1章 病棟の人魚姫 Ⅲ 白亜の夢痕②
次に語られるのは、クラムシェルの素性が判明し、幻とされていた絵画の少女が現実の存在だと世間に知れ渡っていく経緯である。この当時の時点では、移送されたクラムシェル本人とは直接の関係のない外野の有象無象であり、真実とはかけ離れた、退屈な世間の喧騒のようなものである。しかし、人魚姫症候群というこの物語において、この場面は後に重要な鍵となって浮かび上がってくることを、記しておく。
素性の判明とともに、クラムシェルは迅速に財閥所有の私設病院へと秘かに移送された。オブシディアンの手配によって、前病院の関係者には緘口令が敷かれた。
財閥は州警察を抱き込み、圧力をかけて事件を管理下に置き、情報を統制して秘密裏にこの事件に対処しようとした。しかし急遽大量の捜査員が動員されたことが災いしたのか、州警察に張り付いている記者の一人が、何かが起こっていることに勘付いた。記者は裏で懇意にしている警察官から手掛かりとなる情報を得ると、身元不明の少女の事件を突き止めた。既に緘口令が敷かれていることを知っていた記者は、自らの身分を隠して秘かにジプサムに近づき、言葉巧みに誘導して事件の概要を知ることに成功したのである。
この嗅覚の鋭い記者は、第一報を記事にする前に、第一報後に警戒が一気に高まるのを予想し、病院関係者から巧みに話を聞いて回り、変装を得意とする懇意の耳屋を使って幾つもの情報を聞き出すことに成功している。
そして他の記者が事件の気配にようやく勘付き始める頃――クラムシェルの素性が判明して一週間後に、その記者の筆による第一報が、『記憶喪失の少女は、アルビオン家の幻の私生児』という見出しで、センセーショナルなスクープとして大々的にゴシップ誌に掲載されたのである。
最初の病院では厄介者扱いとなり、時と共に地方紙の読者の関心も移り、忘れ去られていたクラムシェルであったが、全国版のタブロイド紙に再登場すると、世間を驚愕させた。
当然であろう。流産してしまったはずの幻の子が生きており、大怪我を負って浜辺に漂着したうえ、記憶喪失になっているのだから。更にその美しい少女は大財閥の後継者の一人娘であり、父親が誰かも分からず、戸籍上でも存在しないことになっている私生児であるのだ。極め付けとして、かつてタブロイド紙を幾度となく賑わせた母親は行方が分からず、暮らしていた邸宅に荒らされた痕跡があることまで、記事には明記されていた。
誰が読もうとも、母娘が何らかの事件に巻き込まれたことは明白であった。
タブロイド紙にとっては稀に見る大スキャンダルであり、一般紙でも大きく取り上げられる大スクープである。報道機関には激震が走り、政財界は混乱し、美術界は紛糾した。
報道関係者達がジプサムの病院に殺到したときには、クラムシェルはとうに財閥によって移送され、病院にはその行方を知るものはいなかった。だが肩透かしを食らった記者たちは、その勢いそのままに、病院の関係者達に遠慮のない取材を行った。無論、単なる海難事故としてではなく、謎の多いミステリアスな大事件として。
スクープしたタブロイド紙の売上げは激増し、一般の報道が追随したこともあって、第一報に遅れたゴシップ各誌は、憶測で独自の脚色を施し、奇妙な事件として喧伝し、世間の関心を惹こうとした。後追いの続報がもたらされる度に、情報源が怪しい過激な内容となっていき、単なる噂が真実として書きたてられた。存在すら定かではない「自称」関係者達の根も葉もない証言が、競われるように各紙で掲載されるようになった。
かつてのハリの涙などなかったかの如しであり、下世話なこと極まりないことではあるものの、記事の焦点が実に多彩で、読者を楽しませようとした結果であろうが、各紙によって特徴、違いがあるのはなかなかに興味深い。当時の記事から、その見出しだけを書き連ねてみよう。
〈お家騒動による恐慌予想グラフ、継承権変動との関連性――経済紙『愚者の黄金』〉
〈天才の末路、狂気という幻惑とその表現――美術雑誌『曲線美』〉
