第181話 赤く輝く目

 神殿への入り口が在る中州に辿り着いたのは、当初想定した三日を一日余計に過ぎた時だった。思った以上に樹海の中を進む手間がかかり、調査隊員の疲労度を見て進行ペースを落としたからだ。

 この四日間の行程で遭遇した魔物はスライムのみ。俺がこの異世界に来て最初に対峙したあの特別なスライムと違って、通常のスライムは人を襲うことはないので放置である。スライムは自分より大きな生物を感知すると逃げて居なくなってしまう。


 見た限りでは、中州の状況はあれから変化は無いようだ。ゴブリンの住処が在った所も前回ニーナが焼き払ったままで変わりはない。

 エリーゼが少し腑に落ちない感じで言う。

「ここまでゴブリンが全く探査に引っかからないけど、あれで全滅させてたのかな」

「それか、残党はどこかに逃げて行ったか、他の魔物にやられたか。だろうな」


 そしてゴブリンの拠点の中心となっていた石造りの建物の中、階段に通ずる隠し扉を開けて階段を確認すると、地底の水位に変化はなく探査を行った結果も以前と同様に何も反応は無かった。


 そこまで確認し終えたところで俺達は建物から出た。

 この変わり映えの無さに俺はちょっと拍子抜けのような、でも得体が知れないという気分にもなっている。

「なにも変化なし…。少し不気味な感じもするけど」

「シュンが言ってたように、水没とは別のトラップもあるかもしれないから警戒しないとね」

 エリーゼのその言葉にニーナとガスランも同意の表情だ。

 そんなことを話していると、調査隊の隊長が俺達の所にやって来る。

「殿下、周辺の偵察の結果は異常なしです。予定通りここでキャンプを張ります」

「了解。よろしくね」


 神殿への入り口が在る石造りの建物からは少し距離をとった位置をキャンプ地に定めた。俺達も同じ所にテントを張った。

 その後すぐに調査隊は建物の内外の詳細な調査を始めた。古代文字が刻まれていた箇所は特に念入りに行っているようだ。建物内部や近い所では特にトラップの類を懸念しているので、騎士達は常に警戒を続けていた。


 そして、それにキリが付いたところで俺達の出番。

「さて、じゃあやりますか。計画通りに念のため騎士達は少し離れていて貰おう」

 俺がそう言うとニーナが頷いて、隊長にその指示を出した。


 階段を降りて水のすぐ傍に来た俺は魔道具をそっと水に沈める。大きなものではないが小さくもない、少し大きめの円筒形の結界魔道具程度。その中には可能な限り魔石を詰めている。

「始める」

 俺はそう言って水の中の魔道具を発動させると、しばらくの間それを見守った。

 かなりのスピードで水を吸い込んでいるのが判るが、目に見えるほどには水位に変化は無さそうだ。

「もう少し出力上げてみるよ」

 そう言って俺は一旦水の中から引き上げた魔道具をもう二段階効果を上げてから沈め直した。


 渦が大きくなってしばらく放置していたら、水位に変化を感じた。

 もう一度魔道具を止めてその水位を確認。

「水位が下がった…、のかな?」

 エリーゼがそう言うとニーナは頷く。

「うん、下がってるよ」


 魔道具をもう一度発動させて階段のかなり下の段に沈めてから、俺は魔道具が見える場所に座った。

「どのくらいかかりそう?」

 ガスランのその問いに俺は答える。

「この感じだと10時間ぐらいってとこかな。様子見てもう一つ入れてみようと思ってるけど、いずれにしても待つしかないな」


 排水を続けていれば魔力が尽きた魔石の交換が必要になるのは分かっているし、水位が下がって魔道具が水面に露出してくれば、また魔道具を水の中に沈めなければならない。だからずっと放置できる筈もなく、覚悟していたことだが俺は長い間見守り続けることになった。


