1章  病棟の人魚姫 Ⅳ 名もなき病②

〇奇妙な衝動群に関する考察


 肉体的なリハビリに関しては、当初、医師達が想定していた以上に時間がかかっている。カリキュラムを二日目にして大幅に組み直さなければならないほどに。痩せ衰えた体からは筋肉そのものが削げ落ちていて、関節は硬く固まっていた。入念なマッサージ、そして看護師によるストレッチなどからスタートし、まずは歩行器具を使って歩くことを目指さなければならなかった。だが、それは予想していたことである。彼らが戸惑ったのは、クラムシェル自身の動くということに対する意思の欠落である。自ら体を回復させようという自発的な意思がなかったのである。医師の身振り手振りの指示には真似をするようにして従うものの、その動きは緩慢で、己の体に負荷をかけようとすることを避けているように見えた。これは精神的な問題であり、いってしまえば、「やる気」の問題であった。

 そのため訓練のペースは遅れる一方で、看護師数人の努力によって最低限の筋力を維持するのが精一杯であり、担当チームは呆れるばかりであった。

 彼らは治療を施しながら同じ想いを抱き、口を揃えてこう証言している。

 「この子が、あの作品群のモチーフ、日記で描かれた少女とはとても思えない」

 というのも、例えばセイレンの残した日記の中で、クラムシェルは母自らの手ほどきによって、幼少よりダンスを習っていることが記されていた。日記の中では、クラムシェルのリズム感覚は音楽によって鍛えられていることが描写されいてた。「若干の贔屓目ですが」そう微笑ましい注釈を添えながも、五歳の頃には既にダンスの名手であるように書かれているのである。絵画には、海辺で軽やかにステップを踏む幼い少女を描いたものもあり、ダンスを手取り足取り、また選び抜かれた言葉を使って教える母子の関係は、美しい詩としても残されているのだ。

 しかしクラムシェルは、日記に記された音楽にも反応を示さず、ダンスのステップを踏むどころではなかった。何よりも、日記で彼女を虜にしたと表現された、踊るという開放感、ダンスへの情熱そのものは完全に失われているようであった。病院にダンサーが呼ばれ、その場で様々な踊りを見せて倣わせようとしたものの、まるで不出来な操り人形のように、リズム感も躍動感も皆無の、無様極まりないものにしかならなかったのである。

 踊りだけではない。母親が教えた楽器の演奏も、料理の腕前も、絵画や彫刻も、全てがその調子なのである。まるで習ったことがないようであり、何よりも日記で描かれた好奇心旺盛な少女が別人のように、皆目興味を示す様子が見られなかったのである。

 医師たちは、名前のない少女が、前病院でクラムシェルと呼ばれるようになった理由を、身をもって理解したのである。

 そんな万事に無気力、無関心なクラムシェルが、別人のように強い反応を示した出来事があった。それは、リハビリのカリキュラムで、階段の上り下りを行おうとしたときである。クラムシェルは登りの階段を手すりを看護師の手助けによって下り終えた後、先ほどまで自分がいた上の踊り場で起きた拍手に振り返った。途端に無表情であった顔が恐怖で歪み、体はがたがたと震えだし、その場で蹲ってしまったのである。そこから決して動こうとせず、怯えて登りの階段の方を見ようともしない。結局、訓練は中止され、抱きかかえて病室へと運ぶことになった。そのときも、クラムシェルは目を硬く瞑り、腕の中でもがく様な震え方を示している。この奇妙な反応に医師たちは驚き、慌て、一方で普段とは異なる反応が起きたことを喜んでもいる。

 クラムシェルが上階へ階段を恐れることが判明したその日の夜から、別の症状に見舞われるようになった。夜尿症である。それから毎晩のように、クラムシェルは夜尿症を引き起こすようになったのである。階段の上り下りが、何らかの精神的作用をクラムシェルに起こしてしまったことは確実だった。だが、それがどのような作用であるかまでは分からなかった。叱るわけにもいかず、一週間様子を見たものの治まる様子は見られなかった。

