第422話 災厄の誕生

 話は、イゼルア帝国が聖ルシエル教皇国へ侵攻した頃にまで遡る。


 帝国軍による教皇国侵攻において最大の激戦地となったのは教皇国首都だった。

 圧倒的な勢力で街を包囲し攻め落とそうとする帝国軍に対し、これに反撃し壊滅せんと教皇国によって満を持して振るわれた神級魔法・終焉の氷雪デルニアスブリザードは、教皇国の目論見通り甚大な損害を帝国軍に与えた。


 その後、帝国を支援したアルヴィースによって最終的に教皇国は滅亡へと追い込まれたが、神話で強大な神の鉄槌だと記されている神級魔法が、人間によって戦争で行使されたという事実は非常に大きな意味を持った。

 人間の手が遂に神の領域に届いたと評価する者にとっては歴史的な転換点であり、軍事的にもこれは戦略級魔法に成り得るものだとして、周辺の諸外国や諸勢力は目の色を変えた。

 そしてこの神級魔法は、そんな人間達のみならず。悪魔種に代表される知性を持つ魔の者達に警鐘を鳴らすと同時に、大きな関心をも集めることになっていった。



 ◇◇◇



 その日、遠方から伝わって来た終焉の氷雪デルニアスブリザードによって生じた深淵の深みを感じさせる波動が、悪魔種ルドラを永い眠りから目覚めさせた。


 悪魔種の本能から発せられ目覚めを促す警鐘は鳴り響いているが、同時に今すぐ危険が迫っている脅威ではないこともそれは伝えている。

 ならば自身の状態と周囲の確認が先だと、ルドラは虚ろな頭の中でそう考えた。


 目を開けた彼は、まずは自分をすっぽりと包み込んでいる封印と更にそれを覆い尽くしている岩盤に異常が無いことを確認してしまうと、身体を起こし、横たわっていたベッドのような台座に腰掛ける姿勢に変わった。

 そのまま自身の状態を確かめていくうちに、次第に身体と精神両方の再活性化が進んで、眠りにつく直前のことをハッキリと思い出せるようになってくる。


 永劫の時を生きる彼が、自らの意思に反して永い眠りについていたのは、同じ悪魔種であるリリスとの戦いが切っ掛けだった。

 彼にとっては昨日の出来事のようなその件を思い出すと、心の内に自身の行動への悔いも甦ってくる。しかしそんな感情の乱れも、あの戦いからどれくらいの時が過ぎたのだろうかと冷静さを少し取り戻してからは次第に鎮まってくる。



 戦いは、互いの眷属が諍いを始めてしまったなどという些細でくだらないことからだった。

 上位の悪魔種同士の争いは往々にして拮抗し、千日手になると言われる。

 今回もその展開かと思いきや、この悪魔種リリスと悪魔種ルドラの争いは始まってすぐに一方的な展開を見せた。

 それは、一方的に悪魔種ルドラが攻められ為す術も無く無力化されてしまうという展開。


「くっ…、これが。リリスの闇の細霧ダーク・エルネブラか」

 ルドラが思わずそう口走ると、対峙しているリリスからは不機嫌そうな言葉が返された。

「……だから、リリスじゃなくて。ラスペリアって呼んでって言ってるでしょ。今度リリスって言葉を口にしたら、マジでそのバカな頭を吹き飛ばすわよ」


 最強種としてのプライドを持っていたはずの悪魔種ルドラが、いつの間にか仕掛けられていたリリスの固有スキル闇の細霧ダーク・エルネブラによる罠に嵌り、呆気なく無力化されてしまっている。


 無様に仰向けに転がった身体は、既にそのほとんど全てがボロボロだ。

 能力は無効化されHPは風前の灯火で、もう立ち上がることすらできない。


「解った、ラスペリア…。そう呼べばいいんだな」

 少なくない血と共に吐き出したその言葉には、降参の意思も込められていた。


「ふん、それでいいのよ…。あ、そうだ。あんたにも名前を付けてあげるよ。どうせ今までルドラとしか名乗ったこと無いんでしょ」


 ニッコリ微笑んだラスペリアはそんなことを言うと、またすぐに一変して今度は思案気な顔に変わった。


「そうね…。あんたはこれからデューンよ…。フフッ、いい名前だわ。あと、ちゃんとした名付けが終わったらしばらく封じてあげる。その傷を癒すためにもその方がイイと思うの。そう…、それがあんたに下す罰よ。だから神妙にお縄につきなさい」



◇◇◇



 デューンという名が、ラスペリアが悪魔種ルドラである彼に付けた呼び名。

 この名がステータス上にも刻まれてしまっているのは、かつて神界で暮らし、神と同等の力をまだ幾つかは有しているとされる悪魔種リリスの権能の力の結果だ。


 名付けは加護や恩寵を与える行為に等しく、それは進化を促す場合もある。

 しかし、時にはそこに隷属という縛りも伴うことが在る。


 だがラスペリアはそうはせずに、眠りにつく間際のデューンにこんな言葉を掛けていた。

『……いつか世界が動いたら、あんたも目覚める。その時は今よりもっと強くなってるはず。それで何か面白いものを私に見せてよ。そうしてくれたら、このお礼は言わなくていいからさ』



 デューンは自身のステータスを確認して、強制的に名付けをされた屈辱が込み上げてくる一方、確かにラスペリアが言った通りに強くなったことを示す向上したステータスの数値を見て複雑な心境になってしまっている。

 ラスペリアの真意とは、狙いは何だったのか。

 しかしそんな考えごとと並行して続けていた目覚め後の自分の状態の確認が終わると、デューンは自身を守るように設置されている封印の解除を行い、外に出ていくために岩盤の一部を取り除いた。