「俺見てるから、皆は上で待機してていいよ」

 俺にそう促されて、エリーゼは残ってニーナとガスランは上に上がった。ニーナは調査隊に説明しておくと言った。


 その後ずっと見続けていて判った水位の下がり方の感じだと、その上の方に空気が残っているドーム内は、予想通り排気だけではなく吸気もやってると考えていいかもしれない。空気を清浄化しつつ気圧を一定に保つ仕組みだろうか。最悪は地上から雷撃砲でドームの天頂近くに穴を開けることも考えていたが、これならドームに空気を送り込む穴を開ける必要は無さそうだ。



 排水を始めたのが夕方だった。そして夜中、もう少しで日が変わろうかという頃になってやっとバルコニーに俺達は降りてきた。その場所に何故か懐かしさを感じてしまう。結局すぐに階段に戻ってきていたニーナとガスラン含めて4人でずっと階段で見守り続けていた。そこで食事したり交代で居眠りしたりしながら。

 俺はすぐにニーナに重力制御して貰って追加の魔道具をバルコニーの下、このドームの底の部分に幾つも投げ降ろした。

 それらの魔道具の排水でみるみるうちに更に水位が下がって行く様子は圧巻だった。バルコニーに水が無くなってからはドームの中の照明が戻ってきたので、水が引いて行く様がよく判り、水の中から改めてその全容を見せ始めた神殿を俺は美しいと思った。

 照明が戻った時に階段部分も同時に明るくなったので地上で待機している調査隊の人達も変化に気付いているようだ。

 エリーゼがそんな上の様子に気が付いていて言う。

「調査隊の人達に説明してくるね」

「うん、よろしく。まだここから降りちゃ駄目だけどな」


 計画しているここからの行動予定は、まずは俺達4人による偵察である。最優先は水が入って来たであろう取水管のようなものを発見してそれを止めることだ。


 ドームの中の光景に唖然と見惚れてしまっている調査隊の面々。しかし彼らのことは隊長に任せて俺達はいち早く水がほぼ引いたドームの底を歩いて調査を開始した。

 そしてすぐ、神殿の裏辺りだろうと推測していた通りにドームの壁に開いた大きな穴を発見した。そこから水を取り込んだのだろう。壁に魔法の痕跡がある。その穴は魔道具的な開閉式になっていたようだが、今はその機能は完全に停止している。俺は念のためにエリーゼにその穴を塞いで貰う。


 さて、いよいよ女神の像と再会だ。似てないけど。


 神殿の中にはどういう仕掛けなのかは不明だが水は入っていなかったようだ。そして神殿の中は前回訪れた時の状態と変わった様子は無かった。宝箱を開けた時のままである。

 俺は女神の像を改めて見てみるが、やっぱり全然似ていないと思う。

 隣で同じように見ているガスランに俺は言う。

「て言うかガスラン。これやっぱり別人じゃね?」

「俺もそう思ってたとこ。これは違う人」

「だよな。もっと美人でスタイルもいいよな」

「うん。そこ大事」

 顔も違うのだが、俺は全裸の女神も見たことがあるからいろいろサイズが違う所とか気になって仕方ない。着痩せするにしても程度があるだろうし、そもそも女神はいつだってどんな服装でもグラマラスな体型だとはっきり判る。ウエストのくびれも凄くてメリハリがあるから、存在感を主張している部分が殊更に目立っているのだ。


 聞こえてはいないはずなのにニーナが何かの雰囲気を漂わせ始めたので俺とガスランはそこで女神の話はやめた。


 続けて、前回途中までだったこの聖堂のような場所の四方を調べる。

 入り口からの黒い通路の両側に当たる部分にはやはり部屋が在った。このドームに降りる階段に通じていた地上の建物の中の壁と同様に、魔力を流すと開閉する扉があった。


 聖堂の中から向かって右側の隠し扉を開けると、そこはワンルームマンションのような部屋。石で作られたテーブルと椅子とベッド。ベッドと椅子のクッションはどういう素材なのだろうか、まだ朽ちたりはしていない。そして料理をするような水場と風呂などもある。棚には食器の類もいくつかある。