〈強盗? 誘拐? 陰謀? 自殺? 歪な美と死と――タブロイド紙『紙の太陽』〉
多くの記事がゴシップ寄りであり、事件の全容と母親の行方を関係者の証言を交えながら、過激な真相を憶測ででっち上げたものばかりである。やはり母親であるセイレンに焦点をあてたものが多く、「世を捨てた天才芸術家の悲劇」「孤独な令嬢画家の絶望」「恋に溺れた愚かな貴族女の末路は溺死」といったような見出しもあちこちで散見される。また隠し子であり何処かの病院に移送されたクラムシェルに関しても、幾つもの記事が出ている。
クラムシェルには同情的な見方がなされていたが、セイレンに対しては好意的なものは少ない。より悪し様に、辛らつに、克明に書かれているものほど売上部数の伸びが顕著であるのは、世間というものの無自覚な悪意と悪趣味な好奇心を感じずにはいられない。
セイレンはかつて社交界を席巻し、ゴシップ紙を賑わせていたこともあって、過去の記事も無数に存在し、各紙はそれらを互いに参考文献として引っ張り出してくるというあざとさであり、下世話な父親探しやかつての恋人達へのインタビュー争いが再燃するほどであった。
白亜邸で何が起こったのか、という点に関しては、各紙を見渡すと大きく三つの説に分かれている。
一つは、セイレンが美術品とともにその邸宅に住んでいることを知った人物による強盗説である。空となっていた邸宅の状態が、事件が突発的な様相であること、書庫が荒らされ、セイレンの未発表の作品群が盗まれたような痕跡があることなどの情報が、警察から漏洩する形で報道されたからである。そのため報道当初は、この説が最も一般的な説として語られていた。警察も実際にこの線で捜査を進めていたことが後に分かっている。
また、それに派生する形で、誘拐未遂説を唱える記事も多くあった。セイレンを誘拐し、財閥へ身代金を要求しようとした犯人がそれに失敗し、母子に抵抗されて海へと突き落としたのではないか、というのである。
捜査情報を漏らした人物が誰であるかは分かっていない。警察官を名乗るものから、各紙に同日にタイピングされた手紙が送付され、そこに捜査情報が具に記されていたことが分かっている。情報を売り渡された訳ではなく、密告という形であることが興味深い。州警察は内部調査を行ったが真相は判明せず、逆に、そちらの方向に世論を誘導しようと意図している第三者の存在を仄めかし、情報漏洩の追求と責任から逃れようとしている。
もう一つの説は、強盗の仕業に見せかけた、財閥の継承権が絡んだ陰謀説である。セイレンが財閥を継承することで立場を危うくする者達は非常に多かった。特に有力政治家や、財閥の系譜でも上位に列なる貴族達に。セイレンが癖が強く独善的な性格の人間であることは知れ渡っており、名声を取り戻した彼女が政財界に復帰すれば、政界の勢力図や業界地図が一変されてしまうほどの影響があることも予想されていた。
セイレンはかつての名声を失って隠遁生活を送り、財閥の運営からは手を引いていたが、財閥グループを統括する両親は彼女の天才性を高く評価しており、その継承権は動かされてはいなかった。そのため、気まぐれなセイレンがいつ財界復帰を決意するのかも分からない状況であった。
そのため、財閥内には政財界との繋がりから、常に彼女の動向に気を配り、神経を尖らせている者達がいた。彼らが隠されていた娘の存在を知ったことで、子飼いの暗殺者を動かした、というのである。理由は、セイレンがいつか娘に財閥を継承させるため、財閥運営に復帰する恐れが増したから、というものであった。
この陰謀説は、別段あり得ない話ではない。理由は様々だが、セイレンに恨みを抱くものにはきりがなかったし、そもそも彼女自身が調合した検出不能の毒薬で密かに毒殺した人間は少なくとも三人いるとされていて、黒林檎の魔女という異名の元となっていたほどである。アルビオン財閥の歴史おいて、お家騒動で命を落とすものが出るのはさほど珍しいことはないのである。
