1章 病棟の人魚姫 Ⅱ セイレンブルー①
クラムシェルの驚くべき素性が判明したのは、漂着して四ヶ月が過ぎた頃のことである。気付いたのは病院長であるジプサムであったが、その場所は、病院ではなかった。
州の新しい美術館の落成式にゲストとして招かれた彼は、絵画に描かれたクラムシェルその人に出会ったのである。
その絵画は、美術館の杮落としのため、出展の目玉として用意された一枚であった。学芸員がジプサムなどの招待客達を前に、その絵画の価値、素晴らしさについて、上気して話していた。
絵画になど興味のないジプサムは、学芸員の声を聞き流しながら、来賓客の一人ひとりにさりげなく目を配っていた。錚々たる顔ぶれであり、自分が招かれたことが信じられないほどだった。集められた各界の名士たちに、自身をどう演出し、好印象を与えて売り込むか考えを巡らせていた。
すぐには気が付かなかった。
描かれていたのは、海辺で波と戯れている一人の少女の姿であった。五歳ぐらいの少女が優しい笑みを浮かべ、儚げな眼差しで海を眺めていた。細いながらも量感のある、しなやかな肢体を持っていた。少女は裸足で、白い簡素なドレスを纏っていた。その羽衣のようなふわりとした質感に、ジプサムは記憶を刺激された。
絵画をよく見ると、碧眼の瞳、黄金の髪も、何処かで見た様な気がした。いや確かに私は、この幼い少女を何処かで見たことがある、そう思った。
病院でのクラムシェルは少女より幾つか年上で、生気なく痩せ細り、頬はこけ、無表情で、眼差しは虚ろであった。ジプサム自身が、病院のお荷物であるクラムシェルを、意識の隅に追いやっていたこともあって、絵画の幼女と病室のクラムシェルが直ぐには結びつかなかったのだ。
絵画の少女がクラムシェルにそっくりだと気付いたのは、学芸員の発した「人魚の青」という言葉を耳にした時であった。人魚という言葉に、忘れていた病室の少女を思い出したのである。改めて絵画を見直すと、幼い時分ではあるが、描かれている顔は驚くほどクラムシェルに似ていた。見るほどに、それ以外の人物には見えないように思えた。
学芸員の説明に耳を傾けながら、改めて落成式のパンフレットで画題を確認した。
『無題〈セイレンブルー №1〉』
後に続く説明文には、こんな見出しが添えられていた。
『人魚の青、その始まり』
作者は、絵画に興味のないジプサムでさえその名を知る人物、世にその名を轟かせる御令嬢、セイレンであった。その名を目にしたとき、ジプサムの頭によぎったのは、世に知れ渡る、とある二つ名だった。
セイレンについて説明しておこう。彼女は、美術界だけでなく、学界でも、政財界でも、タブロイド紙上でもその名を馳せ、良くも悪くも各界を賑わせた有名人である。
彼女は世界有数の大財閥、アルビオン財閥の系譜に列なる人間であり、その本家、アルビオン一族直系の人物であった。その祖母は財閥を率いてグループ企業の一切を統べる総帥であり、両親もその財閥において要職にあった。長女である彼女は、莫大な資産を有する財閥の、第一継承者であった。
だが彼女は、出自だけの人物ではなかった。俗な言葉で言えば、天才、そう称される類の人間であったのだ。
美術界においては幼い頃より絵画、音楽、詩作、彫刻など多彩な分野に卓越した才能を発揮し、揺ぎ無い名声を得ていた。学界においては、数学、物理学、化学を驚くべき速さで修め、若くして薬学の研究者として著名な化学賞を幾つも与えられていた。経済界でも経営者として手がけた事業は全て成功させ、巨額の利益を産み出すなど、その手腕は高く評価されていた。社交界では、類稀なる美貌と奔放な恋愛遍歴の所有者として数多のスキャンダルを提供し、タブロイド紙上を幾度となく賑わせていた。
セイレンを称する、様々な二つ名がある。
七天マリヴロの再来、美神テナイの化身、新薬調合のアルキミストレス、ネクロマンシスの女帝、黒林檎の魔女、アルビオン家の天災――このように各界で異なる二つ名を持ち、それぞれの異名に纏わる逸話も豊富であった。いちいち紹介することはここではしないが、出自だけではない確かな傑物であることを、数多の逸話が物語っている。
だが、最も世に知れ渡った二つ名は、別のものである。その名こそ、ジプサムの頭をよぎった名であった。
――セイレンブルーの人魚。
ある出来事を切っ掛けに、セイレンはその名で呼ばれるようになっていた。
さて、読者の諸君はお思いであろう。クラムシェルはどうした、もったい付けるな、話が脱線しているのではないか、と。確かに主人公はクラムシェルである。しかし彼女を物語ろうとするとき、セイレンは最も重要な人物なのである。彼女がいなくては、この物語は成立しないほどに。少し話は脇道に外れるが、どうかお付き合い願いたい。