 そんな時、一人の医師が、奇妙なことに気付いた。クラムシェルが一日に何度もトイレに行っているのである。寝る前も、リハビリ中も。その割合が、健康な人間よりもずっと多い、いや、多すぎることに気付いたのだ。最初は、夜尿症が起こらないように、自分で率先してトイレに行っているものだと思われていた。しかし奇妙に思った医師が、トイレに隠れてクラムシェルを待ち、隣室のトイレでクラムシェルの様子を伺っていると、クラムシェルはトイレから出た後、手洗い場で蛇口に口をつけて水を飲み始めたのである。しかも延々と、ひたすらに水を飲み続けているのだ。

 そう、クラムシェルが夜尿症を起こすのは、大量の水を飲み過ぎているから、という理由があったのだ。クラムシェルが言葉を話さないため、その理由はこの時点では分からなかった。医師たちは他のチームとの協議の上で、水を飲む量を制限することにしたのである。クラムシェルを監視し、水を飲むのを途中でやめさせたのである。

 クラムシェルは水を飲むのを止められても、別段抵抗することも、不満げな顔をすることもなく、大人しく聞くのである。そのため、夜尿症はすぐに止まった。しかし止められなければ延々と飲み続けるという行動を取るため、夜中であってもトイレに行くときには誰かが常に見張っていなければならなくなっている。

 上述したように、能動的な意思の欠落が身体機能の回復を遅らせているのは明らかだった。それを受けた精神のリハビリを行うチームは、魂が抜け落ちたような意思の欠落が、記憶の欠損に起因すると考えた。記憶を思い出すことができれば、言葉も文字も取り戻すことができるのではないか。過去と共に抜け落ちてしまった魂も、思い出とともに蘇ってくるのではないか――そこに一縷の望みを託していた。結果として言語分野の回復は後回しにされ、記憶の回復という目的が優先された。

 その目的のため、様々な試みが行われた。

 試みの元となったのは、白亜邸に残されていたセイレンの日記を初めとする、想い出の品々である。邸宅に飾られていた調度品、絵具や絵筆、少女が好きだったという書庫の書物、セイレンが手習いを施していた楽器、クローゼットの衣服や靴、ラッピングされたまま積み上げられた品々、その他にも邸宅で使われていた食器などの日用品、クラムシェルのものと思しき枕や夜着等など、クラムシェルの記憶を刺激し、過去を呼び覚ます可能性のある品々が病院へと運び込まれ、医師たちを介してクラムシェルに届けられた。

 医師たちは身体のリハビリの合間に、それらの品々をクラムシェルに手渡し、反応の観察と考察を行っている。寝巻きは邸宅にあったものに替えられ、病室も邸宅にあった調度品で揃えられた。クラムシェルは着せ替え人形のように、日々、衣服も病室には似つかわしくないドレスに着替えさせられ、白亜邸に残されていた色とりどりの靴を履かされた。彼女自身が積極的にドレスや靴を選ぶことはなく、言われるがまま、手渡されるがままではあったが、医師たちは着替えたクラムシェルを決まって褒め称え、笑顔で拍手をした。なぜなら、日記にはセイレンがそうしてクラムシェルを褒めるシーンが多く記述されていたからである。

 過剰とも思える褒め言葉も、クラムシェルが理解しているようには思えなかった。それでも医師たちが根気よくその行為を続けたのは、日記に記された言葉やシチュエーションを再現することによって、過去を思い出す切っ掛けを与えようとしたからであった。

 彼らの意図も虚しく、クラムシェルが反応らしき反応を示すことはなかった。思い出の品々も、初めて見るような仕草で、記憶を思い出す兆しも見えなかった。セイレンが教えたという子供用の弦楽器を渡しても、絵筆とパレットを握らせても、その使い方さえ分かっていないようであった。心得のあるものがその場で演奏したり、絵を描いたりして見せても無関心そのもので、自ら何かをするという素振りも見せなかった。

 治療の参考資料としてセイレンの日記を読み込んでいた医師たちによって、日々新たな思い出の品々が白亜邸から運び込まれた。クラムシェルに手渡されるだけでなく、それを使ったパフォーマンスが披露された。記憶と言葉を取り戻させるために、日記や書物を朗読して読み聞かせる時間が毎日のカリキュラムの中に組み込まれた。しかしそれらの試みの何一つとして、クラムシェルが興味を示したり、強い反応を引き出したりするものはなかった。セイレンの素晴らしい日記や作品群に感化されている医師も多く存在し、彼らは日々、落胆を繰り返していた。

