第298話
オーク亜種の集団が出てきた階段の踊り場部分に近付いてくると、その無くなってしまっている壁の向こう側が少しずつハッキリと見えるようになってきた。
フェルは、ハーピーが出てきた所はダンジョンの浅い層のような通路だったと言ったが、それとは異なりダンジョン内とは思えない光と広いスペースがあるようにセイシェリスには見えている。
そのこととは別に今セイシェリスが懸念し考えているのはそろそろ休憩の時間を確保したいということだ。アルヴィースの面々はガスラン始めエリーゼにもフェルにもまだ疲れている様子は見えないが、自分のパーティー・バステフマークのメンバーには疲労の色も見えている。
徹夜は覚悟の上でシャフトに挑んで、その通りにもう既にダンジョンの外では夜が明けている。夜通しシャフトを降り続けて、挙句には数的絶対不利な戦いを強いられて肉体的、精神的な疲れを彼女自身も感じている。
このオークとの戦闘にキリが付いたら少しは休めるだろうかとセイシェリスが考えていた時、エリーゼから大きな声で警告が発せられた。
「キング発見! もうすぐ出てきます!」
「いきなりキング?」
問い返したのは剣を振り続けている最前列のガスランだ。
ここまで上位種は一体も居なかった。ガスランが言いたいのはジェネラルなどは居ないのかということ。
「他の上位種はいないよ! そして通常種はあと17体!」
「了解!」
すると、そんな人間の会話が聞こえていたのかと勘ぐってしまいそうなほどに、これまでずっとバカの一つ覚えのように階段を昇って突撃してくるばかりだったオークの動きががらりと変わった。
キングを守るように踊り場の奥まで引いて防御姿勢で待ち構え始めたのだ。ほとんどの個体が出てきた壁の向こうに引っ込んでしまっている。
セイシェリスはガスランへ注意を呼び掛ける。
「ガスラン慎重に。接近戦を急ぐ必要はないぞ。後ろと交代してもいい」
「了解」
振り向いてセイシェリスに同意の笑みを見せたガスランがそう応じて頷いた。
ゆっくりと階段を降りたガスランは踊り場への階段を降り切ってしまう手前で停まると、すぐ後ろに居るウィルに言う。
「ウィルさん、奴ら体当たりして俺達を落としに来そうな気がする」
「ああ、見え見えだな」
「エリーゼ達と代わる?」
「いや、たまには俺も仕事するわ」
この距離なら、と言ってウィルは回収していたオークの短槍を取り出すとすぐにそれを投げた。それは続けて三度繰り返され、オークがそれを防げたのは最後の槍一つだけだった。それもウィルのコントロールが少し乱れて、奴らが身を隠す壁の切れ目の部分を掠めたからだ。
「思った通り。これ投げ易いな。長さがちょうどいいしバランスもいい」
ウィルはそんなことを言ってガスランにニヤリと笑う。
すると、オーク達の呻きと戸惑いと怒りが入り混じった声に被せるようにキングの威圧を込めた咆哮が響いた。
威圧は魔物の場合は一種のスキルに分類されることもあるものだが、その効果は限定的だ。基本的には自分より格下の相手にしか効果は無い。
以前アルヴィースが辺境でドレマラークを狩った時、随行していた辺境伯軍の兵士達が威圧を受けて動けなくなったことがあった。しかしそれは圧倒的な実力差、格の違いがあったからで、実際シュン達アルヴィースの四人には何の影響もなかった。
「ん、威圧が混じってるのか」
「うん。意味ないけど」
ウィルとガスランはそう言うと今度は二人同時に槍を投げた。
ウィルは最初よりもさらに大きなモーションになって威力を上げている。
キングの前を守るオーク達は槍は手にしているが盾を持っている訳ではない。である以上、飛んでくる槍は避けるか持っている槍で叩き返すか逸らすしかないのに、二人の速い投擲に合わせることは困難な様子。
もう一度ガスラン達が槍を投げると、オーク達は更に奥へと引っ込んでしまう。
しかしその時にはガスランが、オークが引っ込んだ壁の向こうへコロコロと爆弾を転がしていた。
「『ボウリング…。ストライク』」
「なんだそれ?」
ウィルがガスランに訊き返した、それと同じタイミングで爆弾が爆発。
ズガガガッーン!
