1章 病棟の人魚姫 Ⅳ 名もなき病①
クラムシェルの本人の話に戻ろう。
マスコミとそれに踊らされる世間がクラムシェルのことを騒ぎ立てる一方で、財閥所有の病院に移送されたクラムシェルは専属の医療チームによる診察、治療を受けていた。病院といっても他の患者の一切いない、財閥が所有する高級リゾート地の私設病院である。世間とは隔絶された立地にあり、そもそもが豪華な大邸宅として建設されたものであるため、外観は病院とは到底思えない。ただその内部は、最新の医療機器と研究装置で埋め尽くされた医療施設へと改装されている。財閥が運営するこの医療機関は一部の富裕層の間ではロストタブーの暗号名で知られていた。
そこを訪れるのは、いずれも揺るがせにできない事情と立場の人々である。病名を知られたくない者、入院の事実を隠しておきたい者、世間の喧騒から解き離れて治療に専念したいものなど、やんごとなき方々がお忍びで通う、リゾートを隠れ蓑にした、闇病院であったのである。財閥によって世界中から選び抜かれた一流医師たちが秘密裏に登録されており、富裕層たちの依頼を受け、そこで秘かに手術や治療を行う場所だった。ロストタブーというのは、所属する医師(呪術師、祈祷師、霊媒師なども含む)に国外免許や医師免許そのものがないものや、腕は超一流であるが通常は牢獄に収容されているものなどがいること、また世間では認可されていない新しい治療法や治療薬が実験として使用されることも多いからであった。財閥の庇護のもとリゾート地ごと治外法権化され、マフィアの整形手術や重罪犯の指紋の移植なども請け負っていた。医師たちは巨額の報酬を与えられ、治療、実験、研究を含めて強力なバックアップを受けることができるが、あくまで世間に公表できない裏の仕事が殆どであるため、登録していることを秘密にする義務があった。人道的に認められない新薬実験、人体実験などが行われているとも噂され、そのため、ロストタブーは一種の都市伝説として語られる存在であり、登録医師たちは「タブーなき医師団」と陰で揶揄される、そのような病院であった。
この物語ではその医療施設を、研究所と呼ぶことにする。
研究所に移送されたクラムシェルは、セレスタインの指示で緊急召集された専門医達によって、再度、精密な検査と診察とを時間をかけて受けることとなった。前病院では、クラムシェルの精神的な症状に関しては診断不能であり、カルテもおざなりで断片的なものしか残されていなかったからである。
クラムシェルの精神面での症状が脳障害を要因とするものなのか、精神性ショックによるものなのか。永続的なものなのか、一時的なものなのか。失語症なのか、失声症なのか。本当に記憶を失っているのか、失っているのはどの領域で、どの程度を失っているのか…それらの詳細を徹底的に調べ、診断し直さなければならなかった。
財閥が誇る各分野の専門医達が集められ、最新鋭の医療機器が用意された病室に運び込まれたクラムシェルに、様々なアプローチから診察が行われた。その際、病状に対する各医師の所見は、前病院とは比べ物にならないほど仔細に記録され、残されている。
病状の詳細が具体的に明らかになり、それに基づいて、医療チームが組まれた。彼らはミーティングを幾度も繰り返し、診断を下し、新たな治療方針を定めようとした。しかし、期待された一流であるはずの医師たちは揃って首を傾げることになった。海千山千の彼らでさえ経験したことのない、奇妙な症状であったからだ。
クラムシェルは言語を理解することが出来ず、文字の意味も分かっていなかった。声を発することができず、従って言葉を喋ることもできなかった。そもそも、そういった意思、意欲がないのである。彼女は医師の言葉の意味を理解しようとせず、言葉を喋ろうともしなかった。そのため対話によって病状を把握しようにも、意思の疎通が困難であったのだ。
彼女は自分が誰であるのかさえ分かっていないようであり、話しかけても反応らしい反応が返ってこなかった。耳が聴こえていないのかといえば、そうではない。後ろから声をかければ振り返るし、誰かがドアを開ければそちらに目を向ける。耳は確かに聴こえているのだ。