またこの説では、首謀者と目される人物に錚々たる名が連ねられ、その名によって陰謀の内容、その動機は異なって描かれている。その中にはセイレンの道ならぬ恋の相手であり、クラムシェルの父親ではないかと噂される人物の名も複数挙げられている。恐ろしいことに、愛人と隠し子を同時に始末しようとしたフィクサーとして描かれた人物もいる。
有力とされる説の最後の一つは、凡庸でつまらないものではあるが、母娘の無理心中説である。
セイレンの過去の奇妙な発言や突飛な行動を紹介し、その精神的な幼稚さ、直情的な不安定さを印象付けた上で、突発的に自殺願望に駆られたセイレンが、隠し子である娘を道連れにして、断崖から飛び降りたのだ――そんな説である。
天才ともてはやされ、甘やかされて育った恋多き身勝手な令嬢芸術家。彼女が己の才能に限界を感じ、思いを遂げられなかった恋で生まれた公にできない娘とともに、絶望して衝動的に身を躍らせたのだ、というのである。
これらの記事に対し、警察は公式な見解の発表を一切行っていない。世間やマスコミにどれだけ突き上げられても沈黙を守り続けたのは、財閥の許可なしには何一つ動けない状況にあったからである。また実際に、幾つかの線で州警察を挙げて捜査を進めてはいたものの、進展がなかったことが、当時の実情として判明している。
海中捜索は行われていたものの、セイレンの遺体も遺留品も見つかることはなかった。事件が四ヶ月も前のことであったため、当然といえば当然であるが、誘拐犯からの身代金要求もなく、盗品と思しきものが裏で流れたという情報も掴めなかった。財閥関係者による陰謀説に関しては、警察もおいそれと手が出せない状況にあった。財閥側から、財閥独自の内部調査班ができたことと、その調査班への、強制に等しい協力依頼を告げられただけであった。
財閥側からの公式の発表もないことから、各紙の内容はエスカレートしていった。ついには財閥の継承権を狙ったものたち(これは妹であるセレスタインとその夫をあからさまに示していた)による他殺説、セイレンの愛人も交えた一家心中説、果ては、娘の存在が重たくなったセイレンが、娘と共に自殺したように見せかけ、明らかにされない第三者(某国の王子や政財界の大物など)である人物と逃避行し、どこかで甘い日々を送っているのではないか、という説も飛び出した。このように、事件はエキセントリックなセイレンを中心として、痴情のもつれや財産争いを絡めて記者の妄想のままに筋書きが書き直され、装飾され、演出され、書き散らされていったのである。
そんな中、唯一の生存者であるクラムシェルに関して、記事はどのような扱いをしていたのか。大衆の事件への妄想だけが延々と膨らみ、口伝えに広がり続けていく中で、州警察の懸命な捜査でも一切の手掛かりは掴めなかった。その時点で、真実を知っていると思われるのは当事者クラムシェルだけであった。
一報をもたらした記者によって、病院関係者の証言からクラムシェルが生死に関わるほどの頭部の外傷から二カ月も眠り続けていたこと、目覚めてからも、言葉も記憶も表情も失ってしまっていたこと、魂が抜け落ちてしまったような状態で、意思の疎通ができなかったことなどが明らかにされていた。
しかしクラムシェルが財閥によっ新たな病院に移送されてからは、彼女が何処の病院に入院しているのか、事件に関してどの程度知っているのか、それらの情報は報道には一切漏れてこなかった。執拗な記者も、それを突き止められずにいた。
記事によっては、クラムシェルの記憶障害は脳への外傷が原因ではなく、事件による精神性ショックに起因するものだと書かれていたり、眠り続けていたことによる脳の萎縮だとする他の医師の証言を掲載したものもあったが、それらはあくまで推察でしかなく、そもそも真実は前病院の医師達でも分からないことだった。
事件の悲劇性、不可解さが色彩豊かに描かれる中で、クラムシェルに関してだけは、各紙一様に同じような扱い方をしている。
一言で評するなら、悲劇のヒロイン、である。