粉塵の中の様子を探りながらガスランがウィルの問いに答える。
「シュンが言ってたニホンのボール遊びの一つ。投げるんじゃなくて転がすらしい」
「へー。そんなのがあるのか」
「キングはまだ生きてるよ! 通常種もまだ五体残ってる」
いつの間に近付いたのか、二人のすぐ後ろからエリーゼがそう言った。
「突入するか」
振り返ってエリーゼとセイシェリスを見て、そしてガスランに顔を向けてのウィルのその呟きにはセイシェリスが応じる。
「中は広そうだ、ガスランとウイルが前衛。その後ろはクリス。他はショットガンで援護。キングはここで必ず潰せ!」
「「「了解!(おう)」」」
踊り場部分で隊列を整えてすぐに突入。
三人のすぐ後ろをセイシェリスとシャーリーが追う。二人はショットガン。続けてフェルとティリア、エリーゼとレヴァンテは最後尾。
シャフトの中からも妙に明るいことは分かっていたそこは空に面していた。景色のいい高台にある広い城壁の上に足を踏み入れたような状況。
天井があるせいでこの場所の奥までは直接光が差していない。そして所々にこのスペースを支えるように高い天井までの太い柱がある。
異質なのは、シャフト側を背にして正面に見えている天井と同じ高さ20メートルの一面が、縦横に大きく広く空に向けて開け放たれていることだ。その一面はまるで空を映した巨大な映画館のパノラマ画面のようだ。
更には、もっと異質なものがある。
それはパノラマの中央から宙に真っ直ぐ水平に伸びている渡り廊下のような物。その部分には屋根が無いのでどうかすると橋のように見えなくもない。人が二人並んで通れる程度の幅で、その両脇にはずっと人間の胸の高さほどの柵が続いている。
だが、その先は見えない。
魔法で隠されているのだろうと、それを見た全員がそう思った。
───窓だ…。大きな窓だ。そして空中に延びる橋。
遠距離からの援護はエリーゼ達に任せて剣を抜いてクリスの後を追っていたフェルは、思わずその光景に見とれてしまいそうになる。
パノラマ画面の向こうには鮮やかな青空と雲が見えていて、そこはあのフィールド階層だとフェルは思っているが、そんな観察と検証は後回しだと自分に言い聞かせて戦況に傾注する。
すぐにガスランがオーク二体を斬り捨てて残りのオーク達に向かったこと。そして通常種一体をやはり一太刀で斬り捨てたウィルがキングと切り結んでいる状況を見て、その傍にはクリスも居ることが確認できるとフェルは再びショットガンに持ち替えた。
しかし誰一人として矢もショットガンも撃つことなく、ガスランがオークの掃討を終えてウィルがキングの首を斬り飛ばしてしまって戦いは終了した。それからは、その場所の見分をすぐに始める。探査で見えてはいるのだが念の為に柱の陰も確認していくエリーゼの指示に従って、フェルもモルヴィと一緒に柱を一つ一つぐるりと回って確認していった。
◇◇◇
広いパノラマのほぼ中央。
宙に延びる橋の直前で片膝をついたガスランとレヴァンテ。二人はその橋を調べている。
そんな彼らから少し下がった位置では立ったままのエリーゼが全方位への探査の網を広げているところだ。
エリーゼの肉眼の視線はフィールドの方に向かっている。
ここが間違いなくシュン達が居るフィールド階層だと確信を持つ根拠となった、遠くに見えている見覚えのある塔の方を見詰めている。
シャフトからの出入り口の前ではクリスとティリアがシャフトの方に警戒の意識を半分以上は向けながらもガスラン達の様子を見て、そして軽い食べ物を時折口に放り込み飲み物も飲んでいる。
フェルとセイシェリスはその中間で、シャフト内の攻防でケガを負ったウィルとシャーリー二人を座らせて彼らのケガの状態を見ている。
たくさんのハーピーから放たれた雨のような矢でセイシェリスやクリス達も軽いケガは負っていたが、既にその治癒は終わっている。
シャーリーとウィルの二人のケガは彼女達より酷いものでフェルが慎重にそして念入りに治癒を施している。
クリーンとキュア、そしてヒールまでのセットを掛け終えたフェルがウィルに頷いた。
「こんな感じでいいと思います。あとはエリーゼに…」
「おう、フェルありがとな」
先に治癒は受け終わっていてフェルが使うクリーンとキュアに興味津々で注目していたシャーリーが、腕に抱きかかえていたモルヴィをフェルに返しながら言う。
「楽になった。フェルのキュアも凄いな、シュンみたいだった」
「えっ、いや…。まだまだです」
そんな様子を傍で見守っていたセイシェリスは、処置を終えたフェルの頭を撫でて言う。
「本当にありがとうフェル。いつも助かってるよ」
ニッコリ微笑んだフェルを、セイシェリスも優しく見つめて微笑んだ。
その後、シャフトからの出入り口と橋のたもとには探知の結界と魔核阻害結界の二つを設置して張り終えると、セイシェリスは悩んだ末の結論を全員を集めて告げる。
「オークが通ってきたと思われるそこの橋を渡ってみるしかないというのは全員理解していることだと思う。早いうちに偵察はしてみるべきだ。だけど、少し休もう。ちゃんとした食事を摂って交代で少しでも眠っておこうと思う」
セイシェリスが長めの休憩を決めた理由には、メンバーの疲労度と時間的な事もあった。
