第27話 奇跡を描きだせ

 バスに揺られて十五分、電車に乗って三十分。移動の間も、僕らはこれからの更新をどうするか、今後の展開の再確認など、話を詰めた。

 家に帰ると、ゴールデンウィークのときのみたいに、久田野はパソコンとペンタブを持って僕の部屋に上がった。雰囲気的に、もう止まることはない。

 僕は机に置いてあるパソコンを開き、椅子に座りふっと大きく息を吸う。

 ……大丈夫、描ける。怖くなんてない。もう、逃げたりなんてしない。

 約二十日間止まったしまった時計を、もう一度動かした。

 僕の指は、久しぶりに心地よいキーボードの打鍵音を奏でていたんだ。

 それを見た久田野が、嗚咽を漏らしていたのを、聞き逃すことはなかった。


 更新が滞ったことによるPV数の減少は顕著だった。

 福島先輩が言ったように、これから一日3000程度のPVを稼ぎ続けないといけない。

 ……やるしかない。やるしか、ないんだ。

 溜まった何かを吐き出すように、僕は、その日は朝の四時までひたすらパソコンの画面と向き合って原稿を進めていた。

 久田野も久田野で、ツイッターでの宣伝と、そのためにもう一枚イラストを描くと言って僕と同じ時間くらいまで、絵を描いていた。

「……あ……やべ、寝落ちした……」

 僕が再び目を覚ましたのは、午前の九時のこと。

 体を机から起こそうとすると、覚えのないタオルケットが落ちる。僕、何も羽織らず寝たと思うんだけど……。

 ふと、目の端にメモ書きのようなものが入り込む。

「こらー! 勝手に女の子連れ込むなー! (笑) 葵ちゃんの家には連絡しておきました」

 ……すみません。あと、ありがとうございます……。

 心の中でお礼を呟き、僕は一旦部屋を出てシャワーを浴びることにした。夏だし。昨日結構走ったし。汗かいたし。入らないと気持ち悪いし。

 と、まあサッパリして部屋に戻ると、ペンタブを抱き枕にして眠っている久田野のタオルケットが外れかけていた。

 冷静になればクーラーつけっぱなしで布団にも入らず寝たら風邪引きますよねと、改めて僕らの愚行を思い知り、外れかけたタオルケットをかけ直す。その際、意図せず彼女のふわふわとした綿のように柔らかい肌に触れてしまう。

 ……しまった、そうだ、久田野今着ているのノースリーブだった……。

「んん……あれ……私いつの間に……?」

 そして、その拍子かどうかわからないけど、久田野は眠りから目を覚まして起きた。

「って文哉? えっ……あっ……」

 恐らく僕が彼女の肌に手を触れたことにびっくりしたのだろう。けど、僕が手にしているものを見てすぐに理解してくれたようだ。

「ごめん、私結局ここで寝ちゃった……って家に伝えてない! お、怒られる……無断外泊だって……」

 今度は家に何も連絡していないことに顔色を青くしている。ほんと、表情豊かなことで。

「それだけど、大丈夫みたいだよ」

 僕はさっきのメモ書きを持ってきて久田野に見せる。それを見ると彼女は安心したようにため息をひとつつく。

「よ、よかった……。あれ、文哉シャワー浴びたの……っっっ」

 首からバスタオルをかけている僕を見るなり、今度は顔を真っ赤にして僕から離れようとする。

「……ん? どうかした?」

 忙しい人だなあ。それによってまたタオルケットが落ちてしまう。久田野は僕に背を向けて色々と何かを確認しているようだ。

「だ、だって……。き、昨日お風呂入ってないから……多分今の私……汗くさい……」

 ああ……なるほど。顔だけこちらを向いて恥ずかしそうに言う久田野は、しきりに自分の匂いを嗅いでいる。

「べ、別にそんなに気にならなかったけど……」

 さっきは全然意識しなかったし。

「文哉は気にしないかもしれないけど私は気にするのっ。だって、私、服とか全部昨日のままなんだからねっ」

 ……なんか、すみません……。

「と、とりあえず私一回家帰るから。また色々終わったらまたここ来るから。それじゃあ」

 そして久田野はそう言って逃げるように僕の家から出て行った。

 ……ほんと、忙しい人だなあ。


 カチャカチャと二時間くらいやっているうちに、久田野は戻ってきた。ゆっくりお風呂にでも入ったのだろうか、いつも以上に心地よい爽やかな香りがする。今日も今日で気温が高く、そのためか久田野の格好も膝丈までのデニムに、半袖の何やらオシャレな英字が書かれた白色のシャツという軽めなものになっていた。

「よしっ。じゃあ作業に戻りましょう……」

 久田野は女の子座りした膝元に置いたタブレットを開くと、

「もう、こんなに描いたの……?」

 きっと「かけかけ」の作品管理画面を見たのだろう。下書きの原稿が五話くらい増えているはず。

「たった一晩で……一万字も?」

 驚愕の視線を彼女は僕に送る。ぱちぱちと目を瞬かせては、じっと僕の目を見つめている。

「い、いや……ここしばらく描けなかった反動というか……ぶわぁって……文章が出て来ちゃって……ははは」

 おい語彙力、仕事してくれ。ぶわぁって何だぶわぁって。福島先輩を少しは見習うんだ。

「いっ、今すぐ読むからちょっと待ってて!」

 苦笑いを浮かべた僕とは真逆に、彼女は食いつくように画面とにらめっこを始める。何回か液晶をスクロールさせては、立ち止まったりしてうーんとぼやいたりして、三十分くらい経過したころに。

「すごい……」

 たったその一言が、久田野の口から漏れた。

 そして、後を追いかけるように言葉がポツポツと零れていく。

「こんな……明花の気持ちを繊細に描いておきながら……最終的には涼音を選ぶのが……たまらなく……しかも、そんなに明花推しでも不快になりにくいフォロー付き……」

「……ど、どうかな……?」

「す、すごいよこれ! だめだなんて言うわけないよ! 時間ないし、早速更新しよう?」

 八月十日。火曜日。期限の八月三十一日まで、ちょうど三週間。

 加速を鈍らせていたPVのカウントが再び、少しずつではあるけども、勢いを増し始めた。


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