世間では母の幻覚だとされていたモチーフ、精神を狂わせた母親によってその存在を秘匿された悲劇の娘、父親の分からぬ私生児、母親の姦淫、財閥の陰謀、世間の好奇心など多様な欲望の犠牲者である無力な少女、ミステリアスな事故によって記憶も言葉も忘れ去り、魂を失ってしまった操り人形…クラムシェルはそうした表現によって、世間に強烈な哀れみを感じさせ、同情を集める存在として描かれていたのである。
事件が箍の外れた稚拙な物語記者たちのペンによってより華やかに、よりセンセーショナルに、よりミステリアスに、よりおぞましく飾り立てられていく一方で、このヒロインの悲劇性はより高まっていくようであった。
報道とは別に、そんな悲劇性の演出に大きな役割を果たしたのが、クラムシェルをモチーフとした作品群、セイレンブルーシリーズであり、また美術評論家達であった。
それまでセイレンが発表していた一連のセイレンブルーシリーズが、美術愛好家以外の大衆の注目を集め、美術評論家達は殺到した報道陣に解説とコメントを求められた。彼らは、この事件の真相がどうであれ、あれらの作品群の価値を何ら貶めるものではないと前置きした上で、描かれている少女の瑞々しい表情や、詩作や物語や旋律に表現された圧倒的な感性を讃えた。そうしたクラムシェルをモチーフとした作品群の解説によって、少女と事件は、美と醜、無垢と汚濁として効果的に対比され、その輪郭をくっきりと浮かび上がらせた。
彼らには、そのような作品群を生み出したセイレンを擁護する立場の者達が多かった。例えば、彼女が愛人と共謀して娘を殺そうとすることなどないと断言し、その他のゴシップ記事も含めて非難した。
「作品群に一貫して表現されているのは、セイレンの娘への深い愛情である。彼女が娘を公にしていなかったのは、タブロイド紙など世間から守ろうとしていたからに違いない」
しかし、彼女がエキセントリックな気分屋であり、その精神が狂気に片足を突っ込んでいたことは評論家たちの方が詳しく知るところであり、衝動的な自殺や無理心中説について意見を求められると、あっさりと口を閉ざしてしまう者が殆どであった。
財閥側はこの時点においても、加熱する報道に対して公式の見解を一切出すことなく、州警察に一任しているとの立場を貫いていた。肯定も否定も反論もなく、ゴシップ紙にも好きにまかせていた。
止まることを知らない報道合戦、エスカレートするゴシップ紙が極みに達しようとした頃、財閥は突如としてある資料を公開した。それも、書物として出版するという形で。
それは、白亜邸に残されていた、セイレンの日記であった。
日記は数十冊に及ぶため、発行された書物は、日記から所々を抜粋して編集されたものであった。マスコミ紙上への公開ではなく出版に踏み切った理由として、財閥からは、公式のコメントがセレスタイン名義によって出されている。以下はその一部である。
「――この日記は、雑多な記事と一緒くたにしていいものではないのです。芸術家として、そして一人の母としてのセイレンの名誉を守るため、これを書物として出版することに致しました。これを一読して貰えば、世間のゴシップや大衆の視線が如何に禍々しく歪められたものであるか分かるでしょうから」
題名はそれまでのセイレンブルーシリーズに因んで、『無題』であった。そして、著者であるセイレンの名が記されていた。
報道の過熱ぶりに比例して、その題名のない書物、いや、無題という名の日記は、ゴシップ紙など及びも付かないほど爆発的に売れた。だが、話題性や世間の関心が高かっただけが理由ではない。
セイレンの名誉を守る――そうセレスタインがコメントした通り、日記はセイレンとクラムシェルを主人公とした、それはそれは美しい物語であったのである。
そこに綴られていたのは、愛しい娘との日々であった。母娘二人だけでの白亜邸と海辺での暮らし、また真の美を、芸術を求めて世界を旅しながら、娘へと惜しみない愛情と教育を注ぐ母の視点によって描かれていたのだ。
