第328話 呪われた巫女

 ニーナは、カーマイン男爵の屋敷を見張り始めてすぐに特務隊員の一人を伝令に走らせた。それは状況を彼女の母と姉に知らせることと、増員の要請の為。


 動きが出てきたのは、30分ほどが経過した時だった。

 とっくに日は変わってしまって夜明けが近い時刻。

 静かな住宅街に、屋敷の玄関の扉が開く音が小さく響いた。

 しかし、その後の玄関から出てきた人物たちのボソボソと話す声はパティにはよく聞き取れなかった。

 それでも玄関に灯されている明りのおかげでそれぞれの表情は見えていて、見送っている側と見送られている側は対等でどことなく信頼し合っても居るような、そんな関係じゃないかとパティには思えた。


 魔族の男二人は、来た道を戻り始める。

 それを追うべく行動を開始したニーナとガスランに、パティは小声で声を掛けた。

「殿下。そしてガスラン殿もお気をつけて」

 ガスランはニコッと微笑み、ニーナも微笑みを見せた。

「ええ、気を付けるわ。パティ、ここの始末はお願いね」

「了解いたしました。増援を得てここに戻ります」


 最後にもう一度会釈をしてパティはニーナとガスランを見送った。そんな二人との距離が開くと、パティは見張りに残る特務隊員に頷き、合流地点とした場所がある貴族街の方へ一人で向かった。

 これからパティが合流するのは自身が所属する公爵家第一騎士団の騎士達。

 ニーナの指示は、カーマイン男爵の屋敷内に居る者全員の拘束と、屋敷内の徹底捜査を行うこと。そうすべき理由はパティも十分に理解している。そして、出来るなら衆目が増えないうち、夜明け前に片付けたい。切実にそう思っている。

 自分の役割を一刻でも早く果たすために仲間が待つ所へ。パティは、ただその一心で走り続けた。



 ◇◇◇



「アルウェン神殿を汚す貴方がたは何者ですか?」


 唐突に響いたその声の主は、なんとなく若い女性だと思った。

 そう思った次の瞬間には、俺は何もかもフル稼働でこのホール全体を探っている。

 そして、キョロキョロと周囲を見渡しているエリーゼに俺は指でサインを送る。


 いざとなったら反撃よりも防御、退路確保と撤退を優先。


 俺は努めて大きな声で、質問に質問を返した。

「さっきの魔族二人にも同じことを尋ねたのか?」

「……」

 ホールに響いた声の主が言葉に詰まっているような、そんな雰囲気を感じた。

 その根拠となったのはオーブから漂う気配だ。

 相変わらず解析は継続しながら、探査を意図してホール全体から次第に範囲を絞り込んだ結果、声と気配の元はオーブだと辿り着いている。


 同時に神殿全体の探査では、全員眠っていると見ていた神官らしき五名が動きを見せ始めたことにも気が付いていた。


 回答が無いことには構わず俺は続けて言葉を投げかける。

「オーブを通してじゃなく、直接ここに来たらどうだ?」


 エリーゼの表情から、オーブを通して、という部分に引っかかりを覚えている様子なのが判るが説明は後回しだ。


「……解りました。そちらに行きましょう」

 そんな声が聞こえて間もなく、ホールの奥の柱の横が開いて一人の白いローブを纏った女神官が他の神官を二人伴って現れた。


 俺とエリーゼを見た瞬間に驚愕の表情を見せた、それは俺達と同じぐらいの年齢に見える若い女性。長い銀髪に碧眼。清楚という言葉を具現化したらおそらくこんな女性になるのだろうと俺は思った。

 そして、この女性については鑑定で見える情報が多い。今だけなのかもしれないが、一切の偽装も隠蔽も施していないようだ。かと言って存在感が希薄なのは神に選ばれた者だからこそだろうか。


「私は、アルウェン神殿の巫女。システィナイシス・エクレトゥーネ。極めて稀有な女神の加護を持つ貴方がたのお名前を聴かせていただけますか」


 この女性は自分を巫女だと言ったが、実際には聖者だ。聖者エレルヴィーナがひと目見て俺達四人が女神の加護を受けていることを判っていたように、この聖者も俺とエリーゼを見てすぐに理解してしまっている。