日常的な行為に関してはそれなりの記憶を有していて。例えば排泄、入浴、着替え等はその作法が分かっていた。食事に関してはナイフとフォークの使い方は間違いがなかった。服を着替えることも問題なかった。ただ、万事に関してたどたどしいところが見られた。動きが緩慢であり、ときどき、動きを止めて考えながら行うような仕草さえ見られた。それは例えば、魚の骨の取り除き方や、果物の皮のむき方といったことから、衣服を着るときのボタンの嵌め外し、衣服の前後ろの判断といったことなどに見られた。手先が実に不器用で、たどたどしい仕草であった。付き添いの看護婦や医師が言葉で説明しても理解できず、また身振りで指示をしなければ、それを自発的に行おうとはしなかった。
研究所の医師が与えられた前病院での医師のカルテや看護記録、財閥の独自調査によって彼らから得た証言等からも同様に、クラムシェルは日常生活の作法や知識に関しては、入院当初からある程度は有していたことが事実として分かっている。事故により記憶を失ったのだとしても、全てを忘れてしまったわけではなかったのである。
クラムシェルの年齢であるが、セイレンの流産が嘘であり、その時の胎児がクラムシェルだとして計算すると、十二歳ということになる。
しかし、その当時の知能テストでは、三歳児程度の知能しか持ち合わせていない、という結果が出されている。この点に関しては、クラムシェルに解こうという意思が薄く、問題の意味を理解していないことが多分に影響しているとも考えられている。そして身体的成長に関しても、年齢に比して体は小さく、やや遅れ気味の兆候が見られることが確認されている。
また痩せ細って筋力は驚くほどなく、身体能力に関しては同年齢の子供たちと比べて圧倒的に低い数値であった。しかしこの点に関しては、前病院でリハビリがおざなりであり、四カ月間もほぼ寝たきりであったことを考慮すれば当然だ、そう研究所の医師によって判断されている。転院当時は栄養状態も悪く、半ば栄養失調になりかかっていたが、その件についても、前病院では食事を食べる意欲がなく、食べても吐き戻すことが多かったので、途中から点滴の助けによって栄養を得ていたためだと結論付けられている。
さて、私が彼らの所見を眺めていて気付くのは、彼らの想像力のなさである。
例えば、身体能力の低さと栄養状況の悪さという二つの点は、医師達も不可解な点だと気付いているものの、前病院での怠慢、という安直な思い込みに流されてしまっている。実はここに、真実に辿り着くヒントがあるのだが、誰一人としてそれに気づいていないのだ。また知能テストや、言語能力に関する考察にしても、同じような傾向が見られる。一流の医師達が聞いて呆れるが、彼らは前例や常識に縛られるあまり、想像力を失ってしまっていたのだろう。
当時――転院して一週間後、医療チームが意見を出し合って導いた診断報告書を以下に抜粋してみよう。
「――したがって、この少女が失っているのは、自分を形作る過去の思い出と、それに付随する、自分が誰であるかという確固とした自我そのものである。記憶と自我の喪失、それこそが、この不憫なる少女から生きていく意欲や周囲への興味を失わせてしまい、魂を奪われたと称される症状として現れているのだ。
また、音としての言語や形としての文字、つまり言語分野に関してほぼ一切の能力が欠如(或いは甚だしく退化)してしまっているのは、単なる精神性の疾患から来るものではない。頭部の外傷は生死に関わるほどのものであり、頭蓋骨の陥没や破損状況から考えると、脳に何がしかの損傷を与えているのは間違いがない。そのことから考えると、会話や読み書きを司る言語分野、思い出を司る記憶分野、自分が誰かを司る自我分野、それぞれを機能させる脳の部位が損傷しているか、若しくは、それらを繋いでいる神経系統が切断されてしまっている、そう判断せざるを得ない。
