第20話 寝不足の理由

 蒸し風呂のように暑い体育館で行われた終業式。定番ともとれる校長先生の長い話は、永遠に続くのではないかという絶望を生徒に与えたと思う。不快指数は、多分屋上のほうがまだマシだと思う。あそこ日陰があって涼しいから。今の体育館は蒸している、風通し悪い、人と人の距離が近くてのこれまた三重奏。ようやく聞こえた「では、みなさんの元気な顔をまた九月に見られることを期待しております」のこれまた変哲のない締めの言葉で、校長先生の話は終わった。続いてまた誰かが壇上に上がり始めた。それを見て、少しばかりか一般生徒達からはため息が漏れる。

 ……生徒会長か。

「次に、生徒会長の三年四組、白坂永見さんによる、連絡です」

 司会の先生の進行で、ステージの上に上がりマイクを取った会長。夏真っ盛りだと言うのに制服は一切着崩されていない。僕もさすがにたまらなくなってワイシャツのボタン上ひとつ外した。本当は駄目だけど。

「創成高校の生徒であられらる皆さま、目前に控えました夏休み、さぞ今か今かと心待ちにしていられるかと思いますわ──」

 口調も態度も普段通りに、白坂会長は僕らに演説をし始める。と言ってもまあ、高校生らしい健全な夏休みを過ごすようにとか、風紀を乱すなとか、そこらへんのことしか話していないけど。会長も会長とて長々と話を続ける趣味はないようで、あっさりと簡潔に言いたいことを話すとすぐに話を畳み始めた。周りからようやくか、というような喜色が上がり始めると、最後に会長はこんな爆弾を落としていった。

「最後に、これは事務連絡になりますわ。今から言う部活の部長は、放課後速やかに生徒会室までおいでください。遊びかた研究部、スポーツ観戦部、ゲーム部、文芸創作部。以上の四部活の部長は、繰り返しますが放課後生徒会室までおいでください。重要な連絡事項がありますわ。それでは皆さま、よき夏休みをお過ごしくださいまし」

 呼び出された……。僕、部長。

 土壇場に設置された危険物の香りに、僕は心のなかで悲鳴を上げていた。


 放課後。さながら自由を手にした市民たちのようにお祭り騒ぎの校舎を歩いて、僕は生徒会室に向かった。普段の生徒会との折衝は久田野がやっていたから、こういう役回りをするのはあまりない。……というのも、久田野曰く「文哉が生徒会と関わるとどんな悪条件でも呑んできそうだからだめ」とのことで。

 けど今回は部長、という呼び出しなので、久田野が行くわけにいかない。そもそも、あんな眠気マックスの彼女に行かせていいのかという気もするけど。

 第一校舎の三階隅。生徒会室と書かれた教室のドアの前に向かうと、そこには見知った顔の男子生徒が一人立っていた。

「日和田君……」

「あ、文芸創作部の部長の方ですね……どうぞ、会長が中で待っています」

 気弱そうに、そして申し訳なさそうに彼は僕に言う。

「ありがとう……」

 君も色々大変だろうなあ。会長の側近みたいなことさせられて。

 生徒会室のドアをノックする直前、彼のおどおどした横顔をチラッと一瞥してそんなことを考える。

「失礼します」

 スライド式のドアを開けると、

「あら、随分とお早いのね。やはりあの茶髪さんと違って真面目な方だからすぐにいらしてくれましたわ。どうぞ、中に」

 ドアに向かい合いって会長の椅子に座っている白坂さんは僕のことを迎え入れる。

「それで……一体何の用が……」

 会長の目の前まで歩き、僕は堂々と背筋をきちっと伸ばした佇まいの彼女に尋ねる。会長専用の机はしっかりと整理整頓されていて、決済が終わっている書類入れには山が積まれていて未決済のものは空っぽなところを見ても、どれだけ会長が仕事をしているかが容易にわかる。スケジュールを書き込む補助用の黒板にも、大雑把にだけれど夏休み中にやることが単純に記されていて、端に「詳細は別途配布のプリント参照」とあるように、もうしっかりとした予定は立てられているようだ。

「いえ、特にこれといったことはないですわ。どうやら、今までよりかはいい数字を出していられるのですね、という世間話をしたくて」

 少し嘘っぽい偽物の笑みをこちらに向ける彼女は、さらに続ける。

「こちらも毎日あなたがたの作品ページからPV数は把握させてもらっていますわ。あ、くれぐれもあなたの陳腐な小説を読んでいると思わないで頂きたいわ」

「……言われなくても期待してませんよ」

「現段階で2万は超えていらしてましたね。まさか、あなたの作品でここまで伸びるとは思っていませんでしたので、正直予想外と言えば予想外ですわ。念には念を入れて10万にしておいて正解でしたわね」

「何が言いたいんですか?」

 やや苛立ちの混じった声音で僕は聞いてしまう。すると、会長は少しだけ本心を漏らすように、口元だけ意地悪く緩めた、笑ってない笑みを僕に差し向ける。

「薄々あなただって理解しているのではなくて? もう間に合わないって。八月末までにあと約8万も増やせないって」

 彼女のご高説だけが、二人だけの空間に流れる。校舎の喧騒がどこか遠いもののように感じられる。

「まあ、これは忠告と受け取ってもらって構いませんわ。転部を考えるなら、夏休み中にしたほうが賢明ですわよ。それ以降は、予算会議が近くなるので、私たちもいちいち転部の申請の相手などしていられなくなりますので」

 ……脅し、か? 諦めるなら今だぞと。そう言いたいのか?

「別に文芸創作部がどうなろうと私は何でもいいのですが、それだけは伝えておいてあげようかと思いまして」

 嫌味たっぷりに伝えてくる生徒会長。その姿と、今日の朝の久田野の「部活のためだから、だよ」の言葉が合わさる。

 ……だから、だろうか。気がついたら、僕は言い返していた。

「……生憎ですけど。諦めが悪くなかったら、創作なんてやってないんで。もう、いいですか? 僕らに時間がないことくらい、会長なら理解してますよね?」

 その反撃に対し、会長は面白いというように鼻で笑う。

「それでは、僕はこれで」

 もう話すことなんてない。もうこんな場所たくさんだ。僕は踵を返しドアへ向かおうとする。

「あと。最後にひとつだけ、諦めの悪いあなたにアドバイスしてあげますわ」

「あなたのアドバイスなんて──」

「おたくの茶髪さんが寝不足な理由、ちゃんと考えてあげまして? 壇上からでもわかるほどの酷い顔でしたわよ? 折角の可愛らしいお顔がもったいない」

 怖いくらいの無表情で言う彼女に、一瞬寒気がする。こう、久田野とは別の圧を感じた。

「……そうそう、うちの久田野葵の髪ですけど。ちゃんと生徒指導の先生も把握している地毛なんで、そのいじりやめてもらっていいですか?」

 吐き捨てるように返して、僕は生徒会室を後にした。少し怒った剣幕で僕が出てきたものだから、日和田君はびっくりしてまたもや同じように申し訳なさそうな顔をする。ふと近くを見渡すとさっきの僕と同様に緊張した顔をした生徒が三名ほど並んでいた。

 あ……他の部活の部長さんたちですね……。日和田君は本当に大変そうだ。

 僕は少し早足になって、部室のある第二校舎へと向かいだした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る