第22話 差し伸べられる手を振り払って
灰色だ。何もかもが灰色に見えた。
帰り道。長い間久田野と一緒に登下校をしていたからだろうか。彼女の周りは、彩りに溢れていたからだろうか。
今、僕が歩く家路は、色のない、灰色にしか見えなかった。信号の色も、通り過ぎていく車のボディーカラーも、途中にある花屋に並ぶ花の数々さえも。
ああ、そっか。久田野は、僕の日々の世界にすら、色を与えてくれていたのか。
そんな人に……僕が並べるわけない。
今度こそ、忌憚なく僕は言える。僕は久田野に紛れもなく劣等感を抱いた。何もかも、全てにおいて。
何でもそつなくこなして、みんなからの人気もあって、そして、イラストの才能は光るものを持っていて。
それに引き換え僕は。僕なんかは。
張りつめていた緊張の糸が、プツンと切れてしまった感覚だ。
今は、何も考えたくない。何もしたくない。
ふらつく足取りでたどり着いた無人の家。「ただいま」さえ言うことなく僕は自室に逃げ込んではベッドに倒れ込んだ。
その日、僕は高校に入って初めて原稿をしないまま、眠りについた。
次の日。目が覚めたのは家のインターホンと母親の話し声だった。
「──ごめんね葵ちゃん、文哉昨日の夜からずっと部屋から出てこないの、風邪とかじゃないと思うんだけど……」
「そ、そうですか……」
「文哉―! 葵ちゃん来てるわよー!」
玄関から母親が僕のことを呼ぶ。けど、返事はしない。
十秒くらい待ってから、
「やっぱりだめだわ。ごめんね。何か伝言でもしとこうか?」
と、諦めてそう言った。
「い、いえ……それなら別に、大丈夫です。お邪魔しました……」
そして、ドアが閉まる重たい音が響き、足音がこちらに近づいてくる。部屋のドアが開けられ、母親がずんずんとなかに来る。
「まったく……駄目じゃないあんな可愛い子悲しませたら。何かあったの?」
ベッドに伝うはしごに両足だけ乗せて、上半身のみ布団の上に持ってきているようだ。
「……別に」
それだけ言って僕は背中を向けるように寝返りを打つ。
母親はため息をついてから、
「じゃあお母さんもそろそろ仕事行くから。多分夜遅くなるから。お父さんも今日は夜勤だって言っていたから夜は適当に済ませて。……葵ちゃんのあの顔は、昨日散々泣きはらした次の日の顔だと思うけどなあ。ぷっくりと目もと腫れていたわよ?」
「…………」
「はいはい、じゃあもう出かけます」
やがて母親はバタバタと家のなかを歩き回ってから「行ってきまーす」の声とともに仕事に出かけた。
スマホで今の時間を確認すると、午後四時。……もう父親も仕事に出かけたか。
「……お腹、空いたな……」
昨日の夜から、何も食べていない。
僕はのそのそとベッドから起き上がり、台所へと向かう。
納戸にあったカップラーメンを掴んでお湯を沸かし始める。無心で薬缶の水が沸騰していく様を眺めていると、やがて湯気が噴き出てきたので火を止める。
蓋を開けた容器にお湯を注ぎ、リビングのテーブルに持っていく。
ひたすら三分経つのを待って、僕は今日初めての食事にありついた。
あれを今日の夜ご飯にしてしまうことにして、僕は部屋に戻った。さすがにもう寝る気にもなれず、無意識のうちにノートパソコンの電源をつけてしまう。
「あ……」
別に原稿をやる気はなかったのに。習慣って恐ろしい。
……あんな状態になって、僕に『だあるまさんがこおろんだ』の続きを描く気力は残っていなかった。
「終わりだ……終わったんだ……」
きっとこのままストックも使い果たして、PVは伸びることなく九月を迎えて、そして、文芸創作部は廃部になるんだ。
そうすれば、晴れて僕と久田野を繋ぐ学校内での関係は途切れる。
久田野は、僕から自由になれる。
そのほうがいい。いいに決まっている。僕みたいな無能の本好きなんかに、あんな才能を貪ることは許されない。もっと、彼女には彼女にふさわしいものを描く小説家がいるはずだ。いや、別に挿絵に限らないかもしれない。もう、自力で羽ばたける力を、彼女は有しているのだから。
とにかく、確実に言えることは。
aoiにとって、いずみふみやはお払い箱ってことだ。
もう、僕に力は残っていない。ラスボスの攻撃を受ける前に、反動といつの間にか集まったギャラリーの罵声で心が折れてしまった。これっぽっちも減っていないボスのヒットポイントはまだ八割程度が残っている。ただひとつだけ持っていた木の枝の武器は、もうボロボロで見る影もない。
少しずつ、少しずつ、巨大な輪郭のラスボスは僕に近づいて来る。きっと、今まで受けてきた攻撃の分、反撃をしてくるつもりなのだろう。といっても、表情は余裕なままだから、塵を吹くようなものにしか思っていないはずだ。
僕は距離を取ろうと一歩後ろに後ずさる。けど。
わかっていたけど、もう後ろなんてなかったんだ。
僕の背中には、ゲーム開始から変わることなく広がる断崖絶壁があったんだから。
悲鳴を上げることなく、僕の体は崖へと落ち始める。
ゲームオーバーだ。終了だ。
……ん? なぜか僕は地面に足を着けている。……ああ、崖の斜面にギリギリ人が立てる部分があったんだ。
悪運が強いなあ……。でも、それも長くは続かない。僕の重さに耐えられる保証もないし、ラスボスも既に僕がそこにいることを把握している。
……もう、トドメを刺してくれ。煮るなり焼くなり燃やすなり、好きにしてくれ。
そのほうが、このゲームのためだ──
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