第18話 泡のなかで掴んで
カレンダーはどんどん進んでいき、日付は七月十三日、月曜日。『だあるまさん』のPVは1万6千を数えていた。眩暈が出るような数字だけど、まだ足りない。
期限の八月末まで、四十九日。つまり、ここから一日あたり1714PVを稼ぎ続けないといけない。更新開始時は917PVで良かったものが、今は約二倍に膨れ上がっている。後半になるとハードルが上がる、わかりきってはいるけど、やはりとてつもなく高い。
ここ最近の日間PVは四桁いくかどうかくらい。足りない。どんなに跳ねてもまだ足りない。
途方もなく遠くに霞んで見えるゴールは、どれだけ自己新記録を叩き出しても届くことのない蜃気楼のようで。
僕は一体、どれだけの力を振り絞ればあの微かに浮かぶ頂上にたどり着けるのだろうか。振り絞るだけで足りないのならば、何本の骨を折れば、何ミリリットルの血を流せば、あの星を掴むことができるのだろうか。
何発も何発も必殺技を繰り出しているけど、か細い木の枝ではラスボスにダメージを与えることもできず、ラスボスもラスボスで余裕そうに僕の攻撃を鼻歌歌いながら受け流している。もう、寧ろ攻撃するだけで僕に来る反動のほうが大きいんじゃないか、そう思えてしまう。
タイムリミットは、刻一刻と、近づいている。
この日は、久田野が僕をお昼に屋上に行こうと誘った。仕方ないので、僕は四時間目が終わるとすぐに教室を出て中央階段を上がっていく。もたもたしていると教室まで久田野が迎えに来ちゃうからね。
屋上前の鍵がかかったままのドアの前に立って、幼馴染の到着を待つ。五分と経たずに一段飛ばしで階段を上がって来る久田野の姿が見えた。
「もう、先に行くならそう言ってよ。教室まで迎えにいったのが無駄足になったじゃない」
ほらね、やっぱりそうだ。
「ごめん」
無駄に意地を張るのも面倒なので、素直に謝っておく。彼女はポケットから鍵を取り出し、ドアを解錠する。太陽の光が直接照りつける屋上はやはりというか暑そうで、僕は一瞬入るのにたじろいてしまう。
「ほら、行こ? ベンチのところは日陰だから、大丈夫だよ」
彼女は右手で陽射しを覆いながら顔だけこちらを向けて僕に催促する。
「それに、今日は小型の扇風機持ってきたしっ」
さらに朗らかな笑顔を続けて浮かべる。
「……準備がいいことで」
僕はボソッとそう呟いてから久田野の後を追う。一人分だけ開いたベンチの隙間に腰を落とし、お弁当を開ける。
「……で、今日はどうして屋上なの? こんな暑い日に外で食べる理由ないよね」
「あれ? 文哉忘れたの? そろそろ雷撃大賞の一次選考の発表じゃないの?」
あ……。「かけかけ」のことでもう頭がいっぱいになっていたから新人賞のことすっかり忘れていた。確かに、例年ならこの時期には一次選考発表が来るはず。
「もしかして、忘れてた?」
「……はい、忘れてました……」
「ふーん。だから人のいない屋上に連れて行って結果見ようと思ったのに」
……そのために今日という暑い日にわざわざ屋上に連れてきたんですね。
「と、とりあえずお昼食べてから見よう? そのほうがいいよ、うん。いただきまーす」
突然せりあがってきた緊張の波を誤魔化すために僕は久田野にそう言い、お弁当を食べ始める。
「まあ、文哉がそのほうがいいって言うなら……」
とりあえず僕の提案に乗ってくれた久田野も、手元にあるお弁当箱を広げる。
「PV数、安定してきたね」
「……それでも、まだ足りないけどね」
ならば「かけかけ」の話で場を繋げようとしてきたのか……久田野は。
「もう、まーたそんなこと言う。ひとついいこと言ったらすぐひとつ悪いこと言うの、ほんと良くないと思うよ?」
そう言いつつ、彼女は小脇に置いていた小型扇風機を僕の口元に持ってくる。
「ちょっと、近い、近いから」
「どう? 涼しいでしょ」
「涼しいけどさ……」
「はい、ネガティブ禁止」
……僕は普通にお昼を食べることすら許されないのでしょうか。これじゃあお弁当食べられないよ……。
