第124話

 レッテガルニからはずっと、荒野を進んできていた。魔物でさえ住み着かないような荒野は、人間にとってもそれ自体に価値はない。

 物を運ぶ経路として誰かが最初にこの荒野を進んだ。重い荷物を積んだ馬車で山を登ったりせず平坦な歩みを続けられるという、おそらくはただそれだけの理由だ。しかし、それを繰り返すうちに轍が道へと変わり、そうやって出来た街道には人と人を繋ぐという存在価値と意義が生まれている。



 街道の脇に草が目立つようになった時、辺りの空気が変わってきたように感じた。

 御者台には俺とエリーゼ。ぴったりとくっ付いているエリーゼからずっと愛情を受け取っている。時折横のエリーゼを見ると、エリーゼも俺を見る。

 自然と微笑み合って、また愛おしさが増してくる。


「シュン、なんか遠くまで来ちゃったね」

 馬車の前方へと視線を戻してすぐ、エリーゼがそう言った。

 これまでの荒野とは異なる空気、その変化が呼び起こした緊張なのか。エリーゼの言葉には未知なものへの期待と不安の両方が含まれている。もう一度エリーゼを見ると、エリーゼも俺を見つめていた。俺はニッコリ微笑む。


 ───大丈夫。俺が傍に居るから、不安に思う必要なんかないよ。


 エリーゼは俺のそんな思いをしっかり受け止める。チュッとキスをするように口を尖らせて見せて微笑みを返してきた。


 また前方に視線を戻して少し辺りを見回してみてから俺は言う。

「もう、帝国領と言ってもいい辺りなんだろうな」

「ティリアが、関所が在るって言ってたよね」


 俺が持っている地図には詳しく書かれていないが、ティリアの話では草原地帯になってすぐ辺境伯領の関所が在ると言う。草が深くなっている辺りで、街道以外は馬車では通りづらい場所らしい。


 馬車の中から、ニーナとシャーリーさんの声が聞こえてくる。他の人のどっと笑う声も。シャーリーさんの勝ち誇ったような声は、きっとトランプで勝ったからなんだろう。ニーナは負けて悔しがっているのかな。


 御者台に座ったままエリーゼが氷魔法の訓練を始めた。

 氷の矢を素早く生成して、それを即座に狙った所へ飛ばす訓練だ。火魔法と違って周囲を火事にする心配はない。魔法発動の様子を見ていると、生成と発射の間の少しのタイムラグをエリーゼが気にしているのが判る。並列思考スキルを持っていないエリーゼだが、それを感じさせない程に魔法の発動が速いのは高速な思考速度故なのだろうと俺は思っている。そして本人は意識していないだろうが、疑似並列思考とでも言うべきかタイムスライス的な処理をしているようにも俺は感じている。


 エリーゼの氷の矢、アイスアローは水魔法と土魔法と風魔法で作られたものだ。見事に、エリーゼが不得意だといつも言う火魔法が外れていることをエリーゼらしいなと最初は可笑しく感じたが、ニーナやフレイヤさんに比べると少し劣るだけで、エリーゼの火魔法もそれなりに良くなってきている。

 以前フレイヤさんが言ってた、

「エルフは、火魔法へ潜在的に忌避感がある人が多いのよ」

 という話が当てはまるのだろう。

 森の種族のエルフとしては、木、森を焼いてしまうことへの嫌悪感。特に攻撃系の魔法として使う時のような大きな火、炎へのそういう忌避感がどうしても拭いきれないということ。


「シュン、的を出して」

「了解。一つからな」

 エリーゼの頼みとあらば、喜んで。

 俺は前方に、ランダムに小さなライトの光球を発生させる。エリーゼがすかさずそれを氷の矢で射る。最初は一つずつ、一つのライトに一つの矢。

 旅を始めた最初の頃はそんなことをすると驚いていた馬達だが、エリーゼに懐いているせいか、いつもエリーゼが馬達の目の前で魔法を使っているせいか、近頃では全く平気になってきている。


 かなりの回数それを繰り返した後に、的を増やす。三つまではエリーゼも対応できた。

「雷だと5つぐらい余裕なのにな~」

「いや、昨日は三つに対応できてなかったんだし、今日すごく良くなってるよ」

「うん、少し氷の同時射撃のコツが解って来たよ」



 その後、探査で関所らしきものが見えて来た所で、訓練を止めた。国境警備ということになるのだろう。人がたくさん居るのが判る。

「セイシェリスさん、関所に近付いてきました」

 エリーゼが馬車の窓の方へ身を乗り出してそう言った。



 ◇◇◇



 ティリアの姫様モードは、ニーナのそれとは違う。個性があって当然だが、ティリアは継承権どころか貴族という立場すら放棄したいと考えている節があるような気がする。そのせいか、兵士達に接する態度はとても穏やかで優しい。

 とは言え、兵士達にとってはやはり領主の姫君。しかも、本人は継承権は返上していると言うが、ティリアこそが次期辺境伯だと思っている兵士はまだ多いらしい。帝国は現在の君主が女帝ということもあり、女性が爵位を継ぐケースが多い。女性であっても爵位に相応しい人物が継ぐのが当然という考えが一般的になっているということ。