次に記すのは、セイレンがその二つ名を冠するまでの経緯である。
セイレンは幼くして多彩な方面で非凡な面を見せ、これまた月並みな表現ではあるが、神童と呼ばれていた。だが、凡庸な神童とは異なり、その才は止まることを知らず、長じるにつれ色とりどりに開花していき、各界から様々な二つ名を与えられるようになっていった。その華やかなる人生の道程で、名声も、羨望も、嫉妬も悪意も恣にしていた。
そんな彼女は、芸術家としての気質か、財閥での幼少期からの帝王学の影響か、生まれ持った天才的頭脳に起因するものか、つとにエキセントリックで独善的な女性であることも知られていた。その人生は順風満帆というよりも、彼女自身が嵐や雷雨、地震などに例えられるほどだった。事実、当人が荒れ狂う天災となって周囲を巻き込み、疲弊させ、崩壊させることも多く、また時には天の恵みとなり、神の慈悲、時には無慈悲となって、気まぐれに奇跡を起こすこともあった。天恵と天災を縦横無尽に行き来する、そんな生き方を望んで謳歌しているようであった。
そんなセイレンを狂わせたのは、これまた世間受けする節操のない表現ではあるが、ある運命的な恋であったという。相手は明らかにされていないが、叶うことのない、道ならぬ恋に溺れるあまりに、心身のバランスを崩してしまったのだ、と。
これは世間の風評の一つに過ぎず、セイレンを狂わせたものの正体については諸説あり、真実は明らかにされていない。だが、美術評論家も心理学者も、当の記事を書いたゴシップライターでさえも、世間に流布するこの説に関しては強く反論している。曰く――
――恋などというありきたりで月並みな、退屈極まりないものに、セイレンともあろう人間が狂わされてしまうはずがない。
――そもそもセイレンの心身のバランスは、命綱のない綱渡りのように絶妙であり、その妙技の上に彼女の天才性はあるのだ。
――いや、バランスなどという常識的なものを、彼女はそもそも持ち合わせていないのだ。そういった常人には不可能な常識との乖離こそ、彼女を彼女足らしめているのだから。
このような賛辞に等しい揶揄が、セイレンを知る人々の間では氾濫している。だが、そんな彼らが等しく共有していた、いや夢想していたイメージがある。それは、当代随一の美術評論家の言葉で、こう表現されている。
「あの子の精神は、僅かでもバランスを崩してしまえば、遥かな高みから真っ逆さまに落ちて墜死してしまうでしょう」
セイレンはこの言葉に予言されたかのように、二十代の後半を過ぎた頃から創作活動はスランプに陥り、革新的であった研究は行き詰まり、順調であった事業は傾いていった。作品は批評家によって酷評を浴び、学界を追われるほどの奇抜な学説を唱え、株価は大暴落を続けた。各界で有していた地位を失い、立場を追われることになった。かつての美しく自信に満ち溢れていたセイレンが、奇怪な妄想や発言をするようになり(これに関してはもともとそうだと言う方々も多いが)、やせ細って衰弱していった。
一年に及ぶ精神の迷走と墜落を経た後、華やかな社交界での交友関係を絶ち、研究者として第一線から退き、経営者としては財界から身を引いた。創作に関しては、その一切をやめてしまった、そう言われるようになった。そしてそのまま、一度は世間から姿を消してしまったのである。
行方は明らかにされず、財閥側から一切の発表はなかった。執拗な記者の包囲網からも逃れ、表舞台から消えるように姿を隠した。タブロイド紙では様々な噂が書きたてられた。精神を病み、財閥の所有する別荘地で治療を受けている、森の奥で動物達と隠遁生活を送っている、恋敵の陰謀で顔に大火傷を負ってしまい、人前に出てくることができなくなった、中には、天災である彼女を持て余した一族によって粛清されてしまった、という記事もあった(彼女と財閥のことを調べれば、それほど信憑性のない話ではない)。だが何れも、噂の出所が不明で、確証のあるものではなかった。
誰もその行方を知らずまた見つけられないことから、失踪してしまったという簡素な説に落ち着き、やがてその存在は忘れられていった。
そんなセイレンが、凡そ八年後にして突如として世に問うたのが、一人の少女をモチーフにした一枚の絵画であった。
といっても、セイレンがマスコミの前に姿を現せたのではない。彼女は依然として姿を隠していた。
代理人として作品を発表したのは、以前よりセイレンの作品群を管理していた彼女専属の執事である。財閥関係者は皆一様に、セイレンに関して口を固く閉ざしていたが、その執事が突如として沈黙を破り、セイレンの新作として、その絵画を発表したのである。
