1章  病棟の人魚姫 Ⅵ 物語の行方①

 フォルスネイムの提案にセレスタインの意見が取り入れられ、治療方針に変更が加えられた。記憶の回復を目的とした治療は取りやめられ、日々変わらない日常生活を送る中で、時間の流れによる癒しを与えるという方向性がとられた。

 この頃には、クラムシェルの言語や肉体的な回復は順調に進み、日常生活を送るには不自由しないレベルに達していた。そこで、精神的な負荷を極力抑え、使用人やオブシディアン、医師によって見守られながら、健やかな日々を送らせることになった。後は、クラムシェル自身の自主性、興味の向くままに、一日を過ごさせるようにしたのである。

 クラムシェルが興味を示したのは、やはり物語であった。自由な時間を使って、白亜邸にあった書物を、記憶治療や言語回復などとは関係なく、自分の意思で存分に楽しむようになったのである。語彙力が上がったことや、知識量の増加も伴い、以前に比べてより没頭し、夢中になって読むようになった。その集中力は医者も驚くほどで、感情移入のレベルも一段階上がったように思われた。

 読む早さと理解力も日に日に向上していった。最初の頃は短い本、難易度の低そうな本を選んで読んでいたのだが、次第に高度な内容の物語を読むようになっていった。

 この頃、その熱中ぶりを医師が話題にしたとき、クラムシェルはこう話している。

 「読み進めるのをやめられないのよ。ページを捲るのが待ち遠しいのに、そのページが終わってしまうのが惜しいのよ。物語の中で私は、主人公になって、物語の登場人物になって、そこで生きているような気さえするの。そして、そのこと自体が堪らなく嬉しい。物語を読むことがこんなに楽しいなんて、以前は思えなかった。どんどん、物語を読むことが面白くなってくるのよ。一度読んだ本でも、最近読むと、面白さが全然違うの。物語がより鮮明に生まれ変わったようにさえ感じる。でも文章が変わってしまうことはないのだから、きっと私の心の方が、物語をより鮮やかに感じ取れるように成長したのね」

 さて、物語に耽溺するクラムシェルは微笑ましい印象を与えるものの、周囲の人々には、奇異な面も感じさせている。

 例えば、読みながら少女は、多様な感情を発露させた。主人公になりきり、また物語の登場人物に感情移入し、本気で胸をときめかせたり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、笑ったりするようになった。本を読みながら、様々な感情を本気で発露し、表情に表すのだから、それを傍から見ている人々が奇妙に思うのは当然であろう。

 また、周囲の人々が首を傾げたのは、それだけではない。

  次に記すのは、当時のクラムシェルに関する、セレスタインの証言である。

 

 ――あの子は一日の殆どを、書物を読んで過ごすようになりました。悪夢が発露する以前から、物語を楽しむようになっていましたが、悪夢によって治療方針が変わった頃から、その熱中振りに拍車がかかったのです。物語を読んだ後に話す感想もまた、その頃から次第に熱を帯びたものに変わっていったのです。以前は尋ねなければ、教えてはくれませんでした。それが、積極的にあの子から話して聞かせてくれるようになったのです。それも私達だけではなく、周囲の使用人やオブシディアン、医師や看護婦にまで。読んでいる物語の内容や感想を、聞かれてもいないのに、得意げに興奮を持て余すように話してくれるのです。

 ええ、周囲はやや困惑していたと思います。でも私自身にとって、あの子の様子を見ながら物語の感想に耳を傾けていることは、実に楽しいことでした。話しぶりが少しずつ上達し、語彙力が上がっていくのが日に日に分かるからです。最初はたどたどしく、物語の解説も、筋だったものではなかった。聞いていてもどこが面白かったのかよく分からないこともしばしばでした。それがやがて、語り聞かせる技術そのものが上達していくことで、あの子の説明でどのような物語なのかが大体分かるようになりました。そこではまだ終わりません。面白おかしく解説される物語に耳を傾けているうちに、実は、私自身、あの子が語ってくれる話に少しずつ夢中になっていったのです。あの子と同じように感情移入し、あの子の感情に同調しながら物語を聴くようになっていました。途中で話を切り上げられたときには、続きを聞かせて欲しいと思ったほどです。まるで母親に物語の続きをねだる子供のように。

 そんなときあの子は、悪戯っぽい笑みを浮かべてこう口にし、私を焦らしたものです。

 「続きはまた明日ね。楽しみに待っていて。私もまだ読んでいないだもの」

  ええ、オブシディアンや他の使用人も同じです。最初は戸惑っていた者達が、あの子の話を本気で楽しむようになり、続きを教えて欲しいとせがんでいる場面を見ているときには、何だかこちらまで嬉しくなってしまいました。そうして、あの子は周囲を巻き込んでいったのです。自分の語る物語へと。

 確かに少し常軌を逸していると感じることもありました。それは、物語を読み終え、書物を閉じても、物語の中で抱いていた感情や物語の中で描かれている世界を引きずっていることがあったからです。

