第30話 だるまさんがころんだ。

 僕と久田野がたどり着いたのは、人気ひとけのない、神社の本殿。花火が近づくと皆見晴らしのいい広場に向かってしまうけど、実はここの本殿はこっそりくっきりと花火を見ることのできる隠れスポットだったりする。

「はぁ……はぁ……く、久田野……僕ちょっと……休憩……」

 しかし、そこが隠れスポットであるのには勿論理由がある。

 階段の量がえげつないんだ。とにかくえげつない。数えたことはないけど、ざっと五百段くらいはあるんじゃないだろうか。

 よく、そんな階段を草履を履いてさらには浴衣を着て駆け足で上りましたね……久田野。しかも僕というお荷物付きで。実はそれ浴衣じゃないんじゃ……。

「ええ……? まあ、でも打ち上げ時間まではまだ十分くらいあるし……あ、そうだっ」

 へとへとになった僕は息ゼイゼイになりつつ本殿前の石段に座り込む。最後にも少しだけ、階段を上る設計になっているんだ。

「ねえ、だるまさんがころんだしよ? 文哉」

「き、急に何……? どうしたの……?」

「だって、クライマックスのシーン、涼音と主人公はだるまさんがころんだをするんでしょ? なら、それも体験したほうが、きっといい場面描けるよっ、ほら、先に文哉が鬼になって。まだ息切れているし、そっちのほうがいいよね。はい、あそこの大きい木の幹に向かって」

 久田野は何ひとつ表情を変えることなく僕に指示を出す。

 体力お化けかな……。というか、高校二年にもなって、リアルでだるまさんがころんだって……。いや、それを作中でやらせたのは僕なんですけど。

「わ、わかったよ……」

 どうせ断ることなんてできない。ふらつく足取りでなんとか彼女の言った木に顔を向ける。樹齢何年だろう、すごいしっかりした大木だなあ……。

「いいよー、文哉―、始めてー」

 大声で叫ふ彼女の声は、どこまでも響いていきそうなくらい、はっきりと僕の耳に入った。けど、それはどこか綺麗な色音も含んでいて、聞いていて不快になるようなものではない。むしろ、心地よささえ感じてしまう。

「はじめの一歩っ!」

 久田野はそう言いつつ、浴衣をはためかせながらこれまた大きな一歩を踏み込んだ。……っていうか飛んでますよね? あれ。

 僕は久田野に背を向けて、

「だーるーまーさーんがこーろんだ」

 そして振り向く。あれ、もう半分くらい距離詰めてませんか。

 僕は目を凝らして彼女が動かないかチェックするけど、びくともしない。諦めてまた、

「だるまさんがころんだ」

 と今度は早口でカウントする。

 しかし、やはり久田野は近づいてきている。笑顔を崩さないまま、少しずつ、着実に影は大きく見えてくる。

 そして。

「……だーるまさーんがころんだ」

 何回かこういうふうに揺さぶりをかけるけど、久田野は動じることなく僕の攻撃をかわし、タッチまであと数歩、ってところまでやってきた。

 もう、彼女の特徴の泣きぼくろまではっきりと目に映る。

「……は、早くないですか久田野……」

「ふふっ、私の運動能力を舐めないでもらいたいねっ」

「……だるまさんが──」

「タッチ!」

 次のタイミング、言い切る前に背中をタッチされた。僕は振り返って一から十まで急いで数える。

「ストップ!」

 に、逃げ足も速くない……? あ、五十メートル僕よりタイムよかったんだっけ……。

 あっという間に手が届かない場所まで彼女は行ってしまう。……さながら、創作の距離関係か。

「じゃあ……大股十五歩!」

 でも、それでいいのかもしれない。きっと、久田野と僕の関係なんて、そんなものなのかもしれない。

「いーち、に、さーん……」

 久田野が僕を引っ張って、それにつられて僕も前に進んで。

「しー、ご、ろーく、なーな……」

 嫌になるくらい、差が開くこともあるけど、それでも彼女は必ず待っていてくれている。

「はーち、きゅう、じゅう、じゅういち……」

 共にした、目的地の果てで。絶対に、僕を置いて行ったりなんてしない。

「じゅうに、じゅうさん、じゅうよん……」

 ほら、あと少しで、彼女の背中に追いつく──

「じゅうごっ!」

 ──あ、ちょっとだけ届かなかった。でも、これくらいだったら、少し手を伸ばせば……。

「あ」

 のはずだった。けど、とことん僕は運動音痴だったようで。

 片足浮かせて右腕を伸ばした際に、バランスを崩してしまった。そもそも、五百段近くある階段を無理やり上りきった直後だから、足も疲れていたんだと思う。

 僕の左足は、それ一本で体重を支えるほどの力は残っていなかった。

「やばっ」

 バランスを失った僕の体は、無防備に立ったままの久田野の体に覆い被るように倒れ込んで。

 って久田野浴衣だったっ! このまま僕が押し倒したら土で浴衣を汚しちゃう……!