「文哉の言う通り今のペースでも10万PVには足りないけど、まだ足りないどうにかしなきゃって思って原稿進めるのと、もっと増やすぞどうにかするぞって思って原稿進めるのでは精神的に全然違うからね? だから、まだ足りないじゃなくて、もっと増やすぞ。はい、りぴーとあふたみー」
「……も、もっと増やすぞ」
「のんのん、ぷりーすすぴーくらうだー」
……なんでさっきから英語なの。と突っ込みを入れたくもなるけど、きっとそれを言うと「しゃらっぷ!」って返されるだろうからもう何も言い返さない。
「もっと増やすぞー」
「おーけーおーけー。その意気だよ文哉」
あ、英語終わった。
「ランキングは維持できるようになったから、読者が釣られる動線はまだ生きている。そこからもうひと跳ねできるように頑張ろう? そうしたら、きっとPVも増えるからさ」
「う、うん……」
その後も僕らは取り留めのない話をしながらお昼を食べ進め、やがてお互いのお弁当箱の中身が空になった。
「さて、じゃあ、結果見ようか?」
包みに弁当箱をしまって、久田野は僕の顔を見ながらそう言う。
「う、うん……」
僕は今にも震え出しそうな手をなんとか堪えつつ、スマホで雷撃大賞のホームページに飛ぶ。トップページには、今日の日付で「雷撃小説大賞一次選考結果発表」の文字が躍っている。
「発表……されてる」
僕の声に、久田野はゆっくりと頷く。隣でスマホを覗きこみながらも、無言で僕の次の行動を待っている。
リンク先に移動し、結果発表のページを上からどんどんスクロールしていく。応募総数四七〇〇ちょうど。それに対して、一次選考通過数は四〇五本。
……いつもより、少ない……?
心臓がドクンドクンと大きく脈打つ。
ホームページの文字は小さいので、ひとつひとつ丁寧に追っていかないと見逃してしまいそうになる。でも、その分、僕の名前でないときのダメージも大きくなる。
やがて、スクロールできる部分が残り僅かになる。
……ない、のか? 落ちたのか?
そんな予感が少しずつ頭のなかを駆け巡るようになる。
やっぱり、駄目か……「かけかけ」で跳ねたのも、まぐれだったのかな……。
……また、やり直し、か……。
そして、スクロールできる部分いっぱい。最後の数作に目を走らせる。
諦めが支配するようになった僕の目に、ひとつの名前と作品名が飛び込む。
「……ある、あった……抜けてる……」
選考抜け、一番下から二列目。僕のペンネーム、「いずみ ふみや」の名前と共に応募した作品のタイトルが連なって記されている。
「えっ、本当? あ、ほんとだっ、ある、名前ある、やったじゃん文哉!」
久田野はぐっとスマホに顔を覗きこませ、僕の名前を確認するとベンチから立ち上がり飛び跳ねて自分のことのように喜んでいる。
「いぇーい!」
と、彼女は両手を高く掲げハイタッチを要求してくる。
「え、あ、え……?」
何がなんだかよくわからなくなった僕は為すがままに彼女のハイタッチに応える。すると、彼女は単に手と手を叩くだけに留まらず、指と指の間に自分の指を潜り込ませる。
「やったね! 文哉! あ、まだ一次だしって感想はなしだよ? やっぱり文哉はすごいんだよ、一割にも満たない数のなかに入ったんだよ!」
「う、うん」
うん? ……段々現実に帰ってきたけど、この手の繋ぎかたってもしかしなくても恋人繋ぎってやつなのでは……?
「く、久田野……? そ、そろそろ手、離さない……?」
選考を抜けたという喜びもあるけど、久田野と今そういう手の繋ぎかたをしていることが恥ずかしくなってきて、僕は思わずそんなことを言ってしまう。
でも、変わらず満面の、嬉しさに揺れる笑みを浮かべ続ける彼女。目もとに浮かぶほくろが、このときばかりはとても強調されて映る。
「え? いいじゃん、もっと喜ぼうよ。ほら、文哉もっ」
……あ、だめだ、これ。久田野が手を離すまで終わらないや。……いっか、別に。彼女が喜んでいるなら、別にそれでいい。誰かがみているわけではないし。
それから五時間目の予鈴のチャイムが鳴り響くまで久田野は喜び続けていた。束の間かもしれないけど、幸せの時間に僕は身を置いていたのかもしれない。
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