第96話

 朝一で代官がギルマスを呼びつけた。俺達は入れ替わるようにレッテガルニ支部に行く。予定では最終日となっているミレディさんによる治癒指導の為だ。

 この日は受診する人が少なく、雰囲気としては割とノンビリ。でもミレディさんの講義はしっかりと進められた。そして昼にはすっかり仲良くなった治癒師の人達と、休憩室で昼ご飯を一緒に食べる。治癒師は全員女性で、ここでもガスランはモテモテである。少し羨ましい。


 さて、昼過ぎになってもギルマスは支部に戻ってきていないようだが、どうせ治癒室中心の俺達と接点はほとんど無い。昨日、彼が俺達に掛けてきた最後の言葉は「魔石は?」だったなと思い出して、つい溜め息が出てしまう。


 そんな時に、領兵の一人が治癒室にやって来た。

「今すぐにここから出て屋敷へ戻ってください」

 ニーナだけかと思ったら、ミレディさん含めた俺達全員だと。

 ニーナは、はいそうですかと人の言う事を何でも素直に聞くタイプじゃない。

 ちょっと不運なその領兵をニーナが脅しながら聞き出したことは、ギルマス捕縛。そしてこれから行われるレッテガルニ支部の徹底捜査。


 ミレディさんは流石に表情が硬い。それはそうだ。一応は同僚だからね。


 とにかく、俺達が居ると邪魔なんだろうとさっさと退散することに。治癒師の女性達には、必ずもう一度会いに来ると約束してギルドを後にした。


 ほどなく屋敷に戻ると代官が待っていて、俺達は代官の執務室へ通される。


「すみません。急展開だったものですから、失礼いたしました」

「ギルマスは何やったの?」

 と、ニーナは説明を急がせた。目が、はよ言わんかいと急かしている。


 ディアス団のボスの愛人。その女はレッテガルニのとある娼館のナンバー1だそうだ。そして、その女に入れ込んでいた多くの男の一人としてギルドマスターの名前が挙がった。

 女はディアス団の強制捜査の際に捕縛されていて、ずっと尋問が続けられていた。やっと話し始めた内容は、ミレディさんの派遣をスウェーガルニ支部へ依頼するということを女に漏らしたのがギルドマスター。派遣される日程的なものが固まった頃に、女はまたその情報をギルドマスターから得た。

 女はそれをディアス団のボスに逐次伝えていて、ツーカーの仲だった教会の司祭にもそれが伝わったというそういう流れ。


「ここからは推測も交じりますが、それが切っ掛けとなって司祭はミレディさんを襲撃することを企み、実行を依頼したのだろうと思われます」

 そう言った代官に、俺はずっと疑問に思っていたことを言う。

「ですが、治癒の指導をそれだけ脅威に思うものなんでしょうか。ミレディさんの指導は確かに治癒師にしてみれば凄いことなんですが、それで少し教会の実入りが減ったとして、人を害してまで阻止するほどの事でしょうか」


 代官は大きく頷いた。

「私も最初に感じたのはそういう違和感でした。こう言ってはあれですが、たかが治癒の指導に来るぐらいで、と」

 ミレディさんも大きく頷いている。


「で、問題は、やはりそこじゃなくて。これでした」

 代官はそう言って、一つの小さな瓶を取り出した。


「ポーション?」

 エリーゼがそう言って瓶を見詰める。

 代官はミレディさんへ向かって言う。

「ミレディさん、これを飲んでいる人が居ると聞いたらどうしますか?」


「良く見せて頂いて構わないですか」

「どうぞ。まさかとは思いますが、決して飲んだりしないでください」

 手に取ってその透明の瓶の中身を見始めたミレディさんに代官はそう言った。


 ミレディさんが瓶の蓋を開けようとした時、俺はそれを制止する。

 俺には鑑定で、それが何かは既に分かっている。

「長く嗅いでは駄目です。匂いも有害ですから」

「え? はい…」


 ミレディさんは少しだけ蓋を開けて匂いを嗅ぐとすぐに閉めた。

 目を閉じて、ミレディさんは眉を顰めている。

 少しして目を開き、ふうっと息をひと息吐いてから代官に向かって言う。

「これはコカトリスの血ですね。かなり薄められてますけど」


 コカトリスの血は、人間にとっては猛毒だ。


 コカトリスの血を飲用すると人間の呼吸器や心臓などを内部から破壊していく。但し、今回の物のように極度に薄めたものだと、一時的な酩酊感や強壮作用がある。しかしそれは体内に蓄積されて、少しずつ毒としての猛威を振るい始める。性質が悪いことに、その酩酊感などの作用のせいで中毒性がある。