 一歩外に出た所で、すぐに感じたのは空から流れる風の冷たさ。

 デューンを照らす陽光は無く、外は月の無い夜の闇に覆われていた。


 それでも山の頂に近い中腹からの景色を見渡し、夜空を見上げながら久しぶりの外気を胸いっぱいに吸い込むと、デューンはそれだけで少し楽しい気分が湧いてきて思わず微笑みを浮かべた。

 その笑みには、久しぶりに身体中に染み込んでくる解放感が味わえていることと、眠りについた時にはボロボロだった自身の身体が元通り以上に回復したこと。それを実感できている喜びも含まれている。


 デューンはそうやって夜空を見上げた視線はそのままで、今度は周辺の気配を探り始めた。

 為すべきことはハッキリしている。

 その第一歩として、デューンは幾つか感じ取れた気配の中から選択し、手繰り寄せるように自分の元に呼び寄せたピルスバット10匹ほどを手早く眷族化してしまうと、それぞれに役割を与えて飛び立たせた。



 その後、眷属を増やす役割を担ったピルスバットが次々と仲間を集めてくる中、周囲の偵察の為に飛ばせたピルスバットからの情報もデューンは精査を始めた。


 どうやらラスペリアから連れて来られていたこの場所は、海が近いということが判る。この山を下りて西に広がる森を抜けていくと、程なく海岸線がある。


 そして、それとは逆の東に進むと…。

「人間の街だと?」


 デューンが思わずそんな声を出してしまうほど予想外に近い所に見つけた人間の街は、集落と言うよりはもっと大きな町、氏族郷の様相だ。

 テリトリーとしての広さと建物などの多さにデューンは強く興味をそそられ、同時に様々な思いが頭の中で渦巻き始めている。

 そして、その思いに拍車をかける一層の強い興味の対象となったのは、見覚えがある街の建物の様式で察したそこで暮らす人間。その人種のことだった。


「獣人の氏族郷…。これは面白い」


 獣人の街が近いこともラスペリアの仕込みなのかと思うと微妙に悔しさが表に出そうになるが、それを打ち消す程にデューンは悦びを感じていた。


 それからも引き続き眷族を増やしながら周囲の探索は更に範囲を広げる形で継続し、特に獣人の氏族郷については重点的に観ていったデューンの決断は早く。

 悪魔種ルドラ特有のおぞましい生態とも言える能力。ルドラにしか生み出せない極めて奇異な分身体バジェリスを生成する作業に着手した。


 悪魔種ルドラの分身体はいつでも望んだものが生み出せるわけではない。

 実用的なものは最低でも百年単位でのインターバルが必要だとされ、その間隔が長ければ長いほど、力が蓄積された良い分身体が生成できる。


 ラスペリアがデューンを封じたのは二百年前のこと。

 良質な分身体を生み出す為の蓄積としては、既に十分な期間が経過していた。


 こうして、ヒト種にとっては悪夢でしかない災厄が誕生した。



 ◇◇◇



 さて、敵の転移魔法へのハッキングはラピスティに丸投げした俺は、もう一度周囲の確認を念入りに済ませると、ニーナとステラに下に降りようと言った。


「待ってても仕方ない。ちょっと降りてグールを見てみないか?」

「んん? 見てみる?」

 ニーナはそう問い返しながら、下を眺めて降りるポイントを探し始めた。


 ステラはずっと監視を続けていてグール達の様子も布陣もリアルタイムで把握している。あの辺がイイよと、地上の一点をニーナに示して二人は相談を始める。


「……シュンの今の言い方は、一匹だけ相手してみたいって意味で合ってる?」

 チラッと俺の方に視線を向けたニーナが、確認の意を込めてそう尋ねてきた。

 その通り、と俺は大きく頷きを返す。

「調べてみたいんだよ。本当に元は獣人なのか、とか」

「てことは一匹だけ引いて来てスタンか拘束だよね。オッケー、いざとなったら無理やり引っ張って来るよ」


 そういう訳で、さくっと段取りを決めた俺達はニーナの最大効力の動的領域隠蔽を纏って地上に降りた。


 突然待機命令でも出たかのように、ダンジョンへの侵攻が今はほぼ停滞してしまっているグール達は、間延びしてはいるもののかろうじて集団の体は保ってはいる。が、視覚を失くしたり統率が乱れているせいで群れから取り残され始めている個体も少なくない。


 まずはそんな一体に狙いを付けて接近。

 至近距離に近付いた俺達はそのまま木立ちの陰に身を潜めてしまうと、その一体のみならず、比較的近くに居る他の個体についてもしばらく観察する構えをとった。


 そうして何体か見ていくうちに、視覚を失った個体はどれもその大きな目からおびただしい血が流れた跡があることが判ってくる。同時に既に自己修復がかなり進んでいる状態だということも理解できてきて、対応の速さに驚きを新たにした。


 そして俺は、これとは別にグール達を見ていて気付いたことがある。

「ふむ…。獣人種だったかはともかく、元が人間と言うのは本当かもしれない」

「そうなの?」

 と、俺の呟きに対してステラが囁くような声を返してきた。


 頷きながら、俺はつい渋い顔になってしまう。脳内では既にいろんな考察が渦巻き始めていて、嫌な想像も幾つか浮かんで来ているせいだ。

「近付いてみて少し感じ取れるようになってきたのは、グールから発している生体魔力波は二つあるということ」

「えっ?」

「二つ?」


「魔物の生体魔力波と、もう一つ。これは隠蔽と言うより遮蔽だな。その隙間から漏れてくる人の生体魔力波が微かに感じ取れる」

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