第344話

 別の時空に入ってしまったかのように、唐突に森の様子が変わった。

 気が付けば木々の全ては高く、太い幹に囲まれた森の中の道を俺達は進んでいる。


 御者席の俺は隣のエリーゼに声を掛けた。

「エリーゼ。森の様子も変わったけど、何より空気が違うな」

「うん。精霊の恩寵に包まれている場所だからね」


 でも…、とエリーゼは言葉を続ける。

「でも、今日はなんだか少し騒がしい気がする。いつもはもっと静かなんだよ」


 それはきっとエリーゼが帰ってきたからだろう。

 俺はそう思う。

 森の木々に宿る精霊達がエリーゼの帰還を喜んでいる。そんな気がした。


 今はガスランとニーナは子ども達と一緒に馬車の中。開いた窓から聞こえてくるニーナの声で、どうやら子どもたちも窓の外を見ているのだろうと分かる。

 子どもたちは、子どもらしさ人間らしさを少しずつ表情や振る舞いに表すようになっていて、状態はゆっくり変化していると思う。


 子どもたちについては、あれからもフレイヤさんと電話での話し合いを重ねた。

 そして、フレイヤさんから提案されたのは『精霊の洗礼』。

 エルフの子どもは生まれて間もなく、名付けの祈りの時に精霊からの初めての祝福を受けるという。その後、二度目の祝福を受けるのは精霊の洗礼が行われた時。

 エリーゼが精霊からエルロムというミドルネームを授かったのは、幼い時に行われた精霊の洗礼での出来事だった。


「せっかくバウアレージュの森に行くんだから、エリーゼが洗礼を受けた同じ祭壇でやるのがいいと思うわ。エリーゼが居れば精霊がたくさん集まってくれるはずよ」

 フレイヤさんはそう言った。



 ◇◇◇



 深い森の木々に囲まれた中に、ぽっかりと広く開けた土地があった。

 話には聞いていたが、意外に大きな街だというのが第一印象だ。

 周囲からは一段低いその中心の、幾つかの小さな泉が点在する一帯を囲むように背の高い家が並んでいる。

 北側の家の並びは緩斜面の上まで続いて森まで食い込んでいる部分もあり、そんな所には街を見下ろすような高い位置の樹上家屋が木の枝の合間から見えている。


 陽射しは十分で、泉の周りと家々の間。そして森の切れ目の辺りにも草花が咲いている。鳥のさえずりが聞こえてくるような気がした。

 深い森の中の陽光と水に恵まれた土地。

 エリーゼの故郷、アリステリア王国バウアレージュ自治領はそんなのどかなエルフの里だ。



 里の入り口で俺達の馬車は停止した。

 残念ながら冒険者ギルドのカードはここでは身分証としては通用しないことを事前にエリーゼから聞いていたので、俺達は特に何をすることもなく馬車を降りたエリーゼが門番と話を済ませるのを待つだけだった。

 その後、すぐにやって来た騎兵の一隊ともエリーゼが言葉を交わし、やっと馬車は出発。騎兵達が先導する形で街の中をゆっくり進み始めた。


 里の中心の泉の傍に来た時、エリーゼがツンツンと俺の腕を突いてきた。

 うん…。解ってる。


 それほど多くは無いが、野次馬のように俺達を見ている人たちの中に俺も見つけている。


「エリーゼ様だ…」

「……ということはあの人達はアルヴィース?」


 大きな声ではないが人々のそんな話し声が聞こえてくる中に、その男は居た。

 さすがにここに潜入させているのはエルフなんだなと、その男を見て俺は少し感心もしていて、周囲の人々が興味や少し不安を抱いているのと違って俺達に敬意と親近感を向けているこの男が、ニーナが言っていた特務の隊員だと確信した。



 馬車は進み続け、間もなく俺達は里の中で最も大きな館に到着。

 出迎えの人は五名と多くない。

 しかしその中心には、これぞエルフという趣の男性。

 少し長めの金髪で痩身、背丈は俺と同じぐらいか。農作業でもしていたのだろうかと言いたくなるような、ゆったりとした質素な服装。碧眼で端正な顔立ちはエリーゼとはあまり似てないような気がする。

 以前フレイヤさんがエリーゼは母親ととても良く似ていると言っていたし、俺も何度か女神の指輪のおかげで見ていて、そう思っている。


 館の使用人らしき出迎えの人が「お帰りなさい」と声を発する中、その男性は無言のままエリーゼを抱き締めた。エリーゼに笑みも涙もなく男性もそれは同じなことに、この二人の関係の複雑さが垣間見える気がした。

 そして、エリーゼから離れて俺達に向き直り、ようやく言葉を発したその男性こそが、ロヴェイル・バウアレージュ。エリーゼの父。


「皆さん、ようこそいらっしゃいました。何もない小さな里ですが、皆さんを歓迎致します」

 と、そう言って俺達に深々と頭を下げた。


 エリーゼの父親に頭を上げて貰って、俺達三人はそれぞれ自己紹介。

 なんとなく漂う重い雰囲気に流されるような俺達全員の堅苦しい挨拶が終わると、エリーゼが意図的な明るい口調で父親も含めて全員を館の中へと促した。

「さあ中に入りましょ。子どもたちも広い所でゆっくりさせてあげたいし」

 

