大悪魔アスモデウス

 そこは先ほどまでよりもさらに広かった。

 だがなによりも目を引いたのは、目の前に佇む巨大な悪魔だった。 

 ミノグランデよりもさらに大きく禍々しく、巨大な二本の赤い角は湾曲し、鼻の潰れたおぞましく厳つい顔。暗紫色あんししょくの肌に猛々しく盛り上がった肉体は、圧倒的な威圧感を放っている。肩や下半身には灰色の剛毛を生やし、背には巨大な漆黒の翼。

 これは、魔物や魔獣といった表現は正しくないのだと、直感的に分かる。 


「デーモン……」


 そう呼ぶのが最もしっくり来る。

 柊吾はあまりの強大さに思わず後ずさる。

 彼らがなにも言えないでいると、デーモンが口を開いた。


「こんなところに客が来るなんて、久方ひさかたぶりだなぁ」


 その声は、大地を揺らすほど低く、まるで地獄の底にでも来たかのような錯覚すら覚える。

 柊吾の横でメイが震えているのが分かった。

 ニアはさすが竜種と言ったところか、普段とは違う険しい表情で敵を睨みつけている。

 柊吾は、今にもガタガタと震え出しそうな手を強く握りしめ、一歩前へ出た。


「お前はいったいなんだ? 凶霧の魔物なのか?」


「我が名は大悪魔『アスモデウス』。魔王様に仕える最強の悪魔よ。凶霧の魔物などという雑魚共と一緒にするな」

 

 目の前の大悪魔は、声に怒気を孕ませ答えた。

 そのとき、柊吾は妙なひっかかりを覚えた。

 凶霧の魔物ではないというアスモデウス。それはつまり、純粋な悪魔であるということ。

 そして彼の言った『魔王』。それが意味するのは『魔王サタン』以外にないはず。


「なるほど、そういうことか……」


 ようやく腑に落ちた。

 このアスモデウスはとんでもない存在感を放っているが、それでもまだ、この広間の奥から強大な気配が漂ってくるのだ。

 

「この奥に魔王がいるのか」


 そう呟いたときには、アスモデウスの右手が伸びていた。

 柊吾たちへ勢いよく迫る掌。あまりにも巨大すぎる。


「雑魚の人間風情が調子に乗るな」


「ニア、飛べ!」


 柊吾はとっさに叫び、メイの手を引いて上へ飛んだ。ニアも羽ばたき、飛び上がる。

 幸いスピードの遅かった敵の手は、なにも掴めない。


「ほぅ、自在に宙を舞うか。地を這うだけの雑魚かと思えば、そうでもないようだな。面白い、久方ぶりに楽しめそうだ!」


 アスモデウスは声を弾ませ、その巨大な腕を振り回す。それだけで強い風圧が発生し、思うように動けない。

 メイを抱えて飛んでいる柊吾は、避けるだけで精一杯だ。


「えぇぇぇいっ!」


 ニアが敵の死角へ回ろうとするも、敵は翼を羽ばたき強風を起こす。

 巨体の割にまったく隙がない。

 柊吾は隙を見てメイを降ろすと、敵の真正面へ移動し刀身に溜めた稲妻を放つ。


「――むず痒いわ」


 胸に直撃した電撃は、小さな焦げ跡を作るが、大して効いていないようだ。

 それでも柊吾は諦めず、アスモデウスの攻撃を避け、縦横無尽に飛び回りながら電撃を乱れ打つ。この巨体にも、どこかに弱点はあるはずだ。

 同時に横からニアが突撃し、皮膚を爪で裂こうとするが、敵は見向きもせず腕を上げて裏拳でニアを吹き飛ばす。


 ――バゴオォォォンッ!


 叩き飛ばされたニアは、勢いよく壁に衝突し、轟音と砂塵を上げる。


「ニアぁっ!」


 一瞬気を逸らされた柊吾。

 次の瞬間、頭上に巨大な影が出来ていた。アスモデウスの掌が迫っている。


「ぐわぁぁぁっ!」


 とっさにアイスシールドを展開するも、まるでハエ叩きのように空中から叩き落される。

 柊吾は氷の結晶を舞い散らせ、メイの目の前へ落下した。


「お兄様っ!」


「くっそぉ……」


 柊吾はうつ伏せに倒れ、悔しげに奥歯を強く噛む。

 アスモデウスの力は絶大だった。

 さすがは大悪魔。そこら辺の魔物などとは比べものにならない。


「所詮は虫けら。その程度か。失望したぞ」


 アスモデウスは、さげすむように感情のこもらない低い声で呟くと、口を大きく開け炎を集め始めた。

 広間を熱風が襲う。

 大きく開かれた悪魔の口には、灼熱の炎球が極大の熱量を収束させ、その勢いを増していく。

 あれに焼かれれば、たちまち消し炭になるであろうことは、想像に難くなかった。


「お兄様、下がってください」


 メイも負けじと柊吾の前に出て、トライデントアイを頭上へ突き出し迎え撃とうとする。

 柊吾とニアが戦っている間に準備していたのか、その三つの砲門には、既に光が収束していた。

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