 ティリアは、ロフキュールへの里帰りであることと全員が自分の冒険者仲間だと説明した。当然冒険者ギルドカードでチェックは受けて、全員がAランクであることに非常に驚かれた。そして、ニーナの存在にも。


 ニーナのフルネームが判明しティリアがニーナの素性について追加の説明をすると、兵士達全員がティリアに示したのと同様の最敬礼を示した。


 ここで発動するのはやはりニーナの姫様モード。

「頭を上げてくれ。今の私は一冒険者だが、ウェルハイゼス公爵家の一人としても、ベスタグレイフ辺境伯領の皆と親しく付き合いたいと考えている。その気持ちの表れが私とティリア、カルセティーリア殿下との友誼だと思ってくれると嬉しい」


 いつも思うことだが、良くもまあ、こんなにスラスラと言葉が出てくるものだと感心する。と、俺が思っているとチラッとニーナに睨まれる。


 その後、草原地帯が始まる前に遭遇したヘルハウンドについての話をした。五匹の死体を見せると兵士達に動揺が走る。これで全てを退治したとも言い切れないので、この関所に駐留する国境守備隊の兵士達が手分けして近隣の村などに警告に回るということになった。


 関所は城壁の門の部分を少し幅広く切り取ったような造りになっていて、その帝国側には兵士達の宿舎などの建物が幾つかある。その一つを宿として提供してくれるという話もあったが、俺達は先を急ぐことにする。もう少し進んでおいて野営をすれば、次の日の日没の前までにはロフキュールへ着く見込みだからだ。

 そして、それではと言う守備隊の隊長からのロフキュールまで護衛を付けるという申し出も、ティリアは笑顔を見せながら断る。

「Aランク冒険者が8人も居るんだから、大丈夫よ。それよりもヘルハウンドの警戒の方をお願いね」

「畏まりました」



 大勢の兵士達の見送りを受けながら、俺達は更に西へと進み始めた。

 何気に、手を振ってくれている兵士達の姿を見ていると、意外に女性兵士が多いことに気が付く。

「ティリア、帝国は女性兵士が多いんだな」

「うん、そうね。私はそれが普通だと思ってたから、逆に王国の兵を見た時にはちょっとびっくりしたわ」


 丁度二人で御者をしていていい機会だし、ロフキュールに入るまでには聞いておきたいと思っていた事なので、俺達が偶然助けたダンジョンでのゴーレムによるMPK(的な)未遂事件のことについて話を聞く。

 スウェーガルニの代官のレオベルフさんから犯人たちのその後については聞いてるんだけど、あんな事になるまでの経緯について詳しくは聞いてなかったからね。まあ、冒険者同士というのはそういう立ち入った話は、余程親しい仲でも無ければしないのがマナーだから。


「あの時のは、ゴーレムの魔石が大量に必要だという領都からの依頼だったのね。具体的には、ゴーレムの魔石採取の為にダンジョンに慣れている冒険者を臨時パーティーとして集めているから、それに参加してくれないかという依頼。私が所属していたパーティーは、リーダーが怪我で引退することになって解散した直後だったから、一時的な繋ぎとしても丁度いいかなって。スウェーダンジョンには興味あったしね。アルヴィースのいろんな活躍の噂は帝国にも届いていたのよ」


 いやいや、そんなの初耳なんですけど? ま、でもそこは聞かなかったことに。


「ふむ…、領都というのは?」

「領都の軍からね。魔道具にどうしても必要だということで、スウェーダンジョンで大量にゴーレムの魔石が採取されている話を聞いたから、ということだったわ」


 あ、その噂の一端は俺達のせいだな…。でも、問題はそこじゃない。


「軍からの依頼だったのか…」

「書類上の依頼人としては軍ね。結局、私への依頼はあの男の発案だったというのは後になって知ったんだけど」


 あの男というのは、あの時のパーティーの一員。最後に俺に剣を抜いてきた奴ね。

 一応はこいつが主犯ということになっている。今の話を聞いただけでも解るのは、黒幕以外にも絵を描いた奴とか何人かは関わっているだろうということ。しかしこの主犯は、全部自分が計画したと言い張っていたそうだが、誰もそんなことは信じていない。

 ちなみに、主犯以外の男達は全員が大金を提示されて話に乗ったということは間違いないようで、既に帝国へ送還済み。すぐに斬首になったはず。貴族を殺すというのは未遂でも大罪で、極刑と相場が決まっている。

 しかし、この主犯だけはまだスウェーガルニの牢屋に入れられている。帝国の辺境伯領に送還してもおそらくは口封じの為に殺されるだけだというのが、辺境伯側と公爵側の一致した見解。

 辺境伯の意向は、辺境伯領でも徹底的に調べることになった真相解明までスウェーガルニで生かしておいてくれということだそうだ。レオベルフさんは帝国の辺境伯への貸しが増えるので多分喜んだだろうと、その話を聞いた時に俺は思った。


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