この執事はセイレンを幼少時より知る人物であり、この作品発表以降、姿を見せない彼女の代理人となり、芸術界やマスコミとの窓口となっている。ただ彼女にとってこの執事が特別な存在だったわけではない。数多の執事は彼女にとって等しく忠実な僕であり、その意味で、執事達に上下はなかった。彼らはみな同じ黒服を着ており(男女の違いはあるものの)、その執事服は、セイレンの執事と一目で分かるように、彼女自身によってデザインされたものであった。彼女にとって、無個性な他者を執事たらしめるものが、その真っ黒な執事服であった。数多くの執事が財閥の専門機関である修道院で養成され、主人に忠誠を誓っていた。一人ひとりに名を与えるのも煩わしく、そもそもこの物語では意味はない。登場する執事はみなセイレンの信奉者であり、それ以上でもそれ以下でもない。黒子一人ひとりに名がないように、彼らに名など必要ない。だが執事とだけ記しては味気ないし、何より彼らはただの執事ではない。黒子がいなければ舞台が成り立たぬように、執事はこの物語において、まさしく陰ながら重要な役割を担うのだから。
そこで、彼らに関してはオブシディアンという名で呼ぶことにする。これ以降、オブシディアンという名の登場人物は全て、セイレンにとって執事のことであることを、ここに記しておく。
オブシディアンは作品の発表時において、取材陣にこう説明している。
「――セイレンお嬢様は、世間の無遠慮な視線から逃れ、外部との関わりを避け、情報の一切を遮断して隠遁生活を送りながら、自らの信じる美、芸術と向き合って創作を続けておられました。この作品はそんな苦しくも幸福な日々の中でようやく産み落とされたもので、お嬢様自身の幼少期をモチーフにして描かれたものです」
そこに描かれていたのは、海を眺めている幼い少女であった。そしてその少女は、セイレンの幼少期に瓜二つであった。
画題はなかった。
その作品は批評家達の絶賛を浴びた。まず何よりも特徴的なのは、その色である。
その色は、美術評論家達の目を醒まさせ、かつての批判を一掃した。そして世間から忘れられていたセイレンの名を、世に再び轟かせることになった。
なぜならそれは、それまで存在しない色だったからである。
ある美術史家はこう評している。
「お隠れになっていた美神は、洞窟の奥底に秘められていた未知なる色を発見し、その身に纏って出て来られたのだ。その色の発見は、美術史においては遠近法の発見に匹敵するほどの歴史的な出来事である」
そう、セイレンは新しい色を発見したのである。その色は、それまで誰も見たことがない、また描いた者のいない色であった。誰もが初めて見る色であったのである。
最初の作品が公開されてより、数多の芸術家達がその色に驚嘆し、自らも再現しようとした。だが、どのような絵具をどのような調合で混ぜ合わせても、その色を作り出すことができなかった。それは彼女以外の誰にも再現不可能な色であったのである。
セイレンが希有な化学者であったことから、その色は自然界に存在するものではなく、彼女自身が特殊な製法で抽出したものではないか、そのような憶測が流れたが、セイレンは決して表に出来ることなく、代理人へ殺到する質問にも、代理人共々一貫して沈黙を貫き、その秘密が明かされることはなかった。
その色を使って描かれたセイレンの新作は、批評家だけでなく、多くの人々の心を揺さぶった。誰もが衝撃を受けた。それを眺めていると、誰もが心に漣が立つのを感じるのだ。そして見れば見るほどに、その漣は大きくなり、やがては大きな波のうねりとなって、鑑賞者の感情を掻き乱すのである。その反響は一様ではなく、見る者によって異なっていた。あるものは絵画を見ていて旋律が流れてくるのを耳にし、あるものは波の音を聴いた。あるものは潮風の匂いを感じ取り、あるものは、冷たい風が肌に吹き付けるのを体感した。あるものは描かれた光に確かな眩しさを感じて目を細め、あるものは柔らかな光の放つ熱が肌を通して体温に変わるのを感じた。あるものは舌に味わいを感じ、あるものは台詞が語られるのを聴いた。
それは実に奇妙な体験である――絵画を鑑賞する幸運に恵まれ、その新たな体験に浴した人々は興奮気味にそう評した。それらの現象を、一人の批評家はこう評している。
「――その新しい色で描かれた絵画を見ていると、自分の心の奥底に秘められていた過去や記憶を刺激され、そのときの五感で感じていたものが、確かな量感と質感を伴って蘇ってくるのだ」
新作が絶賛の嵐を受け、あらゆる言葉で褒め称えられる一方で、セイレン自身は、作品に関して一切のコメントを残してない。制作の動機、過程、時期、期間等は全く明らかにされていない。
