第416話 時空の狭間

 重傷者二人への治癒を開始して一時間ほどが過ぎ、続きは少し時間を置こうかと思い始めたタイミングで、フェルが小屋の入り口から顔を覗かせて声を掛けてきた。

「シュン。私の方は一応、今やれることは終わったよ」

「んっ、お疲れさん。早かったな」


 ニコッと笑顔に変わったフェルは、満足げに頷いている。

「三人のうち一人は目が覚めてる。痛みはそんなでもないみたいで、割と落ち着いて話も出来てるからそのまま様子見してるよ。今は、さっきのおじさんが温かいスープを飲ませたりしてるとこ」


 それでいい。という風に俺も頷きを返して、アレックスの傍から立ち上がった。

「解った…。じゃあ、三人にアンチポイズン掛けとこうか」

「そうだね」


 何人もの兵が、久しぶりに腹いっぱいだと言っていた通りなのだろう。食事を終えた兵士達は最初に見た時よりも随分と元気になって表情にも声にも明るさが有る。


 フェルが言った『さっきのおじさん』とは、俺をこの小屋まで案内してくれたリーダー格の男のこと。

 ずっと小屋に居て貰っても邪魔なだけなので、フェル達の手伝いや周囲への見張りをしてくれてた方が助かるという感じのことを遠回しに言った結果。彼ともう一人がフェル達の傍に居て、他の兵はそれぞれ持ち場に戻ったり休む者は休んだりと、今は兵士全員がほぼ本来の行動パターンに戻っているようだ。


 小屋の外に出た俺は、フェルの治癒が施された三人の傍に居る『さっきのおじさん』達から、初めて顔を合わせた時にあからさまに示された敵意とは全く異なる感謝の念が混じった柔らかな視線を向けられた。


「中の二人は、まだ何とも言えない状態だ。もう少し手を尽くしてみる」

 彼らにはそれだけ言って、俺はフェルが処置した三人のまずは今の状態を確認し、続けて一人ずつ念入りなアンチポイズンをかけていく。


 待ってましたと言わんばかりのフェルはほとんど俺と肩を寄せ合うような近くで、まだ彼女自身には上手く使えていないアンチポイズン。汎用的な解毒・防毒魔法に興味津々で目を輝かせている。


 フェルは、クリーン魔法は光属性を得て俺とエリーゼから伝授されて以来、日常的に使っているということもあって練度も十分で精度も申し分ない。キュアやヒールについても、今ではミレディさんやフレイヤさんから頼りにされる程には洗練されてきて、更なる高みに至れとばかりに二人から継続的に指導を受けている。

 それらと比べると、汎用性を強く意識した俺がかなり特殊な魔法にしてしまったこのアンチポイズンについては、フェルは発動を目にする機会も少なく、まだ完全には習得できていない。


 という訳でフェルの期待に応えるべく、軽く説明を交えながらアンチポイズンを行使した。そして、その流れのままフェルからの幾つかの質問に答えていると、ずっと探査でトレースしていたレヴァンテが森から戻り始めたことに俺は気が付く。


 少し前にレヴァンテがここから離れて独りで森の中に入って行ったことは分かっていて、レヴァンテがそんなことをする理由は、向かった先に俺も探査で捉えていた新たなゴブリン8体の反応。

 その群れを文字通りの瞬殺。一掃してきたレヴァンテは、先刻の殲滅の時と同様に、短時間での解決の為に初めから全く容赦していなかった。


 しかし何故か森から出てきた時も、そして今も、困っているような難しい顔つきが続いているレヴァンテは、戻ってくるなり俺とフェルの耳元に近付く格好で声をひそめて囁いた。

「やはり、近くにキング級の上位種に率いられた大きな群れが居るようです。今の群れにはゴブリンリーダーとゴブリンメイジが一体ずつ居ました」


「メイジが…」

 と、同じく小声で返したフェルが続けて言いたいことは解っている。

 ゴブリンメイジはゴブリンリーダーと同格の上位種ではあるが、基本的には指示される側の種だ。

 通常、メイジが居るということは、それより格上の上位種が居ることを意味する。


「……厄介だな。さっきの規模の群れにメイジが二、三体でも加われば、ここは長くはもたない。それにゴブリンどもは、仲間が一気に減ったことにいずれは気付く。ゴブリンキングが居るなら、そいつは大群で侵攻しようと考えるかもしれない」


 レヴァンテと同じようにフェルも悩ましげな表情になって、俺の言葉に頷いた。

「確かキングって、配下を餌代わりにうろつかせるんだよね。口減らしも兼ねて」


「そう。配下が減ったら減っただけ獲物の価値が高いと見做す。ましてやヒューマンは奴らにとってはいろんな意味で極上の獲物。自分らが数で優位に立てると思えば狙ってくるはずだ」


「そうですね。近いうちに、少なくとも様子見の配下は出して来るでしょう」

 そのレヴァンテの有り難くない予想には俺も同意だ。


 とは言え、何にせよ現時点では警戒と防御に専念する方針は変わらず。

 だが、より広範囲を警戒すべきと互いに確認をして一旦この話にはキリを付けた。

 そしてそこからは、主に小屋の中の重傷者についての話をしつつ、俺達全員が食べそびれていた晩飯を摂ることにした…。



 ◇◇◇



 フェルが治癒を施し状態が良くなっている三人については、今後は看護含めて兵達自身に任せることにして、彼らと共に別の小屋に移した。そこでポーションを幾つか取り出してから、今後のことと扱いの説明などをひと通り行った。