つまりこれは、通常の精神疾患ではなく、脳の一部が外傷を負ったことによる特殊な症例であり、記憶喪失なども一時的なものではない可能性が非常に高い。記憶や自我が破壊されてしまったのか、或いは記憶と自分を結びつける神経が切断されてしまったのか。その判断は現時点では不可能であり、今後回復するかどうかも不明である。脳は未だ複雑怪奇な器官であり、医学界でも前人未到の大陸として、人知の及ばない領域であるからだ。
少女の病状は未だ全貌が分からず、今の段階では病名も分からない。幾つもの病が複雑に絡み合っている可能性が高く、それを解くことはすぐにはできないと考えられる。そのため現時点ではその結論を、『脳の機能障害の一種、後天的な事由による精神後退』という定義付けに留めておくしかない――」
つまり、財閥が招集し組織した一流の医師たちによっても、クラムシェルの診断結果は前病院で出されたものとさほど変わらなかったのである。当時のカルテにも明確な病名はなく、「脳の損傷による多機能障害の一種」とだけ記載されている。付記として言語や記憶の喪失、身体的な機能の低下などの症状が一つずつ、専門用語を駆使して事細かに長々と書き記されていたが、それは、原因も治療法も突き止められない医師たちの長い言い訳のようにも読み取れる。
実は、クラムシェルの症状だけを一言で言うなら、「白露」である。そのことにはどの医師も気づいていただろう。しかしセイレンが残した日記の記述やセイレンブルーシリーズを鑑み、彼らはその病名を否定し、使わなかったと思われる。
なぜなら、日記で描かれていたクラムシェルが、聡明で、感情豊かで、多彩な才能の持ち主であったからである。
結局、選ばれた専門医達でもクラムシェルの病名は分からず、新たな病名を付けることも、その時点では不可能であったのである。
そしてその当時、周囲の人々にとって奇妙極まりないことであったが、クラムシェルに関して明らかにされない名が、もう一つあった。
それは、クラムシェルの本名である。
前病院に入院当時のクラムシェルは、自分の名を口にすることも、書くこともできなかった。だが素性が判明し、世界に名を知られる財閥の、かのセイレンの隠し子であることが判明したにも関わらず、その名は依然として分からなかったのである。
お分かりであろうか、この奇妙さが。
まず、私生児であるため、当然戸籍などは申請されていなかった。また世間と隔絶された母親との二人暮らしであったため、二人の暮らしを知るものも誰一人として見つかっていなかった。州警察による懸命な捜査や周辺の聞き取り調査にも関わらず、二人を知る人物、付き合いのあった人物を、ただの一人も確認することができなかったのである。そのため、クラムシェルの本名を知るものが誰もいなかったのである。
そして何より、クラムシェルの関係者が真に驚いていたのは――
セイレン本人が残した作品群や残された日記にも、娘の名と思しきものが一切記されていない、という事実であった。
数十冊及ぶセイレンの日記は、その内容の殆どが娘であるクラムシェルとの日々を綴ったものである。にも関わらず、セイレンの手になる娘の表記は、我が娘、私の分身、愛しいこの子、などといった記述や、比喩として多彩な言葉で表現されているものの、本名と思しき名は、ただの一箇所も確認できなかったのである。
この点に関しては、クラムシェルが発見される以前にも論争になっている。
セイレンブルーシリーズが発表され出した当初は、描かれている少女の名が明かされないのは、セイレンの幼少期がモチーフであるから、そう考えられていた。だがその後、ハリの証言によって、セイレンが秘かに流産し、生まれることのなかった幻の我が子がモチーフであると判明してからは、少女の名は明らかにされない画題とともに、美神復活に沸き立つ美術界において格好のテーマとなったのである。
画題も少女の名が明かされないのは、セイレンが当然、意図的に行っていること。ではその理由は何か――そんな論争が美術界で起こった。やがてその論争は、少女の名は、画題は何か、という解釈論になり、奇妙な空論となって盛り上がりを見せた。
セイレンは幻覚としてみている自らの娘に何と名付け、また何と呼んでいるのか、切り取られたシーンの画題は何か――それを勝手に推測、妄想、解釈するのである。