 物語の中で、大好きだった登場人物が死んでしまったと三日間もふさぎ込んでしまったことがありました。物語で描かれた悪役に本気で憤慨し、本を何度も壁に叩きつけたり、口汚く罵ったりすることもありました。かと思えば、楽しく読んでいた物語がハッピーエンドで終わった時など、その幸福感で一日中笑顔でにやにやしていることもありました。

 感情やその表現が豊かなのは、以前人形と呼ばれた頃のことを考えれば、喜ばしいことなのですが、それがあまりに直情的で、行動に反映されるほど直裁であったのです。

 先ほど、物語の世界を現実の世界へと引きずる、と申しましたが、それが一線を越えてしまっていると感じることがございました。どういうことかと申しますと、時にあの子は、物語と現実の区別が付かないことがあったのです。

 感想を聞いていて気付いたのです。あの子は魔法使いや魔女がこの世に本当にいると信じておりました。

 いえ、嘘ではありません。

 どうすれば魔法を使えるのか、あの子は知りたがっていましたし、その魔法使いに会いたいとか、魔法の使い方を教えて欲しいと口にしたりしていました。最初は冗談かと思っておりましたが、本気なのです。あの子は医師や使用人たちに、魔法使いの知り合いがいないか、魔法の使い方を知っていたら教えて欲しいと話しているのです。それらの話を聞いて、あの子が本気で魔法や魔法使いを信じているのだと分かったのです。

 他にも、竜や一角獣なども信じておりましたし、様々な想像上の世界が、この現実の世界と地続きになっていると考えているようでした。

 どんなに、これは物語の中でのことで、現実には存在しない、架空のお話なのだから、そう言って聞かせても、ピンときていないのです。理解できていないのです。物語の中で描かれた猫や犬がいるのに、なぜ、竜がいないの? 騎士や王子が現実にいるのに、どうして魔女や魔法使いがいないの? といったことを本気で口にするのです。

 何とあの子は、物語で起こった出来事、登場した人物は、全て現実の存在することだと思っていたのです。

 ええ、もちろん心配になって、主治医には相談しています。

 医師達の答えは通り一遍のものが殆どでした。損傷した脳がもたらした症状の一つではないか、というもの。他にも、幼児退行症の延長上にあるもので、幼児が物語と現実が区別が付かないのと同じ現象であろう、というもの。中には、エキセントリックな母親から受け継ぎ、英才教育の中で育まれた類まれな感受性だ、そう讃えるものもいました。

 彼らは口々に、脳の不思議な一面を新たに発見した気になっていましたが、私は納得できませんでした。物語に没頭し続けるあの子を見ていると、あの子がこちら側ではなく、あちら側の――物語の中を生きているような空想を抱いてしまうのです。

 そう、あの子はそもそも、存在しないはずの架空の少女でした。姉様の作品の中にしか存在しない、幻の娘だと思われていた。そんなあの子は、発見されてからも、現実ではなく夢の世界を生きているのではないか…そんな気がしてならなかったのです。

 目の前であの子を見ているにも関わらず、クラムシェルなんていう少女は、実はこの世に存在しないのではないか、私は幻を見ているのではないか、そう思ってしまうのです。あの子は姉様が描いた絵から抜け出てきた存在で、何かの拍子に、ふっと消えてしまうのではないか、ついそんなことを考えてしまうのです。ええ、自分でもおかしいとは分かっております。でも、あの子を見ていると、どうしてもそんな不安に駆られてしまう。物語に没頭するあの子を見ながら、私はときどきわざと声をかけて、読書を中断させたりしておりました。そのまま物語の中に吸い込まれてしまいそうで、怖かったのです。

 わかっております。私が言っていることが、奇妙な妄想であることも。不可解なのはあの子だけではなく、その影響を受けた私自身もおかしくなっていたのかもしれません。

 そんな日々が一カ月ほど過ぎた頃のことです。現実と幻想の境界を自在に行き来するあの子を、確かな現実へと引き戻す出来事が起こり始めたのです。

 そうです。ついにあの子が、少しずつ、過去を思い出すようになったのです。

 ええ、皮肉なものです。無理に記憶を思い出させることを止めてから、いや、恐らくは止めた結果として、あの子は記憶を少しずつ思い出し、過去を取り戻し始めたのです――。


 以上がセレスタインの証言であるが、クラムシェルは数々の物語に耽溺する日々を送る中で、こんな発言をするようになったのである。

 次に列記するのは、この頃のクラムシェルの発言を時系列順に抜粋したものである。

 「この物語を、私は知っているわ。読む前から、知っていたのよ」

 「確かに、お母様がこの物語を読み聞かせてくれたことがあったわ」

 「お母様が話してくれたこの物語、続きが気になって仕方がないことがあった」

 「この物語を読み終えるのが惜しくて、終わりが近くなるほどに、わざとゆっくりページを捲ったことが、確かにあった」

 「ええ、間違いない、覚えているわ。こんな物語だった。ディテールはあやふやだし、次の展開を言い当てることはできないけど」

 「読み聞かせてくれるお母様の前で、私は今のように笑ったり、怒ったり、泣いたり、怖がったりしたわ。そうよ。今まで思い出すことができなかった、初めて読んだと思っていたけれど、これらの物語は、お母様の記憶と一緒になって、私の奥底に眠っているわ」