 聖者であることは即ち創造神の加護を持っているということ。そしてシスティナイシスの種族はハイ・ヒューマン。


「俺はシュン」

「私はエリーゼ」


 じっと俺達を見つめるシスティナイシスのその目は、おそらくは強力な魔眼の一種だろう。直接視認されて、いろいろと見透かされていると感じる。だが俺はレジストする気はないし女神の指輪もそれに同意しているように無反応。


「シュン殿はあの女神の使徒なのですね。そしてエリーゼ殿は…、女神と精霊に非常に愛されているようです。その精霊の輝きの清らかさは世界樹の祝福ですか」


 精霊の微妙な違いについても、さすがに分かっているということだ。


「全て正解だ。ユグドラシルの再生は始まっている。まだこの地に根付くほどの段階じゃないが」

「はい。存在は間違いないのだろうと思っていました。微かに世界樹の恩寵を感じる時がありましたから…。やはり魔王は願いを叶えていたのですね」


 これは正直驚いた。魔王のことまで知っているのは予想以上。

 だが、そんな話も後回し。


「本題に入ろう。システィナイシス、どうしてこのオーブを奪われた? いや、このオーブはおそらくここから動かせないな。だから正確に言うなら、半分乗っ取られているという感じだが」

「……さすが女神の使徒ですね。もうそこまで見えていますか」


 この時になって初めて、システィナイシスは人間らしい表情を見せた。

 しかしそれは苦悩に満ちた顔。嘆き悲しみ、そして自分を恥じている。俺にはそんな風に見えた。


 システィナイシスは言葉を続けた。

「この原初のオーブは私が引き継ぐ前から穏やかな安息の時間を過ごしていました。その時が来るまで少しずつ力を蓄える。そういう意味ではまだ全てが目覚めることは無かったはずでした。ご存知ですか? 原初のオーブは世界樹と同等の精霊の源泉の一つになり得る物なのです。しかし、そんなオーブを精霊神は強制的に覚醒させ、そればかりか私とオーブの根源の連綿に楔を打ち込んできたのです。自分の糧と手駒にする為に」

 そこまで話すとシスティナイシスは苦しそうな表情を見せた。どうやら呪いに起因した強力な干渉が発生しているようだ。


「それはもしかして悪神の呪いって奴か?」

 感じた印象そのままの俺のそんな問いかけに、システィナイシスは苦しげな表情の上に笑いを浮かべた。

「その表現はおそらく正しいのでしょう。女神に所縁のある方らしい何者にも縛られない奔放な言い方ですね。少し羨ましく感じます」


 俺も思わず苦笑いになってしまう。女神の自由奔放で軽いお気楽な言動のことはシスティナイシスも良く知っているということ。

 その苦笑いはすぐに引っ込めて、俺は核心を問う。

「で、オーブを通じて何を強制されている? 本来、神殿は今のようには俗世間のことに関わらないはずだ。これまでそうだったように」


「何もしないこと…。精霊神といえども創造神の加護を持つ私に不本意な行動を強制することは困難です。だからでしょう。何もしないことを強制されています」


 おそらくはシスティナイシスとは一心同体のような存在のこのオーブに、いろんな魔法を焼き付けられようが悪用されようが、更には神殿を拠点のように使われようが何も抵抗は出来なかったということなのだろう。

 魔族が関わっている今起きていることが神殿の本意では無いのはこちらにとってはいい話だが、この状況が示しているのは悪神と魔族の過激派が結託しているということ。いや、むしろ悪神が主体なのか?