 フェルからおじさんと呼ばれていたここのリーダー格の男は、俺の説明を聞き終えると何度も頭を下げて感謝の言葉を口にした。

 収納魔法に始まりクリーンやキュアなど、劇的な変化を及ぼす魔法を目の前で見せつけられた兵士達は、今では警戒や敵対というものとは別の意味で俺達を少し畏れ始めているような雰囲気がある。


 俺はこの際とばかりに、続けてエルフ側の状況を彼らに説明した。

「……エルフ軍の最前線の砦は、ここから歩いて二週間以上の場所に在る。だが、そこも撤退が進んでいる。エルフの軍団を派遣していた中央の関心は既に魔族との全面戦争の方に移ってしまってるし、砦周辺の地元のエルフの小氏族の連中はヒューマンの俺達に対しても友好的だったよ」

「……」


「俺の話を信じるかはお前達次第だ。だけど、一旦街に戻ってここの状況と情報をしっかり伝えるべきだ。こんな所に留まる意味は無い」



 兵士達とのそんなやり取りがひと段落して、日が替わる時分にはフェルをテントの中で休ませた。小屋のすぐ横に張っているそのテントの前でレヴァンテはいつもの見張り役。俺もそれに付き合う形で、時折話をしながら周囲の警戒をしつつ脳内ではいろんなことに考えを巡らせ続けている。

 小屋の中の重傷者二名への治癒は一時間程度の間隔を置きながら繰り返していて、幾度も掛けたキュアで一人は少しずつ状態が改善し、回復の目途が立ってきたのでひと安心と言ったところだが、問題はアレックスだ。


 まずは左脚の欠損。膝の少し上の辺りで切断されてしまっていて、上手く止血はされていたが、それまでに失った血はかなりの量だと思われる。

 そして鈍器が掠めたような傷が側頭部にある。

 最初この頭部の傷は命に関わるほどでは無さそうに見えていたが、詳しく調べてみると頭がい骨は微妙に陥没しており、激しい衝撃によって脳自体が傷ついているのだろうという結論を俺は出した。


 アレックスの意識が全く戻る気配が無いのは、例の麻酔薬のせいだけではないと俺は思い始めていた。


 その後、軽く仮眠を取った小一時間ほどを経て、再びの治癒を終えた俺が小屋を出てテントの所に戻ると、レヴァンテが顔を上げて俺に尋ねてきた。

「アレックスの状態は、あまり良くなさそうですね」

 俺は目を閉じて深く息を吐き出しながら、何度も頷いた。

「ふぅ…、正直厳しいと思ってる。今やってることも無駄かもしれない」



 ……と、俺がレヴァンテに応えたその時。突然世界が歪んだ。


 耳鳴りのように響く自分の周りの全てが軋むような音は実際の音ではなく、身体中に伝わって来る空間が中身ごと捻じれているような状況がもたらしている震えだ。


 周囲の事象全てが停止し、そして色が失われていた。


 俺の方に顔を向けて話をしていたレヴァンテも、瞬間的に凍り付いたかのようにモノクロの色調のただの彫像と化している。


 フェルは? と気になった俺はテントの方を振り返る。

 そこで初めて、探査の反応がフェルの存在に限らずほとんど失われていることに気付くが、かろうじて感じ取れているフェルの状態は、直前までと変わりは無い。


 スキルのことごとくが用を為さず、かろうじて生きている魔法解析で俺は今起きている現象について視ていく。


 ───周りじゃなく、俺が異常なのか…。


 理解出来てきたのは、俺が時空から半ば逸脱しようとしているのだということ。


 今回の、時間遡行に始まり長きに渡って続いている現在進行中の一部始終が終われば、元の時代に回帰できるだろうと俺は思っていたし信じていた。そして、それについては楽観すらしていた。


 だが今起きている現象は、回帰ではない。

 何かから時空の外の虚空へと引っ張られているような感覚。


 フェルやレヴァンテ達が居る所が時間停止した訳ではなく、時空から逸脱しかかっている俺の時間が本来の時空のそれとは全く異なっていることによって、俺にはそう感じられ見えているというだけだ。


 かつて帝国北方の聖域で俺達と戦い、時空の秩序維持の作用で閉鎖空間へと飛ばされたルミエルは、もしかしてこんな世界に居るのだろうか。ふと、そんなことが頭をよぎった俺は思わず呟いた。


「これが時空の狭間って奴なのか…」


「そう。その理解で概ね正しい」


 背後から聴こえた声は、若い女性が発したもの。

 ゆっくり振り返った俺の眼に映ったのは、黒を基調とした冒険者然とした装いに少し茶色っぽさが漂う長い髪に黒っぽい目の色、背丈は俺より少し低い程度。腰に佩いているのは魔剣。整い過ぎていると言って良い程の美貌の妙齢の女性が、俺に向かってゆっくりと歩いてくる姿。


 同じく時空の狭間に存在しているその女性には、俺の鑑定スキルが有効だった。


 読み取れた彼女の名を俺は口にする…。


「リーンラピス・リヴァウスティ・アーシェル…。お前が魔王か」


「ええ、そうよ。初めましてシュン・アヤセ。この時をずっと楽しみにしていたわ」

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