その絵画には名が、画題がなかった。代理人たるオブシディアンからも、「伺っておりません」という素っ気ない説明があるだけで、画題をセイレンが付けたのかどうかさえ明言されなかった。批評家たちはその絵を評するに、名を与えなければならなかった。議論百出し、高名な批評家たちはこぞって自ら考案した名を通称にしようと躍起になり、金を積んで各方面に根回しをするものも続出した。
また画題だけではない。もう一つ、その作品を評するに必要となる新しい名が必要であった。それはセイレンが表現した、新色の名であった。この色に関しても、セイレン、オブシディアン共に沈黙を貫いていた。
結局、美術学会での協議の末、その色には表現者の名を冠して命名することが正式に決められた。
セイレンブルー、従ってこの色の名は、セイレン自身が命名したものではない。彼女がこの色に何と名付け、呼んでいたのかは明らかにされていない。セイレンブルーの名が通称として使われ始めてからも、代理人であるオブシディアンからは反論もコメントさえも発表されていない。そのため、この色の名は絵画の評判とともに、世に広がっていったのである。
画題が与えられたのは、色の名が定められてからである。制作者は画題を告げずにいたため、批評家たちが勝手な画題を付けることは作品を穢すことになるとして、却下された。従って作品名は無題のまま、色の名を仮称として採用することになった。
『セイレンブルー』
そう称されるようになったのである。
美術界は、その作品と共に大々的に美神の復活を讃え、かつての酷評など嘘のように、殻を破って生まれ変わったのだと高らかに歌いあげ、歓喜してセイレンを迎え入れた。
だがセイレン自身は美術界の喧騒を知ってか知らずか、変わらずに一言のコメントすら出さなかった。決して己の所在を明かすことなく、隠遁生活を続けながら次の作品制作を行っているとされた。
美術界の期待した通り、セイレンの作品はその一作では終わらなかった。そして期待以上のハイペースで新作が発表された。新作発表はいつも唐突であったが、数カ月に一度は、代理人であるオブシディアンが一切を取り仕切る形で行われている。
セイレンが何処にいるのか加熱する報道に、オブシディアンが報道陣の前で公式に出したコメントが記事となって残されている。
「セイレン様は世間の喧騒によってご自分の暮らしと創作活動が乱されることを厭い、定住地を持たず、素性を隠して世を転々としながら制作に没頭されている」
――だから創作の妨げにならぬように、追っかけまわすのをやめろ。
コメントからは、そのような牽制の意図が透けて見える。
発表される新作は、絵画だけではなかった。それは詩であったり、曲であったり、彫刻であったり、日記、紀行文や物語の類であることもあった、その度に美術界は沸き立ち、作品の悉くが、評論家達によって傑作の評価を与えられた。資本家や投資家によって、驚くほどの高値が付けられた。
それらの全てが一人の少女――少女時代のセイレンをモチーフとして制作されたものであり、異なる表現様式によって綴られた連作集のようであった。作品群を発表順に追っていくと、幼い少女が少しずつ、確かに成長していく様子が表現されているのが分かった。
そして、作品の一つとして、画題が与えられたものはなかった。
当初、セイレンブルーとはその色彩に与えられた名であり、それが最初の作品の通称として使われていた。その名はセイレンの絵画作品の特徴として使われていたが、異なる形態の新作が発表されるようになると、やがてそれらも含めて、セイレン独特の作風そのものを意味する言葉として用いられるようになった。そして、美術界に復帰して以後制作された、少女をモチーフとした無題の作品群は、そのセイレンブルーという仮称をナンバリングタイトルとして使用されるようになった。発表順に『セイレンブルー №××』と呼ばれるようになり、セイレンブルーシリーズとして知られるようになったのである。
ある美術評論家は、同好の士で発行している美術会報紙に寄せた「セイレンブルーとは何か」と題するエッセイで、こう評している。
「――つまり彼女の作品には全て、彼女でしか表現できない、また彼女の作品だと特徴付ける、彼女の作品だと誰もが確信する、他の人物には再現不可能の、人の心を捉えて放さない、確かな何かがある。それは単純に色使いであるとか、台詞回しであるとか、言葉選びであるとか、旋律だとかいったものではない。それは言葉では表現できない感覚そのもので、私達はそれをセイレンブルーと呼ぶのだ」
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