評論家や彼女の作品の愛好者達によって、それぞれが考え抜いた名を発表し、その理由について語り合って互いに論評しあうという珍妙な趣向が、一部では流行さえしたのである。
幻の少女が現実だったと分かりその存在が確認された後、それでもその名が明らかにならないという奇妙な符号の一致に、美術界は再び盛り上がりを見せた。だが一方で、得体の知れない薄気味悪い雰囲気が広まったのである。その雰囲気をよく表している、リベラル系新聞の記事の一文がある。喧騒の渦中にあって蔑ろにされるクラムシェルへの同情論を集める記事には、名もなきクラムシェル、そう題されていた。その末尾は、こんなフレーズで締め括られていた。
『世界で最も有名な少女、クラムシェル。しかし、その少女の名を誰も知らない』
研究所に転院したクラムシェルは、そこではクラムシェルとは呼ばれていなかった。というよりも、クラムシェルという名を発することを、そこでは誰もが禁じられていた。財閥の所有する病院であり、またアルビオン家に生まれたただ一人の令嬢であったため、「レディー・アルビオン」そう呼ばれていた。
クラムシェルという名を禁じ、レディー・アルビオンと呼ぶように指示を下したのは、叔母であるセレスタインである。その件について、セレスタインはこう回想している。
「転院した時点では、あの子がクラムシェルという名が自分を指すものだと理解しているかも、分かりませんでした。しかしその名で呼び続けてしまうのはまずいと思ったのです。異なる名が記憶喪失のあの子の脳に刻み込まれてしまうと、本当の名を思い出せなくなってしまう、そう考えたのです」
転院先においても、期待されたように病名も本名も明らかにはなることはなかった。だが、実に愚かしいことだが、医療関係者にとってはそれらの名など表層的なものでしかなかった。彼らにとってクラムシェル当人のためにともかくも優先すべきは、肉体的、精神的な回復であった。
実は、この時おざなりにされた病名と本名に纏わる謎こそが、後々までクラムシェルを悩ませやがて悲劇の引き金となるのだが、それは先の話であり、そのことを予測できるものはこの時点では存在しなかったのである。
さて、肉体の回復に関してであるが、当初、医師達はそれほど心配していなかった。金に糸目を付けず、専属のトレーナーと介護士を何人も雇うことができるからである。
医師達にとって真に問題とされたのは、精神の回復であり、脳障害であった。そのリハビリテーションにはどれほどの時間がかかるのか、果たしてリハビリテーションで回復可能なものなのか、という点こそが重要であった。それは専門医でも、経過を見ながら経験則で推測するしかないからである。
言語分野にせよ、記憶領域にせよ、脳に一体どれほどの後遺症が残されており、どこまで回復させることができるのか。最低でも、日常生活に不自由しない程度のコミュニケーション能力は取り戻さなければならなかった。
肉体的な回復、記憶の復元、言語分野の学習、精神的なケア、脳の状態と治療の影響などの調査、それぞれを担当する医師によって新たに幾つものチームが組まれ、綿密なカリキュラムが作成された。
肉体的なリハビリに関しては、歩行からスタートさせ、弱った筋力を回復させるためのカリキュラムが身体能力検査を基にして早々と組まれたが、脳の状態と治療法に関しては、知能テストに反映されない不可解な脳障害であることもあって、それが学習の範疇なのか、治療の範囲に属することなのか専門医同士でも異なる見解があった。それによってアプローチの仕方も異なるため、一先ずは手探り状態でのスタートとなった。経過を観察しながら新たな方向性が探られ、次の方針が定められるという対処療法が取られている。
研究所においてクラムシェルは、専門医達による治療とリハビリを日々受けながら、診察と診断を繰り返されることになった。その過程において幾つもの奇妙な、実に興味深い症状が示されている。当時の治療経過、カルテ、インタビューから、それらを簡単に纏めてみよう。
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