1章 病棟の人魚姫 Ⅵ 片鱗①
自らの名に興味がなく受動的あったクラムシェルが、セレスタインから与えられた名を拒否してクラムシェルという名を選んだ――この事実は、この物語にとって大きな分岐点であるように思われる。
また、ある資料での、他の医師達がさほど気に留めず見過ごしている台詞であるが、
「どんな名にも違和感があるのよ。それが自分の名だと思えない。いえ、どんな名も、それは自分の名前じゃない、ということだけは、はっきりと分かるの。だから、クラムシェルという名も、私の本当の名ではないのは間違いないわ。でも、誰が付けたのかもわからない、世の人々に知れ渡っているこの名こそ、今の私にふさわしい、そんな気がするの」
再び名を変えるためセレスタインを説得しようとしたこの発言は、実は大きな意味を持つのではないかと考えられる。
発見されてより魂を失った人形だと言われたクラムシェルが、己の内に抑えがたい自我を芽生えさせたのは、まさにこの時ではないだろうか。私にはそう思われるのである。
さて、ここで舞台は再び転換する。
クラムシェルが研究所からセレスタインの暮らす屋敷へと移ったのは、クラムシェルへと戸籍が訂正されて程なくしてからのことであった。身体的、精神的リハビリがある程度進み、外傷の治癒に関してはほぼ完治したことから、医療チームによって退院が決断されたのである。屋敷にはもともと私設医や看護師が控えていたが、クラムシェルのため、研究所から数名の医師と看護婦が選ばれ、専属医として敷地内に新たな住居を構え、常駐することとなった。それを率いるのは、主治医であり、家庭教師としての役目を果たすことになった一人の精神科医である。私は彼に、フォルスネイムと名付けた。
クラムシェルは、漂着以後続いた病院という環境から抜け出し、庭を含めた敷地面積では大病院を遥かに超えるような大邸宅で、新しい日々を始めることになるのである。
その屋敷は、世間から羨望を込めて呼ばれる『アルビノス・キャッスル』という煌びやかな名を持っていた。一方で、財界や政界などから畏怖を込めて囁かれる異名があった。この書物では、その呼称を使用しよう。人々は財閥関係者の見えぬ所で、ある者は眉を顰め、ある者は苦虫を噛み潰したような表情で、ある者は憧憬に瞳を輝かせながら、口々に言うのだ。
魔女の棲む城、と。
これが、私が記すこの物語における、アルビオン本家の屋敷の名である。
ここからは屋敷を棲み処とする者たちがクラムシェルと関わることになる。そこに棲むメイドやオブシディアンたちは専門校において厳格な躾と訓練がなされた一流の使用人であるため、クラムシェルやセレスタイン、財閥に対して、個人的な感想や意見などを外部へ漏らすことは少ない。ゴシップ紙による証言の買収も盛んに試みられているが、そのほぼ全てが空振りに終わっている。
だが、そんな中でも、クラムシェルに関する資料を渉猟していると、幾つもの重要だと思われる記述、出来事、発言、シーンがある。今、私が記しているこの物語は、その部分を繋げ、私自ら補足していく形式で構成されたものである。
クラムシェルは屋敷に暮らし始めた時点でも、やはり殆どの過去を思い出せていない。白亜邸を訪れたときに思い出した、セイレンが本を青い本を読んでいた情景と、海の風景だけである。
しかし自らクラムシェルの名を選び、名乗るようになってから、彼女の中で、それまで錆びついて止まっていた歯車が動き出したような明確な変化が起きている。それは、書物による文字の訓練において顕著に表れている。
クラムシェルは、物語を楽しむことができるようになったのである。
屋敷において新たな私室を宛がわれ、その広大な敷地内で肉体的なリハビリと精神的な治療が継続して行われることになったクラムシェルだが、それまで、どんな書物を読んでも詰まらなそうに文字を追うだけであった彼女が、感情移入して物語を読めるようになっていたのである。この変化は、『情緒の喪失』と呼ばれていた精神的症状から考えると非常に大きな一歩である。医師もこの点には大いに注目している。彼の言葉を借りるなら、まさに、「果てしなく広がる新世界への扉を開いた」変化であった。
先にも記したが、自らクラムシェルという名を選ぶ以前は、与えられたどんな物語も、クラムシェルの興味を惹くことはなく、心を揺さぶることもなかった。治療だからと退屈そうに、無関心、無感動に文字を読み進めていただけであった。