 それはそうだとばかりに、ガスランとニーナが馬車の中に残していた子どもたちを外に連れ出した。すると、それを見た使用人の主に女性たちから驚きの声と共に「可愛い!」という声が上がる。


 エルフ種の社会は少子高齢化の最たるものだ。長命種であるが故の反動か、神の摂理的なバランスが執られているのか、エルフには子どもが少ない。それは乳幼児の死亡率の高さにも一因は在るが、子どもができにくいということも確かなようだ。

 そういう訳でエルフ種は、特に女性は子どもをとにかく大切にする。エルフの氏族は、氏族全体で数少ない子どもを大切に守り育てるのだ。


 使用人の女性の中には思わず子どもたちに駆け寄る人も居て、どこか重苦しい雰囲気だったその場に一気に暖かな空気が流れる。そんな笑顔がこぼれる歓迎を受けながら、子どもたちを伴って俺達は全員で館の中に入った。


 通された応接間で飲み物などが子どもたちに出されると、更にもう一つ奥まった部屋に大人たちは場所を移した。

 そこでニーナがエリーゼの父親に説明を始めた。

 じっくりと王国の内戦の状況など順を追って話したニーナは、本題の子どもたちについても詳しく説明をした。

 エリーゼの父親は、王国の内戦については幾つか質問を交えながら真剣な表情で耳を傾け、表情の厳しさを募らせていくばかりだったが、子どもたちの出自の話になるとそんな表情は一瞬で失われて唖然とした顔に変わった。

 そしてホムンクルスが作られた目的として俺達が推測していることをニーナが語り始めた所で、その目を閉じて考え込んだ。


 ニーナの話がひと通り終わり、エリーゼの父はその閉じていた目を開いて俺達を見渡した。

「……それはイアンザードの聖櫃を開けようとしているのでしょう」

「「「……」」」


 聖櫃…。並列思考で脳内ライブラリを検索しながら俺は問い返した。

「何かご存知なんですか?」


 身を乗り出した俺をじっと見つめたエリーゼの父は頷き、自身の気持ちを落ち着かせるように深い息を吐いた。

「……初代アリステリア国王の聖剣にまつわる伝説の一節です。伝聞を書き留めただけのような詳しいものではありませんが書がありますので後でお見せしましょう…。それは初代国王と神が契った約定の証を、後世の為にイアンザードに封印したという話です。その封印の器が聖櫃と呼ばれているものです…」


 エリーゼは眉間にしわを寄せて父親の方を見た。

「父上、その聖櫃を開けるとどうなるのですか?」

 エリーゼの父は、そう尋ねる娘に優し気な視線を向けた。

 しかし、その眼光はすぐに話の内容に応じた厳しいものに変わる。

「神が残した約定の証の効果は、守護と鉄槌の付与だとされている。王の血統の子孫だけが聖櫃を開けることが出来、聖櫃に蓄えられた力を使って守護と鉄槌が行使されると言われている」


 守護と鉄槌。自分は守られ敵には鉄槌を下す。

 単純に考えれば、そういうことなんだろうと思う。だが、この話で俺が大きな引っかかりを覚えているのは『王の血統』と『聖櫃に蓄えられた力』の二つ。

 もちろん、じゃあその敵とはいったい誰のことなんだというそんな疑問もあるし、そもそも聖剣にまつわる伝説というところからして胸騒ぎは尽きない。


 頭の中にはいろんな考えが渦巻き始めていた。

 俺はそれをいつも通りバックグラウンドに引っ込めて、エリーゼの父に言った。

「あとで構いませんので、その書を是非見せてください…。それで、ここからは今回こちらに来た理由であり、お願いになるのですが…」

 と、俺は子ども三人を預かってほしいことと、子ら全員に精霊の洗礼を施したいという話をした。それはフレイヤさんからのアドバイスだということも言い添えて。



 ◇◇◇



 その夜の、子どもたちに食べさせながらの夕食の席は、小難しい話や深刻な話には一切ならない穏やかな場だったと言える。

 これは、やはりまだどことなく互いに気まずさを漂わせているエリーゼとその父の二人にとって救いのある形だったと、俺はそんなことを思った。

 食事の後しばらく経ってから、俺とガスランとニーナは俺達とは別に客間として整えられ既に子どもたちが寝ている部屋を静かに覗いてみた。

 すやすやと眠っている三人の傍では、まだ一人の使用人の女性が子どもたちの様子を見てくれていた。その女性に小声でよろしくお願いしますと言って頭を下げ、俺達は自分達の部屋に戻った。

 エリーゼは、父親と二人だけで話をすると言ってここには居ない。


「さて、シュン。盗賊団アルヴィースの出動よ」

 笑いながらのニーナのこの言葉に俺も笑いながら反論。

「いや、今回は盗賊にはならないぞ」


「居場所は判ってる?」

 と、ガスランもニヤニヤ笑いながら俺にそう尋ね、俺はガスランに大きく頷いてみせる。

「マーキング撃ってるから大丈夫」


 それを聞いて、ニーナは満足そうに微笑みながら部屋の窓を指差した。

「よろしい、さっさと行きましょ。エリーゼにはちゃんと言ってるから」

「了解。んじゃ総員。漆黒装備で」

「何が漆黒装備よ。ただの黒ローブでしょ」

「そうとも言う」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る