 この発言の後、クラムシェルは少しずつ記憶を取り戻していくことになる。といっても、思い出そうとして思い出せるものではなかった。クラムシェル自身の言葉を借りるなら、

 「何かをやっていて、不意に甦ってくる」というもので、物語に関しては、

 「物語を読んでいるときではなく、読み終えたあとの食事中や入浴中に、時間をおいてフラッシュバックのように思い出す」のである。

 フォルスネイムの記録ではこう記載されている。

 「記憶は断片的で、尻切れトンボであった。ばらばらの記憶が、突然一枚になって思い出されることもあったし、風景画のように瞬間的なシーンとして蘇ることもあった」

 また、思い出す間隔にも、法則性のようなものはなかった。連日思い出すこともあれば、一週間思い出すことはなく、突然、一つの出来事や一冊の物語を思い出すこともあったと記されている。

 記憶を取り戻すようになった切っ掛けについて、医師達は話し合い、こう分析している。

 「記憶が回復し始めたのは、記憶治療の強制を止めた結果であろう。治療のカリキュラムやプレッシャーから解放されたことで、精神的な負荷が軽くなり、リラックス状態が持続できるようになった。そのことで物語に没頭する余裕と集中力が生まれた。数多の物語に夢中になる中で感情が刺激され、途切れていた神経が繋がった瞬間に、まさしく突然思い出すかのように、過去を呼び覚ますのだろう」

 だがこれは、私の分析では全くの見当違いだと言わざるを得ない。

 フォルスネイムを初めとする医師達は、重要な点を見落としている。

 クラムシェルはこの当時、物語だけではなく、セイレンが残した日記に関しても、同じように思い出し始めている。物語を読むように、クラムシェルは夢中になって日記を読むようになっている。さらに、以前はまったく覚えていないと話していた日記を、悪夢を見てしばらく経ってから、日記で記されたことが確かにあった、思い出した、そう話し始めているのである。

 日記と物語、この二つの事象をクラムシェルのように一緒くたにしてはならない。

 私が注目した点は、クラムシェルが物語を思い出すのとは異なり、日記には記されていないディテールまで細かに思い出していることである。セイレンの視点で記された日記では、クラムシェル自身の気持ちは推測として描かれているか、或いは第三者の視点で物語化されていた。クラムシェルは、そのときには実際どのように考えていたのか、どう思ったのか、どう感じていたのかを鮮明に、記憶力を発揮して思い出しているのである。

 また他にも奇妙なことがある。クラムシェルは、日記に記されていたように楽器を習ったこと、ダンスを教わったことも思い出しているが、実際に楽器を弾くことも、ダンスを踊ることも、その時点ではできなかったのである。記憶は思い出しても、体が覚えていなかったのである。これが医学的にいう通説と逆なのである。一般的な記憶喪失の殆どの例において、記憶は思い出せないのに、体が覚えている、というのがセオリーとなっている。しかしクラムシェルについてはこれが完全に逆転しているのである。

 それ以外にも、気になる点は多い。例えば、思い出したはずの記憶も、どこかちぐはぐなところがあり、斑模様のように不完全なものが多かった。矛盾しているようなところも多く、それに関しては人の記憶がそもそも不確かなものであるため、深く突き詰めるようなことではない、医師たちはそう考えていた。だが見過ごすことができないのは、思い出される記憶に関して、その時系列をクラムシェルが全く理解していないことであった。

 クラムシェルがゆっくりと時間をかけ、天から気まぐれに降ってくるのを待つように思い出していった過去、パズルのピースのような断片をつなぎ合わせて描いた想い出の情景の数々が、彼女の中に確かに積み上げられていった。しかし、それらの出来事の一つ一つが、いったいいつの出来事であるのか、クラムシェルは分かっていなかったのである。

 この点については、医師も奇妙な事象として挙げている。

 「どういうわけかお嬢様は、様々な想い出、過去の出来事を、時系列順に並べることができなかった。一度、ある医師がそれらの出来事を時系列順に並べさせると、悩んだ挙句、思い出した順に並べてしまったのである。思い出す記憶は文字の読めない幼少時期のものもあれば、かなり高度な文字の読み書きができるようになった当時のこともあり、その順序はばらばらであった。しかし、それがお嬢様には理解できていなかった。すべての記憶は横並びであり、何度時系列を尋ねても、明確に答えることができなかった。また、答えるたびに、順序がばらばらになってしまうのである――」

 フォルスネイムが他の医師達と話し合った記憶に関する見解は、クラムシェルの思い出す記憶は、モザイク状に形成されている、というものであった。その繋がり、接着面となるのが想像力であり、物語である、そう結論付けている。

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