 代官はそんな説明をして、更に言い添えた。

「司祭は、これの正体が見破られることを恐れていたようです。教会は一部の患者にこれを飲ませていましたし、ボスの愛人のその娼婦は客に飲ませていました」

「これを教会が、ですか…」

 ミレディさんは真っ青だ。


「服用している患者がもしミレディさんに相談したりしたら、すぐに飲んでいる物の正体がバレてしまう、と」

 そう言ったエリーゼに代官は首肯する。

「そういう状況を一番懸念したのでしょう。正体が判る人はそんなにいないでしょうが、高名なミレディさんだとその可能性は高い。そういうことでしょう」


「どのくらいの人が飲んでいるのですか」

 ミレディさんの関心は既に患者の方にある。

 代官は、首を振って答える。

「はっきりとは、まだ…。調査中ですが、少なくはないと思われます。あのギルマスも娼館では毎回飲んでいたそうですから」


 ミレディさんは唇を噛みしめて目を閉じている。その震える手をニーナが握りしめた。


「代官、それ。たくさん押収したんですか?」

 俺がそう尋ねると、代官はすぐに頷いた。

「はい、大量に押収しました。司祭の私室と娼館のその女の部屋で。もっともこれの正体が判明したのは、昨夜、女がやっと供述したからですが」


 俺は瓶の蓋を開けて、その匂いを嗅いでみる。

 あ、やっぱりこれは俺には効かない。鑑定でもそれは解ってたんだけど、実感。

 俺の状態異常耐性は非常に高くて、この程度の毒は全く効かない。女神のスライムに鍛えられたおかげ。死にそうな思いをした甲斐があるってこと。


「シュン、駄目!」

 長い間匂いを嗅いでいる俺を見て、エリーゼが慌てて俺の手から瓶を取ろうとする。ガスランも手を伸ばしてきていた。


 俺は二人の手を躱して一旦蓋を閉じる。

「ごめん。先に言っとかないといけなかった、ホントにゴメン。ガスランも」

「シュン…」

「……」

 二人に頷いてから俺は話を続ける。

「俺の、毒なんかへの耐性は凄く高いって話したことあるだろ」

「……うん」

「この程度だったら、俺は大丈夫。と言うか、試したかったのはそういうことじゃなくて、浄化できるかってことなんだよ」


 ミレディさんが俺を見詰めている。

 そして言う。

「シュンさん、その毒を特定できますか」

「この瓶に入ってる状態のだったら、多分すぐにでも。だけど…」

「人の体内に入っているものですね」

「そういうことです。実験しないと駄目かもしれません」

 俺は並列思考フル稼働で対処を考え始めることに。ミレディさんも考え込んでしまった。


 少しして代官は、

「すみません。話を戻させていただきますが…」

 と、遠慮がちに言った。


 皆が頷いた。

「司祭がディアス団ボス経由で娼婦に持たせていたのは間違いないと思われます。中毒性を利用して人を操ろうと考えていたのではないかと。同じ理由で教会の治癒に訪れた人にも薬と称して飲ませていたようです」


 第一に、飲用した人の洗い出し。教会の方は人数は多いが、治癒を受けた人は教会から押収した記録で把握できるので、薬を渡されたか、それを飲んだかをしらみ潰しに調べるしかない。これは既に代官の指示で始まっている。娼館で飲まされていた方は女の供述でほぼ特定できたとのこと。

 第二に、薬の出どころ。司祭の主導でレッテガルニへ持ち込んだのだろうが、それはどこからなのか。記録が残っている訳ではないようで、そこは教会関係者への尋問が頼りだという状況。ディアス団がそこに絡んでいる可能性もあり、引き続き捕縛している連中への尋問、ということになる。


「シュン」

「シュンさん」

 ニーナとミレディさんが言いたいことは分かっている。


「ミレディさんが居る所、行く所。そこで護衛と手助けをするのが、今回アルヴィースが受けた依頼だよ。期限なんか最初から決まってないし」


 代官以外の全員がニッコリ笑った。

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