第19話 アクセル踏みこんで、一寸先は……

 長い間だらだらと喜んでいる余裕は僕にあるはずもなく、その日の部活からまたしっかりと原稿作業に向かいだした。

 一次は抜けたけど、まだ一次なのだから。雷撃は去年も一次は抜けた。あくまでこの選考抜けは、去年の僕とほぼ同じ程度以上はありますよって保証書みたいなもの。安心こそするけど、だからといって手を止める理由にはならない。

 描かないと、前には進めないから。


 七月十九日の月曜日。放課後の部活の時間。一次抜けから大体一週間が経過したころ。夏休みも明後日から始まる。ランキングは横ばいになり、一日に稼げるPVも千を上限に頭打ちになってしまった。今のPVは2万2千くらい。

 何か次の起爆剤になるようなものを落とし込めないかと悩みつつもパソコンに向かい、僕はひたすらワードのカーソルを右上から左下へと進め続ける。最近は投稿する原稿に対する久田野のNGもなくなってきて、少しはラブコメっぽいものを描けるようになったのかなと、少しだけ感じたりする。コメントとかでも「このシーンニヤニヤできました」とか貰えるし。

 ただ……。

 コツン。

 僕の前に座っている久田野がここ最近また舟をこぐようになったのが気がかりだった。別に挿絵の仕上がりが間に合っていないとか、そんなことはないはずなんだけど。

 今も、ペンタブと久田野の顔が衝突した。これで今日三回目。

「大丈夫? 久田野。なんか凄く眠そうだけど、何かあった?」

 あまりにもだったので、様子を窺ってみる。

 眠りの森からもう一度覚めた彼女はごしごしと目をこすってこちらを向く。

「うーん……最近寝不足でね……ちょっと……」

「イラストの作業が押しているとか、そういうわけじゃないよね……?」

 久田野はふふふと力なく顔を緩ませて……なんならそのまままた寝てしまいそうになりながらも、

「うん……そういうわけじゃないから、文哉は原稿に集中していいよー」

 と答え、大きなあくびをする。

「そ、そう……?」

 なんか引っかかるけどなあ……。まあ、久田野がそう言うならそういうことにしておこう。


 その日の夜。僕は少し詰まった原稿作業の息抜きに、応援コメントの返信作業をしていた。この企画が始まる前はコメントなんて一作品にひとつあるかどうかだった。けど、『だあるまさん』はもうその比ではない。一話更新するたびに二桁くらいのコメントが飛ぶようになった。それが溜まりに溜まると返事を書くのも大変になり、こうしてたまにまとまった時間を割いていた。

 コメントの内容はやっぱり甘い場面の感想がほとんどだ。「朝、一緒に登校するシーンの明花の様子がキュンときました」とか、「涼音がたまに見せる笑みと、普段のクールっぽい雰囲気の差がやばいです」とか。特に、久田野が僕のために何かやってくれたシーンはそういうコメントの数が増えている。

 ……今回に関しては、久田野に感謝してもしきれないかもしれない。彼女が朝一緒に登校しようとか、お昼を一緒に食べようとか提案しなかったら、きっとここまで反応を得られるラブコメは描けなかった。それに、ランキングが跳ねたのも、久田野の表紙のおかげだし。

 そんな彼女のイラストに対するコメントも寄せられていて、というかそれが半分くらいを占めているのだけれど……「涼音が照れてる顔めっちゃ可愛い!」や、「aoiさん背景描くのが上手ですね」とか。あ、aoiは久田野の名義。なかにはaoiのツイッターのフォロワーらしき人のコメントもちらほら。イラストに対するコメントの返信は久田野に一任している。一応、小説のトップページにも僕が文章を描いて、久田野がイラストを描いていることは明記している。

「よし……こんなものでいいかな」

 溜まっていた僕……いずみ宛のコメントの返事も済ませると、もう時間も零時を回っていたので、僕は寝ることにした。ということは、今日が終業式。それが終われば……運命の夏休みに突入する。生徒会が定めた最終期限となる、夏休みに。

 歯を磨き今日の支度も済ませ、ベッドに入る前にパソコンの電源を落とそうとすると、また新着のコメントが何通か来たようだ。そういえば、また零時に一本エピソードを公開したから、その反応がもう来たのかな。まあ、でも内容を見るのはまた今度でいいか。うん。寝よう。

 そう決めて僕は部屋の電気を消し、ベッドのなかに潜り込んだ。


 朝、いつも通りの時間に起床した僕は、習慣の作品管理画面の確認をパソコンで済ませる。うん、PVはいつも通りの伸び……だね? あれ……でもいつもより多い? 体感だけど。

 不思議に思った僕は管理画面からトップページに移って、日間のランキングを確認する。

 その画面には。

「……は? 嘘だよね……?」

 日間ラブコメランキングで二位に並んでいる『だあるまさん』の名前と、総合の日間ランキングでも八位につけている事実があった。

「いっ、一体何があったの……?」

 僕は作品ページに行こうとしたけど、

「文哉―? そろそろ起きないと遅刻するわよー」

 と、リビングから僕を呼ぶ母親の声がしたので、僕は「はーい」と返事をして仕方なく電源を切った。とりあえず、朝久田野に聞けばわかるか。多分久田野も毎日朝には管理画面見ているはずだし。


 家の玄関を開けると、やはり外の共同廊下には久田野の姿があった。でも、やはりどこか眠たそうな顔をしている。

「あ、おはよー文哉」

 それに、今間違いなく半分寝ていたよね……? 僕がドア開けた音で目覚ましたよね? ……大丈夫かな……。外で寝たまま熱中症とかにならないでくれよ……?

