの一日が分かる。

 当時のカリキュラムを眺めてみると、修道院の帝王学に則ったものであり、学問だけではなく、芸術分野に関してもかなりの時間が割かれていることが分かる。屋敷に帰宅してからの予定も組まれていて、芸術やマナーなどの素養も磨くことになっていた。そのため編入当初は特定の倶楽部活動に所属することはできなかったし、許されてもいなかった。だが、終業後の僅かな自由時間や授業の合間に、クラスメイトや教師達に連れられ、図書館や音楽堂、美術塔などを案内されたり、多彩な倶楽部活動を見学するなどしていた。顔の知られているクラムシェルは、何処に行っても手厚くもてなされている。そんな目まぐるしくも充実した日々を送っている。

 セレスタインは夕餉の後、クラムシェルとその日の出来事について会話するようにしていた。修道院で孤立していないか、学業の遅れで苦しんでいやしないか、等だが、その心配は杞憂に終わり、安心して修道院に送り出せるようになるまで、それほど時間は掛からなかった。具にクラムシェルを観察し、また関係各所からの秘かな報告書をチェックするセレスタインは、クラムシェルの非凡な面に驚き、喜びを感じている。学問だけではなく、芸術的な分野でもめきめきと上達し、多彩な才能の片鱗を見せるクラムシェルは、教授の肩書きを持つ一流の教師達を日々驚かせていた。

 それがクラムシェルを一人で育てていた母、セイレンに施された教育によるものなのか、生まれ持った天賦のものなのかは、教師によって意見の分かれているところである。セレスタイン自身は、容姿が幼少のセイレンと瓜二つであるこの姪は、七天の再来と呼ばれ、美神の名を与えられた母親の血を、容姿だけでなく、才能まで色濃く受け継いだのだ、そう考えていた。

 セレスタインは三ヵ月後には、日々快活に、楽しそうに修道院に通うクラムシェルを、頼もしい思いで眺めることができるようになっていた。かつての魂が抜け落ちた人形のような表情であったこと、言葉も文字も、記憶ごとすっぽりと忘れ果て、赤子のようにママと泣き叫んでいた頃が、まるで嘘のような変貌であった。

 修道院へ突如として降臨したクラムシェルは、まずはその出自から、教師や生徒達から受け入れられ、すぐにその周囲を多くの友人達によって取り囲まれることとなった。当初はその取り巻きの殆どが、財閥の後継者候補としてのクラムシェルに近づき、接していたことは間違いない。それはこういった修道院のような環境においては仕方のないことであり、むしろ自然なことである。

 だが、修道院の関係者がセレスタインへ提出した報告書を読み解くにつれ、出自とは関係のない(血筋は無論関係しているが)、クラムシェル本人の持つ不思議な魅力が、少しずつ周囲の生徒達を魅了し、やがては虜にしていった様子が鮮明に浮かび上がってくる。

 例えば、クラムシェルを中心として、ファン倶楽部や親衛隊、御庭番といったような非公式の集団が自然発生的に修道院内に生まれているのである。

 面白いのは、その過程で、クラムシェルが母親と同様に、様々な二つ名で呼ばれるようになっていることだ。それも当人には知らされず、修道院のそこかしこで囁かれるように、幾つもの渾名を冠されているのだ。

 いわく、名付けの君、いわく、小奥之院、いわく、夢見姫…これらが修道院の界隈ごとに広まった、主要な二つの名である。

 それぞれの呼び名にはその名に至るまでの理由があるが、それに関しては省略する。その渾名付けは、一種のブームとして修道院内で巻き起こった現象であり、そのエピソードにはきりがない。修道院に降臨したクラムシェルに対し、生徒達はその距離に関わらず、何らかの感情を抱き、妄想を掻き立てられ、友人達とのコミュニティの中で話題としていたようだ。それがやがて二つ名を生み出す流行となって、漣のように伝わっていったのである。渾名は密やかな噂のようなものであり、決して表立ったものではなかった。無論、好意的なものだけではなく、出自や事故を揶揄したようなものもあった。

 やがてそれらの渾名は、時が経ち、ブームが収束に向かうにつれ、多くは自然消滅し、或いは淘汰され、消えていった。そうして無数の二つ名が忘れ去られてしまった後、いつしかたった一つの名が生き残り、クラムシェルに対して冠されるようになっていた。表立っては、下級生からは憧憬から「クラムシェル姉様」、同学年には親しみを込めて「ラムシェ」「クラム」「シェル」といった愛称で、上級生には羨望と畏怖の混じり合った「レディ・アルビオン」そう呼ばれていたが、数ヶ月が過ぎる頃には、修道院の生徒達は、影でその二つ名で呼ぶようになっていた。

 展翅様――フィン。

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