第368話

 さて、そんな風にいつもと変わらない雰囲気の女神だったが、お気楽な振る舞いとは裏腹にお手伝い効果はてきめんで、割と時間がかかると思っていた光の侵食の充填にはさほど時間は必要としなかった。


 よし、そろそろやるか。


 そう思った俺の心の声が聞こえている女神は、共に魔剣を握っていた手を放して俺に静かに頷いた。

 女神が浮かべている微笑は変わっていない。

 しかし目は真剣そのもので、さっきまでのお気楽な雰囲気は無くなった。


 俺は振り返って、ぐるりとガスランやエリーゼ達の方を見渡す。

「これからオーブを縛っている鎖を粉砕する。敵は悪あがきをしてくる可能性が高いと思う。打ち合わせ通りに皆はシスティナイシスを守ることを優先してくれ」

 と、声を掛けた俺がオーブへ更に数歩近付くと、俺の後に続いた女神は左に並んで立ち止まった。


『先に私が対象を明確にします。それから魔剣で中心部分を貫いてください』


 女神の声は俺の頭の中に直接響いている。

 この声には精神的な作用があるのだろうか、俺の集中と冷静さを確かなものにしてくれている気がする。


 了解…。

 俺も心の中で応じて、ゼノヴィアルソードを構え直した。


 その直後。

 女神が、腕組みをするように両腕に装着した腕輪に触れて存在を確かめる仕草を見せたのは僅かな間。

 両方の腕輪の輝きが増すと、女神が伸ばした左手から金色に輝く細い光の鞭がオーブに真っ直ぐ突き刺されとばかりに走った。


 光の鞭は鎖を束ねている箇所にくるくると螺旋状に回って絡みつくと、女神はそんな光の鞭をグイッと引いた。


 ガシーンッッ!!


 肉眼で見えているという違いはあるが、女神が操作している光の鞭もメドフェイルがオーブを縛っている神の鎖と基本的には同質のものだ。だから物理的な音が発するはずが無いのに、響いたのは明らかに硬度の高い物同士が激しく打ち合わされたような音だった。

 こんなことを実現している光の鞭は女神が行使しているスキルによって顕現したものだ。身近なところで似たものを挙げるならば、ステラがパーフェクトドレインを行使する際に見せる闇の槍だろう。


 一瞬で何重にも巻かれた光の鞭が、オーブの上1メートルほどの位置に在る神の鎖の起点となっている中心・核をしっかりと捕らえた。そのまま鞭が締め付け食い込むと、あたかも高熱で溶け落ちていくかのように核の周囲がボロボロと少しずつ削られていく。


『それも侵食なのか…』

『今の様子はシュンさんの光の侵食に似てますが、根源魔法の神力の差で表層部分が薄れているだけなので、核の部分にはこうは行きません…』


 ふむ…。根源魔法という言葉も神力という言葉も初めて聞いた。

 と、つい思索に潜ってしまいそうなこのことを俺は並列思考の後方に追いやった。


 女神の話の続きは肉声に変わって続いている。

「……そろそろ核が見えてくるはずです。すぐやれるよう準備しておいてください」

「オッケー。いつでも大丈夫だ」


 女神と俺のそんな話が聞こえていた皆が改めて身構えたことが気配で判る。


 メドフェイルが仕掛けている呪いの核が剥き出しになってくると、それは怪しい赤い光を強めてきた。

 その時、不意に女神が右手を自身の斜め後方へ差し出した。

 オーブに向けられているものよりも明らかに数段明るい光の鞭がシスティナイシスの方へ伸びる。


 ガシッッ!!


