第410話 姫殿下とワインシャワー

「時間遡行……」

「この時空の過去に転移したのか…」


 ダンジョン前のキャンプでラピスティからの説明を聞き始めた大半の者が、想定外の話に理解が追い付かず沈黙状態の中。

 エリーゼは、一気に思慮を深めたあまりの呟きを。

 そしてセイシェリスは、異なる時空に転移した訳ではないようだと、初めに聞かされていたことを裏付ける真相を理解してそう呟いた。


 次に声を発したのはニーナだった。

「ラピスティ、それで…。ここに繋がりが残ってるんじゃないかと言ってたのは?」


 問われてニッコリと笑みを返したラピスティは、

「それも確認出来ました。あの光の壁、時間転移が発動した箇所にシュンさんとフェルに繋がるパスを確認済みです」

 そう言って、更にそのことに関する補足説明を続けた…。



 ◇◇◇



 侵入を阻止する結界が、攻撃を受けていることを示す赤い光を夜空に輝かせ続けていた。

 一向に治まる気配の無い多くのキラースパイダーによる結界への攻撃は、このまま朝まで続くのではないかと思えるほどに執拗だ。しかし、それは明らかに単調なうえに全くの力不足で、この魔物達の攻撃はただ指示されている通りに突撃を繰り返しているだけの機械的な所作のようにも見える。


 そんなことを感じながら、浮遊城ヴァルズゲートのデッキから見下ろすように結界が輝く様を眺めているのは、ティリアとステラという幼馴染コンビ。


「ねえステラ。大蜘蛛達の指揮官は、こんな攻撃続けても無駄だと解らないのかな」

「どうだろ…。アラクネは、そこそこ知能高そうだけどね」

「もしかして細かな指示が出来なかったりして」

「あー、それって。突撃か退却のどっちかしか命令できないとか?」

「うん、そんな感じ。だとしたら、指示される側の問題かもしれないけど」

「確かに…。あとは、やっぱりあの赤い光のサインのせいで結界にダメージ与えてるように勘違いしてるのかもしれないよ」


 並んだ二人が、揃ってデッキの手すりに肘をついた状態でそんな会話を交わしていると、背後からニーナの声が届く。

「ステラ、ティリア。そろそろ始めましょ」

「オッケー」

「了解~」


 自身に軽く隠蔽魔法を掛けるや、間を置かずデッキからほぼ垂直に飛び立ったニーナに続いて、ステラとティリアをその背に乗せたグレイも空へ駆け上がった。

 約300メートルの高度を確保してからは水平に移動。

 月の明るさと暗視効果のある首飾りのおかげで楽に眼下の地形を確認し、すぐにニーナはあらかじめ定めていたポイントの上空へと至った。


 ニーナは、自分のすぐ後ろで同じく停止したステラ達を振り返って一瞥すると、

「じゃあ、まずは器を作るね」

 と、そう言って前方の自分より少し下の空中に意識を集中させた。


 ニーナが言葉にした器という表現はそれほど間違いではなく。空中で彼女自身の足元に広く薄く展開した重力障壁などを複合したものは、直径が10メートル程の大きな器、広さの割に深さはそんなでもない皿とでも呼ぶべきものだった。

 地上に面した底の部分には隠蔽。地上の側からこの皿を見上げても視認できず気配についてもほとんどが遮断されてしまう。

 隠蔽層の上には重力障壁が次の層として重なり、重力障壁にはニーナの十八番であるいつものベクトル反射オプションではなく重力を少し強める場が設定されている。

 この広い皿の上に載せられたものは、普段の重量よりも重くなって皿にぴったり貼りついてしまうことになるだろう。


 真祖のステラは当然だが、闇属性魔法を取得済みのティリアも優れた魔法師らしく魔力や魔法の感知能力は高い。そんな二人だからこそ、ニーナが闇魔法の神髄をさり気無く見せながら生成したこの器を認識すると、思わず感嘆の声を漏らした。