 そんな思索に潜ってしまいそうになった俺はそれらをバックグラウンドに追いやった。そろそろシスティナイシスの時間切れが近いと俺は感じている。

「良く分かった。精霊神…。俺が女神から聞いたその名は悪神メドフェイルだったが、そいつが掛けた加護とは名ばかりのこの呪いを解くことをお前は望むか?」

「シュン殿の力で可能でしょうか。私にはこれから抜け出す手段がありません」

「代償は必要だろう。だがメドフェイルに一矢報いることは可能だと思う」


 最後の力を振り絞るように真剣な眼差しで俺を見詰めて頷いたシスティナイシスは、すぐ傍に近付いていた神官二人に支えられながら倒れ込んだ。


 オーブを通じた声がまたもやホールに響く。が、その声はか細い。

「シュン殿とシュン殿が必要とする者のアルウェン神殿への立ち入りを認めます。どうか…、どうか神殿を…神官たちを…」


 声はそこまでで途切れた。


 システィナイシスの所へ駆け寄った俺とエリーゼに神官の一人が言う。

「システィナイシス様は眠っています。意識を遮断したと言った方がいいでしょう。かなり無理をなされましたから、次はいつ目覚めるか…」


 怒っているような泣きそうな顔で何か言いたげなエリーゼがじっと俺を見ている。

 意図を察した俺が頷くとすぐに、エリーゼは精霊の癒しを発動した。

「ユグドラシルの恩寵を分け与えます。システィナイシス、受け取ってください」


 淡く優しい精霊の光がシスティナイシスを包み込むと、硬い表情のまま目を閉じていたその表情が、穏やかな落ち着いたものに変わった。



 精霊と精霊神。

 呼び名は似ているがもちろん全く別物だ。

 精霊神は精霊の輪廻を司る神のこと。


 この世界デルネベウムが今の形になる切っ掛けになった二つの世界の衝突の際に、それぞれの世界に在った世界樹は力を尽くして両方の世界を守ろうとした。


 魔核を持つ者の世界に在った世界樹をバス・トフマークと言う。

 そして魔核を持たない者の世界に在った世界樹がユグドラシル。

 どちらの世界樹も、若干の差異はあれど魂を持つ生命を慈しむ本質は等しく、魔核の有無には関係なく分け隔ては無い。バス・トフマークは魔核を持たないヒューマンやエルフ、獣人種や動物も救い、ユグドラシルは魔核を持つ魔族や魔物も悪魔種も救った。


 しかし精霊の輪廻は、そんな二つの世界樹の消耗によって大きく変化した。

 輪廻の輪に断絶が生じたと女神は言ったが、どういう現象なのかは俺には正しく理解できていない。

 ただ女神は、このことが精霊神が狂う要因になったと語った。



 ◇◇◇



 システィナイシスは寝所に運ばれた。長ければ数か月は眠り続けるかもしれないと神官の一人はそんなことも言っていた。


 そして俺は、神官のうちの最年長者のように見える老神官が傍に居る状態で、オーブに定着している魔法の改変を行っているところだ。

 この老神官はハーフエルフ。まだ俺のことは油断できない奴だと思っているんだろうと思う。システィナイシスがああいう風に言った以上は俺に手出しも口出しもしないが、監視はしているということ。

 とは言え俺にしても、作業をしながら丁度いいとばかりにいろいろと事情聴取もちゃっかり進めている。


「……システィナイシスが抵抗と言うか行動できなかったのはこの呪いを見ればなんとなくは解るんだけど、お前のような他の神官が抵抗しなかったのはなんでだ?」

 俺が何気にそう尋ねたら、老神官は明らかに悲しそうな顔に変わった。

「抵抗した者は全て滅せられました。これ以上人が減ればシスティナイシス様のお世話ができなくなりますから、今残っている神官はそれだけを心しておりました」

 ふむ…。思っていた以上にひどい話だ。

「そうか…。そういうことだったのか。すまん、無神経な質問だった」

 その神官たちを殺したのはおそらくは魔族なんだろうなと、俺はそう思っている。


 さて、ところで今エリーゼは、どうやら神殿に戻り始めた様子の魔族二人を捕縛する為に外に出ている。ガスラン達もそいつらを尾行してこっちに向かっている。すぐに合流できるだろう。


 エリーゼは、彼女の魔眼でシスティナイシスの全てを見てしまった。俺でもビシビシと伝わってきて痛ましい気持ちになったのに、ストレートにそれを受け止めたエリーゼは、これまで見たことが無いほどの厳しい顔つきになっていた。



 精霊神の加護という名の呪いの解呪は、もう少し検討が必要だ。都合よく女神が降臨してくれて、せめて相談に乗ってくれればいいんだけど、多分無理っぽい。なので自力で何とかするしかないだろう。まあ、一応プランが無い訳ではない。いつものようにゴリ押しになってしまいそうだけど。


 神々も一枚岩ではない。それは既に理解はしている。

 神の代理戦争とも言われる太古のエルフと魔族の大戦。その片方の勢力は精霊神が率いたものだったのではないだろうか。

 女神から、精霊神が悪神と化した話を聞いた時から俺はそんなことも考えている。

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