出入り口と橋から離れた位置に移って全員でしっかり食事を始めた頃には日が暮れてきた。もうそんな時間だったのだ。橋の向こう側の状況はまだ分からないが、フィールドと同じように日没がある所かもしれない。
いくら暗視があっても昼間よりも見づらいことには変わりはない。疲れている身体に鞭打ちながらの暗い所でのそんな活動では疲労は倍増する。
いつ終わるか分からないこの階層の攻略だ。セイシェリスがシュンとしっかり意識合わせをしていたのは、体力とMPを極力温存すること。そして回復の為の時間をしっかり確保することだった。
さて、ここはサイクロプスが跋扈するフィールドの地表ではない。そして魔物にはその範囲内の物が認識不可能となる魔核阻害結界をここでも発動させている。だからあまり気にする必要もないだろうということで小さな照明の魔道具は点けている。
そんな灯りを置いたテーブルの上のお茶が入ったカップを前にしてセイシェリスはずっと考え込んでいる。
「レヴァンテ、幾つか質問してもいい? と言うかお喋りに付き合ってほしいかな」
食事を終えて最初の見張り役を買って出ていたセイシェリスがレヴァンテに小さな声で話しかけた。まだ起きているのはこの二人とクリス。
椅子に座って珍しく眠っているように目を閉じていたレヴァンテは、目を開けてセイシェリスの方を見た。
「はい。答えられないこともありますが、その時はすみません」
「制約が有るのは知っているわ。その時はダメなものはだめでいいから」
コクリとレヴァンテは首を縦に振ってセイシェリスの言葉を待ちながら、二人の前のカップのお茶を温かいものに淹れなおし始めた。
セイシェリスが、テーブルから少し離れた所で床に座り込んで剣の手入れをしているクリスにごめんねという素振りで魔道具を見せると、そんな所作に気付いたクリスは構わないよという意味の笑顔で頷いた。
セイシェリスがテーブルに置いて発動させたその魔道具は遮音結界魔道具。外からの音は通すが中の音は漏らさない高級品である。
「塔に居るのがレヴァンテの推測通りディブロネクスだとして、ディブロネクスの目的は何なのだろうか」
「目的…、ですか?」
「遺産を守護するという行為は尊いことなのかもしれない。いつか正統な後継者が現れるのを待つという目的がずっと信念として維持できれば、の話だけれど…」
「後継者が現れるとは思っていないはずだとセイシェリスさんはお考えなんですね」
「そう…。なぜなら、それはレヴァンテ達にとっても想定外のことだったでしょ?」
レヴァンテは唇をキュッと結んで渋い顔をした。
しかし口を開く。
「それは確かにそうでした。継承者については可能性はゼロではないとして想定はしていましたが、実際にはほぼ無いということも解っていました。ですから、フェルが産まれてくれたことは私達にとってはまさに奇跡なのです」
セイシェリスは大きく頷いた。
「それについては、今のレヴァンテ達を見ていると良く解るよ。本当に私も良かったなと思う。ドニテルベシュクからも話を聞いて更にそう思うようになった。……で、続けてもう一つ。これは質問というより考えてみて欲しいこと。私はまだ会ったことは無いんだけどラピスティも一緒に」
「はい。ラピスティも聞いています」
「シュンの推測では、魔王への忠義に厚かったディブロネクスの魂が呼び戻されているのではないかという話だった。じゃあ、その人の魂を持つディブロネクスは、明確な目的も意義も見いだせない状況で今でもまだ理性を保っているだろうか?」
少しの間レヴァンテは沈黙した。
そしてやおら口を開く。
「セイシェリスさん、実はそれはシュンさんもラピスティと長い時間議論していたことでした」
「ふむ…、シュンなら当然考えてるでしょうね」
「はい。それで、ほぼ間違いなく邪に染まっているだろうというのがシュンさんとラピスティの推測としての結論でした。先入観を持つのは良くないということで皆さんには黙っているようです…。それに…」
「フェルを見たら違う反応をするかもしれないと思ってるのね」
驚いた表情でレヴァンテはセイシェリスを見て頷く。
今、レヴァンテとラピスティはしみじみ実感している。常に冷静沈着で仲間に対しての情に厚く正義感が強く、更にはこれだけの頭脳の持ち主だからこそシュン達はセイシェリスに全幅の信頼を寄せているのだと。
セイシェリスには、どことなくかつての魔王に似た性格気質なところを感じていて好感を抱いていたレヴァンテ達の、その好感度がまた一つ上がった瞬間だった。
「その通りです。その時にはシュンさん達もでしょうけど私もモルヴィも間違いなく全力で守護することになりますが、もし本当にディブロネクスが居るのならば、彼と対面するのはフェル個人にとっても必要な事だと思っています」
「えっと、その必要なことと言う意味を教えてくれるかしら」
「ディブロネクスを味方に出来るとしたらこれほど心強いことは有りません。逆に敵であり続けるのならば、シュンさんとエリーゼが居る今この時代で確実に完全に消滅させてしまうべき相手だからです。将来、人間にとってフェルにとっての大きな脅威になり兼ねません」
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