第415話
時間遡行で飛ばされたこの時代では、マジックバッグはまだ一般的なアイテムではない。空間収納は神の使徒または聖者といった、ごく少数の者のみが使える特殊な魔法だと言い伝えられているだけで、早い話が都市伝説みたいなものである。
だから俺が収納・マジックバッグから物を出し始めた時には、ヒューマンの兵士達は全員が一様にギョッとした顔に変わって俺の手元を凝視してきたが、彼らの興味はすぐに、その取り出した物の方へと移っていった。
夜営を認めてくれる代わりに食べ物を分けてもいいと言ったら、全員から訝しげな顔をされたので、俺はどっさりという表現に相応しい大量の食べ物をその場に広げたシートの上に出したのだ。すぐに食べられるように出来合いの物ばかりを。
「おっ、いい匂いがするな…。遠慮なく頂くぞ」
「俺にもくれ」
「たくさんある。焦るな」
「おおう、旨い。これはいい」
「久しぶりのまともな食い物だ」
「これ旨いぞ」
……という具合に、瞬くうちに兵士達が集まって来ての大盛況。
あんた達、誰も見張りしてないけどいいのかよ。と突っ込みたくなったがそこは黙っておく。
そうしているうちに、レヴァンテとフェルもこの場に合流。
兵士達は美女と美少女という場違いにも程がある二人の登場にまたもや面食らっていたが、彼らは今は食べることに忙しい。
色気よりも食い気。いや、警戒心よりも食欲優先といったところか。
彼らのそんな様子は全く気にせず、モルヴィを抱きかかえたフェルは早速何人かの兵士と何やら互いに笑顔で話し始め、レヴァンテはカップに人数分の飲み物を用意して配り始めている。
「……あとはポーションも少しなら渡せる。ケガをしてる者も居るんじゃないか?」
俺がそう尋ねると、初めに声を掛けてきた男が一瞬で表情を曇らせた。
「ああ、治癒のポーションが有るなら是非譲ってくれ。手持ちはもう無いんだ」
この男はここのリーダー格なのだろう。今、ひたすらいろんなものを食べている様は他の兵士達と同じだが、この中に在って状況に対する冷静さは比較的保っているように見える。
了解した、任せろとばかりに俺は頷いて見せて、収納から回復ポーションと治癒ポーションをそれぞれ10本ずつ取り出した。
「これが回復で、こっちは治癒。治癒ポーションは飲ませてもいいが、外傷ならケガの箇所に直接かけて沁み込ませるようにした方が効きはイイ」
「うむ…、そうか。この色のポーションは初めて見る。高級そうに見えるな」
「まあ、どっちもそこそこの効き目なのは保証する。で、ケガ人は小屋の中に? もし重傷者が居るなら俺が直接治癒してもいいぞ。俺は治癒魔法が使える」
「ホントか!?」
ホントか、と目を大きく見開いた男は、手に持っていた食べ物を置いて俺に真っ直ぐ向き直ると大きく頷いた。
「頼む。すぐに診てやってくれ」
「いいぞ、そうしよう。案内してくれ」
◇◇◇
大きめのテント程度の広さの小屋の中に、五人の兵士が並べられ横になっていた。
俺がこの小屋に入ってまず最初に感じたことは、まるで死臭が漂っているようだということ。衛生的じゃないのはこんな場所だからある程度は仕方ないとしても、さすがにこれは酷いと感じた。体臭に加えて、排泄物と何か腐臭のようなものも。
「少しは身体を抜いてやったりしたらどうだ?」
灯りが無く真っ暗な小屋の中を照明の魔道具で明るくしながら、俺は語気強めでそう言ってしまう。実際、少し腹が立っている。
ここまで案内してくれて、俺と一緒に小屋に入ってきているリーダー格の男は顔を歪めるだけで言い訳の言葉は吐かなかった。
既に五人全員の鑑定は済ませている俺は、続けて一人一人の状態を診始めた。
今、この五人全員に共通しているのは、気を失っていること。
低級ポーションでは酷いケガだと即効性はほぼ無い。繰り返し何度も大量に使わないと効果は望めない。話を訊くとどうやら、軍からこの部隊に支給されているのはそんな低級の物しかないようだ。だが、それすらも使い切ってしまって、ここに居る兵士達にはこの負傷兵五名に対して何もできない。