 あの素晴らしい想い出、美しい記憶の一欠片さえ残っていないなんて――と。

 無為なリハビリがしばらく続いた後、クラムシェルの心を動かすものが、ようやく見つかった。夜尿症が治まった直後のことである。

 それは、物ではなかった。歌であった。それもセイレンの日記には記されていない、一人のリハビリ担当女医が口ずさんだ子守唄だった。

 古くから歌い継がれる、誰もが知っている唄だった。その旋律を、歌詞など乗せずに、その女医は口ずさんだのだ。それはそもそもクラムシェルのためではなかった。自宅に待つ生まれたばかりの赤ん坊を思い出して、何気なく口にしたのである。

 その唄に、クラムシェルはびくりと顔を上げた。きょろきょろと周囲を見渡し、離れたところで記録をとっている女医から聴こえてきているのだと知ると、その女医をじっと見詰めた。そして、立ち上がると、自分の意思でその女医へと近づいていった。クラムシェルは、唄をやめて不思議そうに自分を眺める女医に向かって、その手に持った硝子のコップを振り上げると、力任せに投げつけたのである。

 あっけに取られる医師たちの前で、コントロールの狂ったコップは天井に飛んでいき、派手に割れると散らばって地面に落ちてきた。女医は、クラムシェルは確かに自分に向かって物を投げつけたのだと分かった。それは他の医師も同じであった。幸いにしてコップは当たらなかったが、もしもまっすぐ飛んでいれば、間違いなく女医にぶつかっていたはずであった。

 クラムシェルの行動と硝子の割れた音に周囲は驚いたが、それはクラムシェルも同じであった。硝子の割れる音に体をびくんと震わせると、落ちてきてチャリチャリと音を立てる硝子に、驚いたような顔を見せたのだ。

 そして、その次に変化したクラムシェルの表情を、医師たちは鮮明に記憶し、また一様にぞっとしている。

 周囲の絶句や注目など意に介さず、恐怖と驚きで震える女医に顔を向けて、クラムシェルはそれまで見せたことのない、満面の笑顔を浮かべたのである。

 クラムシェルの破壊衝動が目覚めたのは、この出来事からである。このとき、子守唄がきっかけとなってこういった行動に出たのは、目撃者の証言からも間違いない。

 この後、唄など関係なく、クラムシェルは気分次第で、手にしたものをあたり構わず周囲に投げつけ始めたのである。それも、満面の笑顔で。周囲が幾ら止めても、靴、本、楽器、食器等など、以前は手渡されても何の反応も示さなかった品々を、突然、思いついたように周囲に投げつけるのである。ただ人間に対してではなく、壁や地面、時には届くはずのない天井に向かって投げ、ぶつけて壊してしまうのである。

 前触れもなくいきなり投げつけるため、クラムシェルの周囲の人々は、緊張しながら様子を伺わなければならなかった。窓ガラスが割れ、飛び散った破片で傷を負うものも出たため、窓ガラスは強化硝子になり、食器なども割れないもの、角のないものへ変更された。ナイフやフォークも、丸みを帯びたものに替えられた。

 心理的な変化が表情となり、明確な行動へと繋がったのは、魂を失ったと評されたクラムシェルにとって大きな進展であったが、医師達にはその理由が分からなかった。笑顔で物を破壊し、その表情を更に輝かせるのは、誰が見ても異常者のそれであり、あからさまに狂気を想起させた。

 この行為の理由については、医師たちによって二つの考察が提示されている。

 一つは、投げつけた後に笑顔を浮かべていることから導かれたもので、

 記憶を失い、言葉も喋れず、意思の疎通ができないことに対する周囲への憤りの発露、その解放による快感の表れではないだろうか――つまりは、「ストレスを発散させる行為である」というもの。

 一つは、破壊衝動が水を大量に飲むことを禁じられた後であることに注目し、閉鎖空間に閉じ込められ、行動を監視、制限されていることへの抗議の意思表示である――として、「自由への意思の発露である」とするものである。

 この破壊衝動とそれに纏わる行為は十日間続き、結局、医師たちがその原因を特定できずにいる内に、ある出来事を期に、収まることになる。

 クラムシェルがついに、「言葉」を発したのである。

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