それが一変し、自分の意思で物語を読み始めたのである。
それも、かつては退屈さで放り出したような書物の数々を、瞳を輝かせながら、楽しんで読むようになったのである。
その変化に医師もセレスタインも驚き、当人にどんな心境の変化があったのかを尋ねている。それに対し、クラムシェルは屈託のない笑顔で答えている。
「だって、面白いのですもの」
物語の興奮が醒めやらぬ上気した様子で、こう言葉を続けている。
「以前はただの文字の羅列、同じような記号が並んでいるだけにしか思えなかった。どんなに読んでも、意味ない記号を追っかけているだけで、文章と文章の間に、何の繋がりも見出せなかった。それが確かに変わったのよ。文字が名をなし、名が意味を持ち、文章となってシーンが描かれ、それが物語になっていく。そのことが頭ではなく、心で理解できるようになったの。どうしてこれまで気付かなかったのかしら。こんなにも物語が面白いということに。どうして今までできなかったのかしら。自分を主人公にして、文字を読み進めるということが。物語を想像するということが」
この台詞に関しては医師も重要視し、環境が変わって早々、治療記録において大いなる成果として取り上げている。途切れていた脳神経が繋がったのだ、というものもいれば、縮小していた脳がリハビリによって回復したのだ、というものもいた。脳の問題ではなく、発達心理学の分野に属する成果だというものもいた。だがその時点では、それらの分析のどれが正しいかの結論は出されず、何れも推測の域を出ないものであった。
クラムシェルは肉体的なリハビリの休憩中にも、時間を惜しんで書物を読むようになった。白亜邸の書庫から運び込まれた書物の数々を、目に付くもの、興味を持ったものから、次々と手に取り、読み終えていった。そして読んでいる途中、また読み終えた後にも、周囲に様々な感想を話している。感想そのものはまだ幼く、微笑ましいもの、他愛のないもので、ここで取り上げるには値しない。私が注目したのは、感想の後に決まってその口から零れたこの台詞である。
「信じられないわ、こんなに素敵な物語を忘れてしまっているなんて」
クラムシェルは、これに類する発言を幾度も繰り返しているのである。
この時点では、クラムシェルはセイレンがお話を読み聞かせてくれているシーンは思い出したものの、物語そのものは思い出せていなかった。物語を楽しめるようになってからも、思い出すことはなかった。セイレンの日記には、クラムシェルが様々な書物を好んで読み、自身が娘から語られた感想などが数多く綴られているものの、書庫から取り寄せる書物という書物は、クラムシェルにとって全てが「初めて読む物語」であり、同時に「かつて読んだことを忘れてしまった物語」であることは変わらなかったのである。
当時の医師の報告書では、
「――物語に興味を示すようになって以降も、物語そのものに関する記憶は一切戻っていないことから、やはり記憶喪失は強度であり、今後も過去を取り戻す可能性はかなり低いことが予測される」
そう記されている。
しかし、クラムシェルが書物に没頭する日々の中で、ついに「読んだことを覚えている物語」に出会うことになる。ただ、それは白亜邸の書庫にあった書物ではなかった。白亜邸の書物とは別に、セレスタインが何となしに買い与えた一冊であった。
予め記しておこう。それはクラムシェルにとって特別な物語であった。
「その物語」は、屋敷での暮らしにおいて安息の日々を送っていたクラムシェルに、新たな奇妙な症状を発症させ、医師たちに更なる混乱をもたらし、後々まで両者を苦しめる原因となる。「その物語」こそが、クラムシェルを主人公とするこの物語において、最も重要な要素であり、すべての謎を解き明かす鍵なのである。
次に取り上げるのは、悲劇の後、セレスタインから依頼を受けた精神科医フルズゴルドが、クラムシェルと「その物語」との出会いに関して記したものである。精神治療において新説の提唱者であるフルズゴルドは、セレスタインに行ったインタビューを、彼自ら物語風にして仕立て直している。そしてレポート内で、その物語とクラムシェルの邂逅シーンにこう小題を付けている。
――片鱗、と。
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