「お、おはよう久田野……」

「それじゃあ、行こう?」

「う、うん」

 あれ……? 久田野もしかしてランキングを見ていないのか? 彼女の性格なら出会ってすぐにでも「文哉日間のランキング見た?」とか聞いてくるかと思ったけど。

 やっぱり実は作業量多くてパンクしかけているのかなあ……。

 マンションを出て学校までの三十分の通学路を歩きだす。僕はボーっとしている久田野に、

「ねえ、やっぱり大丈夫? ここ最近ほんとに眠そうだけど……実は僕が知らないところでめちゃくちゃたくさんの作業をしているとか、そんなことないよね?」

 と、再度心配の声をかけてみる。その僕の問いかけに、彼女はビクッと肩を震わせて、引きつった笑みを無理やり作り出す。

「な、何言っているの文哉。べ、別にそんなことないってば。もう、心配性なんだから」

 ……怪しいんですけど。思いきり怪しいんですけど。こういう歯切れの悪いときはおおよそ何かを隠している場合が多い。

「そういえば、なんかツイッターでも『だあるまさん』の挿絵を公開するようになったけど、大丈夫? リプ返しとか、結構増えているんじゃ……」

 一応、僕の個人的なアカウントと、創作用に作ったいずみふみや名義のアカウント両方で、久田野の創作用アカウントの、aoiはフォローしているから、彼女のツイートは日常的に眺めている。『だあるまさん』開始直後からそこそこ宣伝ツイートは落としていたけど、ランキングが跳ねてからというものは、その頻度も上げているし、僕の宣伝ツイートもきちんとリツイートして拡散してくれている。フォロワー数は真面目に比較にならないくらいだからかなり助かるけど。

 そんな状況でさらに久田野は『だあるまさん』のために描き下ろしたイラストをツイッターで一部公開して、さらに宣伝を強めてきた。「朝、君を待ついつもの風景」みたいなコメントを一言だけ載せたもの。ぱっと見は純粋なイラストツイートにしか見えないので、宣伝ツイートよりもリプの数は増える。彼女は基本的に、よほどひどいことを書かれない限り丁寧にリプを返しているから、その分の負担ももしかたら影響しているのではないかと思った。

「全然、平気平気。私が自分で決めてやっていることだから。それのためにイラストの完成を遅らせるなんてことはしないから安心して?」

「……そ、それならそれでいいんだけど……久田野、昨日何時に寝た?」

「え? えっと……五時に寝て、六時半に起きたかなあ……」

 頬を掻きながら彼女は困ったように笑いながら答える。……大丈夫ならそんな顔するなよ……。大丈夫じゃないからそんな顔するんじゃないの。

「……ここ一週間は?」

「もう、文哉ったらどうしたの急に、私のお母さん?」

「…………」

 あえて何も言わずに久田野の答えを待つ。僕の真剣さに彼女も気づいたみたいで、ぼそっと呟く。

「……同じだよ、今日と」

 彼女の言葉を聞いて、僕は不意に鳥肌が立つ。……正気かよ。

「ねえ、前に久田野僕に言ったよね、自分を追い込むなって。確かにあのときよりは時間が経って、残り時間もそんな残っていないけど、焦るのは僕であって久田野ではないよね? それに、そんな一日に一時間半しか寝ていない生活続けていたら、いつか久田野が破綻しちゃうって。そんな、部活のために自分の身体壊すような真似──」

 と、少し強い口調で隣の幼馴染を諭そうとしたけど。

「……部活のため、だからだよ」

 僕の言葉は途中で遮られた。静かに、ポツンと漏らすような大きさだったけど。僕は久田野のその台詞で押し黙ってしまう。

 そして、再度。信号が赤になって立ち止まった瞬間。一台の車が視線の先を走り抜けると同時に、蒸し暑い夏の空気にひとさじの涼しさをもたらしたときに。

「部活のためだから、こんなに無茶してるんだよ? 文哉……」

 久田野は僕の右肩によしかかるように身を預けてきた。

「え? ちょ、ちょっと久田野……、ここ外だからっ、誰かに見られるとまずいからっ」

 少し汗ばんだ半袖のシャツ越しに感じる彼女の少し火照った肌の温かさと、湿っぽい彼女の言葉遣いに心臓がキュウと音を鳴らす。

「……明日からは夏休みで、時間も多く取れるようになって余裕ができるはずだから。……だから。大丈夫。……今は、ちょっとだけ、こうさせてよ……」

 だめ? と言わんばかりの上目遣いを彼女はしてきた。目と鼻の先に見える久田野の可憐な、かつ眠たげな顔に、プラス上目遣いというトリプルコンボに思わず言葉を失い、僕はただこくこくと頷くことしかできなかった。

 ……やっぱり、幼馴染相手に、僕は勝てないことを知った。


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