 その事実に気づいた僕は咄嗟に体を入れ替わらせて、僕が下になるようにした。……女の子の体って、あんなに軽いの……?

 そして、幼馴染のひとまわり小さい体を抱きしめるようにして、地面に落下した。

 数瞬後、ひときわ鈍い音が辺り一面に響いたと思う。

 いてて……あれ、声が……出ない?

 っていうか、息もできない……?

 でも……なんか、イチゴの味が……イチゴ?

 クラクラと回った視界が再び鮮明になると、僕のすぐ、本当に目と鼻の先には。

 唇と唇が重なった状態で、僕の上に倒れている久田野の体があった。

 え……? 僕、今何やっているの……? だって、さっきまでだるまさんがころんだして、タッチした久田野を捕まえるために手を伸ばして……コケて……で、きす、してるの……?

「ごごごめんっ! ちがっ、そんなつもりはっ」

 僕は弾けるように彼女の顔を離して、とりあえずキスを終わらせる。

「あっ、いや、それに、えっと、そんなわざと身体触ったとか、抱きしめたとかじゃないからっ! ち、違くて、そ、その、浴衣が汚れるといけないって思ってっ!」

 さらに彼女の背中にまで腕を回していることを把握した僕は、その手も離してホールドアップの体勢を仰向けのままする。

「……め、メロンの味、した……」

「へ、へ……?」

 僕の上に跨るように倒れたままの久田野は、顔を熟れたトマトのように真っ赤にして呟く。視線はそっぽを向いていて、恥ずかしげに手元をもじもじと遊ばせている。

「……これが、ファーストキスって……」

 しかもちょっと泣きそうだし! やばいやばいやばい! 最後の最後にやらかしたよ僕!

 そりゃそうだよね、こんな地味で冴えない男子に、しかも押し倒されるような形で事故的にだなんて嫌に決まっているよね! どうしよう、なんて謝れば……!

「ふふっ……文哉、慌てすぎだって」

 けど、予想に反して久田野は怒ったり泣きわめいたりすることはせず、穏やかな口調で言って、そして空に指をさした。

「それに……。花火、もう上がってる」

「あ……」

 どうやら、僕が倒れた瞬間に打ち上がり始めたのだろう。既に夏の夜空には、花が咲き乱れる光景が広がっていた。

「……わかってるって。文哉がそんなアクシデントにかこつけて私とキスしようなんて度胸持ってないことくらい。文哉はヘタレだからね」

 倒れ込んだまま、彼女は僕の耳元に囁きかける。

 い、いや、そんな体近づけたら……色々香りとか香りとかで僕……。

「あーあ。まあいっか。これも文哉のラブコメのためになるだろうし。私体張ったなー。いくら小説のためとはいえ、キスまでさせてあげる女の子なんていないからね? 普通。この、ラノベ主人公っ」

 一通り僕への復讐が終わったのだろうか、まだ続くのかもしれないけど、とりあえず。

 久田野は体を起き上がらせて身だしなみを整える。少し、浴衣が乱れてしまっていたようだ。

「……あ、ありがとね、下になってくれて」

 そして、上を向く瞳が、咲き乱れる花の色に合わせて変化しつつ、彼女は言った。

「……少しは、男の子っぽいこともできるじゃん」

 彼女は決して目を合わせることはせず、花火だけを見つめているのに。

 見上げる久田野の横顔と、重なる打ち上げ花火の彩りが。

 ほんの僅かに緩められた彼女の口元の先、桃色の頬を。

 僕の目は、どうも赤く染まっているようにしか捉えられなかった。

「……で、でも、ごめん……僕が、コケたのが原因だし……」

「いいからいいから、やられたほうが気にしていないんだから、もうこの話は終わりっ。ほら花火見よ? 特等席だよ? 誰もいないよ?」

 普段の快活な声に戻ったようだ。今はこの花火を楽しもうという調子で、それからの僕らはこのことについて触れることはしなかった。

 帰り道。行きは繋がなかったのに「はぐれると嫌だから」って理由で久田野が僕の手を離さなかったせいで、僕の緊張は止むことをしてくれなかった。

 おかげで、夜になって少しは涼しくなったはずなのに、ダラダラと汗をかいて、しかも手汗も酷かったから、僕はもう心臓がはちきれそうなくらいドキドキしていた。

 きっと、これも、僕には似合わないくらい、久田野が可愛いせいだと、思うことにした。

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