 突如システィナイシスの身体の間近に発生した神の鎖の集合体。その動きが光の鞭の拘束によって止まる。

 すぐに女神は、ガンドゥーリルを振るうべく反応していたガスランを制するように声を掛けた。

「大丈夫ですよ~」


 そして女神は俺だけに向けて心の声で囁く。

『なりふり構わずですね。巫女ちゃんの生死はもうどうでもいいみたいですよ』

『システィナイシスが死んだらオーブは凍結されて使い物にならなくなるんじゃないのか?』

『その通りです~。支配することは諦めて、方針変更したのでしょうね。巫女ちゃんとの繋がりが無くなればオーブを神界に移動させることが出来ます。無理やり奪うつもりでしょう。凍結されると精霊神であってもどうしようもないはずなのですが、どうにかして糧にできる目算が有るのかもしれませんね…』


 継続して搾取しつつオーブとシスティナイシスを操り、神殿をも我が物にしてしまうつもりで半ば実現できていたそんな企みは破棄され、現時点でオーブに蓄えられている力だけでも自分のものにしてしまおうということのようだ。


 と、そうやって囁き合っているうちに女神は、その新たにシスティナイシスの傍に現れたメドフェイルの悪意の象徴、鎖の塊のようなものを光の鞭で握りつぶした。


 すると今度は核の赤い光が急激に強まってきた。


『シュンさん、やりましょう』

 そう言い終わる前に女神は、オーブの最上部に伸びている光の鞭を更に変形させて厚みを持たせると、オーブの上部に浮かんだ核へ至る階段状の光の足場を作った。

 オーブは高さ2メートルの大きなミスリル合金の台座に載せられている。そしてオーブそのものは直径が1.5メートル。その上に核が浮かんでいる。


『了解』

 すぐに応じた俺は縮地を駆使して階段を昇った。


 ギュインンンンッ!!!


 目の前の核の中心に向けてゼノヴィアルソードを両手で突き刺した。

 予想以上の硬さのせいで両手のみならず身体全体へ負荷がかかる。しかし、泣き言は言ってられない。走り込んだ勢いは失われたが、女神が造った足場を踏み抜く勢いで更に全身で剣を押し込んだ。

 グイグイッと剣が半分まで埋まったところで俺は停止。

 そしてすぐさまゼノヴィアルソードに籠めた光の侵食を全開放。


 その時、強まってきた赤い光の遥か奥からこっちを見られているような気がした。

 そこから漂ってくる気配として感じとれたのは驚きと、それを即座に塗り潰す勢いで溢れた憤怒の感情。


 女神が再び俺の隣に来て、魔剣を握っている俺の手に自身の手を重ねてきた。

『シュンさん、メドフェイルの存在を感じていますね。そこに撃ち込みましょう』

 俺と女神は、その憤怒の感情の源に狙いを定めて侵食を迸らせた。

 女神がゼノヴィアルソードに働きかけ続けることで、剣に溜めこんでおいた光の侵食の威力が増している。光の女神の本領発揮。


 グヴォアァァァエッォガッ、ヴァアアァァグゥアッッッッッ…


 断末魔の叫びのような奇声が響き渡り、核が発する赤い光は更に増していった。

 エリーゼ達からは俺が赤い光の中に呑み込まれているように見えているのだろう。

 エリーゼが継続して制御し続けていた精霊の守護が一段と強まった。


 すると、赤い光の奥から一本の手が伸びてきた。

 大きくて普通の人間のサイズではないのに造りは人間の手と同じとしか思えない。

 そんな大きな赤黒い手は、接近したことでゼノヴィアルソードに焼かれて溶けながらも宙を這って迫ってくると、俺の目の前でペチャリとオーブの上に垂れ下がった。

 既に、手だった面影は無くただ粘着質の赤黒いものと化している。


 そんな物体がオーブに届くと、途端にオーブが振動し始めた。


 しまった…! これでもまだオーブに干渉できるのか?


 光の侵食をこの物体にも向けるがほとんど効果はない。

 オーブの最上部が赤黒く染まると、それは少しずつオーブに染み込んでいくように下に広がり始めた。


 俺は神の鎖とは異なるこの赤黒い物体の解析を進めながら女神に問う。

『女神、オーブの汚された部分は斬り飛ばしていいか?』

『やむを得ません。このままだとオーブ全体が邪に染まってしまいそうです』


 大きく息を吸った俺はガスランに言う。

「ガスラン! オーブの上の部分を斬り飛ばせ! 黒く染まってきているところだ!」

「……っ! 解った!」

 息を呑む音に続けてガスランが意を決した声で応答してきた。

 続けて聴こえたのはニーナの声。

「手伝うよ!」


「エリーゼはオーブへの浄化を試してみてくれ!」

「了解!」


「ディブロネクス! エリーゼとシスティナイシスを守っててくれ!」

「承知!」


 すぐにニーナの重力魔法で浮かび上がったガスランが、俺がゼノヴィアルソードを突き立てている反対側に回り込んでオーブの上から三分の一の辺りにガンドゥーリルの刃を喰い込ませた。