 この生活感は少し異質な気がした。

 但しそういう家具調度品以外は何も残っていなかった。ゴミの類も一切なし。


 向かって左側の部屋は全く趣が異なっていた。

「これは…、棺みたいね」

 ニーナがそう声を漏らした通り、部屋の中央の一段高い位置に棺がある。この部屋にはそれ以外は何もない。

「一応、警戒で」

「「「了解」」」

 鑑定も探査も特に問題ないとはなっているが、念のために警戒。


 棺を開けると、中には完全に白骨化した遺体が一つ。衣服が朽ちてしまって粉々になってしまっているせいで全身の骨が見える状態だ。残っている髪の毛の長さでは女性だったようにも思えるが、ちゃんと調べた方がいい。そしてこの遺体で最も問題なのは、その心臓が在った部分の隣、胸の部分に魔石があること。

 この魔石には魔力は全く残っていない。おそらく触ると、既に所々砕けたり粉末のようになっている骨と同様に崩れてしまうだろう。

 エリーゼも、その魔石に気が付いて言う。

「シュン、この人って…」

「多分、魔族だ」

「「……」」



 神殿の中は鑑定でも怪しいものは見つけられなかった。調査隊に合図のライトを打ち上げると、すぐに調査隊はバルコニーに見張り数名を残して降りてきた。


 神殿の入り口まで迎えに出ていたニーナとガスランが調査隊の15名と共に戻って来ると、聖堂の中は少し賑やかな雰囲気になる。この聖堂もかつては多くの人を集めたりしていたんだろうか。俺はそんなことをふと思った。

 ニーナから概略は既に聞いていたのだろう、女神(?)の像の前の一段高い所に立った隊長が指示を出すと、すぐに隊員達が調査を開始した。

 今回は原則として現状維持だ。持ち帰る物は厳選される。より詳しい調査は専門の研究者達をこの場に連れて来てからになるだろう。


 棺については手を付けないことが決まった。少しの振動でも骨などの崩壊が進むと判断されたから。但し居住区の方に残っている物は少し多めに持ち帰ることになりそうだ。記録を取りながら回収作業を進めた調査隊員たちの手際はよく、それほど時間はかからず作業はひと段落する。神殿の外の調査をしていた隊員も作業を終えたのだろう、中に入ってきて隊長に報告をしている。


「シュン、なんか変わってる。顔が」

 その時ガスランが俺の腕を引っ張ってそう言った。

「ん、何…? 顔?」

 そう言って振り向いた俺はガスランの視線を辿って女神(?)の像の方を見た。

 すぐ傍に居たニーナとエリーゼも釣られるようにして同じ方向を見た。


「総員退避! 全速で階段に戻って地上まで走れ!」

 ニーナの声が響いた。俺とガスランは剣を抜いて像に対峙。ニーナとエリーゼは逃げる隊員達の盾になるような位置取りをした。

 俺は三人に指示を出す。

「盾装備で後退」

「「「了解!」」」


 その像の顔はついさっき見た時と大きく変わり、不気味な笑みを浮かべているように見える。しかし鑑定の結果は何も変わらない。

 チラッと後ろを振り返ると隊員の最後の一人が通路に走って見えなくなった所だった。そこまでの、後ずさりをしながらの俺達と像との睨みあいの時間はそんなに長い時間ではなかった。


 像の目が赤く光った。


 次の瞬間、赤い目から迸った光が聖堂の中全体を包んだ。

 聖堂の床一面から大きく浮かび上がってきたのは魔法陣。


 転移だ。

「皆、手を取れ。互いを離すな!」

 俺はエリーゼとガスランを掴まえる。ガスランがニーナの手を引っ張って引き寄せた。

「なにこの光。魔法陣?!」

 ニーナの大きな声に俺は怒鳴り返す。

「転移だ! 手を離すな!」


 周囲がぼやけて揺れ動く、それが平衡感覚をおかしくして眩暈を誘った。

 そしてさっと全ての光が無くなって暗転した直後、今度は光に包まれる。

 真っ白な世界で何も見えない。しかし目を焼き傷つけるような光ではない。

 光と共に身体中で感じていた細かな揺れが収まった時、俺達を包んでいた光も突然消えた。


 それは、転移が完了したことを意味していた。

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