体力を維持できるようにと考えても食糧も乏しく、彼らに残った手段はせめて痛みを感じなくて済むように眠らせてあげることだった。
「これは麻酔…。そうか、弛緩麻酔薬か…」
フルスキルモードでの解析で得たこの眠りの原因について、俺がそう呟くと、男が俺の言葉を肯定する素振りを見せたことが背中の方から伝わってきた。
身体機能の著しい停滞を伴うこういった麻酔薬は、長時間痛みを感じさせないという意味では優れているが、その間、生物として元々備わっている自己回復・自己修復機能も同じく停滞する。
本来この類の麻酔薬は、外科手術的な処置を行う際に治癒師がしっかり最後まで処置する前提で使用される。目的の治癒が終われば、当然麻酔から覚ますという所までを施術の一連の行為として行うものだ。
一方、俺達のような雷魔法持ちには電撃スタンがあるし、ミレディさんが使う麻酔魔道具も魔法による麻酔だ。どちらも神経を遮断してしまう作用で意識を刈り取っているもので、ここで使われている薬と比べると肉体的にはかなり優しい。
そういう風に、俺達の元の時代では魔道具が主流となっているせいであまり目にすることのない薬だが、魔道具が普及していない地域などでは現代でも使われている。
この時代の軍では、よくあることなのかは分からない。だが施術を行えるような治癒師が居ないのに、こんな薬を持たされているということが何を意味しているか。
もっとも嫌悪すべき腹立たしい想像は、傷ついて回復の見込めない兵に対する処置の為の薬だということ。
おそらく軍が想定しているのは、静かに息を引き取らせること…。
今この場に居る兵士達が、この負傷者たちにそれを望んでいるとは思わない。
だが、痛みを感じさせない苦しませないために、選択肢は他になかった。
俺は、やり切れなさばかりが募ってしまう脳内で続いていたこの考察を強制終了させた。目の前のことに傾注しよう。そう自分に言い聞かせながら。
◇◇◇
五人全員の状態を取り敢えずは診てしまった俺は、
「一旦、この五人の内三人は外に出そう。ここは狭すぎる」
そう言ってこの五人の中では比較的軽傷の三人を、寝具ごとかかえて小屋の外に出してしまう。
外も暗くなってきていて、一旦食事にキリを付けた兵士達によってこの陣地のあちこちと小屋の周辺にも篝火が炊かれていた。
すぐに俺はフェル達をこの場に呼び寄せて、小屋の外に出した三人の処置の順番と内容をフェルに指示。しっかり一人ずつメモを取っていたフェルは、俺の指示を聞き終えるともう一度確認するようにメモを目で読み返して、ニッコリ微笑んだ。
「……復唱するよ。クリーンはケガの箇所と身体全体、そして服と敷布なんかも念入りに。キュアは今聞いたそれぞれのケガの箇所とプラス全員の胸からお腹の辺りにも。ヒールは処置が全部終わってから…。で、アンチポイズンはシュンが後でまとめてかけるってことでいいね」
「いいぞ。キュアでもし途中で意識が戻ったらスタンで眠らせて構わないから」
「はーい、オールオッケー!」
早速一人目の処置を始めたフェルの傍ら、レヴァンテはその場を囲うように天井と壁二面を作る形で天幕を張り始めたりと、その場のセッティングを開始。
天幕で出来た天井に相当する所に照明をぶら下げれば、その下はかなり明るく照らされて、夜でも処置や経過の確認もしやすくなるだろう。
二人の行動開始を見届けて、俺は小屋の中に戻った。
さて、小屋の中に残した二人は重傷だ。
このまま放置され続けたら、どちらももってあと数日と言ったところだろう。
俺は、二人を含めたこの小屋の中全体に最大効力のクリーンを行使。
続けて二人同時に再度の念入りなクリーン。
これで身体や服の汚れは完全に消せたはず。
更に続けて、何はともあれとこれまた同時に二人の身体全体を照準としたキュア。
そして、この二人の内もっとも厄介だと思っている方の一人、
「アレックス。頑張ってくれ…。俺はお前を死なせる訳にはいかないんだ」
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