 オーブの振動は激しさを増し、そしてガンドゥーリルが発する金色の光とオーブから迸る淡い緑の光が渦を巻き始める。


「硬い…」

 と、ガスランが呟く。

 ニーナは自分も舞い上がると強固な重力障壁を足場に仕立ててガスランの隣に寄り添った。

「ガスラン、全力で行くよ」

「助かる。一緒に斬ろう」

 ガスランはそう言ってニーナを見てニヤリと笑った。

 ニーナはガンドゥーリルに自分の手も添えているが、メインは加重魔法だ。

 聖剣ガンドゥーリルの刃全体をオーブを斬り飛ばすべく押し込んでいく。



 ゼノヴィアルソードで光の侵食を注ぎ込み始めてからはメドフェイルによる神の鎖を使った抵抗は止まっている。そこに発動したエリーゼの精霊の浄化の光がオーブを包み込んで、更に女神の光の浄化が重なった。


 赤黒い邪の滴りがオーブに染み込むスピードが落ちる。


「ガスラン、ニーナ! 一気に行け!」

『手伝いましょう』

 女神はそう言うと、光魔法を発動した。

 それは俺にはほとんど理解できないもの。


 ガスランとガンドゥーリルが一瞬だけ光に包まれると、次の瞬間にはガンドゥーリルが眩いほどに輝いた。


 ズシュウンンンッ!!


 巨剣となったガンドゥーリルがスパッとオーブを薙いだ。

 切り離されたオーブの上の部分が、みるみるうちに縮んでいく。

 ガスランは驚きが続いているがニーナは嬉しそうに笑顔満開。


『シュンさん、今です』

『……みたいだな』


 ゼノヴィアルソードを突き立てたその先、時間が経って少しずつ見えてきたのはメドフェイルに繋がるパスだ。光の侵食を送り続けたことでより一層はっきりと見えてきている。


「総員、壁まで下がってシスティナイシスと共に防御態勢を」

「「「「了解!」」」」


 集中を呼び覚まして、俺は魔法の構築を開始。


 滅神剣と呼ばれる魔剣ゼノヴィアルソードが神々に恐れられた真の理由は、この使い方ができるからなのだろうと俺は思っている。

 ゼノヴィアルソードを持っていると見えるのは神の存在そのものと、神が振るう力の全て。それらを直接的に破壊し消滅させることが可能だ。

 しかし、真に恐れられているのはおそらくは今からやろうとしているようなこと。


 俺は、メドフェイルがオーブとの間に繋いだ神的なパスに照準を合わせている。

 ゼノヴィアルソードを通じてそのパスに撃ち込むのは雷撃砲。

 ゼノヴィアルソードで神の存在を感じ取れれば、そこに照準することが出来る。


「頼むぞ」

 俺はそんな言葉を、握っている魔剣にかけた。


「撃つ!」


 ズズギュギュンッッッッッッ……


 ゼノヴィアルソードの先端から雷撃砲の光雷が迸ったのは僅かな間だけ。

 その発射されたレールガンの光は、魔剣が貫いていた核の中へ向かうとすぐに虚空に消えていくように見えなくなっていた。


 誤射の可能性と万が一に備えていたのでなんだか拍子抜けな感じもするが、結果は劇的だった。

 邪の気配と共にオーブと周囲に残っていた全ての神の鎖はその痕跡すらも完全消失し、もちろんゼノヴィアルソードが貫いていた核の部分も全てが消えている。


 最も懸念していたシスティナイシスの状態は、静かに寝息を立てているままだ。

 その寝顔の表情に、どこか解放感と真の安堵があるように感じられた…。

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