「これって、いったい幾つの闇魔法をキャストしてるの?!」

 同じく闇魔法を使う者としてそこが真っ先に気になっているティリア。

 そして、うんうんとその驚きに共感するようにステラも続いた。

「なんか、思ってたより凄い…。ニーナ、この上にぶちまければいい?」


 問われたニーナは、二人にニッコリと微笑む。

「水攻め用にと考えてた器だから、ホントだったらもっと大きな物なんだけど。今日はそこまでじゃないからね…。そう、こんな感じでどんどん出して」

 ニーナはそう言って応じると、手本を示すようにすぐに自ら樽を一つ収納から取りだして中身をドバドバと器に注ぎ始めた。


 最終的には、普通に樽の口を傾けて注ぐまだるっこしさにしびれを切らしたニーナは、目の前に樽を幾つか浮かべてはアダマンタイト剣で次々と真っ二つに斬って中身をぶちまけるという荒業を始めてしまい、その繰り返しで一気に処理していった。

 呆れ顔でそんなニーナを見たステラとティリアの二人も、負けずに急げとばかりにひたすら樽を取り出しては空にし続けた。


 ちなみにこの大量のワイン樽は、アルヴィースが内乱平定の為に赴いた王国東部各地やエゼルガリアで装備品や食料などと共に大量に貯蔵されていたもので、かなりの長期間の戦争・籠城を想定していたかのようなそれら一切合切をニーナ達は没収してしまっている。

 元々アルヴィースは全員が酒を嗜むことはほとんど無いし、ワインにしては比較的度数が高く東部特有の少し癖のある酒なので、たまに料理で使う程度でしかこれまで消費していない。



 ◇◇◇



 予定していた数の樽が空になると、ニーナはティリアに向けて声を掛けた。

「さてティリア、ワインの池の出来上がりよ。水操作の準備を始めて頂戴」

「ふふっ、了解」


 続けてニーナは、ヴァルズゲートからこちらの様子を見ているはずのディブロネクスへ準備完了を示す火球を空高くに打ち上げた。


「これですぐにディブ爺の追い込みが始まるはず。ステラ、お願いね」

「うん、大丈夫。グレイも居るから、ちゃんと見つけるよ」


 ニーナ達がそんな話をしたその時には、早くもヴァルズゲートから放たれた魔法が発動し、あらかじめニーナとディブロネクスがマップ上で決めていた範囲をターゲットにした魔法が展開されていた。

 おそらくはその範囲内に、敵の指揮官であり多くのキラースパイダーを使役しているアラクネが隠蔽を掛けた状態で潜んでいるだろうとニーナ達は見ている。


 発動した魔核阻害結界を壁状に構築する魔法は、地表からの高さおよそ30メートルで厚みのある魔核阻害結界の壁だ。その効果はダンジョンの物と同じく、魔物を対象とした認識の完全阻害と全ステータスダウン。


 ニーナ達が浮かんでいるのは、この魔法の壁が生じて形作られた楕円形の囲いの最南端に位置する箇所の上空だ。

 壁は、こうして定めた範囲をぐるりと囲ってしまってしばらくすると、今度はゆっくりと移動し始める。ニーナ達が居る最南端の部分の壁は動かず、その方向その一点に向けて壁全体が楕円状の範囲を縮小していくように動き始めた。