世の人々はその書物を、舞台となった邸宅にちなみ、白亜の夢跡と呼ぶようになり、それがそのまま書名として使われるようになった。芸術関係者は、この日記をセイレンブルーシリーズとしてナンバリングするかどうかを真剣に議論し合った。
今、ここでその日記の一部でも記すことはしない。あの日記に対しては、そのようなことをするべきではない。冒涜に値する。
幾つかの書評を紹介し、世間の反応、その事実だけを簡潔に記しておこう。
「ゴシップ紙からの好奇心でこの書物を買い求めた世の女性達は、読み進むに連れて、心が洗い流されていくのを感じるだろう。ただただ、娘と二人だけの淡々とした日々が、どれだけの詩情に満ち溢れたものであるのか。好奇に満ちた己の心が、いかに醜く毒されていたのかを知るだろう――」
「世間の視線といったものがいかに醜く物事を歪めてしまうか、そして母の眼差しというものがどれほど美しく事物を象ることができるのか、何より、子どもの瞳が、どれだけの可能性と希望を秘めているのか、それがこの他愛ない日記からは分かる」
「私達にとって、彼女達二人を取り巻いていたのは喧騒だったが、この本はそのようなこととは無関係な静謐さこそが、二人を満たしていたのだと教えてくれる。この物語を読むものは、己を取り囲む日々の有象無象の喧騒から解き放たれ、その静謐さに浸ることができる。そして本を閉じた後には、真に大切なものだけに耳を傾けずにはいられない」
この本は女性達(特にシングルマザーの女性達)から大絶賛を浴び、口コミも手伝って瞬く間に広がっていった。海賊版も含めて世界中で出版されるようになり、各国のベストセラーに名を連ねる頃には、ゴシップ紙は内容を沈静化させていた。熱心な読者である女性たちから、機運の高まっている女権拡張論と相まって、猛烈なバッシングを受けたからである。それまでゴシップ紙を真似るかのような報道をしていた報道陣が、一転してゴシップ批判に転じたのは、時勢を見ての的確な判断であっただろう。
当のタブロイド紙自体が、記事の特集で、
「『白亜の夢跡』に見られる理想の母娘関係――もう父親も教師も必要ない」
などと取り上げるようになったのはお笑い種ではあるが、そのゴシップ紙の版元が続けざまに、セイレンの人生を偉人伝風の伝記に仕立てて無許可で出版したのには、その揺ぎ無い日和見主義と商魂に脱帽せざるを得ない。それまで蒐集していたセイレンに関するゴシップネタの数々を――例えば、かつては色狂いとしてバッシングしていた奔放な恋愛遍歴を、華麗で革新的な自由恋愛主義に結びつけたように――セイレンを自立した女性の象徴に仕立てるため、編集しなおしたのである。
セイレンは女権拡張論者にとって、過去の不倫、略奪愛も含めて象徴的な存在として崇められるようになっていった。ことに教育を受けられなかったり、望まぬ相手との結婚を強制されたり、夫から精神的、肉体的暴力を受けていたり、低賃金の手間仕事しか得られない女性達にとって、強く、賢く、慈愛に満ちた希望の星となっていったのである。
余談であるが、世間での白亜邸の名は、ゴシップ紙で印象付けられたミステリアスな惨劇の舞台というイメージから、日記で描かれた母娘二人の理想の形を指し示すものへと転じていった。一部の女性達が白亜邸という言葉を合言葉のようにして使い、自分達の権利を主張し始めたのも、それが理由である。彼女たちにとって白亜邸という言葉は、「教育、料理、子育て、選挙権、仕事などで、男どもには断じて立ち入らせることのない、絶対的な聖域」というほどの意味であった。彼女たちセイレンの信奉者は、「真に自立しようとする女性は、まずは白亜邸を守るべし」などというスローガンを掲げ、各地でコミュニティを形成し、女性啓蒙運動を行うようになっていった。点在していたコミュニティは互いに連携を取り合い、やがて「白亜邸倶楽部」という名で統一されるようになるのである。
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