「あー、かなり動揺してるみたい。もう既に隠蔽が綻んでる。大体の位置が分かってきた」

 と、状況を言ったステラにはティリアが問い返した。

「ちゃんとこの中に居るのね」

「うん、結界から追われてこっちに近付いて来てる感じ。ボスだけじゃないけどね」



 ニーナ達三人が尽力して生成した、今はまだ空中に留まっているワインの池。

 この空中池の真下は魔核阻害結界の壁による包囲の南端で、そこは木々が少なくこの付近ではあまり見られないほどのまとまった広さの平原だった。

 壁の移動は続いて包囲はどんどん縮小し、残すはこの平原のみとなった時に壁の移動は停止。


「……ティリア、始めて」

 と、短く声を発したニーナにティリアはコクリと頷く。


 ワインの池の表面が小さく波立つと、それはゆっくり渦を巻き始めた。

 すぐにその渦は大きく、流れる速度もどんどん加速していく。

 渦は、急激に池の水かさが増したように高くなって、その速度はもう一段上がる。

 水かさが増したように見えているのは、普通に液体だったワインが小さく砕かれたように分解されて、極めて微細な水滴の集合体。そんな状態になっているからだ。


「ここで、もうこんなに細かくしてしまうのね…」

 呟いたニーナに、ティリアは視線は渦の方から外さないままニッコリと微笑んだ。


 そして更にもうひと段階、渦の速度が上がった時。

「ニーナ、落として」

 ティリアの言葉が発せられると、すぐさまニーナは池を支えていた全ての魔法を強制解除。


 支えが無くなった渦は、自然落下ではないゆっくりした落下で地表へと進んだ。

 ステラがグレイに指示して距離を開けることなく渦に追随させると、ニーナもそれに続いた。


 地表まで50メートル程度にまで迫った所で、またもや渦の回転速度が跳ね上がって水量が更に倍以上に膨れ上がると、一気に地表に向けて襲い掛かった。

 それは暴風雨という表現で間違っていないが、この風は水流操作が引き起こしたものだ。強い風に乗って水が飛び吹き荒れているのではなく、激しく渦巻くように制御された水流が周囲の空気を引っ張り押しのけて生じた暴風だ。


 霧状にまで細かくなったワインの暴風雨は、平原を蹂躙し続ける。

 そして、次々と姿を露わにし始めるキラースパイダー。

 ニーナ達がその姿を10体ほどまで確認した時に、アラクネの姿も現れた。


 アラクネが自身に施していた隠蔽は解除されても、月光に照らされ煌めき続けているワインの霧のせいでまだおぼろげだが、その異形の姿を見間違うはずはなかった。

 大蜘蛛の背中から突き出すように、人の腰から上の身体が在る。

 その部分だけを見れば、どう見ても人としか思えないほどヒト種の女性と酷似している。


 先に姿を現していたキラースパイダー達と同様、アラクネは明らかに酩酊状態で、大蜘蛛部分の脚をもつれさせてよろめき、ふらふらと歩いては立ち止まることを繰り返していた。人の半身に似た部分も大きく前後に左右にと倒れ込まんばかりだ。

 そして遂にはバッタリと身体を投げ出すように横に倒れてしまうと、それ以降は身動きしなくなった。


 ニーナは、魔法無効の効力を持たない旧型の光爆弾を自分の少し上の空中で起爆させて、それをその場所に維持した。この中型光爆弾の持続時間はおよそ三分。


 光が照らした直後にはティリアによる暴風雨も止まり、スタンガンを構え注意深く他の全てのキラースパイダーも動けなくなっていることを確認してしまうと、ニーナは満足げに微笑んだ。

「スパイダー種はお酒に弱いという伝承は間違ってなかったわ」

「うん。何人もが手間かけた甲斐が在ったね、て話なんだけど…」

 と、ステラが言うとティリアが吹き出しながら応える。

「ステラ? 生け捕りにするにしても、取り敢えずスタンガン撃ちまくった方が早かったんじゃないかなんて、今更言わないでよね」

「んー、まあね…。これはこれで、いろいろ興味深いことも観れたから面白かったのは間違いないけど」


「いいじゃない。危険なことは無かったし、実験も連携も出来たし。ヴァルズゲートの火力も見せずに済んだんだから、いいこと尽くめよ」

 今回の一連の対処を発案した当人であるニーナはそう言うと、笑いを堪えきれていないティリアとほとんど呆れた笑顔のステラに向かってもう一度ニッコリと、してやったり大成功とでも